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第50期棋聖戦七番勝負第3局の開催を記念して、対局会場となった九州国立博物館では15日午後、歴史講座「囲碁と古代東アジア外交」が開かれました。講師は、棋聖戦の運営に携わった同館学芸員の大澤信さん。大澤奈留美五段を姉に持ち、自身も“囲碁キッズ”だったそうです。なぜ日本に囲碁が伝えられたか、その背景を東アジア史のなかで解き明かしました。
中国で一番古い碁盤は、約2000年前のもの。囲碁は元々、暦を見るために使われたと考えられます。次第に戦術を考える道具として発展し、さらに競技へと変わっていきました。囲碁が東アジアで流行したのは、唐の玄宗の時代。芸術を愛した皇帝で、芸術家を集めた国営のサロン「翰林院」の中には、囲碁の名手を育てる「棋待詔」も設けられました。そこには、中国の棋士だけでなく、韓半島の棋士もいたそうです。
韓国は古代から囲碁が盛んで、「高句麗の王様が囲碁の名手をスパイとして百済に送って、百済王の信頼をつかみ、百済の財政を傾かせたことも記録にあります。このときから、囲碁は外交の手段として使われていました」と、大澤さんは語りました。

日本で一番古い碁盤と碁石は、正倉院の「木画紫檀棊局」。宮内庁正倉院事務所の調査によると、上の盤面は紫檀ですが、そのほかは松で作られているそうです。この時代の日本では松の工芸品はほとんどなく、この碁盤は韓半島製作の可能性が指摘されています。
唐の時代、中国と日本は朝貢関係になく、日本は中国における中華秩序から外れていました。「囲碁でこの中華秩序に対抗するという考えが古代にはありました」と、大澤さん。「吉備大臣入唐絵巻」を題材に説明しました。この絵巻は、唐の地で幽閉された吉備真備が、先に遣唐使として渡って亡くなった阿倍仲麻呂の霊の助けを借りながら、中国の皇帝から出される難題に立ちむかうというストーリーです。吉備真備は難しい「文選」の試験にクリアし、日本にはないはずの囲碁で中国の名手に勝ちます。「平安時代という国風文化の時代に、囲碁を通じて、中国より日本の方が力があるということを示した物語です」(大澤さん)。

菅原道真公が詠んだ漢詩も紹介されました。道真公は囲碁が大好きだったそうで、タイトルそのまま「碁」という漢詩は、「囲碁の神髄を表している」と、大澤さんは言います。
「手もて談らふ 幽静の処(物静かな中、二人の手が語り合う)/意を用いること 興如何(打つ手を考えるのはなんと楽しいことか)(以下略)」
大澤さんは、「太宰府という街で囲碁があったことで、歴史にも関心を持ってもらえれば」と語りかけ、来場者はうなずきながら話に聞き入っていました。