3・21
「二十日鼠と人間」 スタインベック 大門一男・訳 一九三七年
農場労働者の大男レニーとジョージの物語り。大男レニーはいつも問題を起こして、二人の夢の農場を持つことを諦めさせる。カーリーの農場でキャンディ老人とその農場の話がうまくいっていた矢先にレニーはまたカーリーの妻をふとしたはずみで殺してしまう。ジョージはレニーを撃ち殺すことになる。残酷な話しである。
大衆に課された恐るべき宿命というべき愛しさに二人は引き裂かれてしまうのだ。友情さえも、愚かさからは救ってはくれない。アメリカ人の持つ特質も描かれている。銃と殺しが好きなのだ。
3・31
太宰の後期の作品一六編が収められている。(薄明、苦悩の年鑑、十五年間、眉山、女類、グッド・バイほか)
「晩年」よりさらに鋭利な感じになっている。それだけ、歳をとったということだろう。成熟したということだ。戦争が終わり、焼け出され、疎開する様子が描かれていたり、(薄明、たずねびと)することが多い。その戦後の混乱ぶりが良く分かる。思想的にも、底辺には死というものがありながら、さらにブルジョワ、民主主義、女などへの懐疑と共に、自己否定によって、自己を昇華させる、といったようなことを感じさせる。最後のグッド・バイで太宰はこの世とさよならした。
4・8
「泥棒日記」 ジャン・ジュネ 朝吹三吉・訳 新潮文庫 一九四九年
不快な小説だった。裏切りと男色と泥棒の話しではあるが、倒錯したでは収まらない、愚かというか、虚しく、哀れな人であるという印象だ。悪いことを一生懸命美化しようとするんだけど、泥棒は泥棒だろう。馬鹿な思想と信念である。ただの言葉ってもので着飾ったホモ野郎である。
4・16
メアリイという女性を巡り、死んだ(事故)夫、求婚する大臣(ロリコンの気味アリ)、放蕩男のロウリイ、が立ちまわる。メアリイという女性はお嬢様で、亡命者で貧乏者の青年に夢を見せたことにより、傷ついた青年は自殺してしまう。そのことでロウリイが始末をつける。エドガーは幼い時より、メアリイを知っていて、数十年彼女に恋い焦がれていたが、彼女自らフってしまい、女たらしだが信頼できて退屈しそうもないロウリイと結婚を決断するまでの女ごころを描く。女ごころの題名は屍体を捨てに行ったときに(多分にクライム小説じみたところありますな)対向車の車内から聞こえてきた歌から由来するもの。話しのわりに、爽やかで、妙に人が死ぬことにリアリティがない。このことが逆にこの小説を軽快な読み物として、また、会話の快活さから来るストーリー展開がイキイキと伝わってくる。
以上。
講談社文庫 昭和五十五年
フランスに留学していた時の、1950年6月
から1952年4月までの日記。まず、てにを
はの使い方のおかしいところが散見されるし、
文章もところどころヘンである。もっと、説明
を要するところもあるし、漢字にした方が良い
と思われるところも散見される。もっと、辞書
を開いたほうがよかったのではあるまいか?
ワープロもないのだし。▽そういう、細かい点
を云えば、この日記はとても粗削りな周作氏の
一面を見ることが出来るだろう。▽カトリック
を信仰していたようだが、その点でもおおいに
サド、ハメット、サルトルなどを読んで、研究
の材料にしていた。その姿勢はとても真面目で
好印象だ。ぼくも一生、そういう姿勢でもって
勉強に励みたい。▽周作氏は七十三歳で亡くな
った。この日記は二十七、八歳くらいに書かれ
たので、あと四十五、六年生き抜いたわけである。
若い時は、結核になって、闘病生活を余儀なく
されたようだが、こういう人は、用心して生き
るので、逆に、長生きをするようだ。RIP。
(読了日 2025年11・30(日)14:30)
(クリスチャンではないが、神様は存在すると思う
鶴岡くん)
思潮社 1987年
九月半ばから読み始めて、約二か月半かけて
読み切った。カット・アップによるだろう
文章と構成。波状攻撃のようなエピソード
の重層的で80年代的な原色的風合い。奇
妙で、スペッシャルな言葉のパンチライン
のような文章。ぼくは念仏でも唱えるような
積りで読み進めた。印象的なムカデのエピ
ソード、願望実現機と云う奇妙な小道具。
ひと癖もふた癖もありそうな名前の登場人物
たち。明確なストーリーはないらしく、そこ
には観念的な西部へ行く、と云うイメージだけ
が縋り付くよすがのように立っている。
我々はこの小説を二か月半もかけて読了した。
が、そこになにかしらの収穫はあったのだろ
うか? いや、そこには何もなかった。
荒涼とした読書と云う闇が我々を呑み込み
ポツンと、乾いた風が吹き荒ぶ大地にとり
残されただけだったのだ。
(読了日 2025年11・28(金)8:33)
(なんだったんだ、二か月半と謳いたくなる
鶴岡くん)
新潮文庫 昭和四十年
三島氏にしては文体がシンプルで読み易い
小説だった。しかし、中身は精神分析が
テーマとなっていて、難解さを含有してい
る。兄妹間で起こった不貞から不感にな
った麗子が主人公となって、物語が紡が
れていく。鋏がひとつの小道具となり、
イチモツをちょん切るイメージとして
出て来る。これはとてもフロイト的である。
兄妹の間の性的関係にひとつの美を見出
そうとしている三島氏だが、ぼくはそ
こにエロチシズムはあるのを認めるが、
不潔感しか覚えない。とても、そこに美
などは見出せず、醜い歪んだ愛しかないと
思う。そう云った意味では、三島氏は病的と
云うか、ある種の観念に囚われ過ぎる傾向に
あると云えるのではあるまいか。腹を切る
ことになったのも、ひとつの病的な蒙昧で
あると云えるのではなかろうか。
(読了日 2025年11・26(水)20:16)
(それでも、葉隠入門を信奉する鶴岡くん)
文春文庫 昭和五十三年
その続々編となるサイゴンのいちばん長い
日、を拝読して、その文章の巧さもさるこ
とながら、ユーモアのセンスにやられて、
この本を見つけた時は一も二もなく即買
いに決定した。サイゴン生まれの妻には
翻弄されながらも、笑みを絶やさず、生
きてゆくことに、文学的な必死さが伺われ
る。もうこれ以上無理と云うことは往々
にしてあるものだが、そういう要求に常に
晒されているようで、紘一氏は無理が祟り、
1986年に46歳の若さで亡くなっている。
サイゴンが陥落する様を描かせると、この
人はとても活き活きしてくるようだ。
開高氏のものも、読んだが、甲乙つけ難く
いいルポだった。
(読了日 2025年 11・25(火)0:05)
(東京陥落の日がいつか来るのを恐れる鶴岡くん)
新潮文庫 2004年
犬について描いてある本は、犬嫌いと云うか
いつも犬に吠えられるので、いつしか苦手
意識が芽生え、自然……閉じてしまうことに
なる。しかし、この雨と云う犬が出てくる
エッセイは、香織氏の好きな音楽が気に
なって、読み進めた。こういう江國さんの
好きなものが描いてある本が、ぼくはとても
好きなのだ。それに、薄い本って、古典
に限らず、ドキドキする。共感したのは、
マドンナのアメリカン・パイが好み、って
ところ。マドンナの曲はぼくはどれも好き
だが、特にMUSICと云うアルバムに入って
いるそれは、すごくいいのだ。ぼくは、
ベストヒットUSAの八十年代からのウォッ
チャーなので、アメリカの音楽は割と聴い
ている方だと思う。ベックとかも、いいんだよ、
ルーザー(負け犬)って曲、って云って、
江國さんに聴かせたい気がする。ちょっと、
犬の雨は遠慮したいけど、江國さんとなら、
友達になれそうな気がする。
(読了日 2025年11・11(火)16:40)
(プリンス大好きな鶴くん)
新潮文庫 平成十三年
いつも思うんだが、師とさえ思ってさえいる
開高氏にしたところで、池波氏にしても、タ
バコの喫煙者で、よく美食家とか云っていら
れるなあ、ということだ。タバコなんて、吸
っていて、食べ物の本当の味なんか判るわけ
がない。それに、池波氏は痛風でもあって、
ものを食べるってことが、全然判っていない
んじゃないか、と思われる。十年通い書生を
していた佐藤氏が師匠に丸投げで出来た本だ。
でも、この前読んだ本よりは構成などが凝って
いて、面白かった。でも、開高氏にしろ、池波
氏にしろ、良い文章を書くってことは間違
いない。和食は天ぷら銀座の典座(てんぞ)
のプロフェッショナル。洋食はたいめいけん
の茂出木氏に一任されている。
(読了日 2025年11・10(月)20:20)
(かつては喫煙者だった鶴くん)
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