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赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

羽田町「北鵜木舘」は、安倍貞任が姉体村で義家と対戦した時の砦か

 

 

 

羽田村志資料上巻 159P

北鵜木無名城址

壘(塁)内蝦夷系の土器石器土師土師器等多くの存せり本城址特に当地方に於ける蝦夷征伐史上重要なる材料なれば永久保存の必要あり。

塁とは土を積み重ねてつくった構築物

 

姉体の歴史206

八幡神社

源義家公が賊党安倍貞任を討伐の時、大槻と呼ばれていた槻の大樹(今の字八幡、岩淵繁氏宅地内)を神木と敬拝しえ鳩の峰石清水八幡を勧請した。そしてここを本陣として大いに戦勝し、安倍の巣窟である黒石村の鵜の木舘より北方に追払うと傳えられている。

 

 

 

 

 

 

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