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コロナ禍が始まってまもなく、ブライアン・ロークはアマゾン(Amazon)のソフトウェア・エンジニアとしての職を失った。ある意味でホッとした。何カ月も続けて骨の髄まで働き続けていて、完全に燃え尽きたように感じていたからだ。
だが時勢は厳しかった。アマゾンはロークを、大恐慌以来最悪の求人市場に投げ込んだのだ。
ロークは両親に電話で悪いニュースを伝え、それからアパートの荷物をまとめて実家に引っ越した。結局、IBMで完全リモートの仕事にありつけたのだが、心の底には澱のように不安が残った。
「自分ではどうしようもないことのように感じていました。僕を雇うも解雇するも思いのまま、そんな会社の気まぐれに振り回されるのが嫌でした」(ローク)
そういうわけでIBMで働き始めて1年になろうかという時、ロークのもとにメタ(Meta)の採用担当者から電話がかかってきた。
ロークは考えた。普通なら、今の仕事を辞めて同じく完全リモートの新しい職に就くところだろう。でももし、今の仕事も続けながらこっそり新しい職にも就いたら? IBMとメタに二股をかけるだけで、収入と職の安定を2倍にすることができる。
この思いつきをよくよく検討するうちに、ロークは同じようなことを考えている人が他にもいることを知った。ひそかに仕事を掛け持ちする方法について情報交換する専門職のオンラインコミュニティがあったのだ。
コミュニティのメンバーたちは、自分たちのことを「過剰就業者」と表現する。驚いたことに、彼らはそれを実践しているようなのだ。発覚回避を支援しているのはアイザックという仮名で知られている人物だ。
アイザックは2021年にブログ「Overemployed」を始め、“元祖”過剰就業労働者としての秘密を綴っている。今ではDiscordとRedditのコミュニティに約30万人のメンバーがおり、お互いの成功を祝い、失敗に同情し、上司を騙すための秘訣を交換している。
ロークもここに仲間入りすることにした。彼はメタからのオファーを受け、ついでにティンダー(Tinder)での仕事も見つけた。そしてより高額な給与を求めて比較検討・交渉をし、両方の仕事を承諾した。IBMでの仕事を続けながらだ。
15カ月前のロークは失業者だった。けれど今では、いきなり3社に雇用されている。そして順調に合計82万ドル(約1億2000万円、1ドル=145円換算)を超える年収を稼いでいる。
かつかつの生活をしている低所得労働者にとっては、仕事の掛け持ちは長らく骨の折れることだった。だがコロナ禍以降、こうした現象はロークのような専門職の間で増えている。
過剰就業者たちはリモートワークで得られたプライバシーに乗じて、密かに2つ以上の仕事を手にしている。これによって一般的な週40時間労働を大幅に超えることなく、給料を大幅に増やしているのだ。
この行動は単に文化的なタブーであるだけでなく、解雇につながりかねない違反行為でもある。こうしたペテン師が捕まれば、訴えられる可能性もある。筆者は彼らの手法と動機を知るために、数週間かけてオンラインで過剰就業者の取材を重ねた。彼らは、リモート雇用の時代の労働の性質、そして忠誠心について、私たちに何を教えてくれるのだろうか。
過剰就業者フォーラムに飛び込む前に、専門用語をいくつか知っておくと役に立つ。自分を過剰就業者と考える人たちは、仕事を自分の中での優先順位によってそれぞれ等級づけする。J1は大本命で、他の仕事よりも優先される傾向にある。J2は予備、J3は予備の予備……以下同様。
コツはHPW(それぞれの仕事の週あたり労働時間)を最小化しつつ、TC(合計給与)を最大限まで増やすことだ。
ゲームに関する意味不明な言及(「マインクラフトの3つ目のサーバーを引き受けるべき?」など)が出てきたら、それは過剰就業の職を表す隠語だ。彼らは部外者がフォーラムに潜んでいることを承知しているため(自分の上司だっているかもしれない)、自分たちが話しているのは他愛ないことなんだという印象を与えようとしているのだ。
このように、秘密厳守は過剰就業者の習性の第1の柱だ。彼らは個人情報信用機関エキファックス(Equifax)の自身の職歴を凍結し、LinkedInのプロフィールを休眠させる。そのため、雇用主は彼らが複数の仕事を掛け持ちしていることに気づかない。
過剰就業者は自分がひそかに行っていることを誰にも話さない。配偶者や、場合によっては会計士以外には。同僚が過剰就業に関する記事を送ってきた時には、驚いたふりをする。2つも仕事をこなすなんてできるわけがないよ、1つでさえ忙しいのに! 過剰就業の第1のルールは、過剰就業のことは口外するな、だ。

過剰就業のペテン師たちには、テッパンのハックがいくつかある。
第2、第3のフルタイム職に就きたい場合、新入社員研修に多大な時間がかかることを考慮して、他の仕事を1〜2週間は休まなければならない。こうした場合、仕事をタイムゾーンでずらすことができれば好都合だ。
例えば、ある仕事はニューヨーク時間で働き、もう1つの仕事はカリフォルニア時間にする。それぞれの仕事に異なる仕事カレンダーを用意する。だが、ダブルブッキングを避けるために、新しい会議が予定されたらすぐにすべてのカレンダーに予定を書き込む。
それから、生活を少しでも楽にしてくれる技術についてはケチらないこと。マウスジグラーは他の仕事にかかりっきりの時に、オンラインにいるかのように見せかけてくれる。KVMスイッチは1つのキーボードから複数のラップトップを操作するのに役立つ。
過剰就業者の中には、自らの職務を怠っていることについて自慢する者もいる。彼らにとって過剰就業することとは、要は雇用主を騙すことなのだ。だが、コミュニティのメンバーの大多数は自分の仕事に誇りを持っており、きちんと仕事をしている。なにしろそれこそが発覚を避けるため唯一最善の方法なのだから。上司たちに、彼らの1人にでも、不審に思う理由を与えないこと。
4つの仕事を掛け持ちしているソフトウェア・エンジニアのジョージ(仮名)は言う(筆者が取材した過剰就業者たちは、ロークを除く全員が匿名を条件に取材に応じてくれた)。
「バレる理由はだいたい怠慢です。私はバレたことがありません。ちゃんと仕事をしていますから」
複数のフルタイムの仕事をこなすには、徹夜をする必要があるのだろうか。もちろん時には、関わっているすべての会社が同時に大変な事態になることもある。だがほとんどの場合、過剰就業者たちの労働時間は週平均50時間を超えず、40時間程度がほとんどだ。
では、本来なら週80時間超、あるいは120時間とか160時間を超える仕事量を短縮する秘密とはいったい何なのだろう?
だいたいの場合、過剰就業者は単純に仕事がめちゃめちゃ得意なのだ。そのおかげで彼らはすばやく仕事をすることができる。
自身の分野で16年のキャリアを持ち、フルタイムで2つの職に就いているアリソンは次のように話す。
「今は絶好調。それに2つ目の仕事に応募する時には、自分のスキルセットでラクにこなせる仕事だと確認しましたから」
実際、自分にとって役不足すぎるポジションをわざと探すのも過剰就業の戦略だ。そうすれば割り当てられる仕事をラクラクこなせる。
また、彼ら彼女らは過剰就業向きのポジションを探してもいる。要するに、会議や仕事量が少ないポジションだ。そのためには、ちょうどトレーディングカードで完璧な手が回ってくるまで時間がかかるように、何度ものトライアンドエラーが必要となる。
ソフトウェア・エンジニアのコール(仮名)は、J1の仕事量がとても少なく週2〜3時間でこなせてしまう内容だったことから、J2を探し始めた。
「ただ時間があり余っていたので。YouTubeで動画を観ているよりは、(仕事を掛け持ちしたほうが)生産的に時間を使えるだろうと思ったんです」
だが、彼はJ1に釣り合う仕事を求めて、複数のJ2を行き来することを強いられている。
「同じワークライフバランスと給料の仕事が、なかなか他に見つからないんですよね」(コール)
近頃では、ある懸念が過剰就業フォーラムを席巻している。多くの企業でオフィス回帰が進んでいることだ。雇用主の1人が対面での出社を求めてきたらどうするのか。それこそまさに、IBM・メタ・ティンダーのエンジニア、ロークの身に起きたことだ。
ロークはメタから、週に2日はオフィスに出社するよう指示された。会議室を予約できないことがあると、そこでこっそりティンダーやIBMの仕事関連の通話をすることができず、間仕切りのないメタのオフィスの、誰が聴いているかもわからない中で、神経をすり減らしながら会話をするハメになった。
ある時、ロークはうっかり、携帯電話のホットスポットを使う代わりに、ティンダーのラップトップをメタのWiFiネットワークに接続してしまった。ティンダーはすぐにそれに気づいた。危機一髪の出来事だった。メタからリモートしている理由を尋ねられたロークはとっさに、こういういきさつで友人のオフィスで仕事をすることになったのだと話をでっち上げた。
「『そうか、一応言っておくが、そういうことはしないように』と言われました。『わかりました』と答えましたよ」(ローク)
フォーラムに集う過剰就業者はよく、自分がどれだけ稼いでいるかについての投稿をする。9つの仕事で200万ドル(約2億9000万円)稼いでいると言う者もいれば、自分は100万ドル(約1億4500万円)だという者も複数いた。
だが、筆者が実際に確認できた人たちの収入はそれよりも少ない。過剰就業ブログ管理人のアイザックは2つのIT職から約60万ドル(約8700万円)を得ている。ソフトウェア・エンジニアのコールは約50万ドル(約7250万円)だ。アリソンは最盛期にはビジネスアナリストとプロダクトマネジャーの職から26万ドル(約3770万円)稼いでいた。

過剰就業者たちが自慢しないことがある。不思議なことに、金の使い方については語らないのだ。筆者は高速で走る車や贅沢なバカンスに関する華やかなエピソードを探し回ったが、皆が話しているのは節約、また節約だ。過剰就業者の第1の柱が秘密だとしたら、第2の柱は倹約である。
コミュニティの多くの人はFIRE(経済的自立、早期退職)の信奉者だ。20代のジョージは35歳の頃までに退職するつもりだと話してくれた。過剰就業者たちが優先するのは、カードローン、学生ローン、住宅ローンの全額返済だ。
散財について自慢げに語る人物を一度見かけたが、それは娘のためにテイラー・スウィフトのコンサートチケットを買ったという内容だった。新入りが自分の成功談を投稿すると、古参たちが割って入って、ライフスタイル・クリープ(編注:収入が増えるほど贅沢な生活に順応していくこと)について大真面目に忠告をする。「過剰就業の目的は経済的な安定。ライフスタイルをインフレさせると、安定が失われますよ」という具合だ。
インセンティブは他にもある。多くのアメリカ人と違い、過剰就業者はレイオフを心配する必要がないということだ。過剰就業をすれば仕事量が増え、掛け持ちしている仕事の秘密を守るための警戒心からストレスもあるが、ロークにとっては安心感を得られることのほうが上回った。
「1社に依存しすぎていると心配する必要がなくなりました。収入があるかどうかは、自分が決められるようになったんです」(ローク)
だが結局、ロークはIBMとメタとティンダーの仕事を、新しい1つの仕事に置き換えることにした。仕事の他に娯楽を楽しむ時間を得るためだ。
もちろん、多くの上司は、従業員に給料を払っているのはフルタイムで働かせるためだと主張するだろう。仕事が早く片付いたなら、他のタスクもできますと監督者に知らせるべき、というのが従来の考え方だ。そのために給料をもらっているのだから、すべての時間を会社のために費やす義務がある。
だが、多くの過剰就業者たちは、そんなのはかつて“キャリアの一夫一妻制”を守っていた頃の話だと言う。それで労働者の身に何が起きたか? インフレで帳消しになるようなお粗末な賃上げ。果たされない昇進の約束。レイオフの徴候が見えたかと思ったとたん、たった1通のメールとともに予告なしに会社のシステムからシャットアウト。
忠誠を尽くしても何の得にもならないというのが彼らの判断だ。この雇用主は自分を大切にしてくれないかもしれないとなれば、予備として2つか3つの雇用主を用意するほうがいい。
過剰就業が象徴しているのは、仕事にまつわる古くからの暗黙の了解(「我が社から一生離れなければ、家族のように扱ってやろう」)が破綻した時代に、新たな社会契約が築かれているということだ。
過剰就業フォーラムにいる専門職たちは、自分の才能がもっと確実に報われる術を求めている。たとえ、とんでもないリスク許容度とずば抜けたレベルのポーカーフェイスが必要になるとしても。
「両親は『転職せず、1社で成長し、1社に尽くせ。そうすれば会社も尽くしてくれる』と言ってました。両親の時代にはこれが正しかったのかもしれませんが、今じゃ的外れですよ」(ジョージ)
過剰就業者が何人いるのか、正確に知る方法はない。マッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company)は2023年9月の時点で、同社が「ダブルディッパー」と呼ぶ人たちが一般的な組織の従業員の5%を占めると見積もっている。この数値はあまりにも高すぎると筆者は感じている。
米国政府は2023年第3四半期に41万2000人のアメリカ人が同時に2つのフルタイムの仕事をしていると推計している。これは2019年から10万5000人の増加だ。そのほとんどがギリギリで生活しているブルーカラー労働者であることはほぼ間違いないため、過剰就業の専門職たちの数はホワイトカラー労働力の1%未満である可能性が高い。過剰就業は依然としてニッチな現象なのだ。
だが、世界の上司たちが過剰就業におびえていることには深い理由があると筆者は思う。数字以上の深い理由が。複数の仕事を持った時、労働者の心理にはラディカルな何かが起こる。
会社が住む場所を与えてくれるなら、「上司を喜ばせるために必要なことは何でもやれ」という職場でのハッスルカルチャーの精神構造に陥らないでいることは難しい。こうした依存状態は「多くの人々が背負っている重い精神的な重圧だと思う」と、過剰就業ブロガーのアイザックは筆者に語った。
「もうちょっと、もうあとちょっとと頑張ることになる。そうせざるを得ないから」(アイザック)
だが、過剰就業者たちはもはやどの雇用主にも全面的に依存してはいない。すると次第に、個々の仕事が使い捨て用品のように見えてくる。率直に言って、多くのCEOたちは従業員をまさしく使い捨てと見なしている。過剰就業フォーラムでは、誰かがJ2やJ3に不服だと不平を言うと、レスが殺到する。そんなクソみたいな仕事はもう辞めなよ、と彼らは言う。そのために私たちは過剰就業しているんじゃないか、と。
アリソンも最近そうした難局に直面した。J1での新しい上司が次から次へと仕事を投げてきたのだ。気づくと彼女は、従業員のチーム全体を指揮していた。自分が負わざるを得なくなった新たな義務の埋め合わせとして彼女が望んだのは、昇進と、できれば1万ドル(約145万円)の昇給だけだった。
だが雇用主は拒否した。以前のアリソンなら最後までやり抜いただろう。自分と家族を養うために仕事に依存していたのだから。だが今では、彼女には素晴らしいJ2の予備職がある。そのおかげで彼女は逃げる自由を手にすることができた。
アリソンが辞める時、会社は彼女の欠員分をマネジャー職として求人した。そして、ずっと望んでいた好待遇と高給があれば戻ってきてくれるかと彼女に尋ねてきた。彼女は断った。
「こういうことは今までのキャリアで何度も経験してきました。『ねえ、昇進させるために君を訓練してあげるよ』と言われても、何かが起きてその昇進の約束は果たされない。だから、暮らし向きをよくしたければ別の方法を取る必要があると気づいたんです。そして、これが私の選んだ方法です」(アリソン)
アリソンは夫に、J2(今ではJ1になっている)で数カ月はのんびり過ごすと約束した。だが実際は、もうLinkedInとインディード(Indeed)の求人を見始めている。年が明けたら本格的に応募を始めるつもりだ。最後まで勝ち残った求人が、彼女の新たなJ2になるだろう。
※この記事は2023年12月14日初出です
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