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作家・伊藤整が執筆した「日本文壇史」は、戯作者の仮名垣魯文に始まり、伊藤の死後、友人で評論家の瀬沼茂樹が書き継いで、第24巻の夏目漱石の死で終わる。その文学史の歴史的転換点に、菊池寛は居合わせた。小説家としてではなく新聞記者として。
京都帝国大を卒業し、知人のつてで時事新報社に就職した菊池。後に「元来自分の天分を自信していなかったし(中略)新聞記者生活を、一時の腰かけだと思っていなかった」と、「半自叙伝」で打ち明けている。
作品を発表していた同人誌仲間から「危篤」の連絡を受け、漱石邸に駆け付けた菊池について、瀬沼は漱石門人の作家から
一方、「史実に基づくフィクション」をうたう「文豪、社長になる」で、作者の門井慶喜さん(54)は菊池の胸奥へ切り込む。
「どうして社会部の新聞記者などという文人の香気ただよわぬ会社の籠の鳥になったのか」「なぜだ。どこで人生をまちがえた」と自問させる。そして「中学校のころは神童だった」とし、学校帰りの道すがら、図書館に入り浸った思い出を回想させる。
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「文豪、社長になる」は1905年、高松市の旧制中学時代で幕を開ける。
「この高松にも、とうとう大きな図書館ができる」。そんな話題で持ちきりの市井の人々に、17歳の菊池は日露戦争の戦費調達を理由に、「なんで図書館やこ不要不急のもんのために金がかけられるもんか」と背を向ける。
ところが開館すると、父親に頼んで金をもらい、1か月間有効の入場券を購入。発行番号「1番」に自尊心を刺激され、「俺は、一番の読書人じゃ」と通い詰めるようになる。
菊池も「半自叙伝」で「私の中学校時代に、もっとも
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旧制中学時代のエピソードは4ページで終わり、物語は11年後、29歳の菊池が漱石の死に顔を見下ろしている場面へと飛ぶ。長編ながら五つの章が連作のようなスタイルで続き、作家や社長など様々な菊池の顔が、芥川龍之介らとの交流、信頼する部下の裏切りなどを交えて描かれる。
単行本が出版された2023年3月、菊池寛記念館(高松市)を訪れた門井さんは図書館を巡るエピソードについて、こう語ってくれた。「高松は江戸時代から文教都市として発展してきた。ひねくれ者なのに、良いものは素直に評価する菊池の一面は、そんな高松が育んだといえる」
菊池については「仕事と遊びの区別がない。仕事のように遊び、遊びのように仕事をする。それが雑誌作りにも表れている」と指摘。「文学青年が新聞記者を経験したことで、現実の中に読者をひきつける企画があることを学んだ。新聞記者・菊池寛をもう少し書いてみたかった」という。
現在の「文芸春秋」「週刊文春」にも、ジャーナリストとしての菊池の感性は脈々と引き継がれている。門井さんの筆でつづられる新聞記者・菊池寛を、同じ記者として心待ちにしたい。(浦西啓介)
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2023年の文芸春秋創立100周年に向け、直木賞作家の門井慶喜さんが同社の小説誌「オール読物」に連載。23年3月に単行本として出版され、今年7月に文庫化された。「寛(ひろし)と寛(かん)」「貧乏神」「会社のカネ」「ペン部隊」「文藝春秋」の5章で構成される。