人間とAIの恋愛を描いた近未来SF?今あらためて観ると見えてくる“時代の変化”。
近未来ロサンゼルスを舞台にした映画『her/世界でひとつの彼女』は、ジョアキン・フェニックス演じるセオドア・トゥオンブリーが主人公である。彼は他人の手紙を代筆する仕事をしているが、離婚の痛手をいまだ引きずり、孤独が静かに積もり続ける日々を過ごしていた。そんな彼の前に、スパイク・ジョーンズ監督が描く世界観を象徴する“AI_OS”が現れる。声を担当するのはスカーレット・ヨハンソン。このAI〈サマンサ〉との対話は、セオドアの生活を少しずつ変え、やがて深い関係へと進んでいく。

本作はなんか昔、公開当時に観たかった映画だった気がする。しかし劇場で観るタイミングを逃し、そのまま年月が過ぎてしまった。アマゾンを覗いていると、たまたま本作の見放題が48時間以内に終了すると表示されていたから、視聴することにした。
人間とAIが恋愛をするという、2025年の現在ではもはや特別なものでもないストーリー。むしろ多くの作品で繰り返し描かれ、ある種の定番ジャンルになっている。
個人的には日本のアニメの『プラスティック・メモリーズ』を思い出した。まぁこちらも、人間とアンドロイドが恋をするもので、アンドロイドには寿命があり、寿命を超えるとメモリが全破損するっていう、初期設定から泣かせに来る気満々のご都合主義アニメなんだけど(それでも泣いた)。
本レビュー執筆時の2025年現在、あらゆるAIが浸透してきた、いや、浸透したこの時代に観たらどんな風にこの映画は感じられるのだろう。
本作は結構に評価されていた作品だったのだが、今となっては少々厳しめな感想となってしまった。公開当時に視聴していたら、また違ったのだろうか。
『her/世界でひとつの彼女』を視聴してまず感じたのは、作中で“OS”として描かれるサマンサは、単なるAI(人工知能)ではなく、明らかにAGI(汎用人工知能)であるな。そんでもってOSというよりは、AGIがGUI(グラフィカルユーザインターフェイス)な別のOSを制御化においている、という印象。まぁ別に、物語の核心を突くことでもないしどうでもいいんだけれども、作品全体のテクノロジー観を考えるうえで気になって。
この感覚は、ウェブサイトを「ホームページ」って呼ぶ日本人くらいの違和感があった。ホームページとは本来、ブラウザを起動した時に開く最初のページの名称のこと。海外で「詳しくはホームページを見てね!」は通用しないので、気を付けるように。映画のサマンサの位置づけにも、そうした言葉遣いのズレに似た感覚があった。
「ホームページ」の使い方でいちいち違和感を覚える難儀な私。
作中で描かれている人工知能、今現在は2025年だが、2030年くらいには生まれてくるだろうか?あるいはもっと早くに実現するかもしれない。そうなったらChatGPTの登場以上に、さらに生活は激変するんだろうなぁ。そう思いながら視聴していた。
気づけば作品内容から逸れてしまっている。ここからは本作の印象をしっかりレビューしていこう。
物語のテンポは非常に静かで、ゆっくりと流れていく。しかしその“遅さ”がまったく嫌にならない。心地よい時間がスローリーに進んでいく感じ。歩みは遅いのにイライラせず、ただ時の流れにたゆたっていられる。そんな印象だった。
映像の質感は「近未来SF」というジャンルながら、特別突飛な設定や極端な未来描写はなく、むしろ今の都市景観に近い。というか実際に存在する都市だろう。音声認識でテキスト入力していたりと、テクノロジーも2020年代と地続きに感じられる。それでいて作品全体にはどこか1970年代の映画を思わせるノスタルジックな空気が漂っていて、不思議だった。
建造物とか舞台美術とか小物とか、デザインは洗練されていて全くレトロじゃないのにレトロに感じる。若干映像にフィルターがかっているようだったけれど、それだけではない感覚を覚えた。色調や空間設計が生み出す独特の質感によるものだろうか。タッチが70年代っぽいけど、演出も70年代っぽいのよね。
非常に良い空気感。
展開は過剰にドラマチックではないが、とは言え恋愛を描いているからちょっと大人な表現はあるのだけれど、全体的にはおとなしめ。テーマが哲学的なだけに身構えていたが、もっと肩ひじ張らずにゆったりと視聴しても良かったなぁと思った。
雰囲気映画としても非常に心地よく、近未来SFの中でも独自の色を持つ一作である。
映画『her/世界でひとつの彼女』が一応テーマとして掲げていると私が感じたのは、AIであるサマンサが抱く“感情”はリアルなのか、それとも高度に設計されたプログラムの反応にすぎないのかという問いである。しかし、このテーマは既に多くの作品で繰り返し扱われてきた定番の議題だ。
散々観てきたし読んできた。
所詮は、人間の感情も突き詰めれば化学物質や電気信号によって生まれる現象であり、「プログラムされた反応」と大きく違うのかと言われれば、線引き自体が曖昧である。
2014年の公開当時は斬新なテーマとして受け取られたかもしれないが、2025年の現在ではAIに恋愛感情を抱く人も珍しくなく、むしろ現実が作品に追いついてしまった感はある。
本作は時折、大胆な描写にも踏み込んでいて、代理の人間を通じて疑似的な肉体関係を持とうとするシーンなど、テーマ自体を深化させる可能性のある素材は揃っている。しかし、その部分を深掘りせずに雰囲気で流してしまうため、どうしても物足りなさが残った。踏み込んではいるが、深堀はしない。
正直なところ、もし公開時の2014年に視聴していたら、受け取る衝撃や感想は大きく違ったのだろうと思う。今観ると、期待していたほど厚みのある議論には踏み込まず、テーマ性が思いのほか浅い印象だった。
なんだったら上記リンクの映画『センターライン』の方が、インディーズながらかなり哲学的に扱っていて見ごたえがある。
ストーリーとしては最終的に「サマンサはあくまで機械だった」という方向に落ち着いて、その結末は予想を超えるものではなく、やや肩透かしで面白くない。近未来SFとしての面白さよりも、“当時の空気感”に依存している作品なのだと強く感じた。
というかもう時代が追い付いちゃって、SF感もない。
やはりこれも、公開当時に観ていたらまったく違う印象を抱いていたのだろう。今の時代の視点から見ると、どうしてもテーマの浅さが気になってしまう作品である。しかし、もはやこれは歳月が起こしたどうしようもない現象だ。AIが浸透した現代に観ても、感動が少ないのはしょうがない。
『her/世界でひとつの彼女』というタイトルは、一見するとシンプルでありながら、作品の本質を示す重要な鍵になっているように私は感じる。普通に考えれば「彼女」を指すのはshe が基本だ。しかし本作は何故か her を用いている。しかもHer ではなく、冒頭を大文字にしないher である。「she」ではなく「her」である理由には、本作が描こうとした“視点”と“関係性”を反映しているのではないか。
まず、she は主格であり、「彼女は〜する」という主体を表す。一方でher は所有格と目的格で、「彼女の」「彼女を」「彼女に」といった、常に”別の主体と関係を持つ存在”として扱われる。映画タイトルがher であるということは、この映画が “サマンサが何をするか” ではなく、”サマンサがセオドアの存在にどう影響し、どう関係するかに焦点を当てている”ということだと私は考察する。
セオドアがいるからこその、サマンサ。
本作においてサマンサは、主体性をもったキャラクターでありながら、視聴者が直接“彼女はこう思う”と断定できるような描き方はされていない。あくまでセオドアの視界越しに存在しており、彼の感情や認識を通じて“her(彼女を/彼女に)”として届く。つまりタイトルが示す通り、サマンサは常に「対象」であり、「関係性の中にある存在」なのだ。
さらに、小文字のher であることにも意味があるように思う。文章の途中に紛れ込んでいるような控えめさがあり、固有名詞として強く立ち上がらない。これはサマンサの“形のなさ”を象徴している。OSとしての彼女には身体がなく、画面の中にもVtuberのような姿すらない。存在は確かに強烈でありながら、どこか言語の隙間に漂うような曖昧さがある。小文字表記は、その儚さや匿名性、そして“私たちの世界にも普通に溶け込んでいる感じ”を視覚的に表現しているように思える。
言い換えれば、her は「世界の中の特別な誰か」ではなく、「生活に入り込んでくる誰か」なのだ。タイトルが主張しすぎないことで、視聴者の身近な感情や現代のテクノロジー観とも自然に重なっていく。
ChatGPTをはじめ、現代のAIも「生活に入り込んでくる何か」であるし。
つまり本作の「her」というタイトルには、“彼女自身の物語ではなく、彼女を通した関係性の物語である”という意図が込められているのだ。そしてその関係性は、あくまで主人公セオドアの視点/感情/欲望を媒介にして描かれるため、主格の she では成立しない。
小文字で控えめなher は、まさにこの映画そのもののあり方──静かで、柔らかく、どこか私的で、そして関係性の中で揺れ動く存在──を象徴しているのである。
『her/世界でひとつの彼女』は、未来技術を扱いながらも派手なSFではなく、静かな情緒と丁寧な質感で心の揺らぎを描く作品である。そのため、刺激的な展開よりも“雰囲気”や“温度感”を楽しむ人に向いている映画だ。恋愛映画としてもSFとしても少し変則的だが、独特のまなざしで人間とAIの距離を見つめたい人にはしっくりくる一作だと私は思う。
本作を劇場公開後10年経った2025年の今、あらためて視聴すると、公開当時の“未来観”とはまったく違う文脈で受け止めることになってしまった。AIが生活に浸透した現在では、「人間とAIの恋愛」というテーマは特別に珍しくはない。しかし、それでもなお『her』には、静かな余韻や柔らかな質感、そして普遍的な孤独の描写が宿っている。10年前なら新鮮だったテーマ性は今では当たり前になってしまったが、その代わりに“人間そのものの寂しさ”がより鮮明に浮かび上がる作品になっているように感じた。
派手さや革新性よりも、ゆっくりと心に滲む空気感を楽しむ映画である。今だからこそ見えてくる側面もあるため、過去に観る機会を逃した人や、近未来SFを静かに味わいたい人には十分に価値のある一本であることは間違いない。
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id:dayli9htはてなブログPro映画とアニメが好きで、感じたことや覚えておきたいことを、自分の言葉で書いてます。隔日更新を目標にしてますが、義務にはせず、でも書くことはちゃんと大事にしています。うまく伝えられないことも多いけれど、それでも書きたくなるような瞬間を逃さず、ゆっくりでも続けていきたいです。
:ikakimchi@gmai.com
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