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アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
特別連載
インタビューで知る研究最前線
第6回 ソ連解体30年② 若手研究者の視座
油本 真理中井 遼東島 雅昌岡 奈津子
著者情報
  • 油本 真理

    法政大学法学部政治学科教授

  • 中井 遼

    北九州市立大学法学部政策科学科准教授

  • 東島 雅昌

    東北大学大学院情報科学研究科准教授

  • 岡 奈津子

    聞き手:アジア経済研究所新領域研究センター

責任著者(Corresponding author)

ORCID
ジャーナルフリーHTML

2021 年 62 巻4 号p. 79-101

DOIhttps://doi.org/10.24765/ajiakeizai.62.4_79
詳細
  • 発行日: 2021/12/15受付日: -J-STAGE公開日: 2022/01/07受理日: -早期公開日: -改訂日: -
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はしがき

今回の「特別連載 インタビューで知る研究最前線」は,連続企画「ソ連解体30年」の第2弾である。第1回は「中東民族問題研究の視点から」(2021年62巻3号掲載)と題して行われたが,第2回は,それぞれロシア,バルト地域,中央アジア地域をフィールドとする新進気鋭の政治学者である油本真理氏,中井遼氏,東島雅昌氏をお招きし,旧ソ連諸国の政治変動と政治体制,国家間関係や民族問題などについて語っていただいた。登壇者の方々はいずれも,冷戦終結と体制転換が旧ソ連・東欧地域の民主化と繁栄をもたらすという楽観論が色あせた頃,研究者としてのキャリアをスタートさせている。本インタビューでは,地域に関心をもったきっかけや1991年当時の記憶に加え,国家の解体がソ連研究に与えたインパクトについて,個人的な体験を交えつつお話しいただいた。この座談会を通じて,「ポスト・ソビエト」という形容詞は消滅してはいないものの,旧ソ連地域を分析する枠組みやアプローチが変化し多様化していることが,あらためて浮き彫りになった。また,話題はコロナ禍の下での研究手法,効果的な成果発信の方法,専門分化が進行するなかでの大学院教育のあり方などにも及んだが,ここでの指摘は日本における今後の学術研究と教育について考える材料を提供しているといえよう。

なお,このオンライン座談会は2021年7月30日に実施された。

登壇者の紹介

 本日はお集まりいただきありがとうございます。ソ連解体をテーマにした座談会の2回目は,若手研究者にお話をお聞きしたいと思ってお声かけさせていただきました。若手といっても,皆さんはすでに多くのジャーナル論文やご著書を発表されています。そのすべてを紹介することはできませんが,まずはその一部に触れさせてください。

油本さんのご著書『現代ロシアの政治変容と地方――「与党の不在」から圧倒的一党優位へ――』(東京大学出版会,2015年)を読ませていただきました。博論をベースにされているご著書で,ソ連解体後,安定した与党が存在しなかった1990年代を経て,プーチン政権下で与党が圧倒的優位を確立するまでの過程において,地方エリートがどのような動きを見せたのかを詳細に分析されています。ソ連時代のエリートの分裂を経て,共産党だけではなく州行政府と州都行政府とのあいだでも対抗関係が生じ,三者のあいだで熾烈な競争があったということを私はこの本で知りました。油本さん,ちょっと前置きが長くなりましたが,ご著著や博論も含めて,今まで取り組んでこられたご研究について簡単にご紹介いただけますでしょうか。

油本真理氏

法政大学法学部政治学科教授。専門は現代ロシア政治。とくに関心があるテーマは政治体制,選挙・政党,地方政治・中央地方関係など。現在は,ロシアの汚職問題に焦点を当て,政権と反体制派の攻防や,腐敗対策の政策決定プロセスについての研究を進めている。

油本 私は大学院ではおもにロシアの与党に関する研究に取り組んでいました。ロシアでは,1990年代には安定的な与党の不在に特徴づけられていましたが,2000年代以降は統一ロシアという与党が登場して,地方にも浸透し,存在感を示すようになりました。なぜこれほどラディカルな変化が生じたのかという疑問が最初の研究の出発点です。このテーマについては修士課程からすでに取り組んでいたのですが,博士課程に入ってからは,地方でいったいどのような変化が生じたのかをよりきめ細かく明らかにする必要があるのではないかと思うようになり,沿ヴォルガ地域の4州における与党の浸透プロセスの比較を試みました。博士課程修了後は少しアプローチを変えて,連邦レベル,とくにモスクワでの政治にフォーカスしています。このテーマに興味をもったきっかけは,2010年代初頭に統一ロシアの支持低下が明らかになり,抗議運動が相次いだことでした。現在は,街頭行動やSNSのようなツールを通じてさまざまな活動をしている反体制派の存在に注目して研究を進めています。とくに関心をもっているのは,汚職スキャンダルをめぐる政治プロセスです。汚職は反体制派による政権批判でしばしばもち出されますが,政権にとってダメージが大きく,また対処も難しいトピックです。ここでどのような力学が働いているのかを検討することで,ロシアの政治体制が抱える困難さの一端を明らかにしたいと考えています。

 ありがとうございました。次は中井さんのご著書『デモクラシーと民族問題――中東欧・バルト諸国の比較政治分析――』(勁草書房,2015年/オンデマンド版は2020年)を紹介させてください。この本は『アジア経済』56巻4号に書評が掲載されています。評者(アジア経済研究所地域研究センター中村正志)は「エスノポリティクスに関心をもつ研究者や学生にとって,本書は「一読の価値がある」どころではなく,「読まねばならない」文献である」と書いていますが,私もエストニアとラトビアの比較について大変興味深く拝読しました。また近著『欧州の排外主義とナショナリズム――調査から見る世論の本質――』(新泉社,2021年)は新聞の書評などでもよくお見かけしています。ヨーロッパにおける右翼政党の台頭や排外主義の高まりは,しばしばいわれるように貧困や格差が原因ではなく,移民によって自分たちの文化が破壊されるのではないかという不安や,EU統合への反発によって引き起こされたのだということを実証的に示し,論壇で注目を集めています。これまでの研究について,この2つのご著書のご紹介も兼ねつつお願いできますでしょうか。

中井 遼氏

北九州市立大学法学部政策科学科准教授。専門は比較政治学,バルト諸国・東欧政治,選挙・政党・ナショナリズムなど。主著に『デモクラシーと民族問題――中東欧・バルト諸国の比較政治分析――』(勁草書房,2015年),『欧州の排外主義とナショナリズム――調査から見る世論の本質――』(新泉社,2021年)。

中井 私の主たる研究対象地域は大学院のときからバルト諸国,とくにエストニアとラトビアです。理論的には,選挙や政党システムであったり,それらとナショナリズムやエスノポリティクスの相互関係のようなものに関心がありました。元々は地域に関心がありましたが,同時に理論的な関心もずっともっていて,両方のいいとこ取りで出したのが最初の本です。

その後しばらく,次のテーマをどうしようかということでいろいろ考えたり動いたりしました。私の研究の軸足はバルト諸国ですが,東欧全体の比較にも興味がありましたので,旧ソ連圏からのいわゆるロシア語系移民だけでなく,新しい移民に対する態度のようなものを研究してみようと考えました。それ自体はうまくいかなかったのですが,いろいろ勉強しているうちに,関心が地域的に広がっていったんですね。このテーマであまり地域を限定せずに日本語で書かれている本はなかったので,それならきちんとまとめて出しましょうとなったのが2冊目の本です。

1冊目の本が出たのは2015年,つまり欧州難民危機があった年です。バルト圏や東欧の右翼政党が,このあたりから急に難民や移民の話をはじめました。これに興味があってとくに研究とは意識せずずっとウオッチしていたのですが,それが結局,この数年の研究につながるポイントになっていたという感じです。

 ありがとうございました。今日ご参加いただいた皆さんのなかで,私と一番接点があるのが東島さんです。東島さんは中央アジアに関する概説書の政治の章なども担当されていますが,比較政治学者として理論的な面から中央アジアをわかりやすく解説してくださっています。また英語でのご著書も刊行予定と伺いました(The Dictator’s Dilemma at the Ballot Box: Electoral Manipulation, Economic Maneuvering, and Political Order in Autocracies, Ann Arbor: University of Michigan Press, 2022.)。豊富な資源に恵まれたカザフスタンにおけるナザルバエフ政権のばらまきと,お隣のキルギス共和国(クルグズスタン)でのアカエフ政権のあからさまな選挙不正を鮮やかに対比されていて,とても興味深いものでした。ご著書のことも含め,ご自身のご研究についてお聞かせください。

東島雅昌氏

東北大学大学院情報科学研究科准教授。権威主義体制の選挙について,カザフスタンとキルギス共和国の比較政治分析から研究をはじめ,近年はサーベイ実験の手法を用いてカザフスタン市民の政治指導者や抗議運動への支持態度などを分析している。また権威主義体制の指導者の統治手法の多様性に関する分析も手がけている。

東島 時間のかかった本なので,そう言っていただけてすごくありがたいです。この本については,油本さん・中井さんとご一緒した研究会(2009年2月)で発表した,早稲田大学大学院で博士課程1年生のときに書いたワーキングペーパーの話が元々の種なんです。

2000年代でしたから,いわゆるカラー革命がすごく取りざたされていた時期で,ポスト共産主義研究の研究者たちの多くがどうして選挙をきっかけにして抗議運動が起こった国(セルビア,グルジア,ウクライナ,キルギス共和国)と起こらなかった国があるのかに着目していました。私がこの研究に入っていったのもそこからです。カザフスタンのナザルバエフ体制とキルギス共和国のアカエフ体制は,独立前後から複数政党選挙を実施しつつも徐々に権威主義化していきましたけれど,なぜその後の体制の安定性に大きな違いが生じたのか,という疑問からこの研究がスタートしました。その後アメリカに留学して(2009~2015年),留学後数年はこのテーマを研究することができなかったんですが,在米中に選挙不正に関する研究や,権威主義体制でさまざまな選挙制度操作や経済政策操作が行われていることについての研究が出てきました。こういったことを中央アジアで見ていけないのかと考えていくと,2つの国のあいだでいろいろなバリエーションがあることに気づきました。たとえばカザフスタンではあからさまな選挙不正は減ってきているにもかかわらず経済的操作は増えてきていたので,時系列的な変化があるのではないかと分析したり,キルギス共和国はその逆が起こっていたりといった具合です。それらをふまえ,権威主義体制の政治指導者が採用するさまざまな選挙操作のロジックを体系的に理解できないか,そうした選挙操作は政治秩序にどんな影響があるのかと考えたのがこのプロジェクトのきっかけなんです。

権威主義体制の指導者は,あまり不正な,強制的手段に頼ってしまうと,政治や社会の風通しが悪くなって市民がなにを考えているのかわからなくなるなど,体制側にとってもあまり好ましくない結果が生まれてしまう。ですから不正や抑圧にはあまり頼りたくないけれど,しかし選挙結果が権威主義体制の指導者に不利な形になってしまうのはもちろん避けたい。そのトレードオフがあってバランスを取るのだろうと思いました。そのなかで私が着目したのは財政資源と,それを効率的にばらまくことができる制度の存在です。この2つが重なり合ったとき,もちろん権威主義体制なので選挙不正は存在するし,さまざまな形での選挙制度操作は存在するとしても,資源をもたない場合と比べてそれらにあまり頼らなくなるのではないかというのが基本的な主張です。そして、これらの選挙操作と経済政策操作のバランスをとりそこねると選挙が政治秩序をおびやかすのではないかと考えました。カザフスタンとキルギス共和国の比較事例研究でそれぞれの変数間のつながりとメカニズムを詳細に検討しつつ,同時にほかの権威主義体制にどれぐらい当てはまるのかについて国家間データに基づく統計分析で検証しています。研究を進めるなかで,事例と多国間比較を組み合わせるというのは至難の業だなと思いながら書きました。国内外でどういうふうに受け止められるかはわかりませんが,これまで10年ほどやってきた研究の一応の区切りにはなったかなと感じています。

岡 奈津子

『アジア経済』編集委員,アジア経済研究所新領域研究センターガバナンス研究グループ長。専門は中央アジアの政治と社会。

研究テーマや地域に関心をもったきっかけ

 ありがとうございます。次に地域やテーマに関心をもたれた理由やきっかけについて,学生時代の思い出なども含めてお聞かせいただけますか。

油本 私の場合はどちらかというと地域への関心が先で,政治学に出会ったのはその後のことです。まず,学部生時代にロシア語を第2外国語として選んだことが最初の一歩でした。さらに大学2年生のとき,ロシア語の会話もおぼつかない状態ではありましたが,サンクトペテルブルクの語学学校に行って1カ月ほどホームステイした経験があります。そのときの体験が1から10までとても面白く,すっかりロシアに魅了されてしまいました。エルミタージュ美術館に行ったり,演劇を観に行ったりといったことも楽しかったのですが,ホームステイ中に垣間見た人々の暮らしぶり,ロシアのとても狭い台所で肩を寄せ合って食事をしている感じとか(笑),市場の様子とか,そういったことすべてがとにかく新鮮で強い印象を受けました。そういった経験があって,ロシアのことをもっと知りたいと思うようになりました。

私は東大教養学部の国際関係論コースに所属していたのですが,隣に地域文化研究コースのロシア・東欧科がありました。駒場はあまり垣根がなかったので,ロシア・東欧科の授業にも自由に出ることができました。今もあまり変わっていないかもしれませんが,当時ロシア・東欧科の後期課程の授業に出ている学生は人数も少なく,授業は5人くらいの規模でしたし,先生とマンツーマンになったこともありました。そうしたなかで,知らず知らずのうちに研究というものが身近になっていきました。ただ,そのときはディシプリンへの意識はほとんどありませんでした。国際関係論コースで国際政治や国際法などさまざまな学問に触れながら,国際政治とロシアへの関心をつなげてみたらどうかなと思って,サハリン州を事例として見よう見まねで卒論を書いたというのが第一歩です。後から振り返ると,このときにもった関心がその後にそのままつながっていったような気がします。卒論のためにソ連最末期の新聞などを読んでいたのですが,その時期の地方での人間模様が滲み出ていてすごく面白いなと思いました。

大学院は本郷の法学政治学研究科総合法政専攻に進学し,塩川伸明先生(東京大学名誉教授)にご指導いただきました。総合法政専攻も今はかなり変わったのではないかと思いますが,私が在学していた頃はまだ政治史に活気がありました。とくに塩川先生のゼミには総合法政専攻以外からも参加している人たちがいて,多様なアプローチを受け容れる土壌がありました。そういう環境でしたので,学部生時代にもちはじめた関心や研究姿勢を,比較的そのまま違和感なくもち続けることができたと思います。

 私も駒場出身で,当時ロシア科とよばれていたところで学んでいたので,油本さんと世代は違いますけれど,私自身の学生時代を思い出しながら聞いていました。

では次に東島さんにお伺いします。以前,地域というよりディシプリンのほうに最初に関心をもたれたという話をされていました。研究のゴールは権威主義体制下の選挙に関する理論の構築にあるのかなと思っているんですけれど,いかがでしょうか。

東島 そうですね,理論的な文献を読むところからはじまっている気がします。ロバート・ダールとかアーレンド・レイプハルト,大嶽秀夫など(比較)政治学の本や,アダム・プシェヴォスキやカルレス・ボイシュなど(比較)政治経済学の本を読んでいました。早稲田にいるあいだは真柄秀子先生にご指導いただいて,卒論は日本とドイツの民主化の比較事例研究でしたし,最初は先進国を見ていたんです。その後,修士論文では民主化について研究しながら経済的要因のインパクトについても考えたいと漠然と思うようになりました。その頃から早稲田大学の政治学研究科は,リサーチデザインや実証分析のコースワークを導入するようになりまして,久米郁男先生が担当講師だった夏の方法論セミナーでなにか発表しないといけなくなったんです。そこで旧共産圏の民主化について研究してみることにしました。経済グローバリゼーションと民族の多様性が重なって,どのように民主化や政治体制変動に影響を与えるのかというところを見ていくと,データ分析ですごく面白い相関関係が見えたんです。民族の多様性が高いところだと,貿易の自由化が起こると民主化が停滞してしまうという傾向でした。それで,これは地域研究者から見たら本当に邪道だと思うんですが,統計分析の結果に基づいて回帰直線を引いてみたら,カザフスタンとキルギス共和国がそこに乗っかっていたんです(笑)。これはどういうことなんだろうと思って詳しくカザフスタンの事例を見ていったら,このプロジェクトにとどまらず,興味深いことがいろいろと起こっていたことに気づいた,といった感じです。

それから,カザフスタンの政治や経済に関する地域研究の文献も見つけられる限りは読んでみましたが,やはり民主化理論の枠組みで見るというよりも,権威主義体制がどうやって維持されているのかという観点から見たほうが有益なんじゃないかと思いました。ちょうどその頃,比較政治学でも権威主義体制の研究が蓄積されはじめていた時期だったので,自分が見ている中央アジアの事例からなにかいえないかと意識するようになりました。

ですからロシア語をはじめたのは修士1年の終わりぐらいのときです。すごく遅いので,伊東孝之先生に手取り足取り教えてもらいながら文献を読んだりました。アメリカの大学に留学した後にロシア語の授業を数年履修したり,3~4カ月間中央アジアに現地調査に行ったときにロシア語の集中授業を現地で受けたりしました。その後はオンラインでキルギス共和国のロシア語講座を受けて,時差とか厳しかったですけれど,会話を練習したりとか。そういうことをやりながら,現地調査できるようにして博士論文の事例部分を書いたという感じです。

 そこそこお付き合いが長いのにはじめて聞く話もいろいろありますね。中井さんはやはり理論への関心が先にあるのかなと思っているんですが,いかがでしょうか。

中井 私は多分,お二人の中間です。もちろんバルト諸国にはずっと関心がありますが,バルト諸国に関心があるのは理論的に面白いから,という感じでもあるんです。元々のきっかけは本当に偶然です。大学で横田正顕先生が演習形式の授業をもっておられていて,その年度のテーマが人の移動を扱っていました。なにかリサーチトピックを自分で見つけなくてはいけなくて,自宅にあった多分『現代用語の基礎知識』のような本をぱらぱらと見て,偶然当時EU加盟前のエストニアとラトビアの残留ロシア人のことを読んだんです。それでこれはなんだか面白いぞと思ったのがきっかけですね。マイナーなものが好きなので(笑)バルト3国という地域自体にも強く関心をもちました。また,私は北海道の札幌出身ですから,やはり一番身近な外国はソ連やロシアだというバックグラウンドもあって,旧共産圏全体に地域的な関心があった面もありました。エストニア,ラトビア,リトアニアは面白いなと思ったのは,ここからです。当時,自分でなにが面白いか理論的にはわかっていないわけですが,人の移動の問題,ナショナリズムの話などは調べれば調べるほど面白いなと思っていました。以来,それがずっと研究の軸足のひとつになっているというか,レファレンスとして立ち返ってみる地域になっている感じです。

私は留学したことはないのですが,はじめての海外1人旅行は,今から考えたら無謀ですがバルト諸国だったんです。当時はツアーなんてなくて,リトアニアの空港に深夜に着いて即白タクと交渉みたいな旅行でした。

 すごいですね(笑)。行かれたのは何年ですか。

中井 2005年です。EU加盟直後で,まだそのときはシェンゲン協定に未加入でした。3国間の国境で私だけパスポートを取り上げられましたね。長期の留学経験がなく,それを埋めようという意識もあって,とくにラトビアには頻繁に行っていました。

 私は1990年秋から1991年8月のクーデター前まで,ソ連と日本の政府間交換留学生としてモスクワで語学を習っていたんです。ソ連が崩壊したので,この制度は私たちの代(第2期生)で終わってしまったんですけど。留学中に,在籍していた大学が企画してくれた旅行で,日本,ベトナム,モンゴルなど,外国人学生のグループでエストニアに行ったんです。私たちがロシア人ではないことは見た目から明らかでしたが,タリンのお店でロシア語で話していたら,店員に睨まれたことを思い出しました。当時の反ロシア感情を肌で感じましたね。

中井 私が2005年にリトアニアに行った目的のひとつは,独立運動時の武力介入(テレビ塔占拠)の現場を見にいくことでしたけれども,ラトビアを含めてバルト圏には中央アジアの軍人で構成されている部隊が送り込まれたそうです。ですから,アジア系に対する反ロ感情と結びついたレイシズム的な態度は一時期強かったかもしれませんね。

ソ連解体の記憶

 次に皆さんにとってソ連解体はどんな体験だったのかをお聞かせいただければと思います。まだ子どもだったと思いますが,どんな記憶をおもちでしょうか。

中井 ニュースで見たレーニン像が倒されるシーンは,私がソ連的なものに関心をもつことになったきっかけのひとつです。それと当時のニュース番組だと思うんですがソ連出身の方に「国がなくなるってどういう感じ?」という質問をしているシーンをすごく覚えていて。どんな答えだったかはまったく記憶にないんですが,その質問だけはよく覚えています。

他方で,当時リアルタイムであったバルト3国独立運動とか,東欧革命などは覚えていないです。ですから1989~1990年くらいのところは記憶になくて,1991年のことは覚えている。諸先輩から見たらおかしな話かもしれませんが,修士とか博士の頃は,われわれがソ連の生の記憶をもっているぎりぎり最後の世代,がんばらねばならないみたいな感覚をもっていたときもありました(笑)。

 東島さんはいかがですか。

東島 小学校1年生のときに地球儀を祖父に買ってもらって見ていたら一番領土が大きい国があって,これはなんていう国なのと聞いたのがソ連という国の存在を知った最初だと思います。もう小学生にはなっていたので,ソ連崩壊を一応は経験しているという自負はあるんですけれど,でも実際はそんなに覚えていないので,なにか負い目のような気持ちを抱いてしまうところもありますね(笑)。

私がはじめて現地に行ったのは2008年12月ですが,そのときはソ連崩壊後,経済的に苦境に立ったときの生活がいかに苦しかったかということを,結構いろいろな人から聞きました。2011年の春から夏にかけて中期滞在をしたときには,年金生活者のキルギス共和国のロシア系のおじいさん,おばあさんのホストファミリーの家に2カ月ほどホームステイしましたが,毎日それこそ小さな台所で3人でテーブルを囲んでご飯を食べて。あまりお金をもっていないので,肉とかは絶対出さないぞみたいな感じで言っていて,野菜とかばっかり食わされていたんです(笑)。そういうホストファミリーの方と接するところでソ連時代のノスタルジアみたいな話もよく聞きました。

ソ連時代の選挙に関する文献はたくさんあって,完全に競争的な選挙ではなかったとしても,さまざまな形で当局が人々からシグナルや情報を得るために選挙を利用していたという分析があったりして,そういった文献は興味深く読みました。あくまで「アネクドート」と理解して読むという感じでしょうか。

 私はソ連末期にモスクワに住んでいたので,配給券がないとお砂糖が買えないとか,ウオッカを買うには空瓶をもっていかないといけないとか,行列に並んでいて目の前で食料品がなくなるといったことを経験しました。生活は大変でしたが,それも含めて懐かしい思い出です。今のロシア人の若者たちは,そういった暮らしについて親から聞いてはいるでしょうけれど,リアルには想像しにくいでしょう。ですから,若い世代に対しては,外国人の私のほうが当時のことを実体験として知っているわよという自慢は少しだけありますね(笑)。

油本さんはいかがですか。世代的にはリアルタイムではあまり覚えていらっしゃらないかなと思うんですけれど。

油本 先ほどの東島さんのお話で思い出したのですが,私も小学校に入学したときに買ってもらった机のマットに世界地図がついていました。ずっと後になってそれを見て,このときはまだソビエト連邦だったんだなと感慨深く思った記憶があります。ただ,私もリアルタイムでの記憶というのはほとんどありません。本当におぼろげな記憶として,1991年の夏のクーデターを受けて,ゴルバチョフはどうなってしまうのかみたいなことを,なんとなく家族と話していたような気もするのですが…… 当時「クーデター」という言葉をはじめて聞いて,いったいなんなんだろうとすごく不思議に思ったのは今でも覚えています。私はロシア政治史という授業を担当しており,ソ連のことについても話すのですが,私自身はソ連の実体験はもっていないので,本で勉強したり,人から聞いたりしたことをベースにせざるを得ません。ですから先ほどの岡さんの配給券のお話にあるような実感はとても重要だと常々思っています。

私が最初にロシアに行ったのは2002年ですが,その時点でも若干のカルチャーショックがありました。それでも,1990年代やソ連時代と比べたらもう全然変わっているのでしょうね。その後は,訪れるたびに,お店などのサービスも格段によくなり,ロシアはどんどん普通の国になっていっているという感覚があります。1980年代からずっと観察されている方からすると,今のロシアはどう見えるかという点にはとても興味があります。

 私の場合は,モノがなくて不便で,でも人々は素朴で話好きで,人付き合いの時間がたっぷりあって,というソ連像が自分のなかに強く残っていましたね。イメージが最初に留学したときのままで,そうではなくなっている現実に追いつくのに少し時間を要したという感じです。

追加でお伺いしたいのですが,ソ連解体30年ということで1991年に焦点を当てていますが,それ以降でなにか印象に残っている出来事などあればお話しいただけますか。

油本 ロシア滞在中にデモや抗議運動などが起こっていたら大体見にいくようにしています。たとえば反体制活動家アレクセイ・ナワリヌイが2013年のモスクワ市長選挙に出たときの集会や,2015年のボリス・ネムツォフが暗殺された直後の行進には強い印象を受けました。直近では,2019年夏のモスクワで起こった抗議運動がもっとも印象に残っています。モスクワ市議会選挙が9月に予定されていて,そこに野党系の候補者が出馬を許されなかったことが発端で起こったもので,毎週のように抗議運動が行われていました。この頃になると政権の抑圧が厳しくなっていて,集会のたびに多数の拘束者が出ている状況でした。このときは確かモスクワ市中心部のプーシキン広場に運動の参加者たちが集まっていたので,地下道の出口から外に出てみたら,すぐそこが当局とデモ隊が衝突する最前線になっていたという一件がありました。治安部隊が隊列を組んで次々とそのあたりにいる人たちを拘束していくところだったのですが,すぐ隣にいた人たちが音もなく連行されていったり,抵抗する市民と小競り合いになったりする場面を目の当たりにし,かなりの恐怖を感じました。

モスクワ市における抗議運動の1コマ。デモ参加者が散り散りになった後の治安部隊の様子。

(油本真理氏撮影,2019年)

 2019年というと本当に最近ですね。中井さんはいかがですか。

中井 自分が現場で体験したわけではないんですが,後から振り返ってみるとじつは大きな出来事だったのかなと思い出すのは,2007年にソ連兵士像の強制的移設をきっかけに発生したタリンでの暴動(Bronze Night)です。その後,エストニアとロシアがいわゆるカッコつきの「サイバー戦争」になったきっかけでもあります。そのときはぼんやりと新聞でリアルタイムで追っていたのですが,その後もよく参照されるのでエストニア社会に傷跡を残した出来事だったのだと思います。

あとは,2008年のグルジア紛争後のバルト3国の激しい反発でしょうか。当時は外務省のお手伝いをしていたこともあって,日々資料を追ったり部外秘の電報を読んだりしていました。規模でいったら2014年のウクライナのほうが大きかったはずなんですが,それよりも激しかった印象があります。グルジアやバルト3国の外務省プレスリリースや大統領声明が毎日出てきて,その内容もフランスやイタリアが理解してくれないと怒り狂っているような感じです。当時の政治エリートないし一部世論がなぜこんなにも怒っているのか,なにをこれほど恐れているのかを分析するうえで,自分の体験が入っているのでまったくの客観的な分析ではないかもしれませんが,研究者としてリアルタイムで情報を追うことができ,実務に近い現場を見ることができたことも含め,とても印象に残っています。

 周りの国々がどう受け止めたのかを観察した結果,グルジア紛争が与えたショックの大きさがよくわかったということですね。

中井 そのとおりです。グルジア発なんですが,当時はとくにリトアニアがすごかった。選挙が近かったということもありますが,最後までEUに抵抗して,ロシアとの対話再開に反対していました。

 東島さんはいかがですか。

東島 2つあって,ひとつ目は2000年代前半のカラー革命です。あれは自分がはじめて抗議運動で体制が倒れるということをリアルに観察できた体験でした。それまで中央アジアにはアラブの春のような体制変動や,旧ソ連圏のグルジアやウクライナのような抗議運動がほとんどなかった。当時はまだ研究をはじめていませんでしたが,こういうことが確かに起こり得るんだということをはじめて感じた出来事でした。

もうひとつは,2008年12月にキルギス共和国にはじめて行ったときの体験です。その頃はバキエフ体制の最盛期で,強権的だけれども体制は比較的安定しているとみんなが考えていた時期だったと思います。当時,水力発電所に砂がたまってしまい,そのせいで電力が足りずビシュケクでも停電が起こっていました。私はキルギス人の友人の弟さんの部屋に滞在していたんですが,そこは議員さんが住むようなところで,電力はきちんと供給されて然るべき場所だったにもかかわらず,頻繁に停電が起こっていました。電力問題をきちんと管理できていないという話をその友人がよくしていたんですが,一方でバキエフが家に帰るときは,大通りが全部ストップしちゃうんです。友人は電力のことも管理できないのに,なんであんな偉そうなことをするんだみたいなことを言っていました。そうこうしていたら抗議運動が起こって,結局政権が倒れました。なんというか,そういうある種のつながりを感じた体験でした。

ソ連解体が日本のソ連研究に与えたインパクト

 次にソ連解体が日本のソ連研究に与えたインパクトについてお聞きしたいと思います。

私のようなペレストロイカ世代は,ソ連が世界の注目を集めていたときに大学に入ったり研究をはじめたりした世代なので,なぜソ連なのか,ということは説明する必要がないというか,ソ連に関心をもつのは当然という雰囲気のなかで学んでいましたね。

ソ連が解体し,体制転換したけれども,期待どおりにはいかなかったという頃に研究をはじめられた方々は,ソ連解体が研究に与えた影響をどのように見てらっしゃるのか,というところをお話しいただけますでしょうか。

東島 岡さんの世代は旧ソ連圏,ポスト共産主義諸国の研究者の層が厚くて,すごく情熱をもって地域研究をされているなというのは,実感としてもっています。ですから,私みたいな回帰直線で選んだような人間が入っていいのだろうかと思うときもあります(笑)。そういえば在米中,ソ連とロシアの民族アイデンティティなどについて研究しているブライアン・シルバー教授(Michigan State University)に指導していただいたことがありました。彼はロシアに関する見識をもったうえで,非常にクオンティテイティブな分析をするスタイルの研究者なんですが,ソ連時代に手に入れた統計データをもってきて,これはこうなんだよとうれしそうに説明してくれたりするんです。そういうのを見ていると,彼は岡さんよりかなり上の世代かもしれませんが,すごく研究に対する情熱を感じました。

 面白いですね。世代的な特徴もあるでしょうが,文学や人類学などを専攻されている方々は,世代を問わず地域への思い入れが強い感じがしますね。ディシプリンもある程度影響するのかもしれません。

いま思い出したんですが,旧ソ連はひとつの地域として扱うことができるのか,という問題もありますね。中央アジアは狭義には旧ソ連5カ国ですけれど,これに加えてコーカサス諸国,モンゴル,アフガニスタン,さらにはロシアや中国のムスリム居住地域などを含めて,中央ユーラシアとよぶこともあります。中井さん,このあたりについてもお話しいただけますか。

中井 まずソ連解体が研究に与えた影響というところでいうと,政治学や経済学をやっていた研究者にはとても影響が大きいですよね。国のなかの一地方としてバルト圏を研究していたのに,ある日独立して国になっちゃったわけですから。私は海外の地域系学会には参加していますが,バルト研究の国際学会って旧ソ連研究者との交流はあまりないんですよ。それは,現在のバルト圏の研究ネットワークで北米亡命者コミュニティの力がかなり強いというのがあると思います。バルト関係で一番大きい国際学会はAABS(Association for the Advancement of Baltic Stiudies)といいますが,完全に亡命者たちの力によって作られました。そういった背景があるので,ウクライナやベラルーシ研究だと多少接点もあるんですが,そこより東の人とはあまり接点がありませんね。私から見ると,バルト諸国もEUに入って以来,なにかヨーロッパ研究の枠になりました。もしかすると,これは今はじまったことではないのかもしれませんが。

それと正直なところ,EUをやるのは大変です。かつてはソ連の一地域研究だったのに,EUに統合されてそっちもやらないといけなくなっている。キャリアの途中でそこがガラッと変わってしまった先輩研究者の方々は本当に大変だっただろうと思います。

 EUをきちんとふまえないといけない,つまりバルト諸国だけでは話ができなくなっているということでしょうか。

中井 そのとおりです。政治や経済を見ている以上,EUを避けて通ることは不可能です。いやでもEUのことは意識しないといけない。

 でも結果としてご著書が生まれましたよね。

中井 そうですね。私も,最初は旧ソ連研究という帰属意識でバルト諸国を研究していましたが,それだと就職先はないよなんて言われるわけです。ロシア政治のポストはあるかもしれないけれど,それは結局ロシアプロパーの研究者の領域です。いろいろ考えて,博士課程に入ってからヨーロッパ系の研究会等にも参加するようになりました。そしたら偉い先生がヨーロッパ研究は斜陽だみたいなことをおっしゃっていて,なんだかどこへ行っても駄目だなんて思ったこともあります(笑)。でも,バルト諸国をやっているとちょうど両方見えると思うんですよ。まぁどちらにいっても「周辺」地域で本丸にはなれないという面もありますけどね。

それと,最近やりにくいなと思うことがあって,「旧ソ連」というとすごく怒る方がいるんです。日本だと目立たちませんが,英語圏だと議員や外務省とメディアが一緒にキャンペーンをはって,former Soviet Unionとか ex-Soviet statesといった呼称を使った記事や表現に対してものすごい勢いで抗議運動をやるんです。まだアカデミックなところではそこまで来ていませんけど,私ですら多少の圧力は感じますし,現地の研究者と話していると大変そうだなと思います。

 なるほど,これは地域名称の難しさですね。

中井 バルト3国のなかで,とくにエストニアとラトビアは,そもそも国家理念としてソ連だったことはないという建前なんですよ。

ラトビア建国100周年の際の民族派政党による集会の様子

(中井遼氏撮影,2018年)

 占領されていただけだった,ということですね。このあたり,ロシアを研究されている油本さんはいかがですか。

油本 そうですね,世代に関していうと,私より若い世代でロシア政治研究をしている人たちは,基本的にはソ連時代でも1990年代でもなく,プーチン時代に興味をもち,そこからこの世界に入っているのではないかという印象をもっています。私自身にしても,ソ連を正面から取り扱ったとことはありません。プーチンが指導者である期間が首相であった時期も含めるともう20年以上続いているので,その重みはかなりあります。私が研究をはじめた頃は,ポストソ連,ポスト共産主義のような形容詞を使うことが多かったと記憶していますが,今となってはそういう規定の必要性を感じないところがありますね。

現在とこれからの研究テーマ

 次に今取り組んでいらっしゃるテーマと,今後取り組んでいきたいテーマについて教えていただきたいと思います。私は油本さんと同じく腐敗に関心をもっていまして,油本さんの最近の論文のひとつを読ませていただきましたが,エリートの腐敗が政権に対する有力な攻撃材料となっているなかで,プーチン政権が反対派にどのように反応したのか,そしてどんなジレンマを抱えていたのかを丁寧に論じられていました。ロシアでは今年の1月に,ナワリヌイがプーチン宮殿の存在を暴露して話題をよんだところです。まずは油本さんの今の研究と,これから研究していきたいと思われているテーマについて教えていただければうれしいです。

油本 プーチン宮殿の話は今後の研究の方向性を考えるうえでも非常に重要だと考えています。2017年にもメドベージェフ首相(当時)をターゲットにした動画がかなり反響をよびましたが,今回の動画は,ナワリヌイ自身が毒殺未遂事件に遭い,さらには療養先のドイツからロシアに戻って拘束されるという状況のなかで発表されたもので,そのインパクトは非常に大きかったと思います。ところが,世論調査の結果は,プーチンへの印象が著しく悪化したわけではないことを示唆しています。反体制派勢力にとって汚職はほぼ唯一の切り札といってもよいトピックなのですが,プーチンの汚職スキャンダルがそこまで大きな動きにならなかったのはなぜなのか,あらためて考えなければならないと思っています。それと同時に,ロシアにおける腐敗対策がどのように進められているのか,そしてそこにはいかなる限界があるのかという点についても検討していきたいです。

具体的な研究テーマというよりは,今後の研究を進めていくうえでの心構えのようなものですが,ロシア政治研究に関しては,プーチンが権力を確立してからかなりの年数が経過し,観察するほうもプーチン体制にすっかり慣れてしまった,あるいは慣れすぎてしまった面があるのではないかと感じています。今後起こるかもしれないさまざまな変化を理解するためには,場合によっては既存のプーチン体制理解から意識的に距離を置く必要もあるのかもしれません。今はコロナ禍の影響で容易ではありませんが,現地の生の情報をきちんとふまえながら,地道に研究を進めていきたいと思います。

 油本さんは冒頭で紹介したご著書のなかで,どの行政府や議会がインタビューに応じてくれて,どこが断ったかを表にされていますよね。あれはすごく面白いなと思いました。インタビューは必ず応じてもらえるわけじゃないですし,会えたとしてもこちらが聞きたいことを話してもらえないことも多々ありますよね。いまはコロナ禍により,対面でのインタビューそのものが大変難しくなっています。中井さんと東島さんはオンラインサーベイなどの研究手法を駆使されているので,そのあたりについてもお聞かせいただけますか。

中井 先に研究の位置づけの話をしますと,私はバルト3国をポストコミュニストとか新興民主国とかいって横の広がりを担保していたんですが,自由化・民主化から30年以上経って,さすがにもういえないなと思っています(笑)。正直,理論的にも普通の民主主義の経済的に安定した国になってしまったので,今は次の研究をどうしようかと考えているところです。

最近ずっと一緒に研究してきた海外研究者とのラトビアに関する論文が採択されたので,次はリトアニアの研究を一緒にやろうという話をしています。クライエンタリズムをテーマにサーベイ実験的なことをやれたらと考えていましたが,オンラインサービスではなくて対面や現地企業でないと無理かもということになり,止まってしまいました。どうやらリトアニアではクラウドサービスでのモニター登録者が少なく,回答が集まらないようなんです。想定していた予算と期間ではとても無理だということが最近わかって…… なんでもオンラインだけでできるわけでもないという壁に今直面しています。

東島 私も同じように中央アジアという文脈でオンラインサーベイを実施する際の壁に突き当たっているところです。中央アジア諸国のなかでも比較的インターネットが行き渡っているカザフスタンであっても,農村部などにはオンライン調査だとまだリーチできないので,サンプルの取り扱いも注意が必要だな,と考えています。サーベイデータを採取する際には対面調査がいまだに中央アジアでは妥当な方法でしょうが,全国に調査員を派遣するということで,やはりオンライン調査と違って高価になります。そう考えると,オンラインであれ対面であれ,いいところも悪いところも,どっちもあるというのが現状だと思います。

今年はじめから3月頃にかけて,実験的要素をいくつか入れたサーベイを対面調査を通じてカザフスタンで実施して,大統領支持・COVID-19・移民受け入れなどさまざまなデータを共同研究者と一緒に分析しているんですが,カザフスタンでの抗議運動に関する分析で面白い感触を得ています。最近,ベラルーシやロシア,キルギス共和国でまた抗議行動が起こっています。カザフスタンではトカエフ大統領が就任した後に抗議運動の数が増えていますが,大規模な抗議運動にはつながっていません。どうしてだろうと思って抗議運動の観察データを用いた統計分析と市民の抗議運動に関する認識のサーベイ実験をしたところ,今のところ示唆されている傾向は,野党と大衆のあいだの抗議運動をめぐるイシューのリンケージがすごく脆弱だということなんです。野党は人権や選挙など政治イシューだけにフォーカスし,福祉や賃金,電力料金,コロナ禍にともなう経済活動再開など経済イシューに関しては大衆のみが自発的に抗議運動を行っていて,政治と経済のイシューがほとんどリンクされていないという状況が顕著にあらわれています。体制側もそこを利用しているようなところがあって,野党リーダーの政治的抗議運動は強く弾圧するけれど,市民主導の自発的な経済に関する抗議運動に対してはかなり譲歩して要求を受け入れるなど,そういった形で取り込みをしている側面がありますね。サーベイ実験をすると,大衆は政治的な抗議運動に関してはあまり共感していないけれど,経済的な抗議運動に関してはかなり共感をもっているという,観察データの分析結果と一致するような結果が出ています。となると,権威主義体制において抗議運動の背景となる不満が社会に偏在していたとしても,それが大規模な抗議運動として勢いを得ることに失敗してしまう条件が,このカザフスタンの事例に見られているのかもしれません。

逆にいうと,もしかしたら政治と経済のイシューが有機的につながるとエリートと市民の連帯が強化されて抗議運動は大規模になるのかもしれません。ほかにベラルーシやキルギス共和国などもしっかり見ないといけませんが,アラブの春のように,経済的不満が政治的抗議運動と融合して抗議運動が大規模になっていったところもあります。政治次元と経済次元という2つの抗議運動が重なり合うところに運動が大規模化するポイントがあり,そうなっていないカザフスタンを詳細に検討することで,抗議運動と権威主義体制の安定性の関係のメカニズムを考えられるのではないか,と思っています。

もうひとつ,コロナ禍という状況下でもできるかなと思っているのは,政府人事の計量テキスト分析です。カザフスタンは名士録(Who’s Who)のデータがとてもしっかりしていて政府の人事も詳細に記録されていて月ごとの任命データがあります。それを計量テキスト分析にかけて,政府内でどういう職に就くと次にどのような職につながっていくのか,つまり職のローテーションを詳細に検討できるのではないか,と見込んでいます。体制側がさまざまな形で統治エリートが力をもたないようにしているといわれてきましたが,大規模なデータを使って長期に検証したことはまだないと思います。また,どのような社会属性やキャリアに基づいて政府のポストを分配しているのか,その傾向がいかなる形で時系列的に変化してきたのか,を分析するのも興味深いと考えています。コロナ禍であってもすでに以前の現地調査で手に入れた資料をOCRでテキストデータに変換すれば計量テキスト分析はできますし,キルギス共和国の名士録は現地新聞のウェブ上で手に入るので,現地に行かずともウェブスクレイピングを通じて体系的に資料を収集できます。

 人事は数年程度見ただけでなんらかの結論を導くのは難しいので,計量的に示せるのであれば非常に面白いですね。今後,実験的なサーベイをする際にどんな仮説の可能性があるのか,もう少しお伺いしてよろしいでしょうか。

東島 少し前に対面調査で採取したサーベイでおこなったのは,ナザルバエフ前大統領とトカエフ現大統領のどちらが市民の人気があるのかを調べたリスト実験です。大統領に対する支持・不支持というのは,権威主義体制下であれば人々はなかなか本音を言いにくいんじゃないかなと考えてやってみたところ,要因まではまだしっかり見られていないものの,リスト実験の結果ではトカエフのほうが人気がありました。トカエフの支持率は約70パーセントで,ナザルバエフの支持率は約40パーセントでした。以前アメリカ国務省にいる知り合いがトカエフ就任直後に「新大統領をどれくらい支持しますか?」と直接質問を通じて大統領の支持率を測定したのですが,そのときは90パーセントくらいの支持率が出ています。

われわれのサーベイでは約70パーセントだったので,やはり権威主義体制の文脈で社会的望ましさバイアス(social-desirability bias)が存在するのではないか,という感触を得ています。ただ,この知見をどのようにして政治学の知見としてつなげるべきなのか,ちょっと試行錯誤しているところです。でも,ひとつの感触としては,権威主義の国でも工夫をこらせば,大統領への支持率など,これまで政治的にセンシティブなために人々の本音を把握することが難しいとされてきた事象を実証的に分析することができるんじゃないかと思っています。

(上)アルマトゥ中心部の独立記念碑横の建物。すでにナザルバエフは大統領を退任した後だが,「若者は,我が国の競争力の鍵となる要素だ」と大きく彼の標語がある。(下)建物横の大通り。ナザルバエフの大統領在任中に,「フルマノフ通り」から「ナザルバエフ通り」に改称した。

(東島雅昌氏撮影,2019年)

 現地の人たちがすごく興味をもちそうな話題ですね。

東島 現地の調査会社はカザフスタンの文脈に根ざした対面調査のサンプリングの方法に長けていて豊富な経験を有していて,プログラミングスキルなどもすごく高くて,うれしい驚きでした。分析結果はカザフスタン国内ではあまり周知しないでくれ,日本語や英語で書くなら問題ない,みたいなことも言われました(笑)。確かに,現地の方にも興味をもってもらえそうなトピックかな,と思います。

 今は英語で書いたら瞬時に広まりますよね(笑)。中井さんはいかがでしょうか。ご著書『欧州の排外主義とナショナリズム』のなかで,高所得者や高学歴層は対面調査では排外主義的な態度をあらわすことが少ないが,それは本音を隠すのに長けているだけで,リスト実験では移民を嫌っているという結果を示されていて,そういった隠れた本音を知るという手法は非常に興味深いなと思いました。

中井 面白いと言ってくださるのは大変ありがたいと思う一方で,困っている面もあるんです。結局あれは一回だけの実験結果でしかなくて,再現性を考慮すればあんまり過剰に受け止められても困るなあと思うところもあります。じつは個人的にもう一回再調査をやって,多少マイルドになった形で似たような結果は出てはいるのですが。たしかにサーベイの手法が比較政治の領域で使われ出したのはわりと最近だと思うのですが,同書の参考文献にも載せているように,いわゆる世論調査とか選挙研究の研究者はもうずっと前からやっているんですよね。ですからそんなに新しいことでもなくて,むしろ世論調査とか選挙研究をやっている人が昔からやっていたことを,見よう見まねでやってみたという感覚です。

東島 先進国政治やアメリカ政治で多用されてきた既存のサーベイ手法を開発途上国とか民主主義ではないところでいろいろと試行錯誤しながら適用するところが,面白い知見が生まれるポイントなのでしょうね。

中井 そうですね。民主主義国でも,汚職や政治家の票の買い取りみたいなことについて直接聞いたところでもちろん誰も答えてくれません。でもリスト実験のような手法を使えば,ある程度実体を把握できます。なんとなくみんなが「そうだよね」と思っているんだけど表にあらわれづらいこと,つまり,各々の社会がもっている暗黙の規範のようなものや,直接聞くと回答者がナーバスになるようなトピックについて比較政治学が調査・実証しようとするとき,こういったサーベイ実験が役に立つのだと思います。

ラトビアの調査会社と世論調査実査の打ち合わせ

(中井遼氏撮影,2014年)

研究成果の発信と大学院教育

 最後に「英語での発信」と「教育」についてお伺いします。

皆さんはお若いうちから多くのジャーナル論文,単著や共著の書籍を出されていて,そのなかには英語で書かれたものもたくさんあります。ディシプリンの違いや個人差も大きいでしょうが,総じて若手のほうが外国語での発信力が強いという印象を私はもっています。研究成果の英語での発信について,東島さんからお願いできますか。

東島 日本の大学の流れとして,英語で発信してくださいとか,国際的にパブリケーションしてくださいという圧力みたいなものはやはりありますよね。加えて,単純な感情として,日本のことを分析しているならともかく,権威主義体制に関する論文や中央アジアに関する研究は,英語で書いたほうが多くの人が読んでくれるだろうと思っているので,国外で多くの人に読んでもらいたいという研究成果はやはり英語で書くべきだと考えています。

一方で,日本でも読者が広がるようなトピックだったり,一般読者に興味をもってもらえるような書き方やフレーミングができるのであれば,日本人研究者として日本語で書くことで貢献できるところもあると思うので,40代にはわかりやすい形で中央アジアや権威主義体制を紹介するような本や論考を書いてみたいとも考えています。専門分野の研究者が興味をもってくれたり,政治学の先行研究への貢献を目指す研究は英語で査読雑誌やUniversity Pressで公刊することを目指し,そうした研究の過程で得られた知見などをふまえて日本語でわかりやすく一般向けに書く,というような切り分けをできればすごくいいなと思っています。

油本 私はお二人と比べて英語での発信がまだまだ不十分なのですが,ジャーナルを読み,そこでの議論をフォローしているのにもかかわらず,自分がそのコミュニティに主体的に参加しないのはもったいない気がしています。英語圏のジャーナルに投稿したときは,査読者とのやり取りが非常に勉強になりました。より多くの読者に読んでもらえるという点に加え,自己研鑽という観点からも,今後も英語で書くことを続けていきたいと思っています。

地域研究者としては,現地語での発信ということも重要な意味をもっていますね。ロシアであればロシア語の学術雑誌が多数あり,当然そこに投稿するということもひとつの選択肢になると思います。ただ,少なくとも政治学に関していえばロシアの研究者も多くが英語で発信するようになっており,英語が共通のプラットホームになりつつあるのではないかと思います。

中井 私も東島さんと同じで,やはり読者を最大化する形で発信するのがいいんだろうと思います。乱暴な言い方かもしれませんが,英語で書かないと読者は増えませんし,引用される機会も英語で書いたほうがずっと多いわけです。引用されるということは,誰かに届いて批判されたり,肯定的に受け止められて次の研究者にパスされたりしているわけですよね。やはり学術は一人でやることではなく人類の集合的営みなので,次の人に肯定的にせよ否定的にせよつながる研究を増やそうと思ったら,読者を増やすことは単純にとても大事です。

他方で,日本であまりメジャーではない地域の研究をやっている以上,日本語で書くことも大事だと思います。たとえば日本語を母語とする読者に向けて地域の事情を紹介するような仕事もありますよね。私でしたらヨーロッパを紹介する本のなかでバルト諸国について書いたりしますが,日本語でそれを書ける人がいるかといったら,数は限られるわけです。日本語で書ける人が日本語読者に向けて書くということも大事な仕事だと思います。内容によって言語を変えるというか,書く言語によって書く内容が変わってくるという感じなのかもしれません。そういう意味で,アカデミックなところは英語を中心にがんばらないといけないけれど,やはり日本語で書くべきときもあるという感じです。

 ありがとうございます。大学院教育についてもお話しいただいてよろしいですか。

東島 あくまで私が見ている範囲ですけれど…… 量的な分析といったことに関しては体系的に積み上げるようなカリキュラムがある程度あると思いますが,質的分析とか現地調査のやり方といったところは,なかなか教えるのも難しいですよね。ですから,とにかく行ってみて資料探しに格闘してみることも重要だとは思うんですけど,修士課程などなるべく早い段階で,現地調査をしたことのある先生たちが地域研究に興味をもっている学生を集めて段階をふんだコースワークを組むのも必要なんじゃないかなと思います。

アメリカの大学院だと似たようなコースがあります。私がいた大学院はなんでもクロスナショナルでやれという風潮もあって,中央アジアの事例も指導教授と格闘して入れたようなところがありますけど,シラキューズ大学のIQMR(The Institute for Qualitative and Multi-Method Research)というコースに行くと,クオリテイティブなアプローチをとる人だけでなく,そのなかでも解釈主義的なアプローチを取る人たちも集まってきていて,多様な質的分析手法をとる若手研究者といろいろな交流があったりしました。日本には地域研究の蓄積がすごくあるので,たとえば東京の大学でそれを活かしたトレーニングの場ができればすごくいいと思いますし,需要もある気がするんです。

油本 東島さんがおっしゃったようなトレーニングの場は,ネットワーキングの機会にもなり,とても有益だと思いました。私自身の反省として,研究をはじめた頃はディシプリンや方法の検討はそこそこに,とにかく研究対象に飛びついてしまうようなところがありました。あらかじめさまざまな研究の手法やディシプリンをきちんと理解したうえで研究をはじめられる環境があるのであればそれに越したことはないと思います。

それに加えて,大学院の先になにを見据えるかも重要だと考えています。私はなんとなく研究者になりたいという思いで大学院に入り,自分が研究者としてどのような立ち位置を目指すのか,また,そのためにどのようなスキルを獲得する必要があるのかといったことについてあまり自覚的に考えたことがありませんでした。実際に大学院を終えてみると,アカデミックな研究のなかでもディシプリン指向のものから地域研究まで,さらには,地域研究者に対しては政策的な要請も受けた現状分析や解説などのニーズもあり,じつは求められるスキルが多岐にわたることに気づかされました。研究者のキャリアパスは偶然に左右される部分も大きく,なるようにしかならないという面はありますが,ある程度早い段階からなりたい研究者像についてのビジョンをもっておく必要はあるのではないかと思います。

 教員の側も院生の側も,大学院を終えた後のビジョンをしっかりもったうえで自覚的になにを学ぶか,そしてなにを学ばないかを選択する必要がある,ということですね。

油本 地域研究者としてはディシプリンを問わずいろいろな引出しをもっていたほうがよいという面は当然あると思います。その重要性は,私自身,分野を超えたさまざまな同僚との対話のなかでも常々感じているところです。その一方で,各学問分野においてはディシプリン志向が強まり,適切な方法論を使えることが重視されるようになっているという現状もあります。少なくとも政治学においては,従来型の地域研究のアプローチが受け入れられる余地はますます狭まっていくのではないかと思います。地域に関心をもつ人が研究を志す場合には,教員の側はこうした研究者コミュニティの現状をふまえたうえで,進むべき方向性を指導する必要があると思います。

中井 大学院教育ということでいうなら,身もふたもないのですが,やはり予算が潤沢にあるといいですね。ただ,予算がないときに大学側が提供できるとしたら,やはり東島さんがおっしゃっていたネットワーキングだと思います。他の大学院や研究機関もあるんだということを,教育を提供する側がきちんと気づかせてあげないといけない。これはすべての研究領域にいえることだと思います。たとえば旧ソ連研究をやっているのであれば,北大にいないからといってスラブ・ユーラシア研究センター(スラ研)を無視して研究するなんてありえません。日本における旧ソ連・東欧やユーラシア研究はスラ研なしでは語れないですし,スラ研はさまざまな資金援助,研究の機会,豊富な資料を提供してくれています。

もちろん現地に行けば資料はあるんですが,現地に行かなくても札幌への出張費だけで相当程度のものは入手できますし,それをサポートするシステムがスラ研にはいろいろ用意されている。日本のスラブ・ユーラシア研究の蓄積と英知の総本山みたいな場所があるわけですから,それを大事にしていくというのは,私たちの研究領域においてはすごく重要だと思います。

 そろそろ時間がなくなってきましたので,最後に,旧ソ連研究に限らず,ご自身の研究分野をもり立てていくにはどうしたらいいと思うか,お聞かせいただけますか。

油本 それぞれが研究を充実させ,アウトプットをしていくということがなによりも重要だと思いますが,それをより容易にするために,研究者同士の助け合いの仕組みはやはり重要な意味をもつと思います。最近,自分のことを若手研究者と称してよいのかどうか,迷いが生じるようになってきました。中堅に差し掛かりつつある世代の一人として,学術コミュニティにどのように貢献できるかという点はある程度意識しないといけないのかなと思います。

中井 旧ソ連地域の研究というのは,ヨーロッパ研究やアメリカ研究といったところから見るとかなりメジャー度が下がるというか,変わった地域をやっているなと思われるかもしれません。でも個々の研究者が学会報告や論文などで,この研究には普遍的な要素が含まれているということを示せれば,やはり「お,面白いね」となると思うんです。なにかミクロな話で,実効性はないんですけれど,これは結構大事なことだと思います。

東島 国内外の公募を見ていると,やはりプロパーで旧ソ連研究というのはなかなか出ないのは事実だと思います。ですから,われわれからより若い世代に,公募が出てもアピールできるような研究のパッケージングを考えたほうがいいと言ってあげることは重要かもしれません。対象地域外の研究者にとっても重要だと思ってもらえる問いや理論枠組みや,面白いと思ってもらえる資料やデータ,それらを分析する際に他の研究分野で用いられてきた分析手法を応用するなど,そういったことを念頭に置きつつ研究することが重要ではないか,と。一方で,地域研究をやっている研究者間のつながりは維持・強化したほうがいいと思います。そこでは,対象地域の知識の正確さを確認し議論することももちろんですが,どうやったら対象地域外の研究者にも面白いと思ってもらえるようにアピールできるだろうとか,そういうことを同じ悩みをもつ研究者同士で地域の視点から考えられるかもしれません。地域の現状に根ざしたソリッドな業績も,そこから培われていくのではないか,と思います。

 大変興味深いお話ばかりでした。本日はありがとうございました。

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Cited by
 
© 2021 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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