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50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

50代早期退職者のTOEIC挑戦4回目

 本日は、早期退職してから4回目のTOEICを受験してきた。

 

 私は学生時代から英語に苦手意識を持ち、最も嫌いな科目だった。しかも大学には内部進学しており、受験勉強もしていない。早期退職してせっかく時間もできたので、この苦手意識を克服したいと思ったのが受験の動機である。

 

 私に英語力がないことは、これまで3回受験しながら、未だTOEICのスコアが500点にも到達していないことからも明らかである。

 

 これまでのように何となく勉強しているだけではダメだと考えて、昨年の年末からは、関先生のポラリス英文法や英文法必修英文100といった大学受験の参考書も購入して基本的な英文法を勉強し、同先生のTOEIC文法問題神速100問を何度も解いた。また、単語の方も同じく関先生のスパルタ2、TOEIC神単語をやった。長文対策でも関先生のTOEIC読解神速108問を解いた。リスニング対策は、受験の1ヶ月前にスタディサプリに申し込んで、リスニング問題の対策もした。今回は、自分にできる限りの対策をして試験に臨んだ。

 

 TOEICは最初の45分がリスニング試験で、四つのパートに分かれている。パート1は写真を見てナレーションの問いに答える形式でこれはいつも通りで特に難しいとは思わなかった。パート2はナレータが述べる質問に対する回答を音声だけで選択する問題で、今回はこれが難しく感じられた。ナレーターの言葉が聞き取れない上、回答を聞いても意味がよく理解できなかった。基本的な会話形式につい対策はしていないので、ある程度はやむを得ないのかもしれない。パート3、4は、ナレーターの言葉、あるいはナレーター同士の会話を聞いて、問題文に書かれた質問に応える形式だが、ある程度問題文の質問を先読みしておくのがコツと言われている。今回は今まで一番上手くいったような気がした。英語に触れる時間が増えたことで、短い文を短時間で読んで理解する力はついてきているのかもしれない。

 

 残り75分はリーディング問題で、まずパート5は穴埋め形式の文法問題30問。ここでどれだけ時間が稼げるかが全体のスコアにも影響する。今回は可もなく不可も無い出来のように感じた。自分なりに結構早く解いている気がしていたのだが、それでもパート5終了時、残り70問で残り時間は1時間を切っていた。

 

 パート6は長文形式で穴埋めというパート5と7の中間的な問題が16問。この辺りから目がかすんで問題文がよく見えなくなってきた。疲れも出て、最も辛い時間帯だったが、これまでの努力を無駄にしたくないという思いがあり、気持ちを奮い立たせて、問題を解き続けた。パート6終了時、残り54問で残り時間は50分を切っていた。

 

 パート7は長文問題。疲れている時に長文を読むのは本当に辛い。本文を読んで問題にあたってもすぐに回答が得られない問題が多く、もう一度問題を読むという作業を強いられ、時間をロスしていく。最終的には残り5分を切った時点でも、残り10数問が残っている状態になった。時間をギリギリまで使って、数問を解き、残りは全てCにマークして試験終了になった。

 

 2時間集中して最後まで戦えたのはよかった。また勉強の成果を感じることのできる場面もあった。しかし、全体としては力不足は歴然としており、今回も多くの問題を解くことができなかった。今回500点を超えているかは正直よくわからない。

 

 今回はいつもと違い、大教室で受験したので、周りの受験生を観察することができたが、ほとんどが大学生のように見え、私のような老年に近い中年はほとんど見かけない。ある程度スピードが要求される試験であり、60代が近づき、途中で目がかすんで見えにくくなるような私にはかなりきつい。だが、このまま辞めたくないという気持ちもある。

 

 とりあえず、今日は疲れた。

 

アリストテレスは囲碁を知っていた?

 アリストテレス囲碁を知っていた?

 

 そんな疑問を持ったのは、早期退職後に通っている大学の講義資料であるアリストテレスの「政治学」第1巻第2章の中に、次のような記載があったからだ。

 

「人間は自然に国的動物である。そうでない者は、ちょうど碁の孤立した石のように孤独なものだからである。」

 

 これは、山本光雄訳の「政治学岩波文庫35頁に出てくるのだが、碁は中国で生まれたボードゲームと言われており、いくら博学なアリストテレスでも碁を知っていたはずはないだろうとまず思った。

 ちなみに囲碁の起源は不詳だが、少なくとも中国の春秋時代(770BC〜403BC頃)には成立していたと言われている。アリストテレスは(BC384〜322)の人だがら、一応囲碁はすでにゲームとして存在していたと思われる。しかし、当時の古代ギリシャ人がその存在を知ることは不可能だろう。

 

 念の為、他の翻訳にもあたってみることにした。

 アリストテレス政治学」上 光文社古典翻訳文庫の三浦洋訳の32頁には、同部分について「それはあたかも、将棋の駒が他の駒との連携を失い、孤立して戦うほかなくなった時のようである。」と訳され、注21には、「どのような将棋なのかが不明なため、大意を推測して訳した」と説明されている。

 

 またアリストテレス全集15巻(岩波書店 神崎繁、中畑正志訳)28頁には同部分について「ちょうど将棋における孤立無援のコマのように、捨て身の動きをするからである」と訳され、注18には、このままでは読みにくいので「将棋」(ペットス)ではなく、「鳥もしくは羽のある動物(ペティノス)と読み替える案もあるが、底本に従ったと説明されている。

 

 ちなみに、上記のアリストテレス全集の中畑教授の説明によれば、アリストテレスの多くの著作は、紀元3世紀以降になって新プラトン主義者の教育プログラムに取り込まれて、教育と研究のために膨大な註解がつけられ、また6世紀以後、シリア語やアラビア語にも訳されたが、この「政治学」は例外で、新プラトン主義者による註解もイスラムの哲学者による考察も残されていない。1255年のパリ大学学芸部のカリキュラムにはアリストテレスの主要著作のほとんどが言及されているが、「政治学」は含まれていない。「政治学」は1255年から1261年にかけて始めてラテン語に翻訳されているとのこと。

 私見では、現在は残されていないギリシャ語で書かれた写本が、上記の経緯でラテン語に訳されて引き継がれているものと思われる。

 

 そうすると、ギリシャ時代にも何らかのボードゲームが存在し、それを日本の将棋、囲碁として訳されたもので、アリストテレス囲碁を知っていたとは言えないようだ。それでは、ギリシャ時代のボードゲームとはどのようなゲームだったのだろうか?

 

 ここからはネットでの検索によるが、古代ギリシャボードゲームに関するホームページを見ると、ペッテイア(petteia)と呼ばれる戦略を駆使して相手の駒を捕まえるチェスに似た要素を持つボードゲームがあったようである。

 また別のホームページには、プラトンの著作である「パイドロス」にも「この神様は、初めて算術と計算、幾何学天文学、さらに将棋と双六などを発明した神であるが、特に注目すべきは文学の発明である」との記載があるようだ(プラトン全集5岩波書店 鈴木照雄他訳 254頁)。将棋と訳されているのは、ペティアというギリシャ語であり、相手の駒を挟むか隅に追い詰める戦争ゲームとのこと。ただし駒の使い方や遊び方からすすると、日本の将棋のルーツではないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニーチェのレポート作成

 この数週間は、早期退職後に聴講生として通っているA大学の授業のレポートを作成していた。

 

 西洋哲学史の講義で、ニーチェが取り上げられたのだが、レポートのテーマは授業の中で何らかの仕方で関連させる形であれば自由というもの。いざ書くとなるとテーマがなかなか見つからずに苦労した。

 

 ニーチェに関する参考文献を集めてきて拾い読みしながら、書くテーマを探すのに一番時間がかかった。読んだ文献を上げると、❶「これがニーチェだ」永井均著 講談社現代新書 ❷「ニーチェ哲学的生を生きる」森一郎著 青土社 ❸「ニーチェ入門」竹田青嗣著 ちくま新書 ❹「教養として学んでおきたいニーチェ」岡本裕一朗著 マイナビ新書❺「反哲学入門」木田元著 新潮文庫 ❻「ツアラトゥストア 100分で名著」西研著 NHK出版 ❼「アーレント🟰マッカーシー往復書簡」キャロル・ブライトマン法政大学出版局 ❽「プラトン全集11」田中美知太郎訳 岩波書店 ❾「道徳の系譜学」ニーチェ著 中山元訳 光文社文庫 ➓「善悪の彼岸ニーチェ著 中山元訳 光文社文庫など多岐に渡ることになった。

 

 最終的にはテーマを「それがなぜか」と問うことは哲学的に見て本当に望ましいのか」にした。このようにニーチェそのものを直接のテーマにしなかったこともあり、読むべき対象が古代のプラトンや現代のアーレントまで広がった。

 

 内容の概略は、少し前になるがテレビ番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが問題になったことがあったが、そのような問いを問うことが相当かを論じた。哲学では、一般的にそれはなぜかと問いを立てることの重要性が語られるが、その哲学的な常識を疑い検討した。

「神は死んだ」やニヒリズムという言葉がニーチェでは有名だが、仮にニーチェ的な考えに立って問いの答えがないとすると、問うことは果たして意義があるのか。また、問いを続けることの弊害をプラトンが「国家」で論じており、上記のテレビでの問いについてもこれを批判する哲学者の見解もあるが、その点をどう考えるのかなどを考察した。

 

 2月に入ってからの多くの時間をこれに費やし、構想を練ったのが約3週間で、書き出してからは1週間もかからずに本日原稿が完成した。指定は3000字以上だったが、8000字を超える大部なものになった。誤字脱字をチェックして明日提出するつもりである。

 

 

 

大学の後期試験の成績発表

本日、聴講生として通っているb大学の後期試験結果の発表があった。

 

私が受講していた科目は、哲学の専門科目である西洋哲学のドイツ観念論に関する授業だった。前のブログでも書いた通り、1月23日に試験を受け、穴埋め問題は全問解けた。しかし、カント哲学からフィヒテ以降のドイツ観念論という哲学思想が展開された流れ、背景事情を論じる論述問題の方がうまく書けなかった部分があった。私には単位認定は関係ないのだが、どのような評価を受けるのか気になっていた。

 

結果は100点満点中の98点という高評価だった。専門科目とはいえ、学部生の論述としては十分な内容だったようだ。

 

2月に受講した現象学の志向性概念に関する集中講義の後は、大学の授業がなくなり、時間に余裕ができた。それでも月2回受講しているハンナ・アーレントの「人間の条件」という本の読解講座の担当部分のレジュメ作成、a大学の哲学史に関する授業(ニーチェ)のレポート作成、中世哲学に関するオンライン授業(月1回受講)の予習などで時間が過ぎていく。とりわけニーチェに関するレポートは、参考文献を色々と読んだりしているのだが、テーマを何するのかさえ定まっていない。3000字のレポートで書けることには限界がある中、何をどの程度論じたら良いのかまだイメージが掴めずにいる。

担当教授から突きつけらた次の言葉が重くのしかかっている。

誰もが、次のようなものの言い方をする。「キケロがこう語った。これがプラトンの教えである。これがアリストテレスの言葉である」と。けれども、我々自身はいったい何を語るのか。どのように判断するのか。どうやって行動するのか。あんなふうにならオウムだって立派に口にできるだろう。(モンテーニュ「エセー」)

 

 

 

4日間の集中講義を経験して

 今週は、月曜日から木曜日まで某大学で行われた哲学の集中講義を聴講してきた。

 

 これは、通常半年かける内容の授業を、4日間で集中的に行うもので、1時間半1コマの授業を1日4コマ行う形式。某大学には所属していない外部の専門家を招いて行われた。

 

 フッサール現象学の中で志向性という概念があるが、そこに焦点をあて、深く掘り下げた内容の講義だった。参加者は大学院生を含めて9名の少人数であり、適宜質疑応答を交えながらゼミ形式で行われた。

 

 未だ現象学や論理学の知識が不十分な私には理解できない高度な内容もあったが、基本的な所は押さえることができた。そして何よりも、哲学の専門家の研究がどのようなものであり、どんな議論が行われているのかを肌で感じることができて、楽しかった。体力的に厳しいかと思っていたが、一日6時間の講義も集中力は途切れることなく最後まで講義について行けた。

 

 会社を早期退職してもうすぐ2年になる。2年前には日々仕事に追われ、一つの学問を深く勉強することなど考えもしていなかった。当時は想像もしていなかった経験をさせてもらい、充実した4日間だった。

早期退職するということ

 私は、50代半ばを過ぎて会社を早期退職した。

 

 このブログは退職の数ヶ月前から書き始め、退職後も2年が経過しようとしているが、細々と書き続けている。早期退職した時の気持ち、考えを忘れないようにして生きていきたいと思うので、時々振り返るようにしている。

 

 確実に私の人生の半分は過ぎた。

 

 あと数十年すれば、自分は存在していない。それでも、何もなかったようにこの世界は続いていく。更に時が過ぎれば、自分が存在したことさえ忘れられるだろう。

 

 これまで世の中の価値観に合わせて、自分を犠牲にして、一生懸命生きてきたが、もうこれからは自分のために生きてもいいのではないか。

 

 残された人生、自分の気持ちに正直に生きていきたいと考えて、早期退職した。

 

 早期退職したからといって、人生の悩みがなくなるわけではないが、自分なりに新たな人生を切り開いて生きているという実感は感じている。

 

 それは自由を手に入れたからだろう。

 

 もちろん、自由には痛みも伴う。どのように日々を過ごしていくかを自分で考え、自分で判断しなければらない。つい人と比較したくなり、自分だけ変わったことをやっていて大丈夫かという不安が湧き上がってくる。

 

 しかし、少なくとも早期退職の判断を後悔したり、以前の生活に戻りたいと思ったりしたことは一度もない。

 

 他人の目が以前よりも気にならなくなってきた。今の生き方に少し自信ができてきたのかも知れない。

 

 これからも日々試行錯誤しながら、人生を主体的に生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A大学の近代西洋哲学の後期試験を受験した

 私は、約2年前に早期退職した後に大学の聴講生になり、哲学の授業を受講している。

 

 今日はそのうちA大学の哲学の専門科目の後期試験を受けてきた。

 

 単位認定を受ける必要があるわけではないので、試験を受けるかどうかは任意。しかし、どのような試験問題が出題されるのか興味があるし、自分の勉強のまとめにもなるので、聴講した授業の試験は受験するようにし、レポートも提出するようにしている。今回の試験は、西洋哲学のドイツ観念論に関する授業の試験だった。

 

 今回は、まず試験が行われた教室の座席の配置が予期していない形だったので動揺させられた。たまたま受験生の数の関係で私だけが1人離れた列の最前列に座らされることになった。1人だけぽつんど離れた席だったので、50代のおじさんがより目立つ結果になってしまった。

 

 試験時間は1時間で、ギリギリまで時間をかけて解答した。哲学概念などのキーワードを記入する穴あけ問題については全問正解できたと思っているが、肝心の論述問題がうまく書けなかった。論述問題では、指定された五つの哲学概念から二つを選択し、 ①それぞれどのような概念の対立があり、②どのようにその対立を克服したのか、③その背景にある文化、科学などの事情について論じさせるものだった。

 

 まず、カントの認識論を取り上げて、これに関する上記の①ないし③を論述する部分はある程度書けたと思う。しかし、カントの哲学には現象界と物自体の世界や理性概念の分裂があり、これを統一するためにフィヒテ以降の哲学者がドイツ観念論と呼ばれる哲学を展開することになるのだが、その哲学の内容や背景事情をうまくまとめることができなかった。

 

 完全燃焼できずに少し後悔が残ったが仕方がない。帰りにA大学の図書館に立ち寄ると、試験中ということもあり閲覧室は学生で一杯だった。

 私はB大学でも哲学の授業を聴講しており、その授業で取り上げられたニーチェの哲学に関するレポートを書く必要があったので、2冊専門書を借りることにした。カウンターで手続きをすると春休み期間にかかるからということで、3月末まで借りられるとのこと。私個人としてはありがたいが、逆にこの期間に本を借りて勉強する学生は少ないということなのか?この辺りは大学によってだいぶ差があると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

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