「探偵ナイトスクープ」で男の子が家事一切を任されて疲弊している様子が流れ、「ヤングケアラー問題だ」と話題になっている。
ツイッターで断片的に拾ってみたところ、確かに気の毒だなと思った。両親の問題が指摘されていて、それもうなずけるものだった。
ただ、この親のように“ちょっと変わった”大人は意外と珍しくない。子どもたちにとっては厳しいかもしれないが、別の場所では良い人で通ってるかもしれない。
逆に常識的な親だとしても、無自覚に子どもを追い詰めてるケースも知ってる。そのほとんどは悪意なんてないし、本人なりにちゃんとやってるつもりだったりする。
ここで「児相にいうべき」「警察が介入すべき」という理屈も分からないでもない。そこまでしなきゃ、現状は変わらないのかもしれない。
今、この手の「犯罪や事件とまでいかない、内輪のもめ事や問題と思われること」で一番手っ取り早く頼れるのは公的機関だ。おかげで、システムが順調に整ってきてる。
うちの近所でもパトカーが巡回するようになった。最初は事件でもあったのかと思っていたが、いつも同じ場所でUターンすることに気付き、「これが通常業務になったんだ?」と驚いた。そういう世の中なんですね、世知辛いですね。
でもシステムの行き過ぎが怖い。家族の問題にシステムが介入してくるなんて、絶対イヤだ。
わたしは親とよくケンカをする。手は出さないが、大声で怒鳴り合うことなんてしょっちゅう。2,3日険悪なムードが流れたらそのうち時間が解決し、再び平和な日々が戻る。
それで警察を呼ばれたら、たまったもんじゃない。たとえすぐ帰るとしてもよ。家に入り込んできて、事情聴取みたいなことされたくない。前に、ある件で警察に協力したら、なんか自分が犯人になったかのようで怖くてドキドキした(警察は悪くないけど)。
今の段階ではすぐ警察を呼ばれることはないかもしれないが、数年後はどうなってることやら。助けを求める場所があるというのは、決して悪いことではないとはいえ。。少しずつ自分のテリトリーが侵食されていくようで、気持ちのいいものではない。
なぜ、こんなことになったのか?
人間関係が希薄になり、全てが自己責任となり、かつて「困ったときはお互い様」だったのが、有料サービスにとってかわられ、トコトンまで個人が分断された成れの果てが今、なのだろう。
今回の両親にも友人や親族、ご近所さんがいるはず。その誰一人として子どもたちの現状を知らなかったとは思えない。つまり、知っていても指摘しなかったか、言ったとしても「大丈夫だから」と返されてしまえば、それ以上踏み込めなかったのだろう。
もしわたしがこの親のママ友だったとして、何ができただろうか。
家に行ったときに子どもを手伝うとか、励ますくらいしかできないだろう。「遊びにおいで」と言っても弟や妹がいれば放っておけないだろうし、その子に代わって家事をすることもできない。踏み込みすぎると別の問題に発展するし。そういう親に嫌悪感を抱いて距離を置くかもしれない。
これが昔のご近所付き合いなら、周りの大人が放っておかなかった。
両親に「ちゃんと子どもを見なきゃだめでしょ!」と怒る人も一人くらいはいただろう。たとえ直接介入できなくても、たまに優しい誰かの家に逃げ込んでゆっくりさせてもらうような場所があったはず。今はそれがない。
うちの親も今振り返ると結構キツいタイプだった。
わたしがラッキーだったのは、近所づきあいが広くあったこと。きょうだいもいたので、誰かの友だちの家に便乗して端っこに居座ったり、常にご近所さんの目の届く場所でチョロチョロしていた。
子どものわたしは、いろんな大人たちに世話になり、いろんな価値観を知ることができた。親は親で、人付き合いの中で「困ったときはお互い様」をしつつ、「それはどうなの?」とたしなめられたり、怒られたりすることもあったようだ。
本人に悪気がなくても子どもが傷ついていることがある。それを知るのは、他人と価値観を交換する機会があるからこそ。
今回の親は、交友関係が広いようだが、本当に大事なことを指摘してくれる相手や、本音を言い合える相手がいなかったということか。SNSにあった意見の中で「お金があるならシッターを雇えばいい」というのに大賛成だが、お金があってもやらない人はやらない。
あと、今回出てきた子どもは自分の置かれた状況をかなり客観視できていた。それは普通の同級生と自分の置かれてる環境が違う、ということが目に見えて明らかだったからだろう。幸か不幸か。
しかし、普通に幸せそうに生きていても、無自覚に疲弊している子もたくさんいる。わたしがまさにそうだった。いつも人の顔色をうかがい、何が原因かもわからず、追い詰められている自覚もなく、息ができないほど締め付けられる夢をしょっちゅう見ていた。
振り返ると、当時のわたしは支配的な親のプレッシャーに押しつぶされそうだった。当時の友だちで、わたしがそこまで追い詰められていたと知る人はいない。学校では悟られないように、普通にしていたから当たり前だ。それに、苦しいことばかりではなく楽しいこともあったから、気を紛らわせることは可能だった。
誰にも相談できないし、誰にも心配されない。むしろ、強い子に見られていたので厳しい言葉をかけられる。逃げ場もなく、夜寝るときだけが唯一自分の心と向き合う時間だった。当時の苦しみは大人になってからも続いて、脱却するのに時間がかかった。
やっと当時のことを過去にできた今だから言えるのは「親もただの人間。期待するだけムダ」ということ。わたしの知り合いでも、子ども時代に親に傷つけられた人はたくさんいて、未だに引きずってることだってある。もう孫がいる世代の人でもいるくらいだ。
どこからどう見ても立派な親に見えてたとて、それでも子どもの心に暗い影を落とすことはある。しかしそのすべては、良いことだけも悪いことだけもない。両方あるから人間として成長できる。わたしに子どもはいないが、いたとして立派な親になれるかなんてわからない。だから今回の親が変な人だとしても、責めることはできないよな、と思う。
そして、地獄のような子ども時代も、過ぎてみればもはやどうでもいい。それが糧になってすらいる。最後まで間違った選択をしなかったのは、希望を捨ててなかったから。捨てない限り、希望はある。
今回の子どもの話に戻ると、児相や警察が介入するのは難しいのかもしれない。これをきっかけに介入する方針になるのが良いとも思えない。
ただ、放送があったことで(SNSでやり玉に挙げられたことで)、周囲の人間は変わるだろう。
「実は前から〇〇くんのこと、気になってたのよね」という人が現れて「わたしも」という賛同者が増えそう。学校からの指導が入るとかね。人の目を気にして当たり障りない人間関係に終始している人ほど、同調圧力に流されるもの。
あるいは、「そんな事実全く知らなかった」という優しいご近所さんが少し子どもたちをケアするかもしれない。そうやって、今回の家に関してのみ、救いはあるのかもしれない。