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山中あきこ
プライバシーポリシーお問い合せ自民党

拉致被害者支援

2006年05月30日

 昨日29日は、分刻みのスケジュールがびっしり詰まった一日でした。

 始まりは午前7時、安倍官房長官主催の拉致被害者支援の朝食会です。
 DNA鑑定の結果、横田めぐみさんの夫である可能性が高いと確認された韓国人拉致被害者 金英男さんの母 崔桂月さんと姉 金英子さんらが来日されました。

 安倍官房長官との会談、麻生外務大臣との面会、そして、衆議院拉致特別委員会での証言と忙しいスケジュールをこなされました。私も、担当外務大臣政務官として、安倍官房長官との会談、麻生外務大臣との面会に同席いたしましたが、横田早紀江さんと崔桂月さんとが母親同士肩を抱き合い、子供たちの無事の帰国を願う姿には、胸を打たれました。
 母親の思いは、どこにあっても共通のものです。
 桂月さんは、息子を取り戻したい、何とか情報を貰いたいという必死の母の思いで日本にやってきたのです。新潟行きも計画されているようですが、高齢に加え、飛行機に乗るのも初めてということもあって、体調を崩されているようで、心配しています。

 拉致被害者関連の日程が一息ついた夕刻には、ロシアの元首相、プリマコフ氏と外務大臣の会談に同席しました。
 プリマコフ氏は現在、76歳。
 しかし、まだまだ現役です。ユーモアのセンスも十分、英語も上手で、現在はロシア商工会議所の会頭を勤めて世界を飛び回られる程の健在振りに感心しました。今回は『ロシア投資セミナー』のために来日されたとのことです。

 ちょっと前までは予想できなかった向きもあるでしょうが、昨年の日露の貿易額は100億ドルを超えました。現在ロシアには6ヶ所の免税特区がありますが、現在極東の2箇所が計画中ですので、それが実現すれば、日露の貿易は更に拡大すると期待されます。経済分野や人の交流はこれからもさらに伸びることでしょう。
 領土問題の解決はなかなか厳しい面がありますが、忍耐強く取り組まなければなりませんし、課題も多い日露関係ですが、人と人との対話をしっかり積み重ねて、よりよい関係に発展していけばと思っています。

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マーシャル諸島共和国大統領会談

2006年05月28日

 今日はこれから地元千葉へ向かいます。
 一ヶ月にわたり公務出張が重なり、七区の補欠選挙以来の地元です。温かく優しい千葉の皆様のお顔を早く見たいと気持ちがはやっています。
 国会会期中でもあり、時間が十分にとれないのが残念ですが、久しぶりの地元はとても楽しみです。

 さて、今日は、ノート マーシャル諸島共和国大統領との会談について報告したいと思います。
 発端は、第4回太平洋・島サミット(26日~17日に沖縄で開催されました)に出席するため来日するノート大統領からの、ぜひ私に会いたいというご指名でした。
 それでは、ということになり時間を調整してお会いしたのが24日のことです。
 
 お会いするなり大統領が、「ジャカルタでの貴女のスピーチは素晴らしかった。日本に来ることになっていたので、是非ともお会いしたかったんです」とおっしゃるので驚きました。
 4月10日にインドネシアのジャカルタで開催された、ESCAP(アジア太平洋国連経済社会委員会)閣僚会議で行ったスピーチをしっかり聞き、心に留めてくださっていたのです。嬉しさもひとしおでした。

 そのときは、ジャカルタ一泊、機中泊、カタール一泊、機中泊という強行軍でした。
 ジャカルタのESCAPでは、アジア太平洋の一員としての日本の立場とアジア太平洋の将来ビジョン、そして、その中での日本の役割などを簡潔に、しかし力強さを忘れないようスピーチしたのでした。
 私の次にスピーチをする予定で待っていた中国の代表が「良いスピーチでした!」とわざわざ握手を求めてきてくれたのが記憶にしっかりと残っています。
 しかも、マーシャル諸島共和国大統領の心にもしっかり記憶され、評価され、こうして時間差を経て直接に高い評価を頂けるというのは予想外で、強行軍でも出席した甲斐があったと嬉しくなります。

 さて、マーシャル諸島共和国のお話です。
 ここには、日本人も多くいましたし、まだ、戦後の遺骨収集が終わっていない国の一つでもあります。米国の信託統治下ではミクロネシアの一部でしたが、自治政府を樹立し独立し、米国との自由連合に進みました。
 また、ノート大統領自身、祖父が新潟出身の日系人ということもあり、非常に親日的なスタンスをとっている国でもあります。日本とは逆で、子供の数が非常に多く、教育や医療面での日本の支援に感謝しているとのお話でした。約50人の留学生が日本で学んでいるんですよ、と嬉しそうにおっしゃっていました。
 マーシャル諸島共和国のような、小さくても親日的な国は決して少なくありません。
 そうした国々を、今後も大切にしてゆきたいものです。

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〔ノート大統領(右)と。左は同席された首相です〕

 ところで、昨日、インドネシアジャワ島を中心に、大地震が発生しました。
 今朝の時点ですでに死者3000人以上、家屋を失った人20万人以上との報道です。今後も被災者数は拡大しそうです。
 痛ましいことです。
 昨年もスマトラ島で地震があったばかりであり、そのつらい記憶もさめやらぬうちに繰り返される大災害に、胸の詰まる思いです。一刻も早い救援活動で、少しでも多くの方が救われればと祈っています。
 また、こうしたときにこそ日本政府は、地震国日本ならではの心ある支援を行うことで、真価を発揮してほしいと思っています。

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日中交流センター開設

2006年05月27日

 東京は朝からしとしとぶりの雨模様です。
 一ヶ月もの間、断続的に公務海外出張が続いたため、机仕事が山積みです。地元に入る前に、しっかり片づけたいと思い、今朝は早くからデスクに向かっています。

 ところで、23日火曜日の晩に、国際交流基金に『日中交流センター』が新設された記念のレセプションがありました。
 ちょうどお写真が届きましたので、日にちがあきましたが少しお話ししたいと思います。
 『日中交流センター』は、100億円基金で、日中の若者たちの交流を促進するための機関として期待されています。将来を担う世代が相互交流することによって、日中両国が良い関係を保ちながら、互いに成熟した国になることを望んで新設されたのです。

 レセプションは、日本舞踊を披露した中国の女性や、琴などのそれぞれの民族楽器を使用して演奏活動を学んでいる日中韓の3カ国の音楽家がチームが演奏を披露したり、非常に和やかな雰囲気のうちに進みました。

 日中関係が懸念されていますが、中東カタールでは、麻生外務大臣と中国の外交部長の二国間外相会議が開かれ、政治レベルでも、二階経産大臣の二国間大臣会議を皮切りに、大臣レベルの会談が再開されつつあります。
 日本と中国が互いに隣国としてよい関係を保つことが、双方の国益と、国際社会、特にアジア地域社会の国際益の両方に合致するとお互いが判断し、その方向で努力しはじめた証左ではないでしょうか。
 今後の日中関係に、新設された『日中交流センター』が一役買ってくれることを期待しています。

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〔写真は、小倉国際交流基金理事長と王毅駐日中国大使と〕

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カナダ大使の夕食会

2006年05月26日

 これから朝一番で外務委員会に出席します。

 さて、今日は、帰国した22日にあったカナダ大使主催夕食会のことを少し詳しくお伝えします。

 以前から知人であるジョゼフ・キャロン駐日カナダ大使が、私の国会への復帰祝いを兼ねて、国際社会の平和構築のための意見交換をしたいとのことから、学者、ジャーナリスト、NGOの方々も招いて、夕食会を開いてくれました。
 キャロン大使は、10年ほど前に公使として日本に赴任しており、カナダのピアソンPKOセンターと連繋して平和構築・PKOに関するセミナーを大使館で開くなど、積極的な活動をしていた人物です。
 その後、中国大使を経て、昨年、日本大使に任命され再び日本に戻ってこられました。

 私は、大学教授時代に、多民族国家、PKO, コンフェデレーションなどの研究のため、3度ほどカナダ政府から招聘を受けカナダで研究をしたことがあります。
 そんなこともあって、1996年に国会議員になったときにはすでに、カナダの方々とは様々なご縁がつながっていたのです。

 さて、夕食会では、ちょうど国連で平和構築委員会が新設された事が話題になりました。
 また、日本がようやく平和構築の様々な分野での本格的な人材育成に着手する準備に入ったことをお話したり、カナダでは軍とNGOの連繋など新たな動きができてきたことなど参考になるお話が聞けたり、興味深く、議論のつきない楽しい夕食となりました。
 第一線で活躍される方も交えながらのこうした意義ある意見交換の場を作り、ご自身も忌憚のない意見や新しい知見を聞かせてくれ、また熱心に私の話も聞いてくださったキャロン大使に改めて感謝の気持ちです。

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アナン事務総長との意見交換

2006年05月25日

 昨日の東京は、午後から雷と豪雨が入り交じり、大変な荒れ模様でしたが、今日は一転、気持ちの良い青空が広がっています。
 本日は衆議院本会議に出席します。
 今週も、帰国以来、北方領土に関して島津根室市議会議長らの訪問を受けたり、WFP(世界食糧計画)上級事務局次長の来訪があったり、大臣政務官会議に出席したりと政務、公務ともありがたくも多忙にしております。

 さて、少し日にちが経ってしまいましたが、5月17日、ハイチから帰国したその日に、国連のアナン事務総長が7回目の訪日をされました。
 そのときのお話を少し。

 私も、外務大臣との会談に同席し、レセプションでもご一緒しました。
 会談の中で、新設された国連人権理事会と国連平和構築委員会の両方の委員に日本が選出されたことをうけ、事務総長から、新たな場での日本の国連貢献への期待が表明されました。
 この平和構築委員会は、昨年12月に私が米国出張した際、エリアソン総会議長に、2002年の平和協力懇談会報告書及び私のアジアにおける平和構築の人材育成に関するHERALD TRIBUNE紙の記事を見せ、日本は財政的な貢献のみならず、ビジョン・政策でもこの分野に貢献できることを説明した結果、『日本にはメンバーになってもらわなければならない』という言質を確認した経緯があり、とても感慨深いものがあります。
 また、人権理事会選挙は5月9日に執り行われましたが、それまで一ヵ月半の間に、私は各国の在京駐日大使36名と直接会い、日本の立候補への支持をお願いし、さらに、出張先のギリシャでも6カ国の外務大臣と直接話し確認を得るなど、寸暇を惜しむ努力を重ねてきただけに、日本が158ヶ国の支持を得て選出されたことは本当に嬉しいことでした。
 そうした経緯もあり、アナン事務総長がこの2つの新設の委員会を話題にしてくれたことにとても嬉しく感じました。
 また、その平和構築委員会の対象国としてハイチが認定される可能性があることがわかり、いままさに帰国したばかりだったハイチ出張のタイミングも、願ってもないものとなり、意見交換は非常に有意義なものとなりました。

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英国出張報告 2

2006年05月24日

 英国出張報告の二回目、本日は会議の内容について報告したいと思います。

 私の会議への参加は、旧交を温めるところから始まりました。
 まずは、ブラヒミ特使が、
 「貴女の名前が名簿にあるのに姿が見えないので、ひょっとして来られなくなったのかなと心配していたよ…」
 と温かく迎えてくれました。
 それからたくさんの出席者の皆さんの輪に入っていったのですが、エバンズ議長が、
 「アキコと始めて会ったのは、10年前のサンフランシスコでの国際会議だった。アキコと私が予防外交について会議をリードし、そのあと、リチャード・バトラーとビアンカ・ジャガー(ニカラグア出身。英国のロックスター ミック・ジャガーの元夫人で、ニカラグア和平のアクティベスト)という珍しい顔ぶれで食事をしながら、口角泡を飛ばして紛争予防・予防外交について議論した。それ以来、様々な国際会議で一緒に仕事をしているんだよ」
 といろいろな人に紹介してくれ、話は尽きません。

 さて、会議です。
 私はまず、緒方貞子さんとセン教授らが提唱した『人間の安全保障』という概念に基づき、日本が、『人間の安全保障基金』を創設、コソボで展開した小火器廃棄や東チモールで展開した小規模灌漑事業、飲料水浄化、移動クリニック等の成果があがっていることを報告しました。
 同時に、将来のアジアの地域平和構築力を高めるためにも、また、現在の紛争解決、即ち、停戦・平和維持・平和構築・平和定着・復興支援・再発防止という一連の流れ全ての段階で、それぞれに参画できる諸分野の専門家の育成を、日本とアジアの若者やまだまだ元気にあふれる退職者を対象に展開する準備をしていることも披瀝しました。
 続けて、江戸時代の日本を紹介し、民主主義というのは一つのパターン化された概念ではなく、その国の歴史、文化、国民性を十分考慮し、様々な形を取りうるという柔軟な視点の必要性を述べました。
 日本の国際貢献と、日本のオリジナリティ、アイデンティティに関わる部分についてしっかり伝えられたら、という思いでした。

 全体会議の後、紛争の原因、紛争解決と復興戦略、有機的機構構築などのグループ討論をし、最終的に再び全体会議での討論を行い、レポートにまとめました。
 かなり深い部分までしっかり議論することが出来、考えさせられるところの多い充実した会議となりました。

 一年ぶりに懐かしいオックスフォードの緑溢れる環境の中に身を置き、世界トップの研究者・学識者・実学者と丁々発止で議論し、新しい切り口を提示する充実した時間となりました。
 のみならず、日本が財政的な貢献のみならず、知見や発想においても、又政策面でも、欧米のトップレベルと渡り合えることが証明でき、温かい思考に軸を持つ日本のアイデンティティ、いわば日本の「良い顔」を発信できたのであれば、一泊三日の強行軍で参加した甲斐があったというものです。

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英国出張報告 1

2006年05月23日

 不安定な天候が続いていますが、みなさまお元気でいらっしゃいますか?

 私は、英国にてDITCHLEY PARK CONFERENCEに出席、昨日の22日に帰国しました。

 連続していた公務海外出張もこれで一段落。
 やっと地元の皆さんにもまたお会いできる、と気持ちがはやっています。
 また、国会会期も残り少なくなってきましたが、審議の続く重要法案も多いですし、しっかりがんばりたいと思います。

 さて、今日から二日間に分けて、英国出張の報告をしたいと思います。

 英国オックスフォード郊外ディッチリーにある貴族の館を会議場・宿泊施設として提供し、ハイレベルの国際会議を企画・運営しているのがディッチリー財団です。
 ディッチリー・パークと呼ばれる広大な敷地には、森があり、池があり、そして、羊や牛がのんびりと歩き回っています。朝は小鳥の声で目覚め、夜は静寂の中に星空を見上げる、豊かな空間です。

 ここで、5月19日~21日の週末に開かれたのが、「紛争解決と経済発展―どちらを優先すべきか?」という国際会議でした。

 出席者は、アフガンやイラクへの国連特使のブラヒミ大使(元フランス外務大臣)、ギャレス・エバンズ クライシスマネジメント代表(元豪国外務大臣)、サー・ジェームス・グリーンストック イラクCPA英国代表(元英国国連大使)、ジム・ドビン元米大統領特別顧問、シャーマ元東チモール国連代表、プレシェット前国連副事務総長等そうそうたるメンバー。
 国際舞台で第一線にいるそうした人々が集まり、高い知見と豊富な経験からの忌憚無い意見交換をし、これからの国際社会をどのような方向に、どのような方法で持っていくべきなのか、持って行くことが可能なのか、また、どのようにして紛争を未然に防ぎ、また、解決していくのかを、泊り込んで議論し、纏めようという試みなのです。

 形式的な国際会議ではなく、このような世界中の高い知見と経験・分析力・洞察力を駆使して将来を予見しながらじっくり話し合える機会は、日本ではまだまだ少ないのが残念です。

 今回、日本人で招かれたのは私一人でした。
 2004年から2005年にかけて1年間、オックスフォード大学セントアントニーズカレッジに上席研究員として招聘されていた折、イラク復興支援に関する国際会議があり、イラクから数十人の閣僚・学者・企業家等の参加を得た会議に招待され出席し、意見を述べたのが評価されたことと、前述の会議参加者の方たちと、これまで、様々な形で縁があったことによるようです。
 いずれにせよ、このような重要かつ影響力ある国際会議に日本からも出席の機会を得られたことはとても意義深いことであり、一泊三日という強行軍、土曜から日曜にかけてのみの参加ながら、英国に行くこととなったのでした。

 明日の活動報告では、引き続き会議の内容について報告します。

 なお、外務省の公式プレスリリースはこちらです。
 あわせてご参照ください。

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ハイチ出張報告 3

2006年05月19日

 東京はそぼ降る雨です。
 今日は午前中外務委員会に委員として出席、午後には法務委員会に外務大臣政務官として政府側答弁のため出席しました。

 さて、ハイチ大統領就任式典出席の報告、最終回です。

 今回、ハイチに限らない問題として認識を新たにしたのが、国交ある『国』には必ず『大使館』を置き『大使』をおく、という外交の基本をきちんと守ることが大切だ、という点でした。

 先頃往訪したバルカン半島で言うと、今年1月、日本はスロベニアに大使館を開館しました。私も同地での開館式典に政府代表として出席しましたが、これは10年越しの懸案事項でした。
 というのも、それまでは、駐オーストリア大使がスロベニア大使を兼務していたのです。
 どんなに有能であっても、常駐しない兼務となれば、その国の細かい行事には出席できず、雰囲気の変化や些細ながら重要な国内ニュースなどを見落としてしまいます。その国の国民にとっても、日本のプレゼンスは日常的には見えなくなってしまいます。
 ちなみに、日本大使館の開館式典には、既に大使館を開設している40カ国余の駐スロベニア大使が出席しました。それだけの国が、すでに専任の大使をおいていたわけです。
 「大使館設置」「大使常駐」を原則とする、外交上の基本的プレゼンスは、外交関係を結んでいる総ての国に対して、相手国に対する礼儀からも、早急になさなければならないことと感じています。
 単なる外交儀礼上の問題にとどまらず、食料やエネルギーをはじめ、国家存亡に関わる基本的分野においても海外依存の大きい日本としては、国家戦略として、二国間関係・多国間関係の強化が重要になってくるはずです。

 財政的な面は十分考慮する必要がありますが、大使館設置は外務省の通常予算ではなく、別途計上する方法、たとえば、ODAのGDP 0.7%を実現するための方策という位置づけもありえます。あるいは、これからの国家としての情報集中のための位置づけもあるでしょう。
 いずれにせよ、信頼される日本のプレゼンスを高めるという国益の観点からも、国民の理解と支持は得られるはずです。
 外務省の人員数では無理ということであれば、民間企業で海外勤務をしてきた人達、学者や研究者も含め、省外の人材を活用し、国家戦略として別枠で予算を確保することも一つの方法だと思います。
 また、外務省の課長クラス、即ち、40代の若手を小さな国、新しい国に派遣して、現地での国つくりに協力させるのも、経験という点でも交流という点でも効果的ではないでしょうか。
 大使という仕事について、見識の出来上がった人物を派遣するというこれまでの外務省のカテゴリーをシニアと考えるなら、今の時代には、もう一つ『ジュニア大使』のカテゴリーを設けてもおかしくないでしょう。
 逆に、民間である程度キャリアを積まれたいわゆるシニアの方々の力を活用するのも一つです。

 方法や予算、人員については、知恵を集めていくらでも工夫できますが、まずなにより、大使館という外交上のチャネルをきちんと整えて、日本の顔の見える外交を進めようという意志と戦略を持つことが大切なのではないか、改めてそう感じました。

 さて、今日夕刻には、英国でのディッチリー財団主催による紛争予防と経済開発に関する会議に出席するため成田空港に向かいます。
 4月半ばのインドネシア出張以来続いている公務出張ラッシュも、これで一段落。
 沖縄返還をはじめ様々な国際問題解決に貢献してきた伝統ある会議からの招待ということで、改めて気を引き締めて行って参ります。 

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ハイチ出張報告 2

2006年05月18日

 ハイチ大統領就任式典出席の報告、2日目です。

 この国の政治的・経済的・社会的安定が重要視されるのは、ハイチが政情不安定となると多くの難民が米国に流入し、米国社会を不安定にしかねない側面があるからです。
 特に、すでにハイチ離散家族を60万人も抱えるフロリダ州と、40万人を抱えるニューヨーク州は、大きな影響を受けることになるでしょう。
 米国のこの重要な二州が、百万人単位のハイチからの難民・移民の流入を受けた場合、失業者の増大、財政負担は相当に大きく、米国全体の政治・経済・社会的不安定化を招くこともおおげさではないシナリオのひとつ、と考えられています。米国がそのような状況に陥ることは、国際社会にも大きな影響を及ぼすことでしょう。
 そうしたこともあり、国際社会は一致して、ハイチの安定化に支援をしているわけです。

 ハイチは、日本からの直行便もなく、片道二日もかかる遠い国です。
 しかし、日本は、これまで、食糧支援枠での肥料の支援や、エイズ対策などの医療支援を行ってきました。
 更に、UNICEF、IMF、FAO、UNESCO、UNDP、WHOなどへの資金協力という間接的な形でもハイチ支援をしてきており、これらの機関からも相当に感謝されています。
 ところが、今回、1996年から2000年まで大統領を務め、再登場とあいなったプレヴァル氏と、就任式前日に会談したところ、日本の間接的財政支援はまったく認知されていなかったのです。
 日本の支援の実情を、いかに相手に伝え、しっかり理解してもらうかが重要な課題のひとつと認識させられました。

 手間もかかり、渡航延期勧告のでている地域に日本人を派遣するのは難しい、という外務省の事情はわかります。しかし、人間の安全保障基金などを活用し、教育、医療・衛生支援など生活環境整備も含め直接的な支援がのぞまれるところです。
 また、同時に、日本が現地で前出の国連・国際機関と協力する『現地協力方式』など、財政支援のあり方を改めて考えるときが来ているのではないかとも思います。
 電力供給、水道の普及、道路整備等のインフラ整備も今後の課題となっているだけに、様々な形で、意味のある支援を考えなければならないところです。
 たとえば、先日出張したコソボのような、行政研修、ジャーナリスト研修などでの招聘事業や、大学医学部の救急センター新設を日本と現地UNDPで協力で実施し引き渡すといった方法は、現地のニーズにも対応し、日本のプレゼンスを高め、しかも、実施には国連機関とも連携する方法として、ここでも有効に思えます。
 平和構築のための基本的な訓練を受けた日本人を育成し、ODAの実施部隊としての枠組みを設けることで、日本のプレゼンスを高め、日本の援助の実態を被援助国に周知していくことが有効なケースとも思います。その意味でも、このハイチのケースは、よくよく吟味が必要でしょう。

 明日はハイチで感じた大使館をめぐる問題について書いてみたいと思っています。

 本日はこれから衆議院本会議です。

 シャクヤクやあじさいが、豪奢で、それでいてどことなく控えめな花をつけ始めています。
 雨がそぼ降る、温度調節の難しい季節ですが、皆様体調にはお気をつけください。

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ハイチ出張報告 1

2006年05月17日

 本日、ハイチ共和国大統領就任式典より帰国致しました。
 夕刻の便での帰国後息つく間もなく、外務大臣とアナン国連事務総長の会談に同席、続けてレセプションに出席しました。国連大学の関係もあり、アナン氏とも実りのある意見交換が出来ました。

 さて、今日から数日に分けて、ハイチ出張の報告をしたいと思います。

 35度を超す暑さと高い湿度の中、ハイチのプレヴァル大統領就任式は、世界各国からの賓客を迎え盛大におこなわれました。
 議会での承認、そしてカトリック教会での祝福の長い長いミサ、それから大統領府での就任演説と祝宴が続きます。

 その式典の、合間のこと。
 議会での認証式を終え、就任ミサのため教会へと向かう、防弾車での移動でのことです。
 途中、パトカーの先導にもかかわらず、何百人もの若者たちに取り巻かれ、窓ガラスを叩いて叫ぶものも現れ、騒然とした群衆の中で車は一時、止まってしまったのです。
 新大統領を祝福する者もいれば、また独裁と汚職で辞任した前大統領の写真をかざす者もいます。
 若者たちは勢いに任せ、賛否混合の集団となっていました。

 一瞬、何かのきっかけで暴徒化するかもしれないという懸念を感じさせられる瞬間がありました。
 実は、日本政府が用意したこの防弾車は簡易防弾車に分類され、ピストル程度の弾丸ははじきますが、機関銃などには太刀打ちできません。
 特に、私が乗った車は、以前に一度、流れ弾が当たって貫通したものの、そのとき乗車していた日本大使館員は運良く怪我もせず無事だったとのこと。不安感もなきにしもあらずですが、運のある車という気もしますね。ちなみに、イラクで奥大使らが50発もの銃弾を打ち込まれ殺害されたときに使用していたのと、まったく同型の車だとのことでした。

 1804年にフランスから、黒人国家として史上初の独立を果たした誇りを持つハイチは、人口800万人を数え、かつてはサトウキビの輸出で栄え、欧米からの観光客も多く、一時は、日本の繊維工場やスポーツ用品のNIKEの工場などもあったといいます。
 しかし、現在は、国家として破綻するギリギリの様相を呈していました。
 奴隷制に反対し独立したにもかかわらず、いつの間にか、10%の持てるものと、90%の持たざるものとの格差が極端に開いてゆき、階級社会化し、そこへ、独裁政権が続き、武装した私兵が横行するようになり、政治的に破綻をきたしたのだといいます。
 追い打ちをかけたのが、コロンビアから流入した麻薬でした。
 高速艇や小型飛行機で搬入され、米国などへの密輸の基地にさえなってしまったのです。
 くわえて、エイズ、マラリア、デング熱などの疾病が蔓延し、金銭目的の誘拐やレイプなどの凶悪犯罪が日常横行しているとの報告もあり、国連PKOが投入され、現在も約9000人が駐留しています。
 ブラジルが指揮を執っていますが、ときおり銃撃戦もあり、残念ながらまだ決して治安上安心といえる状態までは回復していないのです。
 そんなハイチの現状を肌で感じさせられる、防弾車での移動でした。

 明日は日本とハイチの関係を中心に、話を進めたいと思います。

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ハイチ大統領就任式典出席のため出発します

2006年05月12日

 今日は朝から外務委員会に委員として出席し、その合間を縫って法務委員会に外務大臣政務官として犯罪関連の条約に関する政府側答弁のため出席します。

 そして、政務日程終了後、ハイチへ向かいます。
 ハイチの首都ポルトープランス(フランス語で「王子の港」という意味です。素敵な名前ですね)で行われるプレヴァル大統領就任式典に日本代表の特派大使として出席するためです。

 カリブ海の島国ハイチは、四国より一回り大きいくらいの大きさの国です。
 独立後独裁政権から民主主義に移行したものの、90年代初頭の軍事クーデターもあって混乱が続き、国連の制裁や多国籍軍の駐留を受け、90年代半ばからは国連ハイチミッションなどが展開されてきました。
 特に、ここ数年は反政府武装勢力の活動が激化し、治安は悪化、日本大使館も一時閉鎖されるなど緊迫していましたが、新たに国連ハイチ安定化ミッションが組まれるなど国際社会の援助もあり、少しずつ平和を取り戻しつつあります。日本も米仏加に続く援助国として、昨年のハリケーン被害や洪水被害に対する支援などを積極的に行っています。

 さて、そのハイチで、昨年10月に予定されていながら何度も延期されていた大統領選挙が2月7日に行われ、プレバル氏が大統領に選任されました。
 4月には長らく空席だった駐日ハイチ大使も着任、二国間関係も着実に進んでいます。
 大きな課題として立ちはだかる、著しい貧困問題、これまで何度も政権崩壊にもつながった政治腐敗問題、国連平和維持部隊の駐留を必要とする治安問題などの解決はまだこれからですが、新大統領就任を機に、国民にとっても、国際社会にとっても悲願である平和と安定へ向け、歩みを進めることを願っています。

 ハイチ出張に関する外務省のリリースはこちらです。

 今回はコソボ以上に治安が回復していない地域への出張ということで、改めて、気を引き締めてのぞみたいと思っています。
 それでは、行って参ります。

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ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告 4(最終日)

2006年05月11日

 東京はもう梅雨入りしたかのような天候です。
 皆様も、体調にはくれぐれもお気をつけください。

 今日も衆議院本会議を中心に日程がしっかり詰まっています。
 がんばります!
 さて、今日はギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告の最終日です。

■5月6日~7日■
 コソボ滞在の二日目です。
 一つの場所に連続で滞在したのは今回の出張では初めてですね。
 早朝から、日本が支援し設立したKTV〈コソボテレビ〉でインタビューを受けると同時に、研修員として日本に来たことのある20人ほどの若者との意見交換をしました。このテレビ局は民族に偏らず数ヶ国語で放送をしているコソボ最大のテレビ局となっています。
 そこで、ちょっとしたうれしいハプニングが。
 レセプションでのことです。
 なんと、コソボ側の皆さんが日の丸を形取った大きなケーキを準備していてくれたんです。
 日本への感謝の気持ちとして…。
 気持ちのこもった皆さんの笑顔と、遠い異国の地で見る日本への感謝の日の丸に、胸がジーンと熱くなりました。
 私に、ケーキカットを、というので、同行の日本大使を紹介し一緒にケーキカットをしました。

 午前10時にはプリシュティナ大学医学部に新設された救急医療センターの引渡し式に出席し、日本政府と日本国民を代表して挨拶をしました。これは日本が財政的支援をし、UNDPが実務を担当してできた施設なのです。
 抜けるような青空の下、真新しい医療機器をデモンストレーションして見せる現地の医師や技師は本当に嬉しそうでした。これで、今まで救うことの出来なかったほんとうに多くの住民の命が助かることだろう…そんな未来への希望に満ちた笑顔でした。

 現地の各界代表とのランチでは、本音で意見を交わしあうことが出来ました。
 外交、国際交流の場で本当に大切なのは、本音でしっかり対話することと、ねばり強く温かい思考を忘れないことですよね。

 ランチ終了後、まっすぐ空港に。
 ご想像通り、コソボから直行便なんてありません。ハンガリーのブタペスト、更にドイツのフランクフルトで乗り換え、東京の議員宿舎にたどり着いたときにはすでに日付が変わって7日の夜でした。

 移動も多く、緊密な日程で、かなりハードでしたが、日本に対する肯定的な評価に触れられたうれしさ、また、日本の国際的な存在と温かい想いをしっかり伝えられた手応えもあり、短期間ながら充実した公務出張となったように思います。
 微力ながら、これからも、「温かい思考の国として国際的に信頼される日本」という将来につながる国益と、平和で安全な世界という国際益をしっかり実現できる一助となれればと、気持ちを新たにしています。

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ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告 3

2006年05月10日

 昨日は衆議院本会議、本日は外務委員会に拉致特委員会と政務も緊密な日程で進んでいます。

 今日は、ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告の3日目、コソボです。

■5月5日■
 ベオグラードからコソボまでは約300キロの道のりです。
 緑の美しい景色を眺めながら、時折現れる農業地域の様子に、日本の農業時術を応用すれば相当生産性もあがり環境としても豊かな農業地帯に変身するのではないか、などと思ったりしました。

 車での数時間の移動後、いわゆる国境線に到着、検問所で車を乗り換え、いよいよコソボに。
 新しい住宅、建設中の住宅がいくつも目に飛び込んできます。アルバニア系は大家族が一般的なので、戸建の住宅も4階建など結構大きくなります。そのため一家の大黒柱の多くは、ギリシャなどへ出稼ぎに行き、そこからの送金で家を立て替えるのだそうです。

 活気あるプリシュティナを通り過ぎ、セルビア人居住地区に入ります。
 入り口には大きな土嚢が積んであり、そこを境に雰囲気ががらりと変わって活気が失われ、町全体がとても静かに沈んだ感じになります。古いセルビア正教の教会に立ち寄ると、オスマントルコ時代の偶像崇拝否定により目を塗りつぶされたフレスコ画など、長い歴史に翻弄されたこの地域の苦悩がしみ出してくるようでした。

 プリシュティナでは、UNMIK(国連コソボミッション〉の幹部との意見交換を行いました。
 彼らは民族的にも宗教的にもニュートラルな人たちです。今回、直接ベオグラードとコソボのそれぞれの政治トップと直接和解に向けた支援を促すために、戦後の灰の中から奇跡的復活を遂げた日本の政府高官が来たことにとても喜び、急遽記者会見も行われました。
 自然の美しさ、人々の親切さについて触れてから、同じ地域の人たちが争わずに協力して、農業、観光、起業など地域の回復と発展のために努力してほしい、という願いを述べ、日本も食べるものにも困った戦後の困難から一致団結して頑張った結果今があるのです、ということをお話ししました。
 詰めかけたメディアの皆さんの真剣な静寂が印象的でした。

 つづいて、コソボ暫定政府の大統領との会談です。
 先日、大統領はセルビア系の教会のイースター〈復活祭〉に出席し、民族融和の姿勢を見せたので、それを褒めるところから話を始めました。もちろん話の主題は、セルビア大統領に話したのと同じスタンスで日本の考えを伝えることです。国際約束である「水準」の履行、少数民族の保護、行動の自由、文化財の保護などを要請し、セルビア大統領・首相には、セルビア系少数民族のコミュニティ・ビルディングへの積極参加を促すよう要請したことも伝えました。
 会見後の記者会見で大統領は、日本からの往訪に感謝を表明し、少数派の保護や文化財の保護もメディアの前で約束してくれました。
 その後、テレビを見たという人たちから、「自分たちの住む場所の美しい自然や良さを改めて自覚した。来てくれて有難う」という主旨のメッセージがたくさん伝えられたとのこと、日本の温かい心をコソボの人たちに伝えられた、来た甲斐があった、とほっとしました。

 今回の訪問は、新聞でも写真入りで取り上げられるなど、大きな反響がありました。
 また、UNMIKも大変高く評価し、様々に日本の努力を伝えてくれました。
 日本が財政的な支援のみならず、政策面でも、国連特使のアーティサリー元フィンランド大統領(1月にウィーンで意見交換をしています)を支え、民族や宗教に偏ることのない人道支援を続け、セルビア側にもコソボ側にもぶれることのない同じ態度で接し、相手の努力を評価しながら、更に和平への努力を促すという役割を務めることの国際的な意義と、そうした行動への世界から日本への期待の高さを改めて実感しました。

 翌6日は引き続きコソボでの活動となります。

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ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告 2

2006年05月09日

 ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告の2日目、セルビア・モンテネグロ共和国です。

■5月4日■
 早暁午前6時半にはテッサロニキを発ち、ミュンヘンで乗り換え、セルビア・モンテネグロの首都ベオグラードに到着したときにはすでに正午を回っていました。
 車窓から市街地に目をやると、1999年のNATO空爆の傷の残る建物がまだ多くあります。橋の上に並べられた鮮やかな花束が目にとまったのですが、バスが爆撃され多くの市民が犠牲になった場所とのこと、いつも犠牲になるのは一般市民であることに悲しくなりました。

 到着後早速、大統領、続いて首相と会談しました。
 ①EUとの交渉が決裂したのは残念。国際ユーゴ法廷への義務を履行し、EUとの協議再開を努力してほしい ②コソボのセルビア少数民族がコミュニティ・ビルディングに積極的に参加するよう促す努力をしてほしい と指摘した上で、この後のコソボ訪問で、コソボ大統領に、セルビア系少数民族の保護、行動の自由、文化財の保護等を要請することを伝えました。
 2人とも大変率直な人柄で、セルビアの国際的状況を良く理解しており、私の提案をきちんと聞いて賛意を表してくれました。

 その後、外務省高官とも、コソボ問題などについて意見交換しました。
 コソボはセルビア正教のメッカで、歴史的な建造物が多くあります。しかし、コソボのアルバニア系多数派はイスラム教で、キリスト教徒もいるもののセルビア正教は少数派。セルビア人だけでなく人類の遺産としての価値ある歴史的建造物ですが、報復破壊の憂慮がもたれています。これらの宗教的建造物に関してはユネスコの松浦理事長が世界遺産登録リストに加えるべく奔走しているものもあることも承知していたので、その保護に関してもコソボ暫定自治政府に伝える旨、伝えました。
 外務省高官とは、モンテネグロ独立に関する意見交換もしました。
 実は、6月にモンテネグロで独立に関する住民投票が行われます。55%以上の賛成があれば、独立することになります。
 その場合、旧ユーゴスラビアを構成していた各国は、1991年のスロベニア独立を皮切りに内戦を繰り返したわけですが、最終的に、スロベニア、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビアの6カ国に分かれることになるわけです。
 「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国」といわれた旧ユーゴスラビアだけに、様々な問題が山積しています。たとえば、セルビア人国家の中でアルバニア人は少数民族で迫害されているということで米国中心のNATO軍が空爆したわけですが、コソボに暫定政権を樹立し、国連がUNMIKを駐留させている現在、コソボ地区においては多数派アルバニア人が少数派セルビア人に報復迫害するなどセルビア人居住地区での暮らしに不自由をきたしている部分もあるといいます。
 まだまだ楽観視できる状況ではありませんが、日本が行っている様々な援助や国際活動が、悲しい内戦を終え、平和な新しい国々としてスタートを切った西バルカン半島の未来に光が差す一助になればと願っています。

 翌5日は、コソボに向かいます。

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ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張報告 1

2006年05月08日

 昨日、ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ公務出張より帰国いたしました。

 皆様、ゴールデンウィークはいかが過ごされましたか?
 暑い日と冷たい雨の日が入れ替わるなど天候が不安定だった地域も多かったと聞きました。
 体調を崩されてはいませんか?

 今日から数日に分けて、公務出張の報告を掲載したいと思います。

■5月2日■
 今回の出張最初の目的地はギリシャです。
 5月2日朝、議員宿舎を出発し、成田へ。午前11時過ぎの便でヨーロッパへ向かいます。
 フランクフルトで乗り換え、ギリシャのテッサロニキに到着したのはすでに夜、現地時間で21時過ぎ。
 すぐに大使等と打ち合わせを行い、ホテルの部屋に入ったときには22時を廻っていました。

■5月3日■
 翌5月3日に開催された南東欧協力閣僚会議に招待出席し、スピーチを行いました。
 今年3月に東京で開催された、西バルカン人間の安全保障セミナー国際会議の議長を務めた折、ギリシャ代表団が本国からの招待状をわざわざ持参してくださった会議で、バルカン地域における域内協力の枠組みである南東欧協力プロセス(SEECP)に関わる重要な外相会合です。

 スピーチでは、まず、まだ不安定な西バルカン諸国がEUとの協力を強化し、平和で安定的に発展していくために、平和を標榜する日本政府はこれまでに引き続き、政治・経済・文化の面で建設的な役割を果たしていくこと、具体的には医療・教育などの草の根レベルの支援、研修生の受け入れ、技術協力など「人間の安全保障基金」による支援を継続する方針であることについて伝えました。
 それから、1999年のNATOによる空爆後、コソボで起っている報復迫害などの不安定要素を除去するために、このあとベオグラードとコソボを訪れることを述べました。
 最後に、ギリシャが生んだ歴史に残る哲学者アリストテレスの生地が当地テッサロニキであることに敬意を表して、「It is more difficult to organize peace than to win a war . But the fruit of victory will soon be lost if peace is not well organized」という一節をもって締めくくりました。

 アジアからの唯一の高官レベルの政治家出席でもあり、また、スピーチを予想以上に高く評価して頂けて、温かい反響をたくさん受けました。
 その流れで、当日、ギリシャ外務大臣、セルビア・モンテネグロ外務大臣、アルバニア外務大臣、マケドニア外務大臣、UNMIK(国連コソボミッション)代表などと次々に二国間会議を行い、更に、ギリシャ首相とも会談しました。会談は新聞やテレビでも報道され、閣僚会議での意見表明そのものが日本の人的貢献として高く評価されたとのこと、日本の顔が見えたかなと嬉しく思いました。

 翌4日は朝の6時半にテッサロニキを発ち、ミュンヘン経由でセルビア・モンテネグロの首都ベオグラードへと向かいます。

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コソボ和平閣僚会議

2006年05月02日

 今日はこれから、ギリシャ、セルビア・モンテネグロおよびコソボ(国連暫定統治下)へと公務出張して参ります。
 外務大臣政務官として、バルカン地域における域内協力の枠組みである南東欧協力プロセス(SEECP)外相会合に出席することがメインですが、さらに、ギリシャ、セルビア・モンテネグロ、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、アルバニアの各国外相と二国間関係および地域情勢等について会談を行う予定です。
 セルビア・モンテネグロでは、現地の国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)関係者および暫定自治政府諸機構(PISG)要人との会談を行う予定です。

 今回も非常に過密なスケジュールですが、温かい思考で国際平和に貢献する日本の存在をアピールするとともに、南東ヨーロッパ各国とより緊密な関係を築ける一助となるようがんばります。

 さて、ゴールデンウィークですね。
 お休みをとられる皆様はしっかりリフレッシュして普段の疲れを取り楽しい時間をお過ごしください。
 お仕事をされる方は、寒暖の差の激しい時季ですので十分お体をお大事になさってください。
 それでは、良いゴールデンウィークを。

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拉致被害者家族同行より帰国しました

2006年05月01日

 4月25日より北朝鮮拉致被害者横田早紀江さんらの米国下院議員公聴会出席などのための訪米に、外務大臣政務官として同行し、昨日帰国しました。

 公聴会では、「亡命工作員の証言によると、娘は工作船の暗い船底に閉じこめられ「お母さん助けて、お母さん助けて(Mother help me ! Mother save me !)」と壁をかきむしって絶叫し続けながら暗い海を運ばれたと言います」という横田さんの証言に、議員たちが涙を流す場面が見られるなど大きな反響がありました。通訳は米国人のスーザンさんで、ご本人も母親であるだけに、母親の気持ちをしっかり伝えてくれました。

 また、実現したブッシュ大統領との会談では、大統領の「人間の尊厳と自由についてはなせないほど忙しくはない」との言葉や、横田さんへの温かい気遣いなど、拉致問題への大統領の関心の深さと人権問題に対するアメリカの意欲を感じました。

 「世界各国から拉致されたすべての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてあげたい、ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません」と話してくださった早紀江さんに、母として、苦しみと辛抱の歳月からにじみ出た人間、人権に対する広く温かい思いやりの表れを感じました。

 解決は簡単ではありませんが、北朝鮮が真実を認め国際世論を直視し解決に向け胸襟を開いて対応するならば、日本は対話に応じる用意がありますし、私が拉致問題解決の役に立てるならば、全力を尽くしてことにあたりたい、と決意を新たにしております。

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