編集委員 丸山淳一
12月14日放送の第48話で最終回を迎えるNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合、日曜夜8時~)。時代考証の山村竜也さんインタビューの後半は、主人公の蔦屋重三郎と戯作家、絵師などとの交流を描いた「文化パート」の話から始まり、話は時代考証の目から見てイメージ通りだった登場人物、蔦重の人物像、さらには最終回の見どころにも及んだ。
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蔦重・歌麿のコンビ解消、真相は…
――「文化パート」は、蔦重と歌麿の関係を軸にしていますね。
2人の関係は第1回、吉原の大火で歌麿が蔦重に命を救われるところから始まります。2人は義兄弟の契りを交わし、蔦重は「お前を絶対世に出す」と歌麿を支え、歌麿も試行錯誤を重ねながら蔦重のために絵を描き続けますが、なかなか名前が売れない。ドラマではこの期間を長く描いていました。
喜多川歌麿を演じた染谷将太さん(左)と蔦重を演じた横浜流星さん。「文化パート」は2人の関係の変化を軸に展開する(NHK提供) しかし、実際に蔦重が最初に歌麿に会ったのは歌麿が28歳の頃で、吉原を舞台に描かれた2人の関係は、すべてドラマの創作です。それまで歌麿は鳥山石燕の弟子で、石燕のもとで修業しながら北川豊章という名で本の挿絵を描いており、それを見た蔦重が声をかけて2人の関係が始まりました。蔦重とコンビを組んだ歌麿が蔦重の本姓「喜多川」を名乗ったのは、自身の「北川」姓と蔦重の本姓「喜多川」が偶然同じだったからで、幼いころから兄弟同然だった証しではありません。
しかし、2人の関係は「文化パート」の肝ですから、若いころからのつながりを時代考証が「あり得ない」と突っぱねるのはどうかと思います。私は『龍馬伝』の時代考証でも、坂本龍馬(1835~67)と岩崎弥太郎(1834~85)が幼馴染だったというドラマの設定を認めています。本当は大人になってから会っているというのは、蔦重と歌麿の関係と同じです。
ドラマではひそかに蔦重に恋していた歌麿と、それに気づかない蔦重の恋愛感情のもつれをコンビ解消の理由にしていますが、実際には蔦重・歌麿のコンビは写楽の登場とほぼ同時に破綻しています。蔦重が有望な新人だった写楽に肩入れしすぎて、二人三脚でやってきた歌麿をないがしろにしたため歌麿は蔦重の元を去り、歌麿はこれ以降、耕書堂から本も絵も出していません。
しかし、脚本家の森下佳子さんは「写楽=斎藤十郎兵衛」説をとらず、ドラマの中に浮世絵師の写楽はいません。そこで森下さんは、コンビ解消の理由を別の理由に置き換えたわけです。森下さんは恋愛ドラマを書くのが抜群にうまい人ですからね。
恋川春町の描き方、これぞ大河ドラマ
――歌麿は結局、ていに説得されて蔦重の「チーム写楽」に加わります。源内が描いたとされる蘭画が出てきて、その作風をまねようと絵師たちが奮闘していました。
あの絵「西洋婦人図」は確かに源内が描いた蘭画とされています。でも、源内以外に蘭画が描けた人※5は当時の日本にはほとんどいませんでした。『べらぼう』には人物画がたくさん出てきますが、日本一の絵師といわれた歌麿でさえ人物の描き分けが難しかった。写実的な人物画は江戸時代にはほとんど存在せず、人物画はずっと浮世絵の線画のままです。写楽を源内の絵に似せて、というストーリーには無理があったと思います。
――戯作者などの文人もたくさん登場しました。
北尾政演(山東京伝)が描いた恋川春町(『吾妻曲狂歌文庫』東京都立図書館蔵) 面白いなあと思ったのは恋川春町の描き方です。切腹をしながら豆腐の角に頭をぶつけるというのは森下さんのアイデアです。戯作の内容を幕府にとがめられ、病気を理由に出頭を拒んだ数か月後に謎の死を遂げています。春町は武士ですから、仕える殿様に迷惑がかかるのを避けるため、いろいろ悩んだ挙句に自殺したとみられています。
森下さんは切腹だけで済まさず、春町が最後まで受けを狙い、戯作者としての矜持を貫いたという話にしました。史実との兼ね合いに問題を起こさずに、独自の解釈で春町の記録の空白部分を見事に埋めています。大河ドラマはこういうことが大事なんですよ。
山東京伝や大田南畝についても森下さん独自の見方が反映されていますが、私は実際にこんな人だったのではないかと思って見ていました。南畝は俳優の個性が強くて。桐谷健太さんに見えてしまいましたが。

「にほん」「にっぽん」「ひのもと」どれも正しい
――時代考証の指摘が生かされたり、生かされなかったりしたところを教えてください。
ドラマを面白くするための脚色はありましたが、制作陣が史実や正しさを軽視していたわけではありません。数多くの考証・指導をつけたのがその表れで、細かいところまで確認され、こちらの要望が生かされたところもたくさんあります。
例えば、江戸時代の飲食店でテーブルや椅子に座って飲食する時代劇をよく見ますが、当時は小上がり※5に上がってそこにあぐらをかいて飲み食いしていたので、テーブルや椅子はなかったんです。ドラマには吉原大門手前の五十間道、耕書堂の真ん前に実在した「つるべ蕎麦」のシーンがありました。以前に使ったセットを使い回している時代劇では、作り直すのは大変なので指摘しても反映されないことがほとんどなのですが、『べらぼう』は一からセットを組みます。テーブルや椅子は置かないでほしいと要望したところ、正しく小上がりを作ってくれました。
ドラマの中では日本のことを「ひのもと」と言っていますが、「当時から『にほん』と言っていましたか」と何度か聞かれました。ちなみにこれは「あり」。江戸時代から「にほん」「にっぽん」「ひのもと」の3通りがあって、どれも間違いではありません。
第6回では「濡れ手に粟」問題が起きました。蔦重のせりふ「濡れ手に粟」は、正しくは「濡れ手で粟」でしたが、放送後に指摘があるまで誰も気づきませんでした。第30回で蔦重が、石燕に弟子入りした歌麿を見送りながら「あいつが一皮むけてくれれば、こっちは骨を折らずとも『濡れ手に粟』ってもんよ」とつぶやき、ていが「濡れ手で粟!」とたしなめ、蔦重が「そうでしたね」とわびるシーンを森下さんが入れて訂正しています。あれはうまかったですね。
蔦重の妻となるていは橋本愛さんが演じた(NHK提供) もちろん、要望したのに通らなかったこともあります。でも、それには演出上の理由がありました。
日本橋に移ってからの耕書堂は、残っている絵と比べると店構えが大きすぎました。実際はもっと小さかったはずですが、蔦重が日本橋に大店を構えるまでになったことを示す演出なので、よしとしました。定信の活躍を読売※6が伝えるシーンが何度か出てきましたが、読売はあんなことをしません。当時の読売というのは非合法の存在で、売る人は顔を隠していました。堂々と顔を出して幕政の動向を伝えることはあり得ない。そう指摘はしましたが、ドラマで読売は定信に買収されており、本物の読売ではないという理由でそのままになりました。『べらぼう』はNHK放送100年記念ドラマということもあったのか、メディアを前面に出すことには積極的でした。
――前作の『光る君へ』は女性の名前がわからず苦労したようです。『べらぼう』は吉原が舞台になり、多くの女性が登場しましたが、名前で苦労することはなかったのですか。
吉原の花魁については、細見※7に記録があります。「瀬川」などの名跡も、何代目かわからないことはありますが、名前がわからないということはありません。蔦重の母の名前も蔦重の顕彰碑に「津与」とあり、はっきりしていました。名前が伝わっていないのは、蔦重の妻になる「てい」くらいでしたね。戒名に「貞」の字がある※8のでその字を使い、台本では最初は「お貞」と表記していましたが、読みにくいので途中からひらがなになりました。
安田顕さんの平賀源内はイメージ通り
安田顕さんが演じた平賀源内は、山村さんの源内像通りだった(NHK提供) ――歴史作家の目で見て、イメージ通りだった人物、うまいと思った俳優は誰ですか。
最もイメージ通りだなと思ったのは安田顕さんの平賀源内でしたね。肖像画の源内は優男で安田さんとそれほど似ていないんですが、演技が実に見事で、今では源内と言えば安田さんというぐらいのはまり役になりましたね。
いい味を出していたのは、てい役の橋本愛さん。江戸時代風の眼鏡と、それを外した時のギャップが素敵でした。長谷川平蔵宣以役の中村隼人さんも、若い頃の破天荒な「鬼平」をうまく演じてくれました。狂歌師の元木網を演じたジェームス小野田さんは、最初は銭湯の主人として登場しましたが、演技を見た制作陣から「一度だけの登場ではもったいない」という声が出て再登場したんです。
ちょっともったいなかったのは、たくさん出演した芸人さんたちの出し方。話題作りの狙いはわかるのですが、ならば出ていることがもっとわかるようにすればいいのにと思いました。コウメ太夫さんが2回(40回、42回)に登場しましたが、顔は白塗りの時とは全然違いますから、出ていることに気づかない人が多かったと思います。
個性的といえば勝川春朗(後の葛飾北斎)をくっきー!さんが演じました。確かに北斎は変人で、くっきー!さんはそれゆえの起用でしょうが、ちょっとやりすぎの感があり、北斎のイメージとは少し違いましたね。
タイトルバックに名前があるのに、どこに出ていたかなかなかわからない「ウォーリーを探せ」みたいな登場シーンもありましたが、あれは面白く見てもらうために制作陣が取り入れた「遊び」です。朋誠堂喜三二は、最初は吉原の通行人として登場しますが、配役テロップは本名の平沢常富でした。蔦重が同一人物だと聞いてからはテロップも喜三二に変わりましたが、視聴者は戸惑ったかもしれません。
『べらぼう』の配役について語る山村さん ――この人物は出したかったのに出せなかった、という人はいましたか。
追加したい人はいませんでした。特に「政治パート」の方は十分すぎるほど。出す以上は人物像やエピソードをきちんと描かないといけませんが、そもそも「政治パート」の比重が、「文化パート」に比べて大きすぎたかもしれません。私は「政治パート」より「文化パート」の方が面白かった。もっと蔦重とその周辺の話を見たいのに、と思っていた視聴者もいたのではないかと思っています。
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