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学生と社会人のための映画学校

修了生・在校生インタビュー

講師インタビュー

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三宅唱さんインタビュー

昨年の秋に公開された『playback』で目利きの観客を唸らせ、その知名度を一気に上げた三宅唱。フィクション・コース第10期を修了した彼に、映画美学校での思い出や、その後の道のりについて聞いた。

そもそも、いつ頃から映画がお好きだったんですか。
小さいころから映画やビデオはみていたほうだと思いますが、好きになったのは、映画を自分でつくってからです。初めて映画を撮ったのは中3の時。学園祭で、「クラス演劇」に参加したくなくて、代案として申し出ました。「映画でもやっか!」って言って撮り始めてみたら、まんまとハマりました。
高校でも、撮っていたのですか?
いえ。サッカー部だったので、部活のない日に、映画館に観に行ってました。その頃青山真治監督の『EUREKA』や塩田明彦監督の『害虫』を、監督名もよく知らないまま「うーわ、すごい映画だ!」っていうようなノリで観てましたね。今思えば、映画美学校に近しい映画人たちの名前に触れたのは、その頃だったと思います。すごい世界だなあと映画の仕事に憧れつつも、でも自分には現場の仕事なんて無理だと思ってました。映画の研究をしたいと思い、大学進学で上京し、映研に入り、映画館でバイトをはじめて、環境が変わりました。そうなると、観られる映画の数が飛躍的に増して、どんどん面白くなっていったんですね。
では映研で、がんがん撮っていた?
「がんがん」ではないですね。大学1年の時は、自主映画なんてダサいと思っていたから、短編の商業映画のADの仕事をしてみたりしました。まっっったく向いてなかったですね(笑)。たった一日の現場だったんですけど、午後にはカチンコすら持たせてもらえなかった。それでだいぶ心が折れて(笑)、大学2年と3年の時は、真面目に映研に打ち込みました。先輩の映画を手伝ったり、自分でも撮ってみたりして。だけど3年の秋ごろになると、仲間がどんどん就職活動を始めだすんですね。やばい、一緒に映画を撮ってくれる人がいない!ということで、映画美学校に入ろうと思いました。映画美学校以外、考えられなかったですね。青山監督や塩田監督、万田邦敏監督などがいるということや、なんだか海外からのゲスト監督もよく来ているらしい、と。
入ってみて、どうでしたか。
かなり、のめり込みました。同じ班の撮影はなるべく手伝ったりして、ほとんど毎日、何かしらやってましたね。最初の「5分課題」(注:開講後すぐに一人一本づつ短編映画を撮ってくるという課題)の時は、三日三晩かけました。150カットぐらいあったんですよ。アホみたいに本気だったです(笑)。
印象に残っていることはありますか?
講師の監督たちが実際に、生徒の目の前で本読みをして芝居をつけるという授業があったんですよ。自分たちの目の前で、監督が真剣に悩んでるわけです。しかも「今自分が何を悩んでいるのか」なんてことを解説してはくれないから、僕らはただ、監督が俳優にNGを出し続けてる様を見つめるしかない。その授業は「演出」というものについて、ちゃんと考えるきっかけになりました。それから……うわ、どんどん思い出してきた。めちゃめちゃありますよ、映画美学校の思い出(笑)。
例えば?
「30秒実習(注:30秒ワンカットのサイレント作品を撮影する実習)の講評の時に、講師全員が、たった1回観ただけなのに、ほぼ全部のショットを覚えておられたんですよね。「あのタイミングでこうなって、次、右から行ったよね?」みたいな。この人たち、マジすげえ!って思いました。そこからは自分も意識して、画面を覚えるつもりで映画を観るようになりました。
映画には「見方」があるわけですね。
そうですね。あと、一時期ですが、課題の撮影で、視覚的に派手なアクションだったり、芝居とは関係のない装置や仕掛けなど、小手先のことばかりに凝ってしまった時期がありました。そのとき講師の西山洋市監督に「何が撮りたいの??」と、真顔で突きつけられました。そこで気付かされましたね。もう、映画的表現うんぬんで遊んでる場合でなく、自分の物語を書かなきゃいけないんだと。映画好きなだけではダメなんだな、世の中に出なきゃいかんな、と思いました。テレビ番組のADをしながら、自分の作品を「CO2(編注:大阪を拠点に映像制作者の人材発掘を目指して活動する「シネアスト・オーガニゼーション大阪」の略称)に出したりしました。そこのオープンコンペ部門で、短編『スパイの舌』がグランプリを取って、翌年の「CO2上映展」で長編を撮れることになったんです。それが大学卒業と同じタイミングだったので、そこから1年間かけて準備をして北海道へ行き、たった6人のスタッフで撮ったのが『やくたたず』。賛否両論でしたが、今後どうするか悩んでいるときに、新しい映画を撮らないかというお話をいただいて。それが『playback』でした。
ちょうどその頃、富田克也さんや入江悠さんなど、自主映画の潮流が活発になり始めていましたね。
そうですね。そういう潮流があったから、僕らも公開や宣伝方法について、ちゃんと作戦を練れたというか。『playback』はきっと、すぐに火がつくタイプの映画ではないから、オーディトリウム渋谷でなるべく長く上映できないか相談しよう、とか。
では最後に、このサイトを読んでいる方へメッセージがあればお願いします。
この学校に入っていなければ、今の環境では映画を作っていなかったと思います。今現場でつきあいのあるスタッフたちは、何だかんだいってほとんどが、映画美学校の修了生なんですよ。映画美学校を出てからは、つながりが切れてしまうことが不安だったんですが、その分、学校関係の特別講座や上映だったり、その後の飲み会などには折をみて参加しました。お酒、飲めないんですけど(笑)。そうした関係を続けられたのは、入る前から映画美学校のことが好きだったからかもしれません。

 

(取材・文:小川志津子)

三宅唱
1984年札幌生まれ。2007年映画美学校フィクション・コース初等科修了。09年一橋大学社会学部卒業。09年短編『スパイの舌』 (08)が第5回シネアスト・オーガニゼーション・イン・大阪(CO2)エキシビション・オープンコンペ部門にて最優秀賞を受賞。10年初長編『やくたたず』を監督(第6回CO2助成作品)。長編第二作『Playback』(12)は第65回ロカルノ国際映画祭インターナショナ ル・コンペティション部門に正式出品された。また第27高崎映画祭新進監督グランプリ、第22回日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞を受賞。東京では10週のロングラン上映を記録した(現在全国ロードショー中)。

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