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花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年

開発事業部では、商社や銀行など外部の会社から来た人と仕事をするのも楽しかった。

私たちは、彼らと国鉄出身者の差別をしなかった。
部外者扱いをせずにオープンに情報を共有した。
常務や社長などに説明に行くのも一緒だった。
どうせお客様扱いで、ほんとのところは教えてもらえまいと思っていた人は驚きもし喜んでもいた。

しかし、社長への説明に独りで行って来てくれというと、戸惑いを隠さなかった。
会社にもよるとは思うが、トップへの説明は取締役以上に限るようなところが多いようだった。
国鉄は、総括補佐が総裁に説明にいくこともあったし、局長どころか常務理事とサシで議論することもしょっちゅうだった。

上役と衝突しても、どっちかが、すぐに転勤になってしまうから、捨てる神あれば拾う神ありで、新しい天地が開けるというような楽観があった。
上と衝突するくらいな気骨が評価される風土も(かつては)あった。
民間会社は、概して国鉄と比べたら規模が小さいから、いったん上役に睨まれると、なかなかその目の届かないところに脱出するのは難しい。
そのことが、若者が上役の思惑を気にせずに、思うことを自由闊達に主張する風土の醸成の妨げになっているところもありはしないか。

民営分割化されたJRの若い社員たちが、そういうところを民間会社から学ぶのは嫌だな、と思った。
しかし新生JRは、民間会社からの派遣者から学ばなくても、すでに小さく固まって、改革血判組や上司に逆らわないようにするような空気もあったようだ。

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