
日本初の国際結婚された女性(ヨーロッパ貴族に嫁いだ)クーデンホーフ光子さんのウィキペディア読んだけど壮絶。私には絶対耐えきれぬ。ていうかいくら言い寄られても謹んでお断り申し上げます。昔は帰りたくても一旦渡航したら帰れなかっただろうし、今よりももっともっと大変だっただろうなー。pic.x.com/SVjbAhDVhl
2025-03-14 18:28:33
あまりに酷い扱いだが、時代の違いや夫なりの愛情だったのかな

@pullaposkikisu ゲランの香水「ミツコ」のモデルとなった日本人女性ですね。しかしこの伯爵、日本人の乳母を帰国させるとかモラハラ?って思うぐらいの厳しさですね😓同じ立場になったらきっと根を上げるでしょうに…
2025-03-14 19:38:20
@FogetfulSquirr1時代もあったんでしょうけど、今の私がその立場に立たされたならタヒにたくなってしまいますわ。
2025-03-14 20:07:43
@pullaposkikisu ひえ!チラ見させていただきましたが壮絶…。大変なんてもんじゃ無いですよね😨旦那様はきっと偉大な愛を持っていらっしゃったのでしょうが…奥さまは辛いよ😭
2025-03-14 18:35:46
@Tttklove家で日本語禁止とか話し相手だった人を帰らせるとかそれなんて嫌がらせ?って思ってしまった私でした。愛情だったのかもしれないけれど、愛情として受け取れないですわ、奥様😢
2025-03-14 19:07:06
@Tttklove旦那様はきっとヨーロッパの貴族社会にもなじんでほしかったんでしょうね。今と違って妻の立場は低そうだから意見できなかっただろうし、ましてや日本からヨーロッパに嫁いだらそれこそ色眼鏡で見られまくりだっただろうし。つらかっただろうなー😢
2025-03-14 19:40:06
@pullaposkikisu結婚の反対は当時の旧家にとっては当然の流れの様ですし、時代背景しかも貴族の使用人や乳母が介在する家族関係と今日のそれとは大分と違うでしょうから、どうなんでしょうね…アジア人の母親が恥ずかしいとかで無ければ良いのですが…今ですらそういうお子さんはいますよね。周囲の価値観によっては…pic.x.com/SdEcCnoLY4
2025-03-15 05:49:33


@MimiRa65820150 お母さん日本語を外で話さないで!って子供が言うという話もちらほら聞いたことが以前ありました。当時は東洋人も今よりも得体のしれない人種だと思われていたでしょうし、風当たり強かったでしょうね。女優も今みたいな立ち位置でもなかっただろうし、年上女性も今みたいに認められなかっただろうし
2025-03-15 06:22:11最期の様子を読んで辛い…

@pullaposkikisu じっくり読んでしまいました>1941年8月27日、光子はオルガに見守られながら息を引き取った。ついに日本に帰ることはなかった。葬儀の世話は、まだ生存していたオルガの兄弟は何もせず、住んでいたアパートの住人が手分けして行うありさまであったという。子供7人もいたのに…ここが辛かったです…
2025-03-15 02:36:43
@MimiRa65820150 そこですよね。子どもが7人もいて1人を除いて誰も葬式を出してくれないだなんて。。。切なすぎます。(毒親だったんでしょうか)
2025-03-15 04:56:13
@pullaposkikisu どうやって知り合ったの?!と思ってwiki見てきた…教養深いヨーロッパ人に育てても、変な女と駆け落ちするわ、親の葬式もしないわ、親の世話で婚期逃した次女さまがただただお気の毒…
2025-03-14 18:47:45
@MadHatterTC444 一生懸命育ててきたのにこれではねぇ。私が光子さんなら、私の人生なんだったんだろう。。。と思うわ。次女さま、逃げられなかったのかも、って思った私は性悪なのでしょう。
2025-03-14 19:05:04
光子についての記事は、いつのまにか下記の記載が抹消されて、前後のつながりがおかしくなった(今の記載では、なぜ、何について3女オルガが「唯一の理解者」なのかが分からない)誰か編集できる人、戻しておいてくださいpic.x.com/kUoqK1Oh99x.com/pullaposkikisu…
2025-03-14 21:30:31

@pullaposkikisu光子さん夫に庇護されていたけど旦那さんが急死して家と子供を守るために鬼となったんだよね子供が母親の急変振りに驚いて厳しさに子供が寄り付かなくなって。EU提唱者のリヒャルトとか優秀な子供が育ったけど光子さん自身は晩年日の丸の旗を見て抱きついて泣き崩れる位に異国での暮らしの辛さがあった
2025-03-15 10:52:54EUの生みの親 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーのお母さんでもある

彼女の息子はEUの父と呼ばれているリヒャルト・クーデンホーフ、パンヨーロッパ主義を提唱した人物。大変だったとは思うが立派な息子を世に送り出したとは思う…そして当時としては初めて記録に残る国際結婚、夫は少なくとも他の外国人より妻を大切にしたとは思える。x.com/pullaposkikisu…
2025-03-14 22:25:49
EUの生みの親 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーのお母さんの話だ!この第九の記事良かった!!toyokeizai.net/articles/-/844…x.com/pullaposkikisu…
2025-03-15 10:46:20