「男性同士のケアのできなさ」は、生活実感としてあると思う。言い換えると、「気持ちへの寄り添えなさ」。男はびっくりするくらい他者の気持ちに寄り添わない。その一方で、自分の気持ちへの寄り添いは強く求めている。お互いの気持ちに寄り添うのがWin-Winになるのは明らか。何故そうならないのか。
— タマキ (@fuyu77)2025年9月6日
前々から主張しているように私は「男性はすでに互いにケアし合いまくっている」論者なんだけど*1、そうではないと主張する方々は「仕事」以外の男性コミュニティを知らないからなのではないかとふと思った。
仕事は利害と競争の場だから確かに私も周囲の男性のケアなんかしないし、実際仕事中の私はめちゃくちゃ性格悪くなっている自覚がある*2。むしろ性格悪くあることを望まれているとすら仕事の場では感じている。性格悪くなければあの場所ではやっていけないし、成果も出せるわけがない。そんな余裕はあの場所にはない。
私が「既にケアし合っている」と語る男性同士の関係は、利害からも競争からも離れた趣味や飲み屋のコミュニティだ。そうした場では男性同士はめちゃくちゃケアし合っている。そうした場を知らず仕事の場しか知らないと、確かに男性同士はめちゃくちゃ性格悪くいがみあっているように見えるのかも知れない。冒頭のタマキさんが男性同士の関係性を「びっくりするくらい他者の気持ちに寄り添わない」と感じているように。
確かに私も仕事の場ではびっくりするくらい他者の気持に寄り添っていない。むしろ積極的に他者の気持ちを無視しようと努力すらしている。そうあらなくては仕事を回すことはできないから。でも違うんだよ。仕事から離れた趣味や飲み屋等の場では、男性同士でもめちゃくちゃ和気あいあいと「ケア」し合えるんだよ。
これはジェンダーの問題なのではなく、仕事という場の特性の問題なのだと思う。男性とちがい女性はケアし合っているというけれど、それは現代社会の仕事の場が男性に占められているからそう見えるだけで、仕事の場に投入されれば女性もケアし合わなくなるのではないか。ケアせず「性格悪く」ある事を求められ、職場の環境圧に屈せざるを得なくなってしまうのではないか。そう私は疑っている。
あるいは仕事の場が競争と利益を求めるゆえに、それに適したソルジャーが男性に多く、結果的に仕事の場を男性が占有するようになったという逆説も成り立つだろう。そうして男性はますます仕事への適応と依存を強めていき、「ケアし合わない」ように見えるようになっていったという見方も可能だろう。
ここでフェミニストであれば仕事の場に女性を導入することでこうした「悪しき男性性」が緩和され、男性も楽に生きられるようになると主張するのだろうけれどどうだろう。女性もまた仕事の場に投入されれば利害と競争の論理に取り込まれ、ケアし合う余裕などなくなってしまうのではないか。仕事の外の場では男性も積極的にケアし合っているのだから、女性が「企業戦士」になり下がらないという保証はないだろう。
結論:ぜんぶ仕事が悪い。
*1:https://x.com/Tanishi_tw/status/1959608111012164036
*2:「恨まれるのが上司の仕事」的なアレである。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。