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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

残業キャンセル界隈と企業カルチャーの死

news.yahoo.co.jp

Z世代が残業をキャンセルして大変らしい。それでなくとも、理由も告げずに有給休暇をとる、注意や指摘をハラスメント扱いする、さらにはそれらが高じて、あろうことか、信じられないことに、給料が安いという理由で会社を退職するというのである。

まさに世も末だ。滅私奉公、24時間働けますか、会社は家族、血の小便が出るまで仕事しろ、といったかつての「美しい国」の労働倫理はどこへ行ってしまったのか。高市早苗でなくとも嘆かずにはいられないというものだ。

この手の話は、「最近の若者は合理的すぎる」とか「タイパ至上主義だ」という世代論に落ち着きがちだ。しかし、この断絶の正体は「合理的かどうか」などという生易しい話ではないように思う。少なくとも私たちが真に苛立ち、恐れさえ抱いているのはそこではない。

Z世代の逸話を聞くたびに私たちの胸がうすら寒くなるのは、自分たちが長年積み上げ、守ってきた不文律――組織のカルチャーを身体化するという作法――つまりは「企業のカルチャー(と経営者が呼びたがる『空気』)を読んで働く」という作法が、新しい世代には全く継承されていないのではないかという疑念だ。

ここで、私たちのような氷河期世代が、いかに「空気」で仕事をしてきたかということを正直に告白しなければならない。私たちは、なぜあんなにも理不尽な残業や転勤を受け入れてきたのか。
それは給料が高かったからでも、高潔な責任感があったからでもない。単に「そうするのが当たり前」というカルチャーに依存した強迫観念があったからだ。 契約書にない業務でも、理不尽な要求でも、上司のちょっとした「説得」程度で、「自主的に」行う。私たちをそうさせるために機能していたのが空気であり、美辞麗句を除外した企業カルチャーだった。

具体的に思い出してみてほしい。 なぜ、日本の会社は執拗に飲み会を開催したがるのか。なぜ、貴重な予算を投じてまで社員旅行や運動会を企画するのか。あるいは、一部のWeb系企業などで見られる、若手社員を巻き込んだ内輪受け全開のドッキリ動画のような、はたから見ればクソみてえな茶番になぜ付き合わされるのか。

これらはすべて、カルチャーという名の共同幻想に力があると信じて疑わない人間たちの仕業だ。 同じ釜の飯を食い、同じジャージを着て汗を流せば、理屈を超えた一体感が醸成され、個人の自我の境界線は溶け落ち、「会社」という大きな物語の中にみんなで融合できる、といった極めて宗教的な儀式なのである。
かつての私たちは、その儀式の意味を(無意識にせよ)理解していたからこそ、喜んで、あるいは苦笑しながらもそれに参加し、その「空気」を多少なりとも内面化してきた。

Z世代からすれば、なぜそんなバカげたことをしていたのか?と思うことだろう。奇妙なことだが、それが、「有能」になるための条件だったからだ。

「教師や上司といった権力者の望むことを先回りして考え、そのように振る舞う」ことを優等生的というならば、「有能」であるということは、集団の中で浮かび上がらずにそれをやってのけ、場の支配力をもって集団をまとめ、周囲に優等生的な振る舞いを自然に認識、伝播させていくような存在のことだ。(つまり漫画に出てくる真面目な風紀委員タイプは優等生ではあっても、「有能」とは言えないということだ。)

真に有能な優等生とは、権力者の論理を単に「理解」して従うのではない。それを「摂取、内面化」し、あたかも自分自身の内発的な動機であるかのように振る舞うことができる。 「先生や部長が言うからやる」のではない。「私がそうすべきだと思うからやるのだ(そしてそれは偶然にも権力者の意向と一致している)」という顔をして、涼しい顔で周囲を巻き込んでいく。組織の論理を完全に身体化し、組織という生き物の一部として機能する。これこそが、かつて日本企業が何よりも愛した人材像だったのだ。

そこまで完成されていなくても、かつての若者の多くは、少なくとも組織のカルチャーを「理解」しようとはした。内心では舌を出していたとしても、組織の空気を読み、調整役として立ち回る「準・有能」として振る舞うことで、居場所を確保してきたのだ。


さて、話を戻そう。 Z世代が残業をキャンセルし、権利を主張する様子を見て、氷河期の生き残りの有能たちが感じる居心地の悪さの正体はここにある。 Z世代は、彼らが必死で身につけた「組織の論理の身体化」という高等技術に見向きもしない。それどころか、最初からそのゲームに参加する気配すらない。

ここでようやく、冒頭の騒動に対する一つの残酷な仮説が導き出される。 残業をキャンセルするZ世代の問題とは、単なる労働条件や世代間ギャップの話ではない。 それは、「Z世代が企業カルチャーを理解しない(あるいは、理解しようともしない)」という、組織論の根本的な崩壊の問題なのだ。

では、なぜ彼らは理解しないのか。 ここで、身も蓋もない一つの仮説を提示しなくてはならない。 それは、そもそもその会社に「カルチャーを身体化し、理解する能力のない新人が入社している」という可能性についてだ。

なにしろ、今は空前の人手不足である。就職氷河期を生き抜いた私たちの世代とは、前提条件がまるで違う。かつては、中小企業であっても、買い手市場の中で「空気」を読み解くリテラシーの高い優秀な人材を選り好みして採用できていた。 そして何より、かつてはカルチャーという踏み絵を踏めない人間は、居心地の悪さに耐えかねて勝手に辞めていった。企業側もそれでよかった。「ウチに合わなかったね」で済ませ、また新しい「有能」を採用すればよかったからだ。

だが今は違う。猫の手も借りたい人手不足の中で、企業はもはや「カルチャーに合わない人間」を追い出す贅沢など許されない。 喉から手が出るほど労働力が欲しいから、異物であっても抱え込まざるを得ない。追い出せないからこそ、「Z世代がカルチャーを理解しない」という問題が、これほどまでに表面化し、経営課題として突き刺さっているのだ。 「カルチャーの不理解」は、若者の怠慢ではなく、単純な能力と採用のマッチングエラー、そして企業の背に腹は代えられない懐事情の結果なのかもしれない。


だが、もう一つ、さらに深刻で救いのない可能性についても触れなければならない。 それは、彼らに能力がないのではなく、「そもそも、今の企業カルチャーには、内面化するほどの価値がない」と見抜かれているという可能性だ。

かつて、企業カルチャーへの同一化は、終身雇用という「救済」とセットだった。魂を売る代わりに、一生の生活が保障され、だからこそ、滅私奉公という信仰は成立した。 しかし今、ネットを開けば、その信仰がもはやカルトと紙一重であることが白日の下に晒されている。

品川駅で「今日の仕事は楽しみですか」と問いかけたポスターが嘲笑され、強固な組織風土を誇った名門・東芝が「チャレンジ」の名の下に不正会計に手を染める。日本電産(現ニデック)のようなカリスマ経営の企業ですら、その強権的なカルチャーの歪みが取り沙汰される時代だ。 「企業カルチャー」という美名が、しばしば経営者の暴走を正当化するツールや、従業員を安く使い潰すための麻薬として使われていることを、Z世代は生まれた時からネットを通じて知っている。

そんな彼らに向かって、「この会社のカルチャーは、君たちが内面化するに足る素晴らしいものだ」と信じ込ませることが果たして可能なのだろうか? 「カルチャーを理解しない」のではなく、「理解するに値しないと判断し、キャンセルした」というのが実態に近いのではないか。

私は、ここに、様々な経緯を経て企業カルチャーがほぼ経営者と株主のものになってしまった、という事実があるのではないかと思う。経営者の孤独を癒やすため。あるいは、経営者の思いつきや株主の欲望を「崇高な理念」に変換して、下々の人間に効率よく実行させるための装置に成り下がってしまっているのだ。

Z世代は、その欺瞞を敏感に嗅ぎ取っているのかもしれない。 「なぜ社長の自己満足や、株主の利益のために、僕のかけがえのない人格の一部を『内面化』までして捧げなきゃいけないんですか?」 彼らの態度は、そう問うているようにも見える。そしてその問いに対して、胸を張って反論できる人がどれだけいるだろうか。

もちろん、カルチャーを全否定し、全てを契約書とマニュアルだけで縛るギスギスした組織が良いとも思えない。それはそれで、働く人間にとっては地獄のような監視社会だろう。

だから今、私たちが考えるべきなのは「どうやって若者にカルチャーを理解させるか」ではなく「社員を含めた全員が幸せになるためのカルチャー」ではないだろうか。

経営者のための洗脳ツールでもなく、選別のための踏み絵でもない。 そこで働く人間が、互いに敬意を持ち、少しでも健やかに、そして誇りを持って働くための共通言語としてのカルチャー。 もしそんなものが本当に存在するのなら、Z世代だって喜んで受け入れるに違いない。

残業を拒否して帰っていく彼らの背中は、古いカルチャーに対する「キャンセル」の通知だ。 その通知を受け取った私たちが、次にどんな「新しい答え」を提示できるのか。それとも提示できずに契約社会の砂漠を歩くのか。 まあ、そんな理想的なカルチャーがあるなら、私もグレずに済んだのかもしれないのだが。


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