予定外だったが、最近眼醒めた「めかぶサラダパン」を食べたくて、タカセ珈琲サロンへ入ってみたのである。しかし……。 土曜日曜の池袋は、私ごときが歩いてよろしい地域ではないと、かねてより承知している。が、人と会うわけでも、買物をするわけでもない。…
幸せ、と云うべきなんだろうなあ。 どうやら雨があがったようなので、外出には遅い午後となったが、池袋まで出る。明日の足廻り先が多いと、とかくウッカリのもとだ。自分のテキパキ能力に自信がもてない。今日のうちに足せる用意は、済ませてしまおう。 駅…
老舗の文芸同人誌『朝』47号のご恵送に与った。発行人である村上玄一さんのご好意による。 村上さんによる連載『自慢風まかせ』も、はや十回となった。文芸編集者として数かずのお仕事をなさった半生の交友を懐かしく回想した、自伝風文章だ。目次区分として…
「曇り時どき小雨」と、昨夜のラジオは云っていた。ここのところ、天気予報がよく当る。屋外作業には適さない。 東北地方ではまた地震だ。震源地は三陸沖という。宮古港、久慈港、釜石港、大船渡港。訪れたこともないのに、すっかり耳馴染となってしまった沿…
読み返したくなるような余生でありたい。けれど自分にはもはや、その時間は残されてはあるまい。さよう思わせる作家たちがある。 主人公は幼き日に、性的悪戯の被害を受けた。母親にただただ抱きしめてもらいたかった。大丈夫、たいしたことじゃないと、背中…
林達夫(1896 - 1984) 立冬である。陽射しはあるものの、肌寒い日だ。 草むしりが遅れているが、気分が向かない。一昨夜半から昨朝にかけて、雨が降ったのだ。土がまだ湿っている。作業すると、軍手がどろどろになる。古い穴あき軍手を処分したばかりで、ま…
カカコン『赤い布の少女』(部分)油彩・パネル 画学生のグループ展にて、一枚の女性像の前で、立ち停まった。モデルの視線上に立って、睨めっこした。美しくはあったが、やがて怖ろしさを覚えた。そう気づいたら、怖ろしさ以外なにも感ないほどになってしま…
大学祭から一夜明けて、店舗会場を引払ってきた会員たちが、資材と在庫とを堂々堂倉庫へと運び込んできた。 今年の堂々堂の品揃えのなかに、もしも売れ残ったら私が引取ってもよろしいがと思える商品があった。 開催前の頭刎ねはよろしくない。つまみ食いに…
風さそふ花よりもなほ 我はまた 春の名残りをいかにとやせむ ご存じ『忠臣蔵』前半の山場。浅野内匠頭の辞世である。放物線の頂点にまで咲き切った桜花が、吹くか吹かぬかのかすかな風にもはらはらと散り初める繊細さ、危うさ、はかなさを詠んだとされる。ど…
日本語の使い手として屈指の作家であることは、だれの眼にも瞭かなのに、鴎外・漱石よりも、藤村・秋声よりも、泉鏡花の名を先に出す人がないのを、不思議に思っていた齢ごろがあった。今はさほど不思議とも思わない。 霊威にまつわる感性においてずば抜けた…
魚は大名の子に焼かせろ、餅は乞食の子に焼かせろ。 昔の人から伝えられた言葉だ。魚というものは、けっして今か今かと持ち上げたり引っくり返したりせずに、慌てず騒がず鷹揚に、片面づつじっくり焼くといい。餅というものは、片寄ったり焦げ目がついたりせ…
自由気ままに、柔軟に、日々つねに考え続けるということ。そんなことができるものだろうか。 とくだん心酔したでも愛読したでもなく、影響を受けた憶えもないのに、串田孫一の著作がいく冊か手もとにある。なにかしら気に入っていたのだろう。フランス哲学者…
自分に見切りをつける必要を、しきりに感じる。 戦後文学という文学史事象を考えれば、登場の経緯といい思想的脈絡といい、まずもって野間宏・椎名麟三に指を屈するしかないのは今もって変るまい。が、昭和文学さらには日本近代文学という枠組みのなかで、文…
四つ手を沈めれば、今でもタナゴやクチボソが揚るのだろうか。エビガニだったら、きっといるだろうけれども。ズボンの裾をまくり上げてジャブジャブ踏込む悪ガキの姿は、さすがに視あたらない。 今日も練馬駅構内のモスバーガーにて仕事開始する。政治活動や…
五十五年来の文友今野和茂君より、新作二篇をご恵送いただいている。仲間うちでも、巧味の顕著な書き手だった。大袈裟な切った張ったはあえてせぬ小説書きだった。 作風は今もって揺るがない。身辺に材を採りながら、迷彩をほどこしつつ主題を増幅させ、また…
『文藝春秋』は芥川賞発表月だ。今期は該当作なしの結果だった。注目候補作一篇と、選考委員や歴代受賞作家らの寄稿による特集記事とでページを構成してある。直木賞も該当作なしだったという。両賞そろって受賞作が出なかったのは、二十七年ぶりだそうだ。 …
どこかしらで好天なのだ。それでいいじゃないか。しかたないじゃないか。 北海道に台風が上陸したという。その影響だろうか。それとも気圧の谷でも近くにあるのだろうか。風が強い。暴風というほどではない。蒸暑さに閉口してきた身には、むしろありがたい。…
真鍋和子『子どもも兵士になった』(童心社、2025) 取返しのつかぬ損耗を喫した沖縄戦の終結から、八十周年だ。慰霊祭のもようをラジオで聴いた。県知事・首相・衆議院議長、なんという空疎なお題目を並べただけのスピーチをするものだろうか。参議院議長は…
意識高い系とセンサー敏感系とは、かならずしも……。 古研(古本屋研究会)の若者たちの尻尾について、吉祥寺を歩かせてもらった。有力もしくは特色鮮明な古書店がなん軒もあり、歩き甲斐のある街だ。 JR の南口を出てすぐに、高架下と称んでもいいほど駅にへ…
道すがら、とあるお邸のイエローカーテン。 学生サークル古本屋研究会(略称:古研)の若者たちと、江古田から池袋を歩いた。日本大学藝術学部を根拠地とするサークルにとっては、新学年最初の活動として、まずもっての足固めとして地元を歩いた。 まずは老…
一昨日は日がな一日、じくじくと雨が降った。昨日は好天に恵まれたが、今朝はまた曇天で、霧雨と称ぶにも足らぬ細かい雨がかすかに降っている。 そんな空模様のもとでは草類が、ここぞとばかりに伸長してくる。霧雨を押して、眼にあまるものを少々引っこ抜い…
(時事) 今風に申せば、ナンバーワンかオンリーワンかの問題ということなんだろうか。 長期間にわたって頂点に君臨した偉大な存在と、瞬間最大風速のごとき格段の魅力を発揮して人びとの記憶に長く残る存在とが、一致しない例はよくある。将棋の大山康晴と…
吉祥寺駅に降り立った。およそ一年ぶりだ。 まず雑用を片づけようと、三菱UFJ銀行吉祥寺駅前支店へ。幽霊口座を解約したかった。 ここからほどなくの五日市街道沿いに文学部がある武蔵野大学に、かつて十一年ほどお世話になった。ギャラを頂戴するために、こ…
『憲法十七条』の冒頭第一条は、有名な「和をもって貴しとし、さからうことなきを宗とせよ」から始まる。これをもって、古来より日本人は穏健で融和的な国民性をもち、争いごとを好まぬ社会を理想としてきた、なんぞとおっしゃる弁を耳にすることがある。と…
吉川幸次郎(1904 - 1980) 考えが巧くまとまらぬままに、滑稽なことを云いだそうとしている。文章は生きものでありナマものであって、意味や形ばかりでなく、色も匂いもあるというようなことなんだが…。 聖徳太子『十七条憲法』の第十四条は、「官吏たるも…
池袋へ出た。乗換駅としては先日も通過したが、駅前へ足を踏出すのは、久しぶりの気がする。 午前中の早いうちに出かけたかったが、例によって起きられず、せめて正午には家を出ようと身支度を始めたものの、これまた例のごとく、鞄に老眼鏡を入れ忘れただの…
中原中也(1907-1937) 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました ・・・・・・ サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ ・・・・・・・ ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん(「サー…
佐山哲郎句集『わなん【和南】』(西田書店、2024) 俳人は浄土宗寺院のご住職だ。遊俳である。句歴は長く、これまでにいく冊かの句集を上梓してきた。俳句会を主宰してもいる。歌仙の座で宗匠も務める。さながら業俳のごとくだが、俳句からは一円の収入も得…
これほどおだやかな日は、もうこれっきりかもしれない。 昨日に続いて食膳の写真だ。とりたてて眼にしたものがないからだ。年明けてから玄関を出たのは郵便受けまでで、敷地外へは一歩も出ていない。大晦日に駅周辺や神社まで散歩したきりだ。 一年ぶりに現…
小説を書かなかったのではなく、書けなかったのでもない。小説を書けぬ自分を発見した作家だった。山崎正和のことだ。 戯曲『世阿弥』を引っさげ、第一評論集『劇的なる精神』に収録された諸論を展開しつつ登場した山崎正和は、まだ三十歳前後ながらきわめて…
多岐祐介1949年生れ無職半ボケ老人
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