Formed in 2009, the Archive Team (not to be confused with the archive.org Archive-It Team) is a rogue archivist collective dedicated to saving copies of rapidly dying or deleted websites for the sake of history and digital heritage. The group is 100% composed of volunteers and interested parties, and has expanded into a large amount of related projects for saving online and digital history.History is littered with hundreds of conflicts over the future of a community, group, location or business that were "resolved" when one of the parties stepped ahead and destroyed what was there. With the original point of contention destroyed, the debates would fall to the wayside. Archive Team believes that by duplicated condemned data, the conversation and debate can continue, as well as the richness and insight gained by keeping the materials. Our projects have ranged in size from a single volunteer downloading the data to a small-but-critical site, to over 100 volunteers stepping forward to acquire terabytes of user-created data to save for future generations.
The main site for Archive Team is atarchiveteam.org and contains up to the date information on various projects, manifestos, plans and walkthroughs.
This collection contains the output of many Archive Team projects, both ongoing and completed. Thanks to the generous providing of disk space by the Internet Archive, multi-terabyte datasets can be made available, as well as in use by theWayback Machine, providing a path back to lost websites and work.
Our collection has grown to the point of having sub-collections for the type of data we acquire. If you are seeking to browse the contents of these collections, the Wayback Machine is the best first stop. Otherwise, you are free to dig into the stacks to see what you may find.
The Archive Team Panic Downloads are full pulldowns of currently extant websites, meant to serve as emergency backups for needed sites that are in danger of closing, or which will be missed dearly if suddenly lost due to hard drive crashes or server failures.
To use ArchiveBot, drop by #archivebot on EFNet. To interact with ArchiveBot, you issue commands by typing it into the channel. Note you will need channel operator permissions in order to issue archiving jobs. The dashboard shows the sites being downloaded currently.
There is a dashboard running for the archivebot process athttp://www.archivebot.com.
ArchiveBot's source code can be found athttps://github.com/ArchiveTeam/ArchiveBot.

2015年12月28日
—— 米津玄師さんは今、もっともユニークな形で成功をおさめているミュージシャンだと思います。
米津玄師(以下、米津) ありがとうございます。
—— アルバムをリリースして、ロックフェスのヘッドライナーとしてステージに立ちつつ、ミュージックビデオでは自ら描いたイラストのアニメーション映像を作っている。
今回はリリースのタイミングでのインタビューというより、米津さんという人間の心のありかについても掘り下げて伺いたいんです。
米津 よろしくお願いします。柴さんには、楽曲について今年もいっぱい話聞いてもらいましたからね。
—— 改めてのところもあると思いますが、どうぞよろしくお願いします。まず、2015年はいわゆる「飛躍の一年」になったと思うんですが、振り返っていかがですか。
米津 そうですね。すごく充実した年だったと思います。去年以上でしたね。
4月にツアーをやって、夏フェスにも出て、シングルも2枚出して、アルバムも作った。すごい勢いでやってきて、結果もそれなりについてきたんで、一安心って感じですね。
—— 今年10月にリリースされたアルバム『Bremen』は、オリコンチャート1位を記録して、日本レコード大賞の優秀賞も受賞しました。
『Bremen』
米津 はい。
—— セールス的な結果が出たわけですが、手応えは?
米津 そうですね。オリコンで1位をとりたいっていうのは最初にこの名前で作った『diorama』というアルバムの時から思ってたことだし、数あるうちの目標の一つだったので。それが今回実現できたのは、純粋にうれしかったです。ただ、「通過点」だとは思いますね。
—— 1位をとっても「通過点」でしかない?
米津 数字でこそ1位ですけど、日本国民全員の中では、まだまだ知らない人の方が多いと思うんです。男性ソロシンガーソングライターといえば「米津玄師」という名前が出てくるくらいの、確固たるアイコンになりたいと思っているので。だとしたら、まだそれは全然途上だと思います。
—— まだまだ満足はしていない。
米津 そうですね。「生き急いでる」とも言われるんですけど。
—— 2015年はとても忙しかったと思うんですが、ハイライトは?
米津 そうだなあ……。一つだけ選ぶなら、やっぱりRADWIMPSとの対バンが一番かもしれない。
—— 「RADWIMPSの胎盤」ツアーのZEPP TOKYO公演ですね。初めての共演はどういう体験でしたか?
米津 RADWIMPSは高校生の時から聴いてるし、数少ない尊敬できるバンドの一つなんです。だから、まず会ったこともないのに「対バンしませんか」ってお誘いをいただいた時点で彼らに認められたように思えて。同じステージに立てたっていうのは、それ自体が自分がやってきたことが間違いではなかったのかな、という疑問へのひとつの解答だな、と。
—— そうですよね。
米津 「ライブをやってきてよかった」と単純に思いました。それに、間近にメンバーと話をしてみて、やっぱり自分が想像した通りの人間だった。それも感慨深かったです。
—— アンコールではRADWIMPSの野田洋次郎さんと二人で「有心論」を歌ってましたね。
米津 最初はやるつもりは全然なかったんですよ。でも、うまいんです。MCでいっぱい煽られて、無理やり連れ出されました(笑)。そういう話の流れになってから、楽屋で必死で練習して。
—— ぶっつけとは思えない完成度でした。
米津 「有心論」自体は高校生の時からずっと聴いてたし、カラオケでずっと歌ってたので、歌いやすかったんですけど。
—— 米津さんは10代の頃からRADWIMPSを聴いていたんですよね。それは単に好きなバンドというだけでなく、きっとどこかで自分の思いを代弁してくれるような存在だったんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?
米津 まさにそうです。
—— だとするならば、きっと今、そういうものとして米津玄師の音楽を聴いている10代があのライブ会場にたくさんいたと思うんです。
米津 はい。
—— もしその子が音楽を作るようになって、未来に米津さんと共演する機会があったら、その時には絶対「俺は間違ってなかった」と思うはず。そういう風に、世代を超えてつながった実感があったんじゃないでしょうか。
米津 そうですね。その辺は自覚的に繋げていかなければならないとも思います。『Bremen』を作ってる時にもそういうことを考えていたんです。自分はRADWIMPSやBUMP OF CHICKENに影響を受けて音楽を作ってきた。それを一度ちゃんと体現したいと思ったんですね。
—— これは改めて聞きたいんですけど、BUMP OF CHICKENに憧れてきたということはいろんなインタビューでも言っていますよね。どういうところが好きだったんでしょうか。
米津 まず単純に、そもそも曲がめちゃくちゃいいっていうのはありますよね。で、最初にBUMP OF CHICKENを知ったきっかけはネットにアップされていたFLASHアニメだったんですけど。
—— 00年代初頭に2ちゃんねる発祥で起こったブームですね。BUMP OF CHICKENの曲にあわせてアマチュアの人たちがアニメ動画を作成していた。
米津 そうなんです。どこの誰かもわからない人が作ったものだったんですけど、それがすごく好きだった。
自分はもともと漫画家になりたかったし、アニメも好きだったし、物語を作りたかったんです。いろんなキャラクターがいて、それが住んでる街があって、その中で対立や抗争があって物語が進んでいく。そういう世界観に憧れがあった。
—— BUMP OF CHICKENの音楽にもそういう要素があった。
米津 そうですね。そういう風に音楽で物語を描いている人がいるというのを、そこで初めて知ったんです。BUMP OF CHICKENの音楽はすごく映像的で、聴いていて情景が浮かぶものだった。今まで自分が漫画やアニメを通して見てきたものとすごくリンクする部分があったんですね。そこからだと思います。
—— RADWIMPSに関してはどうですか?
米津 どうだろう……言葉にするのはすごく難しいですけれど、やっぱりRADWIMPSもBUMP OF CHICKENも、暗いところをちゃんと見つめた上で明るいところに出ていこうとするような姿勢を感じるんです。
ネガティブな部分を見据えた上で、それでも前を向いて生きていかないといけないという根本的な姿勢がある、というか。そういうものは人間として生きていく上ですごく美しいし、ものを作る上でもすごく強度を持っているし、普遍的だなと思ったんですね。
—— そういうものを米津さんもちゃんと受け継いでいると思います。
米津 脈々とした流れがあって、自分もその流れの中の末端としてここにいるという感じはあります。そういう文脈の上で自分が生きてるというのも、この『Bremen』で表現したいという思いはありました。自分の立ち位置を歴史の上に示す、というか。その辺は自覚的に繋げていかなければならないと思ったんです。
—— 先ほど「確固たるアイコンになりたい」という話をしていましたよね。もっと名前を知られた存在になりたいと言っていた。その欲求はどういうところから来ているんでしょう。
米津 いろいろあると思います。負けず嫌いというのもあるだろうし、自分のことを知ってほしいという欲求もありますし。でも、一番大きなものを一つ挙げるとしたら、それが一番強いと思うからだと思うんですよね。
—— 「それが一番強い」というと?
米津 確固たる国民的なアイコンになって、誰からも好かれるようないい曲を作るというのは、ものを作る者として一番に目指すべきところだと思うんです。それが一番強度があるというか。だから、ひたすら強くなりたいという思いはありますね。
—— より広い場所に立ちたい、という感じでしょうか。
米津 狭いコミュニティーの中で満足して一歩も出てこない人間は嫌なんです。自分はものをつくる人間として矜持もあるし、こうあるべきだという思想もある。そういうものと照らし合わせて考えると、狭いところで満足できない部分がある。
—— ただ、もっと名前を知られたいというのは、単に人気者になりたいという感じではないですよね。そのことによってより多くの人の代弁者になることができるし、言ってしまえば、「音楽で人を救う」ことができるわけですよね。
米津 誰かを救いたいとか、代弁したいという気持ちはあると思います。BUMP OF CHICKENやRADWIMPSの音楽に、10代だったころの自分が救われてきたように。そういうことを歌ってくれるヒーローみたいなバンドがいたし、そういう存在に自分もなりたいと思います。
ただ、それだけでもないな、という気もしますね。やっぱり言葉にすると、ひたすら「強くなりたい」って言葉が出てくる。
—— 「強さ」というのは、どういうものなんでしょうか。
米津 たとえば、誰が作ったかもわからないような童謡が今も残ってるわけじゃないですか。作者不詳のものが何百年経っても残っているということは、ものすごい作品の強度なんだろうなと思う。究極的にはそういうものになりたいと思うんです。
—— 童謡のような歌が、一番作品として強度があるということなんですね。
米津 そう思います。そうなるためには、ものすごく普遍的なものでないといけない。いろんな人のところに届いて「これは私のことを歌ってる」とたくさんの人が共感して口ずさめるようなものじゃないと、そういう風には残っていかないと思う。自分もそういう強度のあるものを作りたいと思うんですね。
次回「ジブリから受け取った薄暗い希望。」は12/29更新予定
構成:柴那典
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1991年3月10日生まれ。徳島県出身。本名同じ。2009年から“ハチ”名義でニコニコ動画へ楽曲を投稿し「マトリョシカ」「パンダヒーロー」等の作品を発表。2012年、米津玄師名義で活動開始。作詞・作曲・アレンジ・プログラミング・歌唱・演奏・ミックスを自身で行う上、動画・アートワークも独りで制作するという驚異の才能を見せる。2015年10月には3rdアルバム「Bremen」を発売。オリコンチャート1位、iTunes週間アルバムランキング1位、Billboard JAPAN HOT Albumチャート1位の三冠を達成。2016年1月からはワンマンツアー「米津玄師 2016 TOUR / 音楽隊」を開催。
