真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたいシリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
川の流れや水の泡を例に、人も住まいも常に移ろいゆくものであるという無常観を説く。華やかな都でさえ例外ではなく、全ては儚いという本作の主題が示される。

流れていく川の流れは絶えませんが、それでいて元の水ではありません。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどんでいる所に浮かぶ水の泡は、
よどみに浮ぶうたかたは、
あるものは消え、あるものはでき、長くとどまっていることはないのです。
かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
この世に生きる人とその住まいも、またこれと同じようなものです。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
立派な都の中で、家が棟を並べ屋根を競い合っています。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
身分の高い人から低い人まで、住まいは、代々受け継がれて尽きることはないように見えますが、
たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、
これが本当かと聞いてみると、昔からあった家は少ないのです。
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
ある家は去年焼けて今年は建てられ、
或はこぞ破れてことしは造り、
またある大きな家はなくなって小さな家になっています。
あるは大家ほろびて小家となる。
住んでいる人も、これと同じです。
住む人もこれにおなじ。
場所は同じで、人も大勢いますが、
所もかはらず、人も多かれど、
昔に見知った人は、二、三十人のうちでほんの一人か二人くらいしかいません。
いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
朝に亡くなり、夕方には生まれるという世の習いは、
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、
まさしく水の泡のようなものです。
たゞ水の泡にぞ似たりける。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
原文:方丈記 (國文大觀) 作者:鴨長明 建曆二年(1212年)
出典:ウィキソース、https://ja.wikisource.org/wiki/方丈記 (國文大觀)
挿絵:方丈記絵巻(三康文化研究所附属三康図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100449058
現代語訳:ざっくり研究所 都築輝繁 (2025年)
・この章の区切りとタイトルは、内容に応じて独自に設定しました。
・一行ごとの対訳、ふりがなは、読解の助けとなるよう独自に設定したものです。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
作者が幼い頃、「最初の仏は誰に教わったのか」と父に問い、答えに詰まらせた。父はそのやりとりを面白がって人に語ったという。
【終】徒然草はこの段で終わりです。

数え年で八歳になった年、父に尋ねました。
八つになりし年、父に問ひていはく、
「仏様とは、どのようなものでしょうか」と。
「仏はいかなるものにか候ふらん」と言ふ。
すると父はいいました、「仏は、人がなったものだよ」と。
父がいはく、「仏には、人の成りたるなり」と。
私がさらに聞きました、「人はどうやって仏になるのですか」と、
また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。
父は、また、「仏様の教えによって、仏になるのだ」と答えました。
父、また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。
私がまた聞きました。「その教えを説かれた仏様は、何に教わったのですか」と、
また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。
父はまた答え、
また答ふ、
「その仏様もまた、その前の仏様の教えによっておなりになったのだ」と。
「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。
また聞きました。「では、その教えを一番初めに説かれた仏様は、
また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、
どのような仏様だったのでしょうか」というと、父は、
いかなる仏にか候ひける」と言ふ時、父、
「空からでも降っのか。地面からでも湧いたのか」と言って笑いました。
「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。
「問い詰められて、答えられなくなってしまった」と、
「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、
人々に話しては、面白がっていました。
諸人に語りて興じき。
八つになりし年、父に問ひていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」と言ふ。父がいはく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父、また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」と言ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。
「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
人が求める快楽は名誉・色欲・美味の三つだが、これらは根本的な迷いから生じる苦悩の元なので、求めない方が良い。
常に 嫌ったり 好んだりして、心が動かされるのは、
とこしなへに違順に使はるることは、
ひとえに苦と楽によるものです。
ひとへに苦楽のためなり。
「楽」というのは、好み愛することです。
楽といふは、好み愛することなり。
これを求めることは、止まる時がありません。
これを求むること、止む時なし。
楽を求める対象の、一つ目は名誉ですが、
楽欲する所、一つには名なり。
名誉には二種類あり、業績と学問芸術に対する栄誉です。
名に二種あり。行跡と才芸との誉れなり。
二つ目は色欲、三つ目は美食です。
二つには色欲、三つには味はひなり。
あらゆる願い事も、この三つに及ぶものはありません。
よろづの願ひ、この三つにはしかず。
これは、苦楽をあべこべに見てしまうから生じるもので、多くの苦悩があります。
これ、顛倒の相よりおこりて、そこばくの煩ひあり。
初めから求めないに越したことはありません。
求めざらんにはしかじ。
とこしなへに違順に使はるることは、ひとへに苦楽のためなり。
楽といふは、好み愛することなり。これを求むること、止む時なし。楽欲する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸との誉れなり。二つには色欲、三つには味はひなり。よろづの願ひ、この三つにはしかず。
これ、顛倒の相よりおこりて、そこばくの煩ひあり。求めざらんにはしかじ。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
人生は満月のように儚い。俗世の願いは後回しにせず、ただちに万事を捨て仏道に励むべきだという人生の教訓。
満月の円い状態は、束の間もとどまることなく、
望月の円かなることは、しばらくも住せず、
すぐに欠け始めます。
やがて欠けぬ。
よく注意していない人には、たった一晩のうちに、
心とどめぬ人は、一夜の中に、
それほど形が変わるようには見えないかもしれません。
さまで変るさまも見えぬにやあらん。
病気が重くなるのも、停滞することなく、死期は近づいています。
病の重るも、住するひまなくして、死期すでに近し。
それなのに、まだ深刻でなく、死に直面していない間は、
されども、いまだ病急ならず、死におもむかざるほどは、
世の中が変わらず平穏な生活が続くという考え方に慣れ親しんで、
常住平生の念に習ひて、
「人生で多くのことを成し遂げた後で、静かに仏の道を修行しよう」
「生の中に多くのことを成じて後、閑かに道を修せん」
と思っています。しかし、
と思ふほどに、
病気になって死が迫った時、願いは何一つ成就していません。
病を受けて死門にのぞむ時、所願一事も成ぜず。
どうしようもなく、長年の怠惰を後悔して、
いふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、
「今回、もし病気が治って命が助かったなら、
「このたび、もち立ちなほりて命を全くせば、
昼も夜も惜しんで、あれもこれも、
夜を日につぎて、このこと、かのこと、
怠ることなく成し遂げよう」と願を立てるでしょうが、
怠らず成じてん」と願ひをおこすらめど、
やがて病は重くなり、我を忘れて、混乱したまま死にます。
やがて重りぬれば、われにもあらず、取り乱して果てぬ。
このような例ばかりでしょう。
このたぐひのみこそあらめ。
このことを、人々は何よりも急いで心に留めておくべきです。
このこと、まづ人々急ぎ心に置くべし。
やりたい事をすべてやった後で、時間ができてから、仏道に入ろうと思っても、
所願を成じて後、暇ありて、道に向はんとせば、
やりたい事が尽きることはありません。
所願尽くべからず。
幻のようなこの人生で、何を成し遂げられるというのでしょうか。
如幻の生の中に、何事をかなさん。
結局、やりたい事はすべて妄想です。
すべて、所願みな妄想なり。
「心に願いが浮かんだら、それは迷いの心が乱れているのだ」と悟って、
「所願心に来たらば、妄心迷乱す」と知りて、
一つとして実行してはなりません。
一事をもなすべからず。
ただちに万事を捨て去って仏道に向かう時、
ただちに万事を放下して道に向ふ時、
妨げもなく、余計な活動もなくなり、
さはりなく、所作なくて、
心も体も永く閑かになります。
心身ながく閑かなり。
望月の円かなることは、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。心とどめぬ人は、一夜の中に、さまで変るさまも見えぬにやあらん。
病の重るも、住するひまなくして、死期すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死におもむかざるほどは、常住平生の念に習ひて、「生の中に多くのことを成じて後、閑かに道を修せん」と思ふほどに、病を受けて死門にのぞむ時、所願一事も成ぜず。いふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、「このたび、もち立ちなほりて命を全くせば、夜を日につぎて、このこと、かのこと、怠らず成じてん」と願ひをおこすらめど、やがて重りぬれば、われにもあらず、取り乱して果てぬ。このたぐひのみこそあらめ。このこと、まづ人々急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて、道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願みな妄想なり。「所願心に来たらば、妄心迷乱す」と知りて、一事をもなすべからず。ただちに万事を放下して道に向ふ時、さはりなく、所作なくて、心身ながく閑かなり。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
障害の多い恋こそ趣深く、親の認めた恋や見合いは味気ない。不釣り合いな恋は不幸なので、風流を解さぬ相手なら恋はしない方が良い。

人目を忍ぶ「信夫の浦」で、海松布(みるめ)という海藻を採る海人のように、人の見る目が多くて、自由に会えず、
しのぶの浦の蜑の見るめも所せく、
暗い「くらぶの山」も見守る人が多いのに、
くらぶの山も守る人しげからんに、
無理にでも通おうとする恋心こそ、浅いものではなく、
わりなく通はん心の色こそ、浅からず、
心に染みる忘れがたい、思い出も多くなることでしょう。
あはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。
親や兄弟が認めて、何の波乱もなく迎え入れるような恋は、
親はらから許して、ひたぶるに迎へ据ゑたらん、
まぶしすぎてきまりが悪いしょう。
いとまばゆかりぬべし。
世の中で落ちぶれてしまった女性が、
世にありわぶる女の、
不似合いな年老いた法師や、無骨な田舎者であっても、
似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、
暮らしが豊かだからといって、「誘ってくれるなら…」などと言うのを、
にぎははしきにつきて、「さそふ水あらば」など言ふを、
仲人が、両方にとって魅力的に聞こえるように取り持って、
仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、
お互い知らない人を、迎えて来てしまうのは味気ないことです。
知られず知らぬ人を、迎へもて来たらんあいなさよ。
どんな言葉を交わすというのでしょうか。
何ごとをかうち出づる言の葉にせん。
過ごした年月のつらさや、筑波山の歌のように乗り越えてきた思い出を語り合えることこそ、
年月のつらさをも、「分け来し葉山の」などもあひ語らはんこそ、
尽きることのない会話の種になるというのに。
尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
だいたい、他人が取り持った縁談は、
すべて余所の人の取りまかなひたらん、
なんとも、気に入らないことが多いものです。
うたて、心づきなきこと多かるべし。
素晴らしい女性であっても、
よき女ならんにつけても、
身分が低く、見栄えもせず、年取っている男は、
品下り、見にくく、年も長けなん男は、
「あんなつまらない男のために、惜しい女を無駄に
「かくあやしき身のために、あたら身をいたづらに
しなくてもいいのに」と、彼女も軽蔑され、
なさんやは」と、人も心劣せられ、
本人は夫と向かい合っていても、自分の姿を恥ずかしく思うことでしょう。
わが身は向ひ居たらんも、影恥づかしく思えなん。
本当につまらないことです。
いとこそあいなからめ。
梅の花が香るおぼろ月夜に佇むことや、
梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ、
生垣の草原の露をかき分けて出ていくような夜明けの空が、
御垣が原の露分け出でん在明の空も、
自分にふさわしいと感じられないような人は、
わが身さまにしのばるべくもなからん人は、
初めから色恋沙汰などしないほうがいいです。
ただ色好まざらんにはしかじ。

しのぶの浦の蜑の見るめも所せく、くらぶの山も守る人しげからんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。親はらから許して、ひたぶるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、にぎははしきにつきて、「さそふ水あらば」など言ふを、仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず知らぬ人を、迎へもて来たらんあいなさよ。何ごとをかうち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、「分け来し葉山の」などもあひ語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
すべて余所の人の取りまかなひたらん、うたて、心づきなきこと多かるべし。よき女ならんにつけても、品下り、見にくく、年も長けなん男は、「かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣せられ、わが身は向ひ居たらんも、影恥づかしく思えなん。いとこそあいなからめ。
梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ、御垣が原の露分け出でん在明の空も、わが身さまにしのばるべくもなからん人は、ただ色好まざらんにはしかじ。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
旧暦八月十五日と九月十三日は、空が清く澄むという婁宿(二十八星宿のひとつ)にあたるため、月を鑑賞するのに良い夜とされています。

旧暦8月15日と9月13日は、婁宿(ろうしゅく)にあたります。
八月十五日・九月十三日は婁宿なり。
この宿は、空が清く澄み渡るため、月を鑑賞するのに良い夜とされています。
この宿、清明なるゆゑに、月をもてあそぶに良夜とす。
八月十五日・九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なるゆゑに、月をもてあそぶに良夜とす。
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
筆者自身の7つの自慢話。論語の出典指摘、書の鑑定、漢詩の誤り指摘など、その博識ぶりと鋭い観察眼を披露する。

護衛官の近友という人が自慢話だとして、七項目を書き留めたものがありました。
御随身近友が自讃とて、七箇条書き留めたることあり。
どれも馬術のことで、どうということもない事柄です。
みな馬芸、させることなきことどもなり。
その例を思い出して、私にも自慢したいことが七つあります。
そのためしを思ひて、自讃のこと、七つあり。
①一つ。大勢の人を連れて、花見に歩いていた時、最勝光院のあたりで、
一、人あまた連れて、花見歩きしに、最勝光院の辺にて、
ある男が、馬を走らせているのを見て、
をのこの、馬を走らしむるを見て、
「もう一度馬を走らせたら、馬が倒れて落ちるだろう。
「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて落つべし。
しばらく見ていなさい」と立ち止まっていると、また馬を走らせました。
しばし見給へ」とて、立ち止まりたるに、また馬を馳す。
止めようとした所で、馬は倒れ、乗り手は、泥の中に転げ落ちました。
とどむる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。
私の言葉が間違わなかったことに、人々は、感心しました。
その言葉の誤らざることを、人、みな感ず。

②一つ。当代の天皇が、まだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路の館にお住まいでした。
一、当代、いまだ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、
堀川大納言様が、仕えていた控室へ、用事があって参上しました。
堀川大納言殿、伺候し給ひし御曹司へ、用ありて参りたりしに、
論語の四、五、六の巻を広げて、
論語の四・五・六の巻をくり広げ給ひて、
「今、御所で『紫が朱を奪うことを憎む』
「ただ今、御所にて、『紫の朱うばふことを悪む』
という文をご覧になりたいとのことで、
といふ文を御覧ぜられたきことありて、
探しているが見つからないのだ。
御本を御覧ずれども、御覧じ出だされぬなり。
『もっとよく探せ』とのお言葉で探している」
『なほよく引き見よ』と仰せごとにて、求むるなり」
とおっしゃるので、
と仰せらるるに、
「それは九の巻の、そのあたりにございます」と申し上げたところ、
「九の巻の、そこそこのほどに侍る」と申したりしかば、
「おお、ありがたい」と言って、持って行かれました。
「あなうれし」とて、持て参らせ給ひき。
これくらいのことは、子供でも知っていますが、昔の人は
かほどのことは、児どもも常のことなれど、昔の人は、
些細なことも自慢げに書いたものです。
いささかのことをも、いみじく自讃したるなり。
後鳥羽院が歌のことで、
後鳥羽院の御歌に、
「袖と袂を、一首の中に使うのは良くないか」
「袖と袂と、一首のうちに悪しかりなんや」
と定家卿にお尋ねになった時、
と定家卿に尋ね仰せられたるに、
「秋の野の草の袂か花すすき 穂に出て招く袖と見ゆらん」
『秋の野の草のたもとか花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらん』
という古歌もございますので。何の問題がありましょうかと申し上げたことも、
と侍れば。何事か候ふべきと申されたることも、
「とっさに、古歌を思い出したのは、歌の道の御加護、幸運だ」
「時に当たりて。本歌を覚悟す。道の冥加なり。高運なり」
などと、大げさに書き残しておられます。
など、ことことしく記し置かれ侍るなり。
九条伊通公の自薦状にも、
九条相国伊通公の款状にも、
たいしたことない項目を記載して、自慢しておられます。
ことなることなき題目をも書き載せて、自讃せられたり。

③一つ。常在光院の鐘の銘は、在兼卿の下書きでした。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。
行房朝臣が清書し、鋳型に移そうとしていた時、
行房朝臣清書して、鋳型に移させんとせしに、
責任者の入道が下書きを取り出して私に見せましたが、
奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、
「花の外に夕べを送れば、声は百里に聞こゆ」という句がありました。
「花の外に夕を送れば、声百里に聞こゆ」といふ句あり。
「陽韻・唐韻と見えるので、百里は誤りでは」と申し上げたところ、
「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、
「お見せしてよかった。私の手柄になります」と言って、
「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、
清書者のもとへ連絡させると、
筆者のもとへ言ひやりたるに、
「間違っていました。『数行』と直してください」と返事がありました。
「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。
「数行」もどういう意味か。もしかしたら数歩の意か。
数行もいかなるべきにか。もし数歩の心か。
はっきりしない。「数行」も疑わしい。「数」は四、五のことだ。
おぼつかなし。数行なほ不審。数は四・五なり。
鐘の音が四、五歩では、近すぎる。ただ遠くまで聞こえるという意だろう。
鐘四五歩、幾くならざるなり。ただ遠く聞こゆる心なり。

④一つ。大勢で比叡山の三塔(東塔、西塔、横川)を巡礼した時、
一、人あまたともなひて、三塔巡礼のこと侍りしに、
横川の常行堂に龍華院と書かれた古い額がありました。
横川の常行堂のうち、龍華院と書ける古き額あり。
「藤原佐理か藤原行成の書か議論があり、未決着と伝わっています」
「佐理・行成のあひだ疑ひありて、いまだ決せずと申し伝へたり」
とお堂の僧は、もったいぶって申しました。
と、堂僧、ことごとしく申し侍りしを、
「行成なら裏書があるはず、佐理なら無いはずだ」
「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」
と言いました。
と言ひたりしに、
裏は塵がつもって、虫の巣で汚らしくなっているのを、
裏は塵積もり、虫の巣にていぶせげなるを、
よく掃除して拭いて、皆で見たところ、
よく掃きのごひて、おのおの見侍りしに、
行成の官位・名字・年号が、はっきりと書かれていました。
行成の位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、
人々は皆、感心しました。
人、みな興に入る。

⑤一つ。那蘭陀寺で、道眼聖が、説法をしていた時、八災が何だったか忘れて、
一、那蘭陀寺にて、道眼聖、談議せしに、八災といふことを忘れて、
「ご存知の方はおられませんか」と尋ねましたが、弟子たちは誰も覚えていませんでした。
「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化みなおぼえざりしに、
私が部屋の中から、「これこれではありませんか」と申し上げたところ、たいそう感心しておられました。
局の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。

⑥一つ。賢助僧正のお供で加持香水(香料を混ぜた水を清める儀式)を見に行った時、
一、賢助僧正にともなひて、加持香水を見侍りしに、
まだ終わらないうちに、僧正が退出されました。
いまだ果てぬほどに、僧正帰りて侍りしに、
会場の外にも僧都の姿が見えません。法師たちを戻して、探させましたが、
陣の外まで僧都見えず。法師どもを返して、求めさするに、
「同じ格好の僧侶が多くて見つけられません」と言って、
「同じさまなる大衆多くて、え求めあはず」と言ひて、
ずいぶん時間が経ってから出てきました。
いと久しくて出でたりしを、
僧正が「困ったことだ。そなた、探してきなさい」と私に言われたので、
「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、
戻って入って、すぐに連れて出ることができました。
帰り入りて、やがて具して出でぬ。

⑦一つ。二月十五日の月が明るい夜、更けてから
一、二月十五日、月明かき夜、うち更けて、
千本の釈迦堂に参詣し、後ろから入って、
千本の寺に詣でて、後ろより入りて、
ひとりで、顔を隠して、説法を聞いていました。
一人、顔深く隠して、聴聞し侍りしに、
優美な女性で、姿・雰囲気が、並ではない人が、
優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、
分け入ってきて、膝に寄り掛かったので、
分け入りて膝にゐかかれば、
香りが移りそうなので、「都合が悪い」と思い、
匂ひなども移るばかりなれば、「便悪し」と思ひて、
すり抜けましたが、それでもすり寄ってきて、同じ様子なので、
すりのきたるに、なほゐ寄りて、同じさまなれば、
席を立ちました。
立ちぬ。
後日、あるお方の古参の女房が、
その後、ある御所さまの古き女房の、
雑談のついでに、
そぞろごと言はれしついでに、
『ひどく無粋な方でいらしゃいました。
『無下に色なき人におはしけりと、
つれないお方だ』
見おとし奉ることなんありし。情けなし』
と恨んでおられる方がいますよと、おっしゃいました。
と恨み奉る人なんあると、のたまひ出だしたるに、
「全く心当たりがございません」と言っておわりました。
「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。

後で聞いた話では、あの説法の夜、
このこと後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、
部屋の中から、高貴な方が私をご覧になっており、
御局の内より、人の御覧じ知りて、
女房を美しく着飾らせてお出しになって、
さぶらふ女房を作り立てて出し給ひて、
「うまくいけば、言葉でもかけなさい。
「便よくは、言葉などかけんものぞ。
その様子を報告せよ。面白かろう」
そのありさま、参りて申せ。興あらん」
と言って、計略されたということです。
とて、謀り給ひけるとぞ。
御随身近友が自讃とて、七箇条書き留めたることあり。みな馬芸、させることなきことどもなり。そのためしを思ひて、自讃のこと、七つあり。
一、人あまた連れて、花見歩きしに、最勝光院の辺にて、をのこの、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて落つべし。しばし見給へ」とて、立ち止まりたるに、また馬を馳す。とどむる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。その言葉の誤らざることを、人、みな感ず。
一、当代、いまだ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿、伺候し給ひし御曹司へ、用ありて参りたりしに、論語の四・五・六の巻をくり広げ給ひて、「ただ今、御所にて、『紫の朱うばふことを悪む』といふ文を御覧ぜられたきことありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出だされぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せごとにて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻の、そこそこのほどに侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、持て参らせ給ひき。かほどのことは、児どもも常のことなれど、昔の人は、いささかのことをも、いみじく自讃したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と、一首のうちに悪しかりなんや」と定家卿に尋ね仰せられたるに、「秋の野の草のたもとか花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらん」と侍れば。何事か候ふべき」と申されたることも、「時に当たりて。本歌を覚悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、ことなることなき題目をも書き載せて、自讃せられたり。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型に移させんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外に夕を送れば、声百里に聞こゆ」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、筆者のもとへ言ひやりたるに、「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。数行もいかなるべきにか。もし数歩の心か。おぼつかなし。数行なほ不審。数は四・五なり。鐘四五歩、幾くならざるなり。ただ遠く聞こゆる心なり。
一、人あまたともなひて、三塔巡礼のこと侍りしに、横川の常行堂のうち、龍華院と書ける古き額あり。「佐理・行成のあひだ疑ひありて、いまだ決せずと申し伝へたり」と、堂僧、ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積もり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃きのごひて、おのおの見侍りしに、行成の位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人、みな興に入る。
一、那蘭陀寺にて、道眼聖、談議せしに、八災といふことを忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化みなおぼえざりしに、局の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正にともなひて、加持香水を見侍りしに、いまだ果てぬほどに、僧正帰りて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもを返して、求めさするに、「同じさまなる大衆多くて、え求めあはず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
一、二月十五日、月明かき夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後ろより入りて、一人、顔深く隠して、聴聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、分け入りて膝にゐかかれば、匂ひなども移るばかりなれば、「便悪し」と思ひて、すりのきたるに、なほゐ寄りて、同じさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所さまの古き女房の、そぞろごと言はれしついでに、「『無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情けなし』と恨み奉る人なんある」と、のたまひ出だしたるに、「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。
このこと後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人の御覧じ知りて、さぶらふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。そのありさま、参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。
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