57年ぶりに東京で幕を開けたスポーツの祭典。王貞治氏は長嶋茂雄氏、松井秀喜氏とともに国立競技場で聖火ランナーを務めた。右手に聖火を掲げ、盟友の長嶋氏を気遣いつつ左手を振った。いずれも国民栄誉賞を受賞したスーパースターの共演が開会式を盛り上げた。
王氏ほど「スポーツの力」を体現する人はいないだろう。春の甲子園を制した東京・早実高時代に日本国籍でないことを理由に当時の国体に出場できなかった経験も乗り越え、野球の道をひたすらに歩んだ。プロ野球巨人では「世界の本塁打王」として君臨した。
その白眉が前回の東京大会があった1964年。半世紀近くプロ野球記録だったシーズン55号本塁打を9月23日の最終戦で放った。公開競技だった野球は日本の学生、社会人の選抜チームが出場。プロの出場はなかったが、半月後の開会式を大記録で前祝いした。
キャリアを通じてスポーツの発展に尽くし、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本代表監督として優勝。今大会の追加種目選定の際は「プレーすることも見ることもいかに楽しいかを世界に知ってほしい。五輪は素晴らしい機会」と野球の復帰を後押しした。
19年には野球・ソフトボールの会場となった福島県営あづま球場(福島市)があるあづま総合運動公園などで、自身のライフワークの世界少年野球大会を開催。「福島で開催されることで、みんなの気持ちが一つになる。復興のために心を寄せてやっていこう」と被災地に寄り添った。
東京都墨田区出身で、生粋の下町っ子。かつてこの国の良さを「日本の財産は信用や信頼。これはあくまでも日本の進むべき道として、しっかり守っていかないとね。これは伝統ですよ。時がたてばたつほど日本の良さは出てくる」と語ったことがある。
長嶋氏との「ONコンビ」は、前回の東京大会と同様に昭和のたくましい時代を象徴する存在でもあった。コロナ禍など多くの難題に直面する令和の東京大会で掲げた聖火を、日本が「進むべき道」を照らすともしびとしたい。 (相島聡司、伊藤瀬里加)
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