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講談社選書メチエ作品一覧

〈種〉の超克 生命の再生産とその欺瞞
〈種〉の超克 生命の再生産とその欺瞞
著:丹野 さきら
講談社選書メチエ
本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。[本書の内容]第一章「息子たちは父をもたない」1 誕生以前の生き物は己の生まれる夢を見るか?2 父でなく、父たること3 二人のルイ第二章 資本、父と子、自己増殖1 算術への反乱2 自己増殖する怪物3 再生産論再考4 「人類の不死性」をめぐる対話5 「神学者」マルクス第三章 労働の彼方1 宿命の名の下に――自然と人間の物質代謝2 時間の弁証法3 「自由の国」の必然性4 労働は永遠に?5 幽霊的労働第四章 種と性とフォイエルバッハ1 二人の「類」(1)――マルクス2 二人の「類」(2)――フォイエルバッハ3 種としての個体4 想像の集合体5 「超人への橋」、種の終わり第五章 幼虫の形態学1 「人間の生成」2 田辺元、否定のロンド3 運命の夜、偶然の星4 種のメタモルフォーゼ5 出会いの系譜学
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〈幕府〉の発見 武家政権の常識を問う
〈幕府〉の発見 武家政権の常識を問う
著:関 幸彦
講談社選書メチエ
「幕府」とはそもそも何か――。中国の文献に現れる「幕府」という語が、日本で「武家政権」を示す概念用語として使われるようになったのは、江戸時代後期のことという。ではなぜ、織田信長や豊臣秀吉の政権は「幕府」と呼ばず、鎌倉・室町・江戸の三つのみを幕府と呼ぶのだろうか。ここに、700年にわたって権力の座にあった「武士」の本質と、その歴史理解に苦慮してきた近代の歴史家たちの格闘の跡が見て取れる、と著者はいう。たとえば、明治10年に刊行された『日本開化小史』には、「幕府」という用語は出てこない。著者の田口卯吉は、文明史的視点から「鎌倉政府」「徳川政府」あるいは「平安政府」と記しているのだ。では、江戸時代の代表的な史論『読史余論』や『日本外史』ではどうか? 明治期の帝国大学の教科書『国史眼』では「幕府」をどう位置づけているのか?武家政権の否定から始まった明治国家が、日本中世を西洋中世に比肩する時代と位置づけ、自国史の脱亜入欧を果たすべく編み出したのが、「幕府」すなわち「調教された武家政権」という再定義だった。そして、この「幕府」の概念は明治維新(大政奉還と王政復古)の正当性を規定し、さらに南北朝正閏論争や、現在も続く日本中世史をめぐる議論にも大きな影を落としているのである。著者の長年にわたる中世武士団研究と、史学史研究を交差させ、「日本史の常識」を問い直す野心作。目次はしがき序章 「幕府」の何が問題なのか?第一章 幕府・政府・覇府:『日本開化小史』の歴史観第二章 「幕府」の発見:『読史余論』から『日本外史』へ第三章 近代は武家をどう見たか:『国史眼』と南北朝問題第四章 「鎌倉幕府」か、「東国政権」か:中世東国史の二つの見方終章 「幕府」という常識を問うあとがき参考文献
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植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方
植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方
著:川原 伸晃
講談社選書メチエ
いとうせいこう氏絶賛!「新しく繁茂している植物学の葉の先端や根っこを余すところなく紹介しながら、一人の園芸家がヒトと自然の関係を深く掘り進む。目から枯れ葉が何枚も落ちた。」東畑開人氏推薦!「とにかく植物がすごすぎる。人間は全然かなわない。園芸家はそのすごすぎる自然と取っ組み合いになりながら、『いのち』の臨床をしていた。」「人為なき自然は人を癒さない」「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」――。地球温暖化、SDGs、樹木伐採にオフィス緑化……自然と人間が対立し、自然をめぐって人々が分断される時代に、私たちは植物とどのような関係を築けるだろう。園芸業界初の植物ケアサービス「プランツケア」を創始していま大注目の「哲学する園芸家」が、その特異な経験から紡ぎ出す、「自然とよりよく生きる」ための言葉と実践! [目次]はじめに第1章 園芸二重スパイをめぐって1 園芸家系に生まれて2 園芸左翼と園芸右翼3 園芸二重スパイ誕生秘話第2章 超越としての植物1 植物は人を凌駕する2 超越的寿命3 超越的身体4 超越的知性5 超越的戦略第3章 園芸とは超越の飼い慣らしである1 園芸を問い直す2 飼い慣らし入門3 プランツケアの哲学第4章 自然は人を癒すのか1 自然愛と自然嫌悪2 自然と人為3 自然の自然さについておわりに
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滅亡するかもしれない人類のための倫理学 長期主義・トランスヒューマン・宇宙進出
滅亡するかもしれない人類のための倫理学 長期主義・トランスヒューマン・宇宙進出
著:稲葉 振一郎
講談社選書メチエ
核戦争、環境破壊、パンデミック、超AI……人類滅亡の可能性はきわめて高い。しかしそれを切り抜けたならば、人類は宇宙を征服するだろう、と言われる。そのとき「人類」は果たして「ヒト」だろうか?そして存続を目指すべき「人類」の範疇とは?超未来を想定すると、問うべき倫理と答えは変わる。イーロン・マスクやテック企業家たちを熱狂させ、先端技術の基底思想になりつつある「長期主義」を軸に、ポストヒューマニズムの最前線を追う。[本書の内容]はじめに1 『風の谷のナウシカ』と考える超未来2 長期主義とは何か? 第一章 最大多数の最大幸福1 長期主義はどこからやってきたのか?:ピーター・シンガーと功利主義の革新2 未来のための行いが未来のためになるとは限らない:デレク・パーフィットと世代間倫理第二章 人類が滅びる可能性1 ニック・ボストロムと存亡リスク2 カタストロフ保険はありうるか? 3 ポストヒューマン時代第三章 未来への対立軸1 道徳哲学における長期主義2 加速主義とテクノ・リバタリアン3 これは新しい優生学か?第四章 動物たちの未来と反出生主義1 奴隷的存在は生まれてこない方がよかったのか?2 動物・AI・人造人間の尊厳第五章 倫理は常識に合致するか?1 功利主義と不平等2 「いとわしい結論」3 未来のために現在を犠牲にするべきか?第六章 あなたが存在する世界と非同一性問題1 枝分かれする世界線2 道徳か、人生の意味か?3 不死は悪か? 第七章 シングルトンの困難1 ノーマル・アクシデント2 宇宙へのエクソダス?第八章 宇宙には他に誰かいるのか?1 フェルミ・パラドックス2 この世界はシミュレーションか?第九章 本当に人類は宇宙に出ていいのか?1 引きこもり文明2 暗黒森林理論第十章 それでも宇宙を目指す意味1 星間文明補論 星間スーパーコンピューター2 分岐する人類おわりに 現在と未来1 まとめ2 『風の谷のナウシカ』と考える現在3 終末なき終末論注あとがき
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昏い時代の読書 宮嶋資夫から野坂昭如へ
昏い時代の読書 宮嶋資夫から野坂昭如へ
著:道籏 泰三
講談社選書メチエ
美は、世界が滅びゆくこと自体のうちにのみ生まれる――。宮嶋資夫、太宰治、坂口安吾、桐山襲、野坂昭如。大正・昭和・平成の時代にわたるこの5人の作家は、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、現実の前に敗れ去った。それぞれが求めた救いの姿と、その挫折を作品の紹介を通して描き出す。「人間がだめになったんですよ。(…)そんな時代になったんですよ」(太宰治)。遠くかすかに響く祈りの声に耳を澄ませつつ頁を繰る、希望なき時代の読書のすすめ。理不尽と暴力に満ちた労働文学の旗手として登場し最後には仏門に消えた宮嶋資夫(1886-1951年)、ユートピアと現実のはざまで立ち尽くす「弱法師」太宰治(1909-48年)、堕落を呼びかけながら、生の原点「ふるさと」を希求した坂口安吾(1906-55年)、戦後訪れた政治の季節に体制への反逆と絶望のはざまでもがきつづけた桐山襲(1949-92年)、高度経済成長のさなかトリックスターの身振りでディストピアを描き続けた野坂昭如(1930-2015年)。大正から平成にかけて筆を執った5人の作家は、それぞれに救済を求め、作品のなかにそれを浮かび上がらせながらも、容赦ない現実の前に敗北した。 彼らの挫折は、令和の時代に明らかになりつつある社会の絶望を先取りするものでもあった。彼らが必死に手を伸ばし、しかしついに届くことがかなわなかった救いとは、どのようなものだったのか。有名無名問わず作品が紹介されるなかで、呪詛にも似た祈りの声がかすかに漏れ聞こえてくる。 昏い時代にものを書き、そして読むことの意味を鋭く問いかける空前絶後の文学案内。【本書の内容】はじめに――終わりなき終焉を見つめて1 死に憑かれて――宮嶋資夫というヤマイヌ2 無何有の明滅――太宰治という掟破り3 タブラ・ラサにたたずむ――坂口安吾という「ふるさと」4 瞑さのアナーキズム――桐山襲という「違う世界」5 ディストピアの妄想――野坂昭如という廃墟おわりに――現実忌避に向けてあとがき                                                                                          
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地中海世界の歴史7 平和と繁栄の宿命 パクス・ローマーナ
地中海世界の歴史7 平和と繁栄の宿命 パクス・ローマーナ
著:本村 凌二
講談社選書メチエ
一人の歴史家の視点で古代地中海文明の4000年を描く全8巻シリーズ、好評第7巻。講談社選書メチエ創刊30周年特別企画。暴君ネロの没後、混乱を収拾して帝位についたウェスパシアヌスは、平凡な家柄の武骨な軍人だったが、元老院とたくみに折り合う節約家で、権力も国家財政も安定を取り戻し、ローマの巨大闘技場コロッセオの建設にも着手した。しかし息子のドミティアヌス帝は恐怖政治の果てに暗殺され、悪帝の評価を残す。次のネルウァ帝に始まる80年こそ、18世紀の歴史家・ギボンが「人類至福の時代」と称賛した「五賢帝時代」である。2人目のトラヤヌス帝は帝国史上最大の版図を実現し、3人目のハドリアヌス帝はブリテン島からイベリア半島、アフリカ、シリアまで帝国内を旅して皇帝の威光を示した。しかし、5人目のマルクス・アウレリウス帝は『自省録』(講談社学術文庫)を著した「哲人皇帝」として知られるが、治世の最後に大きな過ちをおかしてしまう。また、「ローマの平和(パクス・ローマーナ)」の陰には不安な薄闇が広がっていた。人々は「パンとサーカス」に浮かれながらも漠然とした罪障感にとらわれ、ヘレニズムの波のなかに生まれたイシス信仰やミトラス教、そしてキリスト教などの宗教に救済を願い始める。さらに、プリニウスの『博物誌』の世界、奴隷制社会の「捨て子問題」、スペインのローマ遺跡探訪など、爛熟期のローマ社会を多角的に描く。はじめに:あるイギリス人がみたローマ帝国第一章 新興家系の皇帝たち1 気取らない男、ウェスパシアヌス2 プリニウス『博物誌』の視野3 皇帝となった兄弟の明暗4 奴隷と捨て子の社会史第二章 比類なき賢帝と最大の過ち1 「至福の時代」の五人2 哲人の実子の乱行3 大浴場と愚帝の時代第三章 薄闇に生きる人々の願望1 「パンとサーカス」の恩恵と栄誉2 ポンペイを彩る神々3 ローマ人とユダヤ人の信仰4 キリスト教の登場第四章 「旅する皇帝」と辺境のローマ1 「属州」とは何か2 ガリアからブリタニアへ3 属州ヒスパニアの歴史4 スペインのローマ遺跡を歩く5 シリア、ギリシア、エジプトへおわりに:ローマ史とアメリカ史の交差点参考文献索引
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戦下の読書 統制と抵抗のはざまで
戦下の読書 統制と抵抗のはざまで
著:和田 敦彦
講談社選書メチエ
子供はこっそり「悪書」に耽り、エリート学生は『善の研究』を通して「国体の本義」に自ら殉じていった――。戦時下、人々は何を読み、何を考え、何になっていったのか。ベストセラーでも発行部数でもない、「読書調査」から掘り起こす、子供・勤労青年・女性・エリート学生たちの読書と生のリアル。統制と抵抗のはざまには、多様で複雑な読書と生の実践があった![目次]はじめに 思想統制という幻像序 章 読書は国家のために?――読書調査と思想統制第一章 子供は見てはいけない――「悪書」の誕生第二章 勤労青年は何を求めたか――娯楽と修養のはざまで第三章 銃後女性の読書とその動員――忘れられた小説と忘れてはならない小説第四章 ファシズムとエリート学生との回路――愛と認識との行方終 章 読書を掘り起こす――「見えない」読者を追っておわりに 読書傾向調査の系譜注あとがき
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中世武士団 偽りの血脈 名字と系図に秘められた企て
中世武士団 偽りの血脈 名字と系図に秘められた企て
著:桃崎 有一郎
講談社選書メチエ
◆彼らは“貴”たらんとして「源・平・藤原」姓を掠め取った!◆平安の世が長く続くとともに疲弊してゆく地方社会、そこで生き抜くために多様な出自の者たちが結託し、やがて「武士」という集団を形成した。朝廷から然るべき位置づけを与えられないままの彼らは、やがて自らの正統性を巧みに「創出」し、中世という時代の支配者たるための競争に臨んでいった―「佐藤」をはじめ現代まで生き残った名字が、中世武士団のアイデンティティ闘争の産物であったという「隠された真相」を徹底的に暴き出す、驚愕の研究成果!【本書より】新たな時代を切り拓いた有力武士は、実は貴人でも新興勢力でもなく、時代の終焉とともに主役級の役割を終えさせられた古代卑姓氏族が、全身全霊の努力で生き残りを図り、首尾よく生まれ変わった姿だった。【主な内容】プロローグ 改竄された“社会の設計図”序章 武士の誕生と名乗り──アザナと名字第一章 「佐藤」名字と佐伯氏──佐伯姓と波多野家第二章 「首藤」名字と守部氏──美濃と源氏と王臣子孫第三章 「伊藤」「斎藤」「兵藤」名字と伊香・在原・平氏第四章 「○藤」名字の源流──官職由来と古代卑姓由来第五章 「近藤」名字と院政──出自不明の院近臣たち第六章 奥州藤原氏の創造──秀郷流・坂上氏・五百木部氏の融合第七章 文筆官僚「斎藤」家の創造──大江氏・葉室家・清原氏との融合第八章 大規模互助ネットワーク──斎藤・後藤・文徳源氏・宇都宮第九章 後藤・近藤・武藤家が織り成す大友家の礎──利仁流・秀郷流の融合第十章 中原親能の正体と大友家の創造──利仁流×秀郷流×中原氏×大江氏第十一章 中原氏に還流する親能の御家人的性質──田村・水谷・摂津家の成立エピローグ 最後の謎と次なる"神話"──素性不明の鎌倉幕府注参考文献
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蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか
蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか
著:野村 育世
講談社選書メチエ
蜘蛛が網を作ると、「恋しい人がやってくる」と喜んだ平安貴族。弥生人はその姿を銅鐸に刻み、ペルーの古代人はナスカ台地の砂漠に描き、ギリシアから北米まで、蜘蛛は世界の神話に数多く登場する。時に恐れ、嫌い、崇め、慈しむなど、評価は極端。なのに、なぜか惹かれずにはいられない……。人と蜘蛛のそんな不思議な関係を、日本中世史研究家が貴重な図版・史料とともに丁寧に考察。蜘蛛愛好家の筆者だからこそ見えてくる、新しい歴史研究!8月9日 毎日新聞 池澤夏樹さん(作家・詩人)執筆8月3日 読売新聞 宮部みゆきさん(作家)執筆7月26日 日経新聞 大塚ひかりさん(古典エッセイスト)執筆  など…新聞各紙の書評にも掲載!!「内容紹介」清少納言は、現代人よりもはるかに虫好きだったのだ。いささか厄介な虫たち、蠅、蟻、蚊、蚤について、「憎し」と言いながら、面白がってその生態を見つめ、魅力的に描写した女性がいた。清少納言である。(中略)蜘蛛についても、網にかかった白露を、「をかし」「あはれ」の両方を使って絶賛している。こうした眼差しは、どこへ行ってしまったのだろうか。いま、人間が虫に対して抱いてきた感情、心性、文化を見直し、つき合い方を考えることは、急務であると思われる。―――本書 はじめに より目次はじめに第一章 遺跡の蜘蛛・神話の蜘蛛 1 蜘蛛はどんな生きものか2 蜘蛛の考古学3 世界の神話の蜘蛛たち第二章 敵の名は土蜘蛛1 征服神話の中の土蜘蛛たち2 土蜘蛛は蔑称か第三章 蜘蛛に寄せる恋の歌1 蜘蛛に寄せる恋の歌2 東アジアのめでたいしるし3 蜘蛛と七夕第四章 空を飛ぶ蜘蛛1 雪迎え――空飛ぶ蜘蛛の発見2 漢詩と和歌に詠まれた遊糸3 「かげろふ」をめぐる混乱4 『かげろふ日記』の「かげろふ」とは何か5 十二単を飾る糸ゆふ第五章 蜘蛛は神仏のお使い1 蜘蛛は知る者、賢い者2 あの人も蜘蛛に助けられた第六章 妖怪土蜘蛛登場1 蜘蛛嫌いの萌芽2 寺蜘蛛の登場3 よみがえった土蜘蛛第七章 民俗と遠い記憶1 相撲を取る蜘蛛2 蜘蛛の昔話3 夜の蜘蛛・朝の蜘蛛おわりに ――蜘蛛はともに生きる仲間参考文献図版出典
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哲学するベートーヴェン カント宇宙論から《第九》へ
哲学するベートーヴェン カント宇宙論から《第九》へ
著:伊藤 貴雄
講談社選書メチエ
「われらが内なる道徳法則と、われらが上なる星輝く天空! カント!!!」1820年、49歳のベートーヴェンは筆談用のノートにこう記した。《第九》初演のおよそ4年前にあたる。ここに引用されているのは、ほかならぬカントの『実践理性批判』の結語の一部だが、少しアレンジされている。そのアレンジは、なぜ生じたのか。そしてベートーヴェンのこの感激は、何を物語るのか――。その問いは《第九》に込められたベートーヴェンの思いへとつながっていく。若き日にはボン大学で講義を聴講していたこともあるベートーヴェンと、彼を取り巻く文化的・社会的文脈から《第九》を生んだドイツの時代精神を描き出す意欲作!ベートーヴェン(1770-1827)が生きた時代のドイツ語圏には、ゲーテをはじめヘーゲル、シラー、フィヒテ、シェリングと綺羅星のごとき知性がいた。そのなかでひときわ大きく強い輝きを放ったのが、巨星イマヌエル・カント(1724-1804年)である。天文学と神学、そして音楽がまだかろうじてつながりを保っていた18世紀後半にあってカントの哲学は、ベートーヴェンの音楽にも大きな影響を及ぼした。哲学と音楽、それぞれの領域でドイツを代表するといっても過言ではない二人が、これほど近接した時を生きたことにこそ、《第九》誕生の秘密はあった。若き日、ボン大学で講義を聴講していたベートーヴェンに遡り、やがて訪れる「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と至る道筋を追いながら、有名無名さまざまな人的・知的交流の網の目を丹念に浮かび上がらせることで「知の歴史」を描くこれまでにない試み。【本書の内容】プロローグ 第1講 啓蒙都市ボン第2講 ボン大学の教授たち(その1)第3講 ボン大学の教授たち(その2)第4講 皇帝カンタータ第5講 歓喜に寄す第6講 無限と宇宙第7講 シラーとカント第8講 危機の時代第9講 歌劇《レオノーレ》第10講 苦悩を突き抜けて歓喜へ第11講 カント宇宙論に挑む第12講 会話帳をめぐる問い第13講 星空のエチカ第14講 第九交響曲エピローグ                                                                                                        
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地中海世界の歴史6 「われらが海」の覇権 地中海世界帝国の成立
地中海世界の歴史6 「われらが海」の覇権 地中海世界帝国の成立
著:本村 凌二
講談社選書メチエ
一人の歴史家の視点で古代地中海文明の4000年を描く全8巻シリーズ、好評第6巻。講談社選書メチエ創刊30周年特別企画。地中海の覇権を握ったローマが、カエサルとアウグストゥスという二人の傑物を軸に、地中海を取り囲む帝国へと発展する200年あまりを描く。王の独裁を嫌い、長い時間をかけて共和政を完成させてきたローマは、なぜ帝政へと転換したのだろうか。前146年に宿敵カルタゴを倒した地中海の覇者は、混迷の中にあった。グラックス兄弟の改革は二人の非業の死で終わり、マリウス、スッラ、クラッスス、ポンペイウスら有力者が競い合う。やがて頭角を現したユリウス・カエサルは、終身独裁官の地位を得たものの、元老院貴族の反感を買って暗殺されるが、彼がその素質を見抜き、目をかけた少年が、姉孫のオクタウィアヌスだった。カエサルの死後、アントニウスとクレオパトラの連合軍を破ったオクタウィアヌスは、初代皇帝アウグストゥスと呼ばれるが、あくまで「共和政国家の元首」として振る舞いつつ、帝政を建設する。しかし、カエサルに始まるローマ皇帝の系譜「ユリウス・クラウディウス朝」はその後、苦悩続きとなる。期待されつつ早世したゲルマニクス、狂気を帯びた皇帝カリグラ、母に疎まれ続けたクラウディウス、暴君の代名詞・ネロ。一方、この時代の帝国の華やかさと豊かさは、ポンペイの遺跡の中に見出すことができる。はじめに第一章 覇者は混迷を深める1 「特異なる民」の神と神々2 グラックス兄弟とその母3 内乱のローマ――マリウスvs.スッラ4 大ポンペイウスの勝利第二章 「運命の寵児」の栄光と死1 進撃する「わが友カエサル」2 「殺されるべくして殺された」3 アントニウスとクレオパトラ4 カエサルは妻を愛したか?第三章 「尊厳なる者」の帝国と都1 共和政の元首・アウグストゥス2 私人として、公人として3 平和のなかの詩人たち4 ローマ市街の碑文を歩く第四章 血族の権威と引力1 ゲルマニクスの幻影2 狂気と不機嫌の皇帝――カリグラとクラウディウス3 暴君にして芸能人――ネロとその時代4 手なずけられる民衆5 ポンペイ・グラフィティの世界おわりに参考文献索引
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黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
著:平田 雅博
講談社選書メチエ
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。「黒人史」といえば真っ先に思い浮かぶのは「アメリカ黒人史」だが、アメリカ黒人史の多くは「アメリカの国内史」として語られるのに対し、イギリスの場合、その黒人史はブリテン島内だけでなく、海を越えて東西にわたる帝国に視野を広げて見る必要がある。ここに「イギリス黒人(在英黒人)」にとどまらない「黒いイギリス人」という語を用いる意図がある。イギリス史には古くから黒人が姿を見せる。イングランドに最初の黒人女性が現れたのはローマ時代。16世紀チューダー朝の絵巻には王室付き黒人ラッパ手が描かれている。17世紀初頭、エリザベス女王は黒人追放令を発し、シェイクスピアは『オセロー』でムーア人の軍人を主人公にした。さらに、18世紀の新聞の「逃亡奴隷」の広告データベース分析や、アメリカ独立戦争で王党派についた「黒人ロイヤリスト」たちの命運、ロンドンの黒人貧民をアフリカに移送する「シエラレオネ植民計画」の顛末など、「黒いイギリス人」の歴史は「イギリス帝国」の光と影を映し出す。長期的かつグローバルな視点で、その移動と混合の歴史をたどり、社会的マイノリティの共生の道をさぐっていく。目次はじめに:「白いイギリス人」と女王様の国で序章 「黒いイギリス人」とは誰か第1章 最初の来訪者たち:ローマ帝国期から近世まで第2章 逃亡奴隷のプロファイル:18世紀前半第3章 シエラレオネ計画の夢と失望:18世紀後半第4章 奴隷解放と「黒人消滅」:19世紀第5章 世界大戦下の黒人臣民と黒人米兵:20世紀前半第6章 戦勝国の旧弊:20世紀後半終章 「イギリスらしさ」を担うのは誰かあとがき
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古代マケドニア全史 フィリッポスとアレクサンドロスの王国
古代マケドニア全史 フィリッポスとアレクサンドロスの王国
著:澤田 典子
講談社選書メチエ
世界史に比類なき足跡を残した偉大なる英雄たちの王国、マケドニア。紀元前7世紀半ばの建国から、天然資源と外交術を駆使した版図拡大の時期を経て、フィリッポスによるギリシア制覇、アレクサンドロスによるアカイメネス朝ペルシア打倒を含む東方遠征、そして後継者戦争の果てに滅亡に至るまでの全軌跡を、最新の研究成果を踏まえて辿る、本邦初、唯一無二の歴史書!これが『ヒストリエ』(岩明均)のリアルだ!!「その日、マケドニア王国の古都アイガイで華々しく執り行われた祝典は、一瞬にして、血塗られた惨劇の場と化した。「当時のヨーロッパの王たちのなかで最も偉大な王」(ディオドロス『歴史叢書』一六巻九五章一節)と称えられた一人の王者が、暗殺者の凶刃に倒れたのである。その王の名は、フィリッポス二世。かのアレクサンドロス大王(三世)の父親である。」――「プロローグ」より[目次]プロローグ第1章 マケドニア史へのアプローチ1 マケドニア史研究の歩み2 フィリッポス二世の「復権」第2章 マケドニア王国の成立1 マケドニアの地勢2 王国の誕生3 マケドニア王国のしくみ第3章 ヘラクレスの子孫たち1 アルカイック期のマケドニア2 アレクサンドロス一世3 ペルディッカス二世4 アルケラオス第4章 フィリッポス二世の父と兄1 アミュンタス三世2 アレクサンドロス二世3 ペルディッカス三世第5章 フィリッポス二世の登場1 即位時の危機2 王国の統合3 ギリシア征服のスタート4 第三次神聖戦争への参戦第6章 ギリシアの覇者へ1 「フィロクラテスの講和」2 フィリッポス二世の宮廷3 ギリシア制覇への道のり4 決戦へ第7章 フィリッポス二世からアレクサンドロスへ1 ペルシア遠征を見据えて2 王者の最期3 父と子エピローグ結びにかえて――現代のマケドニア地図マケドニア王家の系図マケドニア王在位表凡例主な参考文献図版出典一覧関連年表索引
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誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治
誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治
著:藤川 直也
講談社選書メチエ
そんな言い訳通用しません!「そんなつもりはなかった」という言い逃れ、「心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます」という謝罪もどき、「広く募ってはいたが募集はしていない」のような言葉の意味を捻じ曲げる試み、「選挙が盗まれた!」「フェイクニュース!」という挙証なき放言、「うちでネットフリックスでも見ない?」などの言外の意味や隠語による駆け引き、「差別するつもりはないんだけど…」「小説家のSFと考えてください」と予防線を張ったうえであからさまな差別発言をする〈イチジクの葉〉……言葉と責任の関係をあやふやにしようとする企みは、事例に事欠くことがない。こうした発言の何が問題なのか、言葉と責任の関係はどうなっているのか、そしてそれらの発言が図らずも明るみに出す言葉とコミュニケーションをめぐるある真理の裏面とは何であるのか――。言葉が溢れ、さまよい、傷つける時代に、気鋭の言語哲学者がデザインする、本当に豊かなコミュニケーションのかたち。*各章末に「これだけは押さえておきたい本章のポイント」付き[目次]はじめに第一章 「そんなつもりはなかった」第二章 言質を与える――言行一致の責任第三章 意図しない表の意味・ほのめかされる裏の意味第四章 なぜ言わなくても伝わるのか――グライスの語用論第五章 なぜ思いもよらないことが伝わってしまうのか――誤解と文脈第六章 誤解じゃないって本当にわかるんですか?――知識と意味の否認可能性第七章 「いいね」と「そんなつもりはなかった」第八章 多様化する意味の否認可能性第九章 犬笛とイチジクの葉第十章 揺らぐ表と裏の境界線第十一章 誤解だけど誤解じゃない――聞き手の意味第十二章 言葉の意味を捻じ曲げる第十三章 意味の遊びと意味の交渉第十四章 「誤解を招いたとしたら申し訳ない」おわりに注文献表あとがき
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異教のローマ ミトラス教とその時代
異教のローマ ミトラス教とその時代
著:井上 文則
講談社選書メチエ
世界がキリスト教化する前、ローマ帝国は伝統的なギリシア・ローマの神々に加え、オリエントの神々、さらにはキリスト教、ユダヤ教の一神教に至るまで多彩な信仰や宗教で賑わっていた。そのなかでひときわ勢力を誇ったのがミトラス教である。キリスト教最大のライバルとまで言われながらも消滅したこの宗教の実態は、文献史料の乏しさゆえに今も謎に包まれている。最新の発掘成果や研究を踏まえつつ、その全体像に迫る。なぜミトラス教は帝国の数ある信仰のなかで隆盛し、そしてキリスト教に敗れたのか――。壮大なスケールで異教にぎやかなりし帝国の姿を描き、ヨーロッパ世界の深層を照らし出す。「もしキリスト教が何らかの致命的疾患によってその成長を止めていたならば、世界はミトラス教化していただろう」。19世紀フランスの宗教学者エルネスト・ルナンはこのように述べて、キリスト教最大のライバルとしてミトラス教を名指しした。ユピテルやマルスなどの伝統的な神々にエジプトのイシスやアヌビス、小アジアのキュベレアッティスなどのオリエントの神々、さらに一神教のキリスト教、ユダヤ教に至るまで、数多くの信仰で賑わった異教時代のローマにおいて、なぜミトラス教は信仰を広めることができたのか。そして、なにゆえキリスト教に敗北したのか――。古代オリエントの神々のなかでも例外的に広く東西に伝わったミトラ(ミスラ)の存在は、中央アジアを越えて日本にも伝播しており、平安貴族に日記としても使われた具注暦にその痕跡を残している。この古代オリエント、ヘレニズム時代に始まるミトラ崇拝とローマ帝国の密儀宗教ミトラス教は、どのような関係にあるのか。いつ、どこでどのようにミトラス教は誕生し、拡大したのか。宗教組織や儀式、神話、信者がこの宗教に求めたものに至るまで、異教時代のローマ帝国の姿とともにその全貌に迫っていく。オリエントを射程にいれた大きなスケールで歴史を捉え、ヨーロッパ世界の深層が浮かび上がる!【本書の内容】はしがき――宗教的カオスの中で序章 謎の宗教への挑戦――一歴史学者のみた夢第1章 古代オリエント世界の信仰――密儀宗教化前夜第2章 亡国の王族か、解放奴隷か――教祖の存在と教線の拡大第3章 密儀と七つの位階――ギリシア神話との関係第4章 孤独と忍従――ローマ帝国の兵士と奴隷の人生第5章 異教の時代の終焉――キリスト教の圧力終章 世界はミトラス教化したのか――ヨーロッパ世界の深層へ                                                                                                           
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遊牧王朝興亡史 モンゴル高原の5000年
遊牧王朝興亡史 モンゴル高原の5000年
著:白石 典之
講談社選書メチエ
ユーラシアの遊牧民が、世界史のなかで果たしてきた役割の大きさについては、近年、広く知られている。黒海沿岸にまで黄金文化を展開したスキタイや、歴代の中華王朝を脅かした匈奴や鮮卑、突厥などの存在、さらに13世紀にモンゴルが築いたユーラシアの東西にまたがる大帝国は世界史の転換点になったといわれる。しかし、こうして語られる壮大な歴史像に、本書の著者は心を躍らせる一方で、不満も感じてきたという。そのなかに「遊牧民の姿は見えなかった」というのだ。ユーラシア大陸を人体に見立てれば、モンゴル高原がその心臓部にあたるという。そこに暮らす遊牧民たちの動静が生み出す人と物の流れが、血流のように各地に行きわたり、人種、民族、宗教の垣根を越えて新しい細胞を目覚めさせてきたのだ。本書は、30年以上モンゴル各地の遺跡を発掘してきた著者が、その成果を集成した「遊牧王朝全史」である。近年の考古学は理系研究者との協業により、新たな知見を次々もたらしている。例えば、出土人骨の最新のゲノム解析では、多数の東ユーラシア人を少数の西ユーラシア系エリートが統治していた匈奴という遊牧王朝の実態がわかってきている。また、歯石からは摂取していた乳の種類もわかるという。さらに、権力の源泉となる鉄はどこから来たのか、モンゴル帝国が営んだカラコルム首都圏の実態は――。文献史料には表れてこない、遊牧と騎乗の起源の探究に始まる「馬と遊牧のユーラシア史」を知る必読の書。目次はじめに第一章 始動する遊牧民族――青銅器・初期鉄器時代1 遊牧民の登場2 家畜馬の到来3 エリート層の形成4 遊牧王朝の萌芽第二章 台頭する遊牧王権――匈奴、鮮卑、柔然1 ゴビ砂漠の攻防2 シン・匈奴像3 単于の素顔4 みずから鮮卑と号す5 カガンの登場第三章 開化する遊牧文明――突厥、ウイグル1 トルコ民族の勃興2 大国の鼻綱3 突厥の再興4 ウイグルの興亡第四章 興隆する遊牧世界――契丹、阻卜、モンゴル1 契丹と阻卜2 モンゴル部族の登場3 最初の首都第五章 変容する遊牧社会――イェケ・モンゴル・ウルス1 国際都市の繁栄2 大造営の時代3 亡国の影おわりに参考文献索引
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地中海世界の歴史5 勝利を愛する人々 共和政ローマ
地中海世界の歴史5 勝利を愛する人々 共和政ローマ
著:本村 凌二
講談社選書メチエ
一人の歴史家の視点で古代地中海文明の4000年を描く全8巻シリーズ、好評第5巻。講談社選書メチエ創刊30周年特別企画。第5巻からは、いよいよローマが主役となる。4巻までに描かれた、ギリシア文明とヘレニズムの時代と並行して、イタリア半島ではローマ人が着々と力をつけていた。紀元前753年に建国伝承を持つローマは、7代の王政の後、ローマ人がエトルリア人の王族を追放して、前509年、みずからの国家を樹立する。徹底して「王の独裁」を嫌うローマ人の国家は、著者によれば「共和政ファシズム」と呼ぶべき政体で、国内では共和政を貫きながら、国外には覇権主義を振りかざし、困難な時ほど力強さを見せるようになる。ローマ人はギリシア人と異なり、何よりも故国の土地にこだわった。新天地に植民都市を築くのではなく、ひたすら国土を広げ、祖国を強くするために戦った。この「祖国」というものこそがローマ人の発明であり、それを守るために、父祖たちの遺風と伝統を重んじ、勝つことにこだわったのである。こうして、前3世紀半ばまでにイタリア半島を制したローマ人の前にたちはだかったのが、カルタゴだった。東地中海沿岸を故地とし、航海と商業で栄え、アルファベット式の文字を開発した地中海古代史の一方の主役、フェニキア人の国家である。名将・ハンニバルを擁するカルタゴと、スキピオ率いるローマの戦いの帰趨が、その後の地中海世界の大きな転換点となる。目次はじめに第一章 伝説の中で戦いが始まる1 建国伝説と王政七代2 忘却のエトルリア文明3 共和政ローマの政治と法4 カミルス伝説と「国辱の日」第二章 偉大な父祖たちの半島1 保護と奉仕の絆2 サムニウム戦争の半世紀3 「共和政ファシズム」と民衆の熱気第三章 運命の巨大な褒賞1 カルタゴとローマ2 シチリア争奪戦――第一次ポエニ戦争3 ハンニバル対ローマの「剣と盾」――第二次ポエニ戦争4 大スキピオとハンニバルの明暗――ザマの決戦第四章 地中海の覇者へ1 ヘレニズム諸王国との対決――マケドニアとシリア2 国粋主義者カトーの苛立ち3 「ギリシアかぶれ」とローマ社会4 カルタゴ滅亡――第三次ポエニ戦争おわりに参考文献索引
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ヨーロッパの地理哲学
ヨーロッパの地理哲学
著:マッシモ・カッチャーリ,訳:上村 忠男
講談社選書メチエ
ヨーロッパは、没落していくことをみずから欲せざるをえない。そして没落していく者としてのみ、到来する者となるだろう――。アガンベン、エーコ、ネグリ、エスポジト……イタリアの思想家が世界を席巻するなか、その隆盛を牽引してきた最も重要な哲学者でありながら、日本ではいまだその全容を知られていない、マッシモ・カッチャーリ(1944年生)。クザーヌスやブルーノなどの異端的な思想を愛し、ニーチェに基づく「否定の思考」を信条とする著者が耳を傾けてきた「希望に抗する希望の声」とは、いかなる声なのか。一筋縄ではいかない知性に裏打ちされたヨーロッパ論にして共同体論。本書は、ヨーロッパがいかにして自らを「ヨーロッパ」として同定するに至ったかを、古典古代のテクストに準拠しつつ、中世から近代、そしてさらにはシモーヌ・ヴェイユやカール・シュミットなど現代において提出されてきたさまざまなヨーロッパ像と突き合わせながら丹念に読み解いていく。エピローグにおいて、カッチャーリは「ヨーロッパの唯一の未来」を示唆する。冷戦終結後、ヨーロッパの統合と拡大が一気に進むなか、EU誕生の翌年にあたる1994年に本書は刊行された。その後、国際情勢は大きく変動し、いまやヨーロッパはロシアの脅威にさらされる一方で、中国をはじめとする新たな国家の台頭をうけ、各国でこれまでになく右派勢力が拡大し、EUも大きく揺らいでいる。40年の時を経た今、本書の対となる書物『アルキペラゴス(多島海)』とあわせてカッチャーリが示したヨーロッパ像、そしてヨーロッパの未来は、分かりやすくはないからこそ、そこに開かれる可能性を示唆している。イタリアが、そしてヨーロッパが誇る知性が描きだすヨーロッパとは――。【本書の内容】第1章 ヨーロッパの地理哲学第2章 戦争と海第3章 英雄たち第4章 歓迎されざる客第5章 不在の祖国
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ほんとうのカフカ
ほんとうのカフカ
著:明星 聖子
講談社選書メチエ
ザムザが「変身」したのは「虫」なのか? 『城』の冒頭でKが到着したのは「村」なのか? 『審判』という表題は『訴訟』とすべきか?カフカの作品にはいくつもの日本語訳が存在し、多くの人に親しまれてきた。だが、「虫」と訳されてきた『変身』を見ても、「虫けら」と訳したもの、原語のまま「ウンゲツィーファー」と表記しているものが登場するなど、一筋縄ではいかない。しかも、1915年に発表された『変身』は作家が生前に公表した数少ない作品の一つで、むしろ例外に該当する。代表作とされる『城』や『審判』は死後出版されたものだが、作家は確定稿を残さなかったため、ほんとうの構成も、ほんとうの順序も、ほんとうの結末も推測するしかないのが実態である。没後100年を迎えた作家をめぐるドイツ語原文の編集事情を紹介しつつ、カフカのテクストに含まれる錯綜した問題を分かりやすく伝え、日本語訳の問題を検証する。あなたは、まだ「ほんとうのカフカ」を知らない![本書の内容]序 章 ほんとうの変身「虫」ではなく「ウンゲツィーファー」?/「ウンゲツィーファー」ではなく「虫けら」?/『田舎の婚礼準備』と『変身』/“insect” ではなく “vermin”?/『メタモルフォーシス』ではなく『トランスフォーメーション』?第一章 ほんとうの到着「K」は村に着いたのか/書いたままのテクスト?/等価ではない翻訳/誤訳だけではない問題/手稿をめぐる誤情報/「私」の到着/うさんくさい男たち/「私」は測量技師なのか/不審な「私」/もうひとつの到着/少年か、青年か/悪魔のような息子/愛のしるし/仕掛けられた罠/ほんとうの到着第二章 ほんとうの編集「私」はいつ「K」になったか/電話はどこにかけたのか/出まかせの肩書き/アイデンティティの正体/「章」とは何か/矛盾する編集方針/定められた〈冒頭〉/新しい「始まり」と「終わり」/〈本〉ではなく〈函〉/批判版vs.写真版/完結した章と未完結の章/ひとつの〈いま〉と複数の〈いま〉/〈正しさ〉をめぐるジレンマ/「夢」は含まれるか第三章 ほんとうの夢「史的批判版」という名の写真版/編集の問題と翻訳の問題/ほんとうの「史的批判版」/編集文献学の必要性/ほんとうの底本/「オリジナル」概念の難しさ/もっとも新しい復刻本?/アカデミーへ「提出する」?/ほんとうの外見/書いたものを観察する/『審判』か『訴訟』か/ヴァリアントの提示/「幹」はあるのか?/「私」が現れて消えるとき/ほんとうの結末/白水社版の意義/丘の上の小さな家/ほんとうの夢第四章 ほんとうの手紙タイプライターで書かれた手紙/批判版での手紙の並び/ブロート版では読めない手紙/妹の結婚/ほんとうの手紙/フェリスか、フェリーツェか
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考えるという感覚/思考の意味
考えるという感覚/思考の意味
著:マルクス・ガブリエル,訳:姫田 多佳子,訳:飯泉 佑介
講談社選書メチエ
「考える」というのは人間だけに可能な営みなのか? そもそも「考える」とは、いったい何をすることなのか?――本書は、そんな根本的な問いに正面から取り組みます。『考えるという感覚/思考の意味』というタイトルを見て、おや? と思うかたもいらっしゃることでしょう。本書の原題Der Sinn des Denkensには二つの意味がかけられている、と著者マルクス・ガブリエルは明言しています。一つは、「考えること(Denken)」とは、見ること、聞くこと、触ること、味わうことなどとまったく同じように「感覚(Sinn)」である、という意味。例えば、私たちは見ることでしか色には到達できませんし、聞くことでしか音には到達できません。それとまったく同じように、考えることでしか到達できないものがある――それが本書のタイトルに込められたもう一つの意味である「意味(Sinn)」にほかなりません。 「考える」とは「自然的現実と心理的現実のあいだのインターフェース」だと著者は言います。もっとくだいて言えば、私たちが現実と触れ合う、その接点に生まれるもの、と言い換えてもよいでしょう。その意味で、ガブリエルが「三部作」として構想した三冊のうちの第一作『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)で扱われた「世界」と、第二作『「私」は脳ではない』(同)で扱われた「私」との接点に生まれるのが、「考えること」そのものなのです。私たちは、考えることで「かけ離れたいくつもの現実を結びつけ、それによって新たな現実を作り上げる」と著者は言います。つまり、考えるとは「結びつき」を作り、その「結びつき」を認識することです。「ポストトゥルース」と呼ばれる現実が席捲する一方で、AIによって人間の知的な営みが奪われ、いつかは「考えること」そのものさえ人間には必要なくなるのではないかと考えさせられる今日、もう一度、原点に立ち返って考えること。本書をもって完結する三部作で、著者マルクス・ガブリエルは、人間にしか可能でない未来への希望を語っています。[本書の内容]序 論第1章 考えるということの真実第2章 考えるという技術第3章 社会のデジタル化第4章 なぜ生き物だけが考えるのか第5章 現実とシミュレーション本書のおわりに
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