クローゼットゲイである若手でホモフォビアの俳優江本が、オネエタレントだけど実はスパダリ筋肉男である蝶子こと長治に、ゲイであると見抜かれ、歯向かっていたのに、溺愛されて、ウブな素顔を見せるギャップがギュンと胸を締め付ける本作。
ある日、本作を含むBLを3つ、続けて読んで、ふと全作品で受けちゃんが泣いてるのに気づいたんです。そして、それを見て、多幸感に包まれている自分にも気付きました。でも、なんで男子の泣き顔を見て多幸感を感じるのか?あれ、案外この理由、言語化するの難しいな、と思ったんです。男子の泣き顔がレアだから?その男子の泣き顔を見て征服欲が満たされるから?いや、なんかどれもちゃう…。
と考えていたところで、ふと「男の子も、保育園でママとバイバイするときや、お迎えに来たとき『おがあじゃ〜ん!‼︎』ってギャン泣きしてたよね。それなのに、周りから男の子は泣かないの、とか言われて男は涙を見せない、という社会からの男子の規範を擦り込まれて、他人の前では泣き顔を見せなくなっていって。それを突き詰めるとホモフォビアにまで達してしまう彼ら隠れゲイが、隠していた本性を曝け出した姿が泣き顔に象徴されているから、本当の姿を見せられる相手が見つかって良かったね!と思えるんだ」とハッとさせられたんです。これも、BLを読んでいだからこそ気付いた男性の生きづらさからの解放としての男の涙に対する考察です。
そして、この作品は、受けが生意気な分、その泣き顔とのギャップがたまらず、そう気づくと江本が可愛くて見えて仕方がなくなり、長治のオネエ姿と素顔のスパダリぶりのギャップも好みで、時折読み返してしまいます。絵は荒く感じますが、それが話の流れのスピード感とマッチしていて次第に気にならなくなります。男の泣き顔フェチの方、おススメです!