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コラム 
日本音楽NA_テーマ2
太平洋戦争中の歌謡曲
2006/09/28

 1941(昭和16)年12月8日、日本は、マレー半島上陸し、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃することによって、太平洋戦争に突入した。1942(昭和17)年1月マニラ占領、2月、シンガポールを陥落させ、破竹の勢いで南太平洋の広大な地域を占領した。だが、1941(昭和17)年6月、ミッドウェー海戦の敗北を転機にして戦局は、しだいに不利となり、アメリカ軍の本格的攻勢を受けることになった。

 軍国歌謡が盛んに作られる中、抒情的な歌謡も生まれた。霧島昇と二葉あき子の歌唱による《高原の月》は前奏のホルンが雄大な山系の稜線を思わせ抒情歌として好評だった。タンゴのリズムにのせ、人気絶頂の灰田勝彦が歌う《新雪》は、処女雪をかぶった山々の峰が目の前に浮かぶような格調あるメロディーだった。

 青春の感傷と抒情的な美しさが好まれた《鈴懸の径》は、ペンを銃に代えて学窓を去り戦場に向う若者のに愛唱された。《鈴懸の径》は戦後、クラリネットの名手・ピーナッツ・ハッコーがアメリカに持ち帰り、《プラタナスロード》というタイトルでレコードに吹込み、全米でヒットさせている。また、灰田勝彦は、南国ムード溢れる《ジャワのマンゴ売り》をヒットさせた。

 泉鏡花の『婦系図』を題材にした文芸歌謡の傑作《婦系図》は、藤原亮子と小畑実愛唱された。《婦系図》は戦後《湯島の白梅》という題名になった。また、この歌を歌った小畑実はすでにポリドールから《成吉思汗》でデビューしていたが、この歌で世に知られるようになった。

 1943(昭和18)年には、大学・高等専門学校に在学中の徴兵適齢期文科系学生を軍に招集、学徒出陣が始まった。また、学校にのこる学生・生徒を勤労動員し、未婚の女子を女子挺身隊に編成して軍需工場などに動員した。また、朝鮮人の強制連行も増加し、さらに占領下の中国人を日本に連行し鉱山などで働かせた。

 この年は、英米楽曲約1000種が禁止になった。戦中歌謡の最後の大ヒットが生まれた。長谷川一夫主演の映画『伊那の勘太郎』の主題歌《勘太郎月夜唄》である。小畑実と藤原亮子が歌った。

 軍国歌謡では、《若鷲の歌》が大ヒットした。作曲者の古関裕而は、土浦の海軍航空隊へ赴く車中で別のメロディーが浮かびそれを譜面に書き止めた。二つの曲を隊員に聴かせところ、ふと浮かんだマイナーのメロディーの支持が多く、この歌が出来上がったのである。歌は霧島昇と波平暁男。B面の《決戦の大空へ》は藤山一郎が歌った。

 一方、歌謡曲は、藤山一郎と奈良光枝が歌った《青い牧場》、三原純子・《南から南から》、明るい曲調を高峰三枝子が歌った《南の花嫁さん》、『湖畔の別れ』(映画)の主題歌で菊池章子が歌った《湖畔の乙女》、轟夕起子が五月のそよ風のように歌った《お使いは自転車に乗って》のような明るい歌も流行した。

 《青い牧場》は、最初、杉狂児と朝雲照代が歌ったが、ふざけすぎるという理由で検閲課から、お叱りを受けた。そこで、クラシックの気品と品格のある正格歌手・藤山一郎が歌うことになった。そのため、サトウハチローの童謡猥歌がうまく隠れたのである。藤山は、1943(昭和18)年11月、激戦地を厭わず、二度目の南方の慰問の旅へ向かった。終戦後捕虜生活を強いられた。

 1944(昭和19)年から、アメリカ軍機による本土爆撃が激化し、敗戦の色が濃厚になった。インパール作戦の失敗、サイパン島の陥落、レイテ沖海戦の敗北と日本の運命は、もう見え始めていた。老人、婦女子の地方疎開や国民学校高学年生の集団疎開が行われるなど、国民生活は戦争によって崩壊し始めた。それを象徴するかのように《勝利の日まで》(サトウハチロー・作詞/古賀政男・作曲)は、悲壮感と哀愁が漂っていた。
 また、古賀政男作曲の《月夜船》は、明るい曲調で戦時色がなかったが、近江俊郎の歌で戦後、ヒットすることなった。

 太平洋戦争中、国民の戦意昂揚のために軍国歌謡がさかに作られたが、実際に銃後の人々、戦地の兵の心を捉えたのは流行歌だったのである。

(菊池清麿)







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