
食材がいっせいに切れた。調味料類にも底衝き間近のものがある。食糧買出しの週末となりそうだ。
かような巡り合せとなるのは、当然とも云える。なにかを切らせたら、どうすればそれなしに食事できるかと考える。あり合せで済ませる。とりあえず我慢するわけだ。倹約だの工夫だのといった前向きの思考ではない。たんなるものぐさからだ。
やがてあれもこれも切らした状況に追いこまれる。切羽つまる。で、いっせいに補充買出しとなる。まずは野菜類が最優先だ。サミットストアやビッグエーであれば、明日でも買物ができる。川口青果店は日曜が定休日だから、今日済ませるしかない。野菜はスーパーでは買わない。
つかの間の野菜長者状態となる。半月に一度か二か月に三度といった間隔だろうか。明日からしばらくの間は、野菜を刻んだり煮込んだり炊いたりの、作り置き惣菜の日々となる。
食材数を指差し数えて、二十一品目に満たぬ膳を、また出汁や調味料や振りかけるものまでを含めて三十種類に満たぬ膳を、チャント飯とは称ばぬようにしている。一日一回の正式食事だ。あと一回の食事はテキトーでいい。
この三年間ほど、人生最高体重から、二十五キロ減で安定している。定年退職からやがて五年ちかく、健康保険証やがて老人医療保険証を一度も使っていない。健康診断も怠けたままだし、コロナやインフルエンザのワクチンも一度も接種していない。といっても理由はものぐさゆえだから、自慢にはならぬと自覚している。
国政の予算論戦をラジオで聴き、ユーチューブで観ていると、老人医療費が嵩むのは当然だから、現役世代の負担が……なんぞと、当りまえの前提として口になさる論客をお視かけするが、本当だろうか。自重したり、我慢したりしている年寄りも、あんがい多いのではなかろうか。テレビはまったく観ないし、新聞は定期購読をやめて久しく、外出時に出先で眼を通すていどだから、メジャー媒体でどう云われているかについては、まったく不案内だけれども。
とにかく老人医療保険も介護保険も、私は払込みにご協力申しあげて、恩恵には浴さずに、過ぐる五年は生きてこられた。今に視ていやがれ、その分をいつかタップリ使ってやるからナと、機を窺っているのである。

昨夜はきわどかった。野菜類が完全に切れた。十個パックの玉子が最後の一個となった。冷凍餃子が最後の五個となった。使い果せば、二十一品目を維持するに不安が生じる。買出し前の、最後の晩餐といった気分だった。
で、今日が買出し日で、まずは川口青果店へと走ったわけだ。次にサミットストアで、冷凍餃子のお徳用三十個入り大袋を買う。三十という数字が気に入っている。食膳用の五個づけでも、ビールのつまみとしての三個づけでも、また米も麺も抜いた膳にあっての主食代り六個づけでも、割切れる数字だ。シーズンサービスで「ただ今増量中」の期間を迎えても、五個増量だから、当方ペースに乗せやすい。
次にビッグエーへと廻り、玉子十個パックを無事購入。鳥インフルエンザ騒ぎによる玉子払底の時期には泡を食ったが、そして今なお鳥インフルエンザの報道を耳にはするが、このところわが近所の供給網に異変は起きていない。
どんなもんだい、という気分で買物完了である。

帰宅してから、おのれの迂闊さに、はたと気づいた。俺は今日、なにを食うべきか。
煮るにも炊くにも、下準備の手間が必要だ。蒸らしや冷ましにより味を沁みさせる時間も必要だ。『孤独のグルメ』の井之頭五郎氏ではないが、今俺は腹が減っているのだ。一番の時間節約は餃子だろうが、昨夜との連チャンというのも気が進まない。
いたしかたない。今日ばかりは品目数のこだわりから脱して、伝家の宝刀を抜くか。お若い友人が新潟を旅したからと、珍しいお茶漬けの素をお土産にくださった。数か月も前のことだ。私には過ぎた珍品で、もったいない気がして、開封せずに温存してあった。こういう時こそ、あれをいただこう。
他県のかたがたは新潟県を称して、米どころ酒どころとおっしゃる。そうに違いはないけれども、じつは長い長い海岸線をもち、おまけに佐渡島をももつ、種類豊富な海産物の県でもある。海産物を原材料とする加工食品の宝庫でもある。商魂たくましい貪欲県とはちがって、製品の多くが東京へ流れて来ないだけのことだ。旅をなさったかたは、とんでもなく多種多様な海産物加工品をお眼になさって、驚かれることだろう。むろん私も、いただいたお茶漬けの素を初めて眼にした。
本日はチャント飯には執着せず、風流飯といくことにする。
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