Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


うまずたゆまず

コツコツと

MENU

七十二候「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)

f:id:linderabella:20210717013432j:plain

 
「たかすなわちわざをならう」
と読みます。
 
5~6月に孵化したヒナは、
この頃に飛び方や狩りの方法を覚え、
独り立ちに備えます。
 
 
「鷹狩(放鷹・鷹野)」とは、
飼い慣らし、訓練した鷹を使って
野生の鳥・小さい獣を捕らえさせる
人と動物が協力して行う
最も古い伝統猟法のひとつです。
蒙古・China・インド・トルキスタンで
およそ4000年以上前の紀元前1000年代から、
広大な平野で既に発達していました。
 
  
 
日本に伝えられたのは、
仁徳天皇43(355)年と言われていますが、
もっと古くから行われていたようで、
石器時代の貝塚からは
鷹の骨が多く見つかっていますし、
古墳時代の埴輪の中には、尻に鈴をつけた
「鷹匠」(たかじょう) の埴輪も出ています。
 
『古事記』や『日本書紀』にも
「鷹匠」は登場しています。
『日本書紀』の仁徳天皇43(355)年の条に、
異鳥を捕らえ天皇に献じたところ、
百済からの渡来人酒君(さけきみ)は、
それが鷹であることを教えた。
そこで天皇は鷹を当地で飼育させ、
その鷹を用いて大阪の百舌野で狩をしたのが
公式の鷹狩の歴史の始まりとされています。
 
 
「鷹匠」とは、鷹を訓練して調教し、
捕獲能力の高い鷹へと育て上げる
専門家のことです。
「鷹狩り」は、平安時代には
下火になる時期もあったそうですが、
武士が台頭してからは、
鷹の力強さなどが好まれ、
勇壮なスポーツとして再び人気となりました。
 

 
特に織田信長は、大の「鷹狩り」好きとして
知られています。
『信長公記』(しんちょうこうき)には、
「鷹狩り」の様子が何度も出てきます。
 
信長はまず、「鳥見(とりみ)の衆」と
名付けた家臣20人を二人一組で、
2里(8km)、3里(12km)も先へやります。
「鳥見の衆」が獲物を発見すると、
1人は鳥に付け置き、1人は報告に行きます。
 
その他、弓と槍を持った「六人衆」と
「馬乗」と呼ばれる者1人を
信長の近くに控えさせます。
 
更に、鷹が獲物を捕獲して着地する地点近くに
予め農夫を装った「向かい待ち」を待機させ、
この「向かい待ち」に獲物を押さえさせます。
 
獲物を定められると、「馬乗」が
藁に虻(あぶ)を付けて回しながら近寄り、
獲物の注意を引き付けます。
 
そこに信長自身が鷹を手に据えて、
馬の陰に隠れて近づき、
近くになると馬の陰から走り出て、
鷹を放ちます。
 
鷹が獲物に取り付いて組み合いになると、
「向かい待ち」が出て、鳥を押さえます。
 
そんな信長には、諸国の大名達が我先にと、「鷹」を献上したそうです。
 
  
 
江戸幕府を開いた徳川家康は、
「鷹」を最高権力者の象徴として、
諸大名や公家が許可なく
「鷹狩り」を行うことを禁止しました。
 
「鷹狩り」は 「生類憐みの令」で一旦中断され、
鷹匠・鳥見など役職や鷹場も廃止されましたが、
徳川吉宗が8代将軍に就任すると、
復活を命じたことから
「鷹」は再び権力の象徴として蘇りました。
 
 
明治時代になると、「鷹狩り」は天皇に返され、
鷹匠は宮内省(現在の宮内庁)に雇用されて、
古技保存として「放鷹術」(ほうようじゅつ)
保存されてきました。
 
そして、当時、欧州では貴族が特権として
「鷹狩り」を広く行っていたことから、
宮内省では欧州からの賓客の接待に
浜離宮庭園などで鴨猟が盛んに行いました。
 
 
また明治初頭、当時の博物局によって、
日本の代表的産物・産業について取り上げた
教草(おしえぐさ)』(30数枚1組)の中で、
鷹の種類、道具、調教方法、狩りの時期などを
紹介しました。
 
『教草』(おしえぐさ)とは、
海外博覧会で「日本のものづくり」を
分かりやすく紹介することと、
日本の子供達が「日本のものづくり」を
学ぶための教材とすることを目的に、
刊行されたものです。
「教草」(おしえぐさ)という言葉は、
江戸時代、往来もの(初等教育用の教材)の
意味で用いられていました。
 

画像は、明治6年(1873)のウィーン万国博覧会で紹介した日本の伝統的な技術や産業などを、子ども向けにわかりやすく図解した『教草(おしえぐさ)』のなかの1枚です。鷹の種類、道具、調教方法、狩りの時期などが記されています。pic.twitter.com/DEmya3FTfY

— 国立公文書館 (@JPNatArchives)March 16, 2017

国立公文書館 に所蔵されており、これらの文書が含まれる「公文録)」は、
1998(平成10)年に国の重要文化財に指定されています。

コレクション -教草 -農場博物館 - 東大生態調和農学機構 - 東京大学

 
しかし戦後は、宮内庁でも
公式な「鷹狩り」を行わなくなりました。
そこで、鷹狩りの退廃を危惧した
諏訪流放鷹術第十六代鷹師の花見 薫氏や
その花見に師事した
田籠善次郎氏、室伏三喜男氏、篠崎隆男氏が
昭和58(1983)年に「日本放鷹協会」を設立し、
1600年余の伝統ある「放鷹術」を保存すると共に、
次世代に継承すべく活動を続けています。
 
 
例年1月2、3日には、
東京都汐留の浜離宮恩賜庭園で
新春放鷹術実演」が行われています。
 
 

falconry.jp

検索
注目記事
広告




引用をストックしました

引用するにはまずログインしてください

引用をストックできませんでした。再度お試しください

限定公開記事のため引用できません。

読者です読者をやめる読者になる読者になる

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp