本日は、早期退職してから4回目のTOEICを受験してきた。
私は学生時代から英語に苦手意識を持ち、最も嫌いな科目だった。しかも大学には内部進学しており、受験勉強もしていない。早期退職してせっかく時間もできたので、この苦手意識を克服したいと思ったのが受験の動機である。
私に英語力がないことは、これまで3回受験しながら、未だTOEICのスコアが500点にも到達していないことからも明らかである。
これまでのように何となく勉強しているだけではダメだと考えて、昨年の年末からは、関先生のポラリス英文法や英文法必修英文100といった大学受験の参考書も購入して基本的な英文法を勉強し、同先生のTOEIC文法問題神速100問を何度も解いた。また、単語の方も同じく関先生のスパルタ2、TOEIC神単語をやった。長文対策でも関先生のTOEIC読解神速108問を解いた。リスニング対策は、受験の1ヶ月前にスタディサプリに申し込んで、リスニング問題の対策もした。今回は、自分にできる限りの対策をして試験に臨んだ。
TOEICは最初の45分がリスニング試験で、四つのパートに分かれている。パート1は写真を見てナレーションの問いに答える形式でこれはいつも通りで特に難しいとは思わなかった。パート2はナレータが述べる質問に対する回答を音声だけで選択する問題で、今回はこれが難しく感じられた。ナレーターの言葉が聞き取れない上、回答を聞いても意味がよく理解できなかった。基本的な会話形式につい対策はしていないので、ある程度はやむを得ないのかもしれない。パート3、4は、ナレーターの言葉、あるいはナレーター同士の会話を聞いて、問題文に書かれた質問に応える形式だが、ある程度問題文の質問を先読みしておくのがコツと言われている。今回は今まで一番上手くいったような気がした。英語に触れる時間が増えたことで、短い文を短時間で読んで理解する力はついてきているのかもしれない。
残り75分はリーディング問題で、まずパート5は穴埋め形式の文法問題30問。ここでどれだけ時間が稼げるかが全体のスコアにも影響する。今回は可もなく不可も無い出来のように感じた。自分なりに結構早く解いている気がしていたのだが、それでもパート5終了時、残り70問で残り時間は1時間を切っていた。
パート6は長文形式で穴埋めというパート5と7の中間的な問題が16問。この辺りから目がかすんで問題文がよく見えなくなってきた。疲れも出て、最も辛い時間帯だったが、これまでの努力を無駄にしたくないという思いがあり、気持ちを奮い立たせて、問題を解き続けた。パート6終了時、残り54問で残り時間は50分を切っていた。
パート7は長文問題。疲れている時に長文を読むのは本当に辛い。本文を読んで問題にあたってもすぐに回答が得られない問題が多く、もう一度問題を読むという作業を強いられ、時間をロスしていく。最終的には残り5分を切った時点でも、残り10数問が残っている状態になった。時間をギリギリまで使って、数問を解き、残りは全てCにマークして試験終了になった。
2時間集中して最後まで戦えたのはよかった。また勉強の成果を感じることのできる場面もあった。しかし、全体としては力不足は歴然としており、今回も多くの問題を解くことができなかった。今回500点を超えているかは正直よくわからない。
今回はいつもと違い、大教室で受験したので、周りの受験生を観察することができたが、ほとんどが大学生のように見え、私のような老年に近い中年はほとんど見かけない。ある程度スピードが要求される試験であり、60代が近づき、途中で目がかすんで見えにくくなるような私にはかなりきつい。だが、このまま辞めたくないという気持ちもある。
とりあえず、今日は疲れた。
今週は、月曜日から木曜日まで某大学で行われた哲学の集中講義を聴講してきた。
これは、通常半年かける内容の授業を、4日間で集中的に行うもので、1時間半1コマの授業を1日4コマ行う形式。某大学には所属していない外部の専門家を招いて行われた。
フッサールの現象学の中で志向性という概念があるが、そこに焦点をあて、深く掘り下げた内容の講義だった。参加者は大学院生を含めて9名の少人数であり、適宜質疑応答を交えながらゼミ形式で行われた。
未だ現象学や論理学の知識が不十分な私には理解できない高度な内容もあったが、基本的な所は押さえることができた。そして何よりも、哲学の専門家の研究がどのようなものであり、どんな議論が行われているのかを肌で感じることができて、楽しかった。体力的に厳しいかと思っていたが、一日6時間の講義も集中力は途切れることなく最後まで講義について行けた。
会社を早期退職してもうすぐ2年になる。2年前には日々仕事に追われ、一つの学問を深く勉強することなど考えもしていなかった。当時は想像もしていなかった経験をさせてもらい、充実した4日間だった。
私は、50代半ばを過ぎて会社を早期退職した。
このブログは退職の数ヶ月前から書き始め、退職後も2年が経過しようとしているが、細々と書き続けている。早期退職した時の気持ち、考えを忘れないようにして生きていきたいと思うので、時々振り返るようにしている。
確実に私の人生の半分は過ぎた。
あと数十年すれば、自分は存在していない。それでも、何もなかったようにこの世界は続いていく。更に時が過ぎれば、自分が存在したことさえ忘れられるだろう。
これまで世の中の価値観に合わせて、自分を犠牲にして、一生懸命生きてきたが、もうこれからは自分のために生きてもいいのではないか。
残された人生、自分の気持ちに正直に生きていきたいと考えて、早期退職した。
早期退職したからといって、人生の悩みがなくなるわけではないが、自分なりに新たな人生を切り開いて生きているという実感は感じている。
それは自由を手に入れたからだろう。
もちろん、自由には痛みも伴う。どのように日々を過ごしていくかを自分で考え、自分で判断しなければらない。つい人と比較したくなり、自分だけ変わったことをやっていて大丈夫かという不安が湧き上がってくる。
しかし、少なくとも早期退職の判断を後悔したり、以前の生活に戻りたいと思ったりしたことは一度もない。
他人の目が以前よりも気にならなくなってきた。今の生き方に少し自信ができてきたのかも知れない。
これからも日々試行錯誤しながら、人生を主体的に生きていきたい。
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