雑誌『anan』(2025年6月20日)
雑誌の図書館 大宅壮一文庫では2025年7月7日から雑誌展「1000冊のanan展 1970.3.20-1995.12.22」を開催します。そこで今回は雑誌『anan』に関連する雑誌記事を紹介します。
※今回紹介した索引の雑誌記事コピーをご希望の場合は、遠隔地の方でも資料配送サービスで取り寄せることが出来ます。どうぞご利用下さい。
雑誌には時に自誌や他誌について語られた記事が掲載されることがあり、それらはWeb OYA-bunkoでもヒットします。Web OYA-bunkoの分類したキーワード検索「ことがら」で検索しますとヒット件数は『anan』104件、『婦人公論』45件、『婦人画報』35件、『文藝春秋』257件、『中央公論』63件、『週刊朝日』275件、『週刊文春』432件、などになります。
また「婦人雑誌」全般では1305件(『anan』含む)、「雑誌一般」では1326件、「出版一般」では2252件ヒットします。
フリーワード検索でもヒットしますが、分類した「ことがら」で検索すると関連した記事に限定することがきます。特に雑誌『文藝春秋』などは出版社の名前と同名の雑誌となりますので、「文藝春秋」社で出版した書籍の書評記事でも出版社として多数ヒットします。そのため雑誌『文藝春秋』についての記事をお探しの場合「ことがら」は便利な機能となっています。
雑誌に関連する記事は「雑誌研究」「メディア研究」などの参考になるものが多数ありますので、ぜひ研究者のみなさまには利用していただきたいと思います。
雑誌『anan』で検索したものの中からいくつかです。
『東京人』1996年4月号は鹿島茂さんが執筆した『anan』創世記の歴史が掲載されています。
「モード雑誌の革命。 70年3月3日、「アンアン」創刊。」と題されたこの記事では、『anan』が創刊されたときの鹿島さんの印象、フランスの雑誌『ELLE』との提携と実際の誌面とのバランス、雑誌作りの基本コンセプトなどが掲載されています。
特におもしろかったのは写真家の立木三郎さんの仕事についてです。アートディレクターの堀内誠一さんの仕事が斬新だったことはよく知られていますが、『anan』が醸し出していた「まったく新しい感じ」を支えたのは立木三郎さんの力も大きかったのではないかと指摘していました。
『Bigman』1990年11月号ではマガジンハウスの社長だった木滑良久さんの記事が掲載されています。
「アンノン族とは切っても切れないディスカバー・ジャパン」というタイトルの記事で、「anan」が旅を特集し「アンノン族」が出現しだしたきっかけや、旅の形が大きく様変わりした経過が掲載されています。
50周年記念号『anan』2020年3月11日号では『anan』が長く続けてこられた秘訣を秋元康さんが分析しています。
『anan』を「女性たちの興味関心を、定点観測で見つめている。北極星のような存在。」と評価し、「売れる雑誌を作り続けるというのは、想像以上に至難の業。」「毎号毎号売ろうと思うと売れないものです。売れ続けるためには“漢方薬”で長期的に体質改善を試しみつつ、ここぞという時に“抗生物質”を投与することが肝心です」と語っています。
『編集会議』2001年9月号に元編集長の富川淳子さんのインタビューもありました。
今回の当館の雑誌展では関連イベントとして富川淳子さんによる講演会「日本の女性の背中を押した“anan”」も2025年7月12日(土曜日)に開催します。いくつもの雑誌の編集長をされた富川さんのお話はいつもおもしろく、また勉強になることばかりです。開催する私たち職員も今から講演会がたのしみです。
雑誌『anan』に関連する記事、その他です。『anan』は時に過激なタイトルの特集も組んできました。そのためそれに関連した雑誌記事もいくつかあります。ここでは紹介しませんでしたがそれらの雑誌記事索引をご希望でしたらぜひWeb OYA-bunkoで検索してみてください。
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