
Sponsored by 富士通株式会社
Vol.11なぜエストニアは
デジタル先進国になれたのか
欧州・バルト海に面したエストニアは、いち早くデジタルガバメントに取り組んだ国として知られる。人口約130万人、面積は九州程度と国の規模は大きくないが、デジタルイノベーションが次々生まれる国としても注目されており、デジタルガバメントを進化させるプロセスにおいて、エストニアの経験に学ぶべきことは多い。一般社団法人 日本・エストニアEUデジタルソサエティ推進協議会の理事であり、起業家でもあるラウル・アリキヴィ氏に、エストニアのデジタル化への取り組みと成功の秘訣について聞いた。
ラウル・
アリキヴィ氏
一般社団法人
日本・エストニアEU
デジタルソサエティ推進協議会 理事
G-Bank Technologies OÜ / 株式会社GIG-A
CO-FOUNDER / CEO
国民にとって、紙ベースだけの行政手続きは離婚だけ
――アリキヴィさんは起業家であり、一般社団法人 日本・エストニアEUデジタルソサエティ推進協議会の理事でもあります。EUと日本をつなぐビジネスをはじめ、多面的な活躍をしておられます。まず、ご経歴をうかがえますか。
アリキヴィ 私はエストニアで生まれ、タルトゥ大学では政治や経済などを学びました。2001年に交換留学で1年間日本に滞在し、エストニアに戻って大学を卒業後、早稲田大学大学院で勉強するために再び日本を訪れました。日本に関心を持ったのは、戦後の日本経済の成長について学びたいと思ったからです。
大学院修士課程を修了した後、エストニア経済通信省で働き、政府のIT戦略などに関わりました。経済通信省に在籍したのは、2007年から12年までの6年ほどです。同省を退職してすぐに来日したので、日本での生活は合わせて15年くらいになりました。2021年11月には、日本で働く外国人労働者がスマホで簡単に銀行口座を開設できるようにするフィンテック企業「G-Bank Technologies」を設立しました。
――エストニアは世界的に見ても、いち早くデジタルガバメントに注力してきたことで知られています。現状、デジタル化がどの程度進展しているのかを教えてください。
アリキヴィ デジタルガバメントの普及により、国民にとって紙ベースのみの行政手続きは3つだけといわれていました。結婚と離婚の届出、不動産の取引です。その後、結婚と不動産取引がオンラインでも可能になったので、いまでは離婚のみ。それ以外の国民向け行政手続きは、基本的にデジタル化されています。
私は日本で暮らしているので、在留カードを定期的に更新しなければなりません。区役所への移動時間を含めると半日かかりますが、エストニアではオンラインで即座に手続きが完了します。ただ、行政手続きだけでは、人々はあまりメリットを感じなかったでしょう。エストニアでは政府が構築したITプラットフォームの上で、行政サービスだけでなく、多くの民間サービスが展開されています。
その一例がデジタルバンキングです。行政サービスだけなら、1人の人がデジタルの仕組みを利用するのは半年に1回くらいかもしれません。しかし、銀行なら毎月、毎週のように使うでしょう。一般の国民がデジタルに慣れながら、リテラシーを高めています。こうしたプロセスが大事だと思います。

デジタルに慣れるという
プロセスが、
デジタルリテラシーを高める
IT教育への投資が長い時間を経て実を結んだ
――エストニア政府がデジタルガバメントという方針が打ち出した背景には、どのような事情があるのでしょうか。
アリキヴィ エストニアは人口約130万人、面積は九州と同じくらいです。1991年、ソ連崩壊の過程で独立を回復しましたが、大学などでは1960年代からコンピュータに関する研究や教育が盛んでした。ITの専門知識を持つ人材の厚みがあったことが、1990年代以降にデジタルガバメント化を進める上での土台になりました。
1990年代後半、こうした施策を本格化する上での重要な契機がありました。「タイガーリープ」というプログラムです。独立を回復してあまり時間が経っていない時期で、PCの値段は平均的な給料の約3カ月分でしたが、政府は全国の学校に新しいPCを設置し、それらをインターネットでつなぐという計画を実行したのです。限られた予算の中で、思い切った「人への投資」でした。
――政治のリーダーシップが重要ですね。
アリキヴィ 予算配分の変更を含む意思決定ですから、政府首脳クラスのコミットメントは欠かせません。このようなIT戦略は将来に向けた投資という側面だけでなく、社会的なコスト削減も視野に入れたものでした。例えば、大手銀行などは事務のために大きな工数をかけていますが、デジタル化が進めば大幅なコスト削減が可能です。同様に、様々な分野で効率を高め、無駄な事務作業を減らすことができます。
――将来への投資は、どのような形で実を結んだのでしょうか。
アリキヴィ 20年経てば、15歳でPCを学んだ子供は、35歳の働き盛りになります。学校だけでなく、社会人向けの教育プログラムも実施されたので、40歳でPCを学んだ人は60歳になっています。もちろん、今でもPCを敬遠する高齢者などはいますが、国民全体のデジタルリテラシーが大きく底上げされました。
最初からスムーズにデジタルガバメントを実現できたわけではありませんが、民間サービスの普及などもあって着実にデジタルへの移行が進みました。そのほかの要因として、2000年代初頭に始まったIDカードの義務化も大きかったと思います。フィンランドは早い時期から電子政府に取り組んでおり、エストニアもそこから多くを学んだのですが、フィンランドは義務化には踏み切りませんでした。このことは、長期的に見てかなりの違いを生んだように思います。
産業の面では、IT関連のスタートアップが次々に生まれました。エストニア発スタートアップの最も有名な例は、ビデオ通話の「Skype」でしょう。同社はマイクロソフトに買収されましたが、Skypeで育った人たちがエストニアで活動しており、その中から有望なスタートアップも生まれています。現在、エストニアには10社程度のユニコーン(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)があり、政府はこれをもっと増やしたいと考えています。今では、IT産業はエストニアの主要産業の1つです。

Skypeを筆頭にエストニアには
ITのスタートアップが
多く生まれている
エストニアのデジタル社会を支えるプラットフォーム「X-Road」
――政府がつくったデジタルプラットフォーム上で民間サービスが行われ、それが社会のデジタル化につながる。とても興味深い動きだと思います。
アリキヴィ 国民はIDカードを使って行政や医療、教育、多様な民間サービスを利用することができます。こうしたエコシステムの中核的な役割を担うのが「X-Road」で、各種サービスの分散型データベースを、安全につなぐデータ交換プラットフォームです。デジタル社会において欠かせないセキュリティ、ガバナンスを確保するのもX-Roadの重要な機能です。
ちなみに、X-Roadに注目したのがウクライナです。ウクライナの同様のシステムは「トレンビータ」と呼ばれていますが、これはX-Roadをベースに構築されたものです。ウクライナの強靭なデジタルガバメントは、戦争中にもかかわらず、サイバー攻撃による大きな被害を免れています。
――多くの国民が安心してデジタルサービスを利用するために、セキュリティ対策は必須ですね。
アリキヴィ エストニアは2007年に国外から大規模なサイバー攻撃を受けたことがあり、セキュリティ対策に注力し技術を磨いてきました。NATO(北大西洋条約機構)のサイバー防衛協力センター(CCDCOE)も、エストニアに置かれています。
――日本でもマイナンバーカードが普及しつつあります。より利便性を高めるために「銀行口座との紐付けが必要」との声もありますが、プライバシーの観点から国民の間では後ろ向きの意見がかなりあるようです。エストニアでは、この種の抵抗感はなかったのでしょうか。
アリキヴィ 銀行口座を開設するときには、ID番号が必要です。銀行は自行の顧客のID番号をすべて持っていますが、他サービスと連携させるためには本人の承諾が必要です。一方、政府は国民のID番号を管理していますが、職員が名前やID番号で検索しても銀行口座情報にはアクセスできません。紐付いてはいても、だからといって政府の職員が自由に個人情報をのぞけるわけではないのです。
もちろん、法律で認められた事項については、政府が個人情報にアクセス可能です。その場合、当該個人は自分の情報がどのように使われたのかを確認することができます。国民が自分の情報を自らコントロールする。それが、エストニアのデジタルガバメントの基本的な考え方です。

――最後に、日本のデジタルガバメント推進に向けアドバイスをいただけますか。
アリキヴィ 日本で十数年を暮らしていて感じるのは、人びとの「失敗したくない」という意識の強さです。しかし、失敗なしにイノベーションが生まれることはありません。大事なのは失敗から学ぶことです。エストニアもまた、多くの失敗から学んでデジタル社会を成長させてきました。失敗を恐れずチャレンジすることの大切さを強調したいですね。
(聞き手は日経BP 総合研究所 桔梗原富夫)
一般社団法人
日本・エストニアEUデジタルソサエティ推進協議会 理事
G-Bank Technologies OÜ / 株式会社GIG-A
CO-FOUNDER / CEO
ラウル・アリキヴィ 氏
タルトゥ大学卒業し、早稲田大学の修士課程を修了。2005年から2012年までエストニア経済通信省で局次長を務め、エストニア情報社会のための新たな戦略と政策の設計などを担当。現在は日本に暮らし、エストニア行政での経験と知識を生かしてコンサルティング会社ESTASIAを2012年12月に設立し、アジアにエストニアの行政システムなどを紹介。2021年には日本の共同創業者と共にG-Bank technologies OÜを創業し、代表取締役CEOを務める。(写真:棚橋 亮)

※肩書などは2023年2月公開当時のものになります