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一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

的はずれな気がかり



 ひどい時代に生かされているのだろうか。それとも恵まれた時代を生きさせていただいてるのだろうか。今さらながらだが。

 東京赤坂の個室サウナで小火騒ぎがあり、利用客夫婦が亡くなった。軽い火傷を負ってはいたが死因ではなく、一酸化炭素中毒か気道熱傷だろうという。今日になって、扉のノブが内側でも外側でも抜け落ちてあったと報道された。
 現場は五階建てビルの三階だという。周囲はビル密集界隈だが、飲食店も商業施設もない。繁華街をわずかに外れた、マンションかオフィスビル街だ。解るわかる。そういう立地に、穴場はあるんだ。現に店のパンフには「大人の隠れ家」的な「完全プライベート空間」と謳われてあるそうだ。
 会員制を謳うが、最高ランクの会費でも月額三十九万円とあるから、その世界では驚くほどの高額店でもなかろう。上には上がある世界だ。被害者ご夫妻はもっともお値打ちコースの、百二十分で三万九千円コースで入店したというし、サウナ室で裸の状態で折重なって亡くなられていたというから、通常の利用客だったと見える。

 利用経験者の証言によると、店内では酒も食事もできて、いずれも高級めかしてあったという。へー、やっぱり今でもこういうの、あるんだ。四十年ほど前には、絶対に面が割れてはならぬかたがたの、手っとり早い逢引き場所だった。ふたコマ二百四十分を抑えれば、用が足りる。また人眼をはばかる取引きなり打合せに利用する連中もあった。レストランやクラブの個室では、かえって危ないのである。
 残念ながら、自分で利用した経験はない。当方それほどのタマではなかった。眼にはし、噂を耳にはしたけれども。

 破廉恥罪で検挙された三十代の男が報道された。一夫多妻を標榜し、二十八歳の妻と二十三歳の内縁の妻とで同居しているそうだ。SNS若い女性を誘い、性交のもようを盗撮しては、顧客にネット販売していたという。押収されたハードディスクには約八百点の画像だか動画だかが収録され、二年間でおよそ五千万円を売上げていたという。
 事件そのものには、まったく興味を惹かれない。そういう犯罪者も、そりゃあるだろうな、と思うばかりだ。問題は、妻と内縁妻とは、犯罪に関わっていたのかどうか、役割分担していたとすれば、いかなる連携プレイだったのかが、まったく報道されないことだ。あるいは稼ぎのある犯罪者にただつき従って、転居を繰返していただけだったのだろうか。
 つまりだ。妻妾同居生活と破廉恥罪とは、いずれも耳目を惹く事態ではあるものの、別案件だ。一夫多妻主義者だからこそ、破廉恥な地下商売をしていたわけではない。読者(視聴者、聴取者)の関心を惹きやすいからといって、両案件を一緒くたにするのは、報道の組立てとしていかがなものだろうか。

 宮崎県の牛乳生産メイカーが無償で警察に協力し、感謝状を授与されたという。昨今警察からの通知電話を装った詐欺が多発していたそうだ。そこでメイカーは、詐欺の手口と対処法とを牛乳パックに印刷して、消費者に注意喚起した牛乳を、宮崎県と鹿児島県の一部地域に売出したという。効果の程はまだ報道の段階ではないのだろうが、なんとなく微笑ましい噺だ。

 とあるミステリー小説賞の選考作業で、覆面読み屋を務めていた時代があった。圧倒的枚数の応募作を次から次へと読み、拾い上げては、売れっ子作家たちによる最終選考委員会へ揚げる、闇から闇への下請け肉体労働だ。ギャラは悪くない。
 最終候補作に残ったなかに、今年もこの名がある。伊坂幸太郎。かりに今年また受賞しなかったとしても、この人はもうプロでいいんじゃないか。選考委員のあいだで、そんな台詞が交された時代のことだ。
 ベテランの覆面読み屋がこんな法則に気づいた。世の中が不景気で、世相がギスギスして人心がとんがっている時期には、殺人事件を書いて来る応募者が多い。好景気に世間がうわっ調子な時期には、詐欺だの暗号解読だの知能犯だのを書いて来る応募者が多い。集計・分類して確かめてみた者はなかったが、なるほど、体感としてはなんとなく同感だった。
 ということは、今はどういう時期なんだろうか。

とある遺言



 へー、こんな色もあるのか。

 神保町交差点脇にて待合せ。以前は岩波ホールの角と称んだが、今はなんと云うのか知らない。まずは地図を広げて一同北を向いて立ち、位置概略をお解り願う。彼方前方が水道橋駅に東京ドーム。左方向彼方が九段下。坂を登りつつ右に靖国神社で左に日本武道館市ヶ谷駅に突当る。反対右方向は駿河台下交差点で、長らく改築中だった三省堂本店が来年改築お披露目。まだまだ行くと秋葉原や神田方面。背後を振返った彼方は竹橋方面で、皇居に突当る。お濠手前の左が毎日新聞社で右が日本近代美術館。
 今立つここを座標面の原点と考えて、第一から第四象限まで四方に古書店はある。

 神保町古書店街を知りたいとおっしゃる若者たちがある。未経験だから要領よく教えろとおっしゃる。アノネ、お気持ごもっともだけれども、半日散策くらいじゃ無理なの。公園を散歩する感覚じゃ駄目。青木ヶ原の密林へ踏み入るに似た、覚悟も準備もなくっちゃね。
 それに独りで体当り的に歩く経験をいく度もいく度も重ねて、自分流に体得するわけね。教わったとおりじゃ、いつまで経っても解りゃしません。
 けれど無駄な初期努力を省力化するのは有益だ。そこで今回はいっさい書店に入店しません。物色や買物は諦めてちょうだい。ただただ書店前を歩き通します。いかなる書店がここにあると、このジジイがお経のように解説し続けますから、ほとんど忘れてしまわれることでしょうが、記憶に残った箇所だけ、お持ち帰りください。


 まずは靖国通りに沿って、座表面の第四象限から。大型有力店が目立つ。一誠堂と玉英堂の二階は、古書店というより文化財展示室。みだりに商品に触れられません。むろん両店とも一階売場の商品管理も抜群。
 けやき書店と八木書店とは、黒い本と白い本とを覚えるための典型店。全集類の相場を勉強するには内山書店で、となりがアートのデパート小宮山書店。美術・工芸・浮世絵・古地図・和綴じ本なら一心堂・悠久堂・大屋書店など。仏教・儒学・日本史など古色世界専門の東陽堂と慶文堂。豆本こけし人形の呂古書房の角が東詰めの折返しだが、ちょいと寄道して駿河台坂方向へ横断歩道を渡る。文庫本の専門店である文庫川村と、坂道を挟んだお向うに東京古書会館。毎週金曜土曜には古書市が開催される。

 さて裏道すずらん通りを還る。裏通り新興店には、現代美術だのサブカル・アイドル関連など、異色店が多い。画材と小間物の文房堂はここが本店。東京堂書店内と正面の冨山房ビル地下とには、しずかに用を足せるトイレがある。独りで散策経験を重ねるにはあんがい重要なこと。中国関連専門の内山書店と東方書店。天ぷら屋「はちまき」の歴史や、内山書店と魯迅の関係なども手短に説明。
 出発点だった待合せ場所へと戻る。初心者であればここまでで一日目終了だが、今日はそうはゆかない。なにせ入店しないのだから。
 小休止したいが、さぼうる前は行列。ミロンガ前も行列。神田ブラジル前も行列。かつて私がくつろがせてもらった珈琲店はいずれも、今では観光名所化もしくは聖地化してしまったらしい。お呼びでないと云い渡された気分だ。席数の多い古瀬戸珈琲店で、ようやく腰を降ろすことができた。

 第三象限九段方向は、第四象限にくらべると小型店舗が多く、そのぶんそれぞれ専門分野に的を絞った個性強烈な古書店が多い。神田古書センターは毛色の異なる店が六階まで、よくもまあ積みあがったものだ。エレベーターでてっぺんまで揚って、階段で降りながらの散策を勧める。軍事・戦史・自衛隊関連は文華堂。映画演劇の矢口書店。易と漢籍の古賀書店のとなりは書道の長島書店。洋書の北沢書店の一階はカフェと催事スペースのようになっている。洋書の小川図書のとなりはジャーナリズムの波多野書店。中国関連書の山本書店があって、専修大前交差点がポルノの芳賀書店。交差点を九段方向へ渡れば珈琲館一号店だが、今日はここから第二象限水道橋方向へと渡る。

 第二象限の古書店のほとんどは、神保町交差点から水道橋駅までの白山通りに面してある。ただし一軒だけ内陸部に孤立したかのような場所に西秋書店がある。文学書を漁った経験のある者でこの店のお世話にならなかった者は、まずあるまい。その立地から、なにかのついでに通りかかれる店ではない。西秋を目指して歩くほかはない。
 水道橋駅近くまで歩いてから、横断歩道を第一象限へと渡る。この地域は、個性店の連続だ。靖国通り沿いが目一杯のために、このあたりにひっそり構えた店が多い。乱暴に二大別すれば、隠者のごとき豪傑と意欲満々の新興勢力との混在である。あきつ書店やみはる書房といった、初心者には敷居の高い、塚原卜伝さながらの店について今日は措く。となると囲碁・将棋のアカシヤ書店くらいしか、私には案内できない。詩歌専門、絵本児童書専門その他、新興勢力店のおおかたを、私はまったく知らない。
 その昔は映画館で、廃業後は大型パチンコ店となっていた人生劇場の跡地に、@ワンダーJG店ができていた。古書店としては破格の坪数を誇る大型店だ。この店が軌道に乗るようであれば神保町も新時代へと移るかと、期待を覚えずにいられぬ店だ。
 第一象限散策については、事前調査不足のため効率よく歩けず、不本意に了った。が、参加者一同には書店組合が発行している書店一覧と地図との最新版が渡ったので、独りで歩く気概さえもってくれれば、実りある散策のきっかけとはしていただけよう。


 この地を感じてもらうためにはあと一歩とばかりに、駿河台坂を御茶ノ水駅へと登った。お茶の水橋と聖橋とを説明する。あとは歩きながら説明したかったが、ビル群に隠されてしまったニコライ堂を説明することはできなかった。穂高は健在だったが、入店する時間はもはやなかった。
 湯島聖堂は耐震改修期に入ったとのことで、立入禁止の貼紙が出ていた。昌平坂学問所お茶の水女子大学建学の地とは説明できても、孔子廟や巨大な孔子銅像を若者のお眼にかけることはできなかった。
 最後に神田明神へと参る。山門にも境内にも、灯が点っていた。休憩所を兼ねた土産物・記念品売場には、まばゆいばかりの電灯がともっていた。名物の甘酒を味わう時間はなかったが、平将門を説明し、銭形平次を説明し、荷田春満を説明した。

 説明なんぞしたくはない。ましてや教えるなんぞは柄じゃない。連れ立って歩いて、経験し感じてもらい、せいぜい稀に口出しして昔噺でも聴いてもらい、それぞれ自力で体得してもらいたかった。だが残念ながら、昨今さような機会をもちにくいご時世となった。加えて私自身が、さかんに歩いた齢ごろの一割にも満たぬ脚力しかなくなった。
 よろしいか。本のことは本屋から教われ。教授なんぞから教わっても役には立たぬ。快適な家の建てかたは大工から学ぶのだ。建築学の教授なんぞ教えちゃくれない。当りまえじゃないか。
 あとは自分で歩け。神保町は容易ではないぞ。やすやすと納得してしまえるような場所ではないぞ。歩きなさい。云い残すべきことは、俺は云ったからな。

饗宴

  

 酒屋や百貨店の酒売場であればともかく、スーパーの酒類コーナーなどで、一升瓶を眼にする機会はめっきり減った。どっしりと重量のある厚手ガラスの一升瓶! こういう景気好さは大好きだ。

 英文学者の大島一彦さんから、ご郷里茨城県の蔵元謹製の酒を贈っていただいた。なによりの愉しみ。ありがたい。
 早稲田大学の大島一彦名誉教授については、いく度も思い出して記したから、繰返さない。要するに零細出版界や雑魚ライターの泥沼を泳いでいたナマズを、大学勤務の池へと引っぱってくださった恩人である。むろん沼と池とのいずれが好い環境だったか、私に適した水だったかという問題は別だ。
 ともかくご恩あって、振返れば私の人生は、前半四十八年間と後半二十八年間とに判然と色分けされた恰好となった。前半四十八年のうちのそのまた前半は、親の世話になっていたわけだから、実質的には社会人としての私は、前後半々といった様相だ。
 大島さんとは、じつによく酒を酌み交した。歌仙の座もご一緒した。温厚にしてつねに笑みを絶やさぬ学究ひと筋の英学者だ。私はと申せば、下品な世界を垣間見てはおずおずと尻込みしたり、ふたたびみずから身を投じたりを繰返してきた。来しかたの風景がだいぶ異なっていたかもしれない。だからこそ酒の相棒としては、どこか合ったのかもしれない。

 瓶を傾けると、底に沈殿していたものが霧のように立つ。「うすにごり」と称ぶらしい。瓶の中で、まだ生きている酒だ。瓶の首には気体が充満しているから、栓を抜くさいにはよくよく注意せよと表示されてある。
 また冷蔵庫にて保管せよとも、注意書きされてある。わが貧しき冷蔵庫に一升瓶を収めるにはいささかの工夫が必要で、毎年トレードやコンバートの作業が不可欠となる。世に云う「嬉しき悲鳴」の類だ。


 昨日は鼻風邪を押して外歩きを強行した。鼻水拭きふき、またティッシュの鼻栓をマスクで隠して、神保町からお茶の水界隈を散歩した。天罰てきめん、今日は在宅するほかない体調だ。食膳は全面的に、いただきものに助けてもらう。

 いただきものの「舞茸ご飯の素」は一袋が二合炊き用とある。だがヒット商品というものには多様な顧客の要望が考慮されてあるはずだから、おそらく味付けは濃いめだ。私はひと袋で三合を炊く。その代り酒と昆布と塩とを、ヤマ勘で足しておく。
 香の物皿には、つねの梅干・ラッキョウ・ニンニクに、いただきものの味噌漬けが加わる。いただきものの芋が惣菜皿に付く。いただきものの飾り蒲鉾が小皿に付く。いただきものの高級ハムを少しだけ切って、ソテーしてみる。
 いただきもののキャベツを、昨夜のうちに浅漬けにしておいた。生姜のガリを漬けるような甘酢をベースにして、おろし生姜と七味唐辛子とを加えた。口に入れた瞬間には甘酢で、あとからピリ辛という狙いだ。今日試食してみたら、いい加減なヤマ勘のわりには、好い味となりつつある。
 師走の膳は賑やかだ。

芋じゃ芋じゃ



 初めての経験だ。

 昨日は外出の用事があった。明日も外出の予定がある。今日は谷間の日だ。寒い。風も強い。休息日として籠城する。
 かような日こそ、いただきものの食材を調理しよう。じゃが芋もさつま芋もあるし、ちょうど作り置き惣菜が切れたところだ。どちらを先にするか。しばらく迷った。時間はたっぷりある。ラジオからは国会中継が流れてくる。ええいっ面倒だ、とばかりに、両方に手を着けることとした。初めての経験だ。


 「ところで、こういうのご存じ?」
 日ごろなにくれとなくご心配くださる、ご近所のスーパー奥さまが、私にとっては未知の食品をお土産にくださった。へえー、こりゃまた珍しいものですねえ。
 「なに言ってるの。スーパーでふつうに売ってるわよォ。眼に入ってないんだわ、きっと」
 図星だ。スーパーの通路を物色して歩くさいに、日清のカップヌードルが眼に入ると、その先に姉妹品や関連商品がズラリと並んであっても、私とは縁の薄い商品群と独り決めして、ろくに注意も払わない。稀にカレーヌードルの小カップにだけ、おやつ代りにと手を伸ばすことがあるくらいだ。

 醤油ラーメンにも塩ラーメンにも、あれこれ試したあげくに自分流はこれと定めた割安な袋麺が決めてある。年月をかけた比較検討の結果だ。会社員として出張族だった時分には、ようやく解放された深夜のビジネスホテルのルームにて、あれほどお世話になったカップ麺というものと、ご縁が途絶えて久しい。
 「麺じゃなくて、ご飯なのよォ。ご飯ってどうなのって、アタシも母も思ったのだけれどね。これがあんがいイケるのよォ。お腹も一杯になるし。母なんて二回に分けていただくことだって、あるくらい」
 その「母」なるおかたが、私と同世代だ。ここでも時代は進んでいた。しかも種類がまた多いことといったら…。世間の動向に無頓着な私が、置いて行かれているだけと知らされた。今や独り暮しの独身青年や多忙のキャリアウーマンがたは、湯が沸かせて電子レンジさえあれば、食事くらい容易に摂れるのだな。野菜を洗ったり刻んだりの手間なんぞ、時間の無駄なんだな、きっと。
 ありがたくご馳走になるとしよう。あんがい病みつきとなって、わが保存食レパートリーに加わるなんてことに、ならぬとも限らない。


 じつはカップカレー飯はちょいとした話題の種で、いわばおまけのお土産だった。途方もなくお顔の広い奥さまのもとには、遠方のご友人がたからたいそう多くの進物が届く。夫君とご母堂とのお三かたでは消費しきれぬ量のお心づくしが、もたらされる場合も少なくないらしい。結果として、ありがたいことに私ごときまでがお裾分けに与れる。いつも助かってきた。
 今回はブランド蜜柑と採りたて野菜だ。キャベツについては日ごろから、使いたい気が起きても消費量に自信がもてぬから、無駄にするのが怖くてあえて買わずに過してきた野菜だ。かようなかたちで頂戴したとなれば、せいぜい大胆に使わせていただく。
 そしてさつま芋だ。つい先日、大北君からもいただいて、久びさの味をありがたがったばかりだ。私にとってこの師走は久しぶりに、さつま芋の当り年だ。

 で、私には初体験の芋いもデイとなった。ひと品めとして自前在庫のじゃが芋を片づけるべく、自己流煮っころがしを仕立て、もうひと品として、なかなか大学芋らしくなれぬ予備校芋を仕立てる。見てくれがよろしくなるには、まだ修業を要する。例によってすべて自分で食うんだから、火が通っていて味が整ってさえいれば、かまうこっちゃない。芋じゃ芋じゃの谷間の日である。

熱燗二合

      

 めったに仕事などない身に、珍しくお役目があった。そんな夜には、生ビールでもカルピスサワーでもなく、まずは二合徳利に熱燗だ。自分への「ご苦労さん」である。

 
 約束は午後六時だが、二時過ぎには家を出た。ぬかりはないか、昨夜までにいく度も確認したが、最後にもう一度、心を落ち着けて考えてみたい。場所を移し、気分を替えてみようか。

 駅ホームのニュース掲示板には、毎週四項目の写真ニュースが貼り出される。わが郷里の原発がいよいよ再稼働の運びらしく、県知事閣下が挨拶だか号令だかをなさったらしい。島根県松江市では、名物の干柿のこしらえ作業が盛りで、あちこちの軒下が鮮やかに色づいているという。別様に眼を惹くニュースだ。
 あとの二項目は、外国人力士の新大関誕生と、約五十年間ものあいだ子どもたちに人気を博してきたテレビ朝日系の「戦隊ヒーロー」が来年をもって終了するとのニュースだ。トップニュース扱いは原発でも新大関でもなく、戦隊ヒーローだ。朝日新聞掲示板だから当然か。


 練馬駅構内のモスバーガーに腰を落着けて、まずは珈琲と食い慣れたチーズバーガーといく。
 広くもないカウンターに、読みかけの本と布製筆箱とを出し、今日はさらにレターパックにぎゅう詰めされた、原稿の束を取出す。今回のお役目は、ひと月半以上も前に、なん篇もの小説原稿を預り、読んで、出来栄えの程を編集部へ報告する仕事だ。次つぎと仕事がなくなってゆき、もしくは引退してきたなかで、読み屋稼業が最後まで残った。もっとも長きにわたって従事してきた稼業ともいえる。

 衰えたりとは申せ、腕に覚えの仕事だから、結論は出せる。が、読み損ないや視落しがないかとは、つねに気になる。またいったん出した結論を、日が経つと忘れてしまう。かつてであればせいぜい二度読めば、まず問題点を取りこぼすはずなどなかったものが、今は線引きや余白メモを書込みながら三度目を読む。これでぬかりがあるようなら、きれいさっぱり廃業のほかはない。
 作品を寄せられた作者がたにしてみれば、渾身の労作だ。もしくは勝負を挑んだ必死の冒険作だ。私の読みに粗相はなかったろうか。各稿の題字を睨むように視詰める。パラパラとめくりながら、復唱するように要点を思い返す。お預りした全篇を思い返したころには、チーズバーガーを食い了え、珈琲も飲み了えてしまうから、トレーを脇へ寄せて、全篇をカウンターに並べて一望にして眺め較べる。
 よしっ、昨夜までに考え済ませたところに、変更点はない。


 練馬駅北口。喫煙所のある、幅広い歩道橋といった空中広場だ。陽暮れまでには少し間があるものの、早くも薄暗い。日ごろ無意識に通り過ぎる両側の植込みには、無数の豆電球がへばり着いたコードが漏れなく絡ませてあって、控えめなイルミネーションを成している。クリスマス仕様というわけか、早くも歳末風景だ。
 かつて豆電球と申せば、径一センチほどながら、ほんとうに電球の形をしていたもんだった。微小ではあっても内では実際にニクロム線が熱を帯びて輝いているかのように見えた。いつのころからか、豆電球とは名ばかりで、形状はまったく異なるものとなった。青色発光ダイオードの発明が話題となったあたりから、豆電球界に革命でも起こったのだったろうか。


 やれやれ本日のお役目は、どうにか済ませた。会場は江古田の日本大学藝術学部だ。おいとました午後八時ころには、むろん外は闇だ。ここにもまた、ささやかな歳末飾りがあった。ささやかながらに精一杯輝く瞬間と、ほとんど闇と云っても差支えない極限のささやかさとが、規則正しい間合いで点滅している。
 立ち停まって点滅の間合いをわが身に憶えさせ、カメラを構えてからも息を詰めて間合いを予測しながら、これでももっとも明るく輝いたのだという瞬間にシャッターを押した。

 で、独りわが町へと戻り、いつもの店のいつもの席で、こういう日は二合徳利に熱燗である。

重装備の季節



 年に一度の贅沢をさせていただく。

 従兄から、変り蒲鉾のご恵贈に与った。上越市の製造元による創作蒲鉾で、蒲鉾を芯にして焼鯖を巻いたもの、鮭を巻いたもの、焼き穴子を巻いたものの詰合せだ。私にとっては年に一度しかお眼にかかれぬ珍品である。

 従兄弟従姉妹の会とでも称ぶべきものがもしあるとすれば、衆目の一致するところ長老にして会長は彼だ。他には考えられない。
 地方公務員として勤め上げながら、先祖伝来の田畑と家屋敷とを守りとおした。二棟あった伝来の土蔵のうち一棟が、新潟地震で歪み半壊となったさいには、英断をもって始末した。なまこ壁様式による古蔵の修理は、現代の建築技術をもってしてはむずかしいとのことで、新たな一棟を建てるよりも物入りとなるらしく、苦渋の決断だった。ぎっしり詰っていた先祖からの申し送りの品じなを吟味選別し、処分するには、よくよくの胆力を要したことだったろう。同じく樹齢なん百年とも知れぬ庭木を、いく本か始末しなければならなかった。これまたおおいなる決断力を要したことだろう。
 つね日ごろは、人生に大鉈を振るう性質(たち)の男ではない。大声を控え、いつも笑顔とユーモアとを絶やさぬ男だ。家族にも恵まれ、孫の成長になにより眼を細める男だ。しかし、分け隔てなく穏やかそのものと見える物腰の裡に、いったいいかばかりの見識が潜んでいるものか、どれほどの忍耐と決断とを経てきたものか、私は怖ろしい気がして、面と向ってじかに訊ねたことがない。
 先祖と家系とに対して、妻と子らとに対して、職と職場とに対して、地域と隣近所とに対して、いったい幾重にわたる責任を、彼は果してきたのだろうか。だれにでもいく度か訪れる人生の岐路に差しかかるたびに、ことごとく私ごときとは逆の途を辿ってきたに相違ない。
 そんな従兄から、絶佳の珍味が届いた。わが食卓の大砲となる。


 迎え撃つがごとくに対応するのは、年間をとおしてわが身を守ってくれている、小物特殊部隊だ。月並にして威力には乏しいが、おのおの持場を外したことのない単一専門職集団である。
 ニンニク紫蘇漬と野菜味噌漬とは、たまたま同じ小鉢に格納されてある。もとは「天草 粒ウニ」の進物用小鉢だったらしい。記憶はない。母が捨てずに食器棚の奥に収めてあった。梅干の格納容器も母の保存品だが、木製樽型の陶器小鉢という点が面白くて、私が梅干用とした。商品名も販売元も記されてないので、もとの用途は知れない。いずれも私が母から台所を継承してほどなくからの登板だから、二十年ほど同じ職務に就いている。
 ラッキョウ用だけが、再登板して年が浅い。長らく同職に就いていた小鉢が、私の粗相により割れた。その顚末を日記に書いた憶えがあるので、この四年以内のことだ。で、この小鉢の再登板となった。これのみは進物容器ではなく、陶器店からの購入容器だ。かつて母がなにかに用い、飽きたか余ったかして食器棚の奥に休眠させておいたものを、私が再登板させた。

 季節の風習により、多くのかたがたからお心づくしを頂戴する。どれもこれも私にとっては高価で珍しいものばかりだ。わが食卓にあっては、重火器であり強力破壊兵器である。私は軽機関銃を引っさげて、対応させていただく。

賞味期限



 めっちゃエモい。けっこうヤバくね?

 タモリ・たけし・さんまの三人ゴルフという番組があった。私がテレビを観ていたということは、十五年以上も前のことだったか。このお三かたがゴルフコースをプレーして周る。各ホールごとに、途方もない制限や約束事が設定されてあって、茶の間に爆笑を届ける仕掛けとなっていた。
 とあるホールでは、ティーショットからカップインまでを、みずから選択した一本のクラブで通すという縛りだった。お一人はウッドクラブを選んだ。いち早くグリーン周りにまで到達しなければという考えだろう。別のお一人はミドルアイアンを選んだ。道中を短距離で刻むこととなっても、結局は寄せとグリーン上とが勝負になると踏んだわけだ。
 圧倒的に飛ばして先行した人は、バンカーやラフからの脱出にもウッドクラブを使わねばならない。ミドルアイアンで刻みながら追ってきた人に、追い抜かれたりする。そして全員が苦労したのがグリーン上だ。パターというクラブがなければ、パットというものはこうまで定まらぬものかという、爆笑珍プレーが続出した。
 とあるホールでは、このホールに限り英語禁止との縛りだった。英単語を口にするたびに、大きなガラス瓶に罰金千円を投じなければならない。
 「おい…木の頭の棒よこせ。…据えつけ玉を打つから」と、用心深く始める。互いに声を掛け合っては相手のウッカリを誘い出そうとする。
 「兄さんその棒はなんですのん?」「…すくい上げ金属棒よ。まずは玉を…砂場から打出すショットで」「アッ言った、千円」「汚え野郎だなぁ、あっち行ってろ。…緑の…きわへ落せばいいんだな」「あとはランでも行けまっせ」「アッ言いやがった、千円」
 罰金につぐ罰金で腹を抱えての爆笑に、プレーはなかなか進行しなかった。

 むろん視聴者たる私も笑いころげていたわけだが、同時に考え込まされもした。外国渡来のスポーツにあっては、外来語を使用せずにはプレーも中継もできまい。それでも野球やサッカーといった渡来してから歴史の長い競技では、部分的に日本語化されてもいよう。が、フェンシングだカーリングスノーボードだということになれば、外来語抜きではもはや競技できまい。スポーツにあっては、外来語と考えるべきでなく、競技と不可分の専門用語にして、これも日本語の範疇にあると考えるべきなのだろう。
 お三かたのゴルフプレーから考え込まされたもう一点があった。言葉縛りの問題だ。試みに特定の流通語を禁止してみたら、会話はどのようになるのだろうか。成立不能となるのか。それとも落着いた日本語に復するのだろうか。
 その当時の若者口語に、「超、チョー」という副詞があった。意味も意図も伝わる。便利だとは理解できる。が、行儀の好い日本語とはどうしても思えなかった。試みに一定時間だけ「チョー」を罰金刑にしてみたら、会話はどうなってしまうのだろうかと、夢想しないではいられなかった。


 一昨日の夜十一時二十分近く、ふいにパソコン脇の電気スタンドが揺れた。カーテンも揺れている。作業中だった画面を保存して、地震速報に切替えた。またも三陸沖で大地震が発生したらしい。速報画面だけでは、今ひとつ伝わってこない。台所へと移動して、ラジオのスイッチを入れた。津波警報による避難指示が繰返されていた。
 「一昨日はレーダー照射で、今日は津波かよ。とんだ開戦記念日だわい」と呟く。
 「NHKラジオ深夜便」は休止となり、ラジオは夜通し地震情報と津波警報および注意報とを繰返し続けた。

 現地放送局からのリポートが入る。東大や北大の地震研究の教授がたが緊急に呼び出され、地震規模や今後の見通しについてのお考えが披露される。防災専門家から、注意事項や日ごろの準備について忠告される。深夜にもかかわらず地元住民の声が中継される。ひと渡りしたら、新たにより詳細となった地震規模が速報される。
 なん時間もの放送中に、手間をかけた原稿などは一枚たりともなかったことだろう。誤字やキータッチミスを避けられぬ速成原稿(昔ならナグリ書き)ばかりが、次から次へと脇から手渡されてきたことだろう。よくもまあ一定の速度で、誤りのない日本語で、語り続けられるもんだ。NHK のアナウンサーはやっぱり凄いと、今更ながらに感心した。

 ユーチューブを開いたら、なんらかのシステムかソフトかの広告だろうか、「好きなことを仕事にできる、ユーチューブなら」とのコピーが飛び込んできた。そりゃおめでとう。ご同慶のいたりだ。世間にはさようなかたもおいでなのだろうが、少なくとも私の周囲には、好きなことを仕事にできている人なんぞ視あたらない。仕事のなかに、なんとか「好き」を視出そうと頑張っておいでのかたが大半だ。
 好きでなさるなら、ひとつお願い申したい。ユーチューブ画面にてあまりに多い、字幕の誤字をなんとかしてくださらんか。語りのなかであまりに不用意な「めっちゃ」「めちゃくちゃ」を、なんの表現にもなってない「けっこう」「意外と」を、なんとかしてくださらんか。夜明けまで聴き続けた地震情報に、「めっちゃ」「けっこう」は一例もありませんでしたぞ。
 同じラジオでも、芸能人さんがキャラクターMC を務める番組では、「めっちゃ」「めちゃくちゃ」も「けっこう」「意外と」もよく耳にする。つまり誤用ではない。時代の流通語というまでのことだ。もしも今から一時間「めっちゃ」と口にしたら罰金千円とのゲームをしてみたら、ユニセフにかなりの募金ができるのではあるまいか。
 そこでめっちゃ今風なあなたにお訊ねしたい。そのおっしゃりかたって、チョー面白いと申しあげたら、どうお感じになられようか。なんと賞味期限切れな言葉かと思し召されるにちがいない。ということは、あなたさまもすぐに、賞味期限切れとなられますぞ。ご覚悟召されよ。

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