代理母から生まれて 「自分は何円だったの」今も抱える相反する思い
3年ほど前、内定式の日だった。帰宅した千さんは、母から1枚のカラー写真を手渡された。乳児の千さんを抱く日本人の両親の隣に、自分とそっくりなフィリピン人の女性が写っていた。この女性が、代理母(生みの母)だと知った瞬間だった。
「天地がひっくり返るような衝撃」だった。母からは子どもを強く望んでいたこと、不妊治療に臨んだがうまくいかず、海外の代理母を頼ったと聞いた。
「小学生の間に知っていたら」
20代の千さんにとっては、納得感もあった。
小学4年生から中学生にかけ、見た目を理由に「死にたくなるほど」いじめを受けた。英語の教科書の登場人物の名前で悪口を言われ、顔にぞうきんを投げつけられた。
日本人のはずなのに、なぜ周りと見た目が違うのか。納得できる理由はなく、周囲の言動が深く心に刺さった。気づけば、自らも容姿を醜いと思うようになっていた。「小学生の間に自分のルーツを知っていたら、いわれのない言葉にも耐えられたかもしれない」と振り返る。
もう一つ、代理母に報酬が支払われたという事実は、今も気持ちの整理がついていない。
「生まれた命を買って家族に…
































































