近鉄バファローズなどで活躍した佐野慈紀さん(57)は、中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなり、引退後は、投球時にわざと帽子を落として頭頂部を見せる「ピッカリ投法」がOB戦などで人気でした。ところが39歳で糖尿病と診断、病状悪化で人工透析、合併症で右腕を切断、さらに心臓弁膜症などで入退院を繰り返しました。長い闘病の経過を聞きました。(聞き手・藤田勝、撮影・秋元和夫)
39歳でまさかの糖尿病
――39歳のとき、軽い肺炎で入院した際に糖尿病が判明したそうですね。それまでは特に心配していなかったんですか。
現役時代に血糖値がちょっと高いと言われたことがあり、頭の片隅にはありましたが、体重を落としたら正常値になり、安心していました。引退後も暴飲暴食はしていませんし、ほぼお酒も飲まず、体も普通に動いていたので、まさかと思いました。ただ、引退してから一度も健康診断に行ってなかったので、そこはちょっとおろそかでした。
――原因として思い当たることは?
細かく分析したら、もしかしたら普通の人よりはたいして運動もしてないのに食べる量は多かったかもしれないです。特に節制していたわけではないですし、唯一やっていたのがベジファースト、最初に野菜を食べることぐらいですね。
――思いがけない糖尿病の診断、ショックでしたか。
びっくりしました。数字が数字だったので、こんなにひどいのかと。血糖値が350(ミリ・グラム/デシ・リットル)もあって先生が驚いたぐらいです。
薬を飲み始めたら200台まで落ちて、「このまま順調に落としていきましょう」と言われていましたが、200を切るか切らないかぐらいから下げ止まりました。
「これはもうインスリンを打った方がいい」ということでインスリン注射が始まり、さらにほどなく、心不全で入退院を繰り返した末、やむなく人工透析を始めました。
心不全を繰り返し、人工透析を避けられず
――心不全は糖尿病の合併症ですか。
当時の主治医に言われたのは、糖尿病で当然、血流も悪くなっているだろうし、免疫とか抵抗力が落ちているだろうと、あとはやっぱり日々の見えないストレスともあったんじゃないかと言われました。
――透析には、かなり抵抗があったそうですが。
透析の患者さんにいろいろ話を聞きました。若い頃からやられて前向きな話をしてくれた方もいましたが、一方で、すごくしんどそうな人も多くて、やっぱり透析は駄目だろうっていう思いがありました。
何とか回避しようと、がんばって節制しましたが、やりすぎて栄養失調になることもありました。自分でコントロールするのは難しかったですね。
心不全も1回、2回じゃなく、透析を始めるまでに5回もやっています。主治医から「このまま透析を回避するのか、長生きしたいのか、決めてください」って言われて、もうせざるを得なかったです。
わずかな傷から感染拡大 右足中指を切断
――そこまで覚悟して透析を始めたのに、今度は感染症で大変なことに……。
免疫力が落ちていて、ちょっとした傷でも治りにくくなっていました。
最初は右足の中指。石油ファンヒーターの前でうたた寝して低温やけどをしてしまい、透析を受けている病院で足の治療も受けました。だいぶ治ってきてウォーキングを始めたら、なんか足の裏が痛くなって、最初は足底筋膜炎かなって軽く考えていましたが、病院で見てもらったら、傷から菌が入って感染症を起こしていると。
そして、もう即日、切断しないといけないと言われて、すぐに中指を切りました。思い悩む時間もなかったです。もし指だけで治まらずに感染症が広がったら、足から切断する可能性も出てくるというので、それは何とかしなきゃという気持ちでした。
切除後も念のため、また感染症が広がらないようにしばらく入院を続け、透析をしながら切除部位の洗浄を続けました。入院中に血糖値もだいぶ良くなって130ぐらいまでになり、ヘモグロビンA1c(6.5%以上だと糖尿病の疑いが強い)も6前後だったので、「もうインスリンも打たなくていいね」って言われている状況でした。