
美術学科絵画専攻三年生 諸井楓『ともひろ』(油彩・板・P20号)
数歩退いて眺めれば、写真にしか見えない。手堅くも徹底した写実である。しかし立ち停まって長く眺めていると、写実に留まらぬ問題が見えてくる。
写真以上の写真らしさを狙った超現実志向のクッキリ表現も世にはあるが、あれはモダンアートの一種で、この作品はさような志向とは無縁だ。
作品脇には「作者あいさつ」の小パネルが貼られてある。今年の日芸祭の総合コンセプト「レイワレトロ」に呼応すべく、「記憶にない記憶」を主題にしたという。古いアルバムをとおして画家自身や家族の過去の姿と対話する。かつて確かに実在したにちがいなかろう人物たちではあるが、呼び覚まされる記憶はまったくない。画家とアルバムとのあいだで交された会話は、まさに「記憶にない記憶」についてだった。
その想いを深く丹念に描けば、鑑賞者の「記憶にない記憶」にも働きかける可能性があるのではないか。それは絵画の役割のひとつと云えるのではないか。かいつまんで申せばさような「作者あいさつ」だ。
手堅い写実の向うに、写実とのみ云っただけでは収まらぬものが漂っている。憶えのない過去の人物たちとの、それどころか憶えのない自分自身との対話の濃密な時間が、粘着力の強い糊となって画面を裏打ちしているかのようだ。
美術学科の展示を毎年楽しみに観ているが、しょせんは門外漢の勝手鑑賞に過ぎず、作品を正確に掴むことなど望めないし、上手く記憶もできない。やむなく十室以上もあるその年の全展示から、もっとも印象深かった一点のみを深く記憶に留めることにしている。アレよりはコレ、むしろアッチと、各室を往ったり来たりしながら二者択一を繰返して、私にとっての今年の一点に到達するゲームを愉しんでいるようなものだ。
今年の一点は、これである。

例年楽しみにしている美術学科の展示がもうひつある。構内への入場口ちかく、守衛所脇の特別会場で催される、鉛筆画の自画像コンクールだ。ただし在学生・院生による展示ではない点が、かすかに恐縮ではあるけれども。
全国の付属高校の美術科目指導教員がたに多大なご協力を願ったものだろう。何校あるものか私は知らぬ付属各校の生徒たちから寄せられた自画像が、三方壁面に床から天井までビッシリと並ぶ。全国津々浦々にあって将来美術の道を志そうかと夢見る高校生たちが、自分の顔を視詰め格闘した、エネルギーの大集合である。息を呑む壮観だ。
そして会場中央の吊下げボードには、審査員(たぶん美術学科の教授連中だろう)選考による大賞・優秀賞・佳作作品が展示されてある。遠い地には、自分と同じ齢の描き手にこんなのがいるかと、初めて思い知る高校生もあるかもしれない。そしてこの中のいく人かが、来春かならず美術学科へと入学してくる。そこでまた、とんでもない出逢いと経験とを重ねることとなる。楽しみだ。

一日目は雨に祟られた。二日目と三日目は好天に恵まれた。屋内会場での展示や実演披露に、屋外での模擬店や客寄せパフォーマンスに、若者たちはつどった。
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