この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。
今日の講演会の要点
1)心は脳の機能。ただし大人は脳の機能を考えなくても、経験的に心を考えるのでよい
2)脳は進化の過程と関連している。ほ乳類ではすでに辺縁系(感情の脳)はできあがっているが、大脳新皮質は進化した動物ほど大きい。それは動物の心では感情が基本的にあって、それに知識が加わる形で心は出来てきている。つまり心の基本にあるのは感情がある。
3)大人では、意識から感情を調節可能なので、一般の大人の心を考えるときには、感情を考えなくてよい。感情が強く働いたときにのみ、感情からの心を考えるだけでよい。しかし子供では、意識で感情を調節できないので、絶えず感情を配慮した心を考える必要がある。
4)大人の心は知識からの意識と習慣から成り立っていると考えて多くの場合問題ない。子供の心は感情が基本で習慣と踏まえて考えることになる。子供の知識は言葉になるけれど、心としての機能は考えなくてよい。
5)大人の性格はその大人の持つ知識と習慣から成り立っている。子供の性格は感情と習慣から成り立っている。大人の行動は習慣と知識からの行動になっている。子供の行動は主として感情からの行動と、習慣からの行動になっている。それ故に子供に行動した理由を聞いても、子供自身はわかっていない。
その後、母親からの笑顔、共感とスキンシップ、要求を100%だけ叶えるを続けることで、娘の強迫観念症状は少しずつですが減ってきている気がします。例えば、消毒の回数が減ったり、今まで自他共にリモコンに触ったら汚いとパニックを起こしていたのがリモコンを触っても騒がなくなってきました。思えば症状が出てから3ヶ月程度経ちました。ここまでの症状がこのくらいで落ち着き始めたということは、薬ではなく、根本の辛さを減らしてあげることで良くなるのだなと、実感しました。
登校刺激を与えないようにしても、心の中にあるもの自己否定のようなものが反応してしまうとその症状が強くなる気がします。その為には、強迫観念をなくそうとするのではなく、笑顔・共感とスキンシップ・要求を100%だけ叶えることを意識しています。最近は、「ストレスがすごい、少しのことでイライラする」というので、やはり心の辛さがまだまだあるのだろうと思います。
スキンシップをしようとするのですが、”自分の体で気になっているところがあると思うと触れて欲しくない、私や弟、父親にもその変な菌が移ってしまう”と考えるようで、「触るな、私が今自分の手、変な感じしたの知ってるよね?私の手に触れた場所洗ってきて。触れた服も替えてきて」など、怒り拒否をする時もあります。そうじゃない時は、膝の上などの座ったり寝る前にくっついてきたりしますが・・・
100%要求を即座に叶えることは時に難しいと思います。例えば、私と弟はフリースクールに行きたい、でも兄は行きたくない時や、課金をしたがる時です。課金はきりが無いです。
<解説>
>その後、母親からの笑顔、共感とスキンシップ、要求を100%だけ叶えるを続けることで、娘の強迫観念症状は少しずつですが減ってきている気がします。
母親と娘との間に不完全だが少しだけ信頼関係ができてきたことが推測されます。娘が母親に安心感を感じだした、守られていると感じ出したと考えられます。ただまだまだ不十分です。
>例えば、消毒の回数が減ったり、今まで自他共にリモコンに触ったら汚いとパニックを起こしていたのがリモコンを触っても騒がなくなってきました。
こだわりがとれてきたという意味ですが、以前より娘の心が楽になってきたという意味で、以前よりは良いという段階です。娘を辛くしているのは母親ではありません。ほぼ間違いなく登校刺激です。その登校刺激に対して、母親がより辛くなるような対応をしていたから、これらのこだわりの症状が出ていました。、
>思えば症状が出てから3ヶ月程度経ちました。ここまでの症状がこのくらいで落ち着き始めたということは、薬ではなく、根本の辛さを減らしてあげることで良くなるのだなと、実感しました。
この部分は母性からの感じ方だと思います。今後の母親の対応がより娘の心にそう対応になることを願っています。以下のMSGを読むとまだ娘の心に沿った対応の意味がわかっていないように感じます。
>登校刺激を与えないようにしても、心の中にあるもの自己否定のようなものが反応してしまうとその症状が強くなる気がします。
この部分の理解が難しいです。きっと(母親が娘に)登校刺激を与えないようにしても、(娘の)心の中にあるもの自己否定のようなものが反応してしまうとその症状が強くなる気がします。もしこの通りだとしたら、この部分について母親の母性が機能をしていません。母親目線からの感じ方です。
娘の姿からの推測ですが、母親は投稿刺激を与えていないと思います。ただし娘の周囲に登校刺激があり、それから母親が守ってあげていないと考えられます。娘の周囲に登校刺激がなくて、娘自身が知識から登校刺激を作っているにしては、娘の反応が強すぎます。登校刺激から、母親が娘を十分に守ってあげていない段階だと、私は推測します。登校刺激から娘の辛い心がまだあり、その辛さを母親で十分に癒やされていないという意味です。
第百四十三回子どもの心検討会が行われました。参加した母親達の不登校だった子ども達はその子ども達なりに動き出していて、どちらかというと母親達がやってきたことが子ども達の心に沿っていた(不登校の子供には正しかった)かどうかの確認の話し合いのようでした。不登校の子供を信頼して待つ意味の質問がなかったので、ここでそれを述べてみたいと思います。
大人の心と子どもの心と異なっています。不登校の子供が荒れたり問題行動をしていないという意味は、登校刺激が無いので、子どもの心にある「学校に反応をして子どもの心を辛くするトラウマFCR」が反応をしていないと言う意味です。子どもの心が辛くないと、子どもなら必ず持っている本能が機能をし出します。それは社会活動をしている大人にはないものですから、親を含めて大人はなかなか気づけません。
子どもの心が辛くないと必ず働き出す本能とは
1)母親を大好き
2)新しいもの(知識も入る)を求める
3)同年代の子供を求める
4)属している環境に順応しようとする
この4つを覚えておけば良いです。
1)の母親を大好きという本能を考えると、子供は母親が嫌がることをしないはずです。しかし現実に子供が母親が嫌がることをすると言うことは、この本能以上に母親が子供に辛いことをしているという意味です。見方を変えると、母親が子どもに何かしたとき、子どもが嫌がったり問題行動をしたなら、その子どもに何かしたことを止めれば、子どもはそれ以上嫌がったり、問題行動をしないということになります。例え母親が子どもに何かしたことが、子どものためだと母親が考えても、子どもの心にとっては嫌な物、辛い物だということです。子どもの心を優先すべきです。
2)と3)とは、子どもは学校が大好きだし、友達が大好きだという、子ども特有の能力です。子どもの心が辛くなければ、子どもは他の子どもが嫌がることをしないという意味です。もし心が辛くない子どもが他の子どもに嫌がることをしたなら、それはその子どもにとっての失敗であり、嫌なことをされた子どもの姿を見て、その子どもはその子どもの行動が他の子どもに好ましくないことを知ります。
4)から、心が辛くない子供は成長の過程で、大人が色々と教えなくても、子どもは家庭に順応するし、子ども社会である学校に順応するし、大人社会にも順応するようになるという意味です。子どもを信じて待っていれば、その子供なりに子どもの周囲の社会に順応してくれます。それでも大人が子どもに色々と指図することで、心が辛くない子どもはこの本能からその音何したがってくれますが、心が辛い子供は大人からの指図がその子どもの心の否定になり、その場では良ぃ子を演じますが、その大人がいなくなったところで無意識に問題行動をしてしまいます。
又極論になりますが、一見無理な説明のように見えますが、この4つの機能を子どもが表現しているときとは、子どもの心が楽しいときと言っても大きな間違いになりません。
高3の子供の事で悩んでいます。
中二の秋から不登校、リストカットが始ましました。本人はいじめがあったと。元々友達との関わり方が上手くはなかったのですが、ここまで追い詰められたのは、小さい頃からの私との関わり方が原因にあったようです。こだわりの強い子供に、力ずくで育てていました。虐待でした。
元気に高校へ行き始めた時に、兄の友達から性暴力を受けていたようで、高一の夏休み最後の日にオーバードーズをしました。そこから入退院を繰り返し、今は通院、投薬拒否常に死にたいと
先日オーバードーズで救急搬送されました。入退院を拒否していていつまた飲んでしまうか不安でたまりません。ディズニーランドへ行ったり、映画の前売り券を買ったりしていますが、それでも常に死にたいと。私は子供の言葉や仕草に不安になり、子供にとっては母親では無いと思います。子供に安心を与えることは出来ず、自分の不安を優先させてしまっています。つらいです。
<解説>
>入退院を拒否していていつまた飲んでしまうか不安でたまりません。
不登校の子供は、登校刺激が無かったら、普通の子どもです。ただし母親との間には、子どもの心が辛いことに気づかない母親に対して、登校刺激を受けたとき、心が辛くなったとき、子どもは無意識に(子どもの記憶には残っていません)荒れたり問題行動(自傷行為、オーバードーズ)という形で表現をして母親を困らせます。それを母親が病気だと考えて、子どもを医療にかけます。それは子どもが心が辛いよと訴えていることを否定したことになります。きっとこれを何回か繰り返したのだと思います。だから母親は子どもの心の辛さに気づかないで、子どもの問題行動だけに注目をしています。
子どもは母親の母性に訴えています。しかし母親は常識にとらわれていて、母性が機能をしていません。母親ならこうすべきという知識から、子どもの問題行動をなくそうとしたり、医療を用いて子どもの問題行動をなくそうとしています。
勿論医療が心の辛い子どもの心を理解できるなら医療にかけても良いのですが、今の医療は大人の心を子どもに当てはめて対応を考えています。つまり心の辛い子供の問題行動を病気と考えて治療をしています。特に自傷行為やオーバードーズは子どもの自殺をしようとする行動だと考えて、薬でその行動を押さえつけようとします。それは益々子どもの心を辛くしますから、子どもは医療を拒否しますし、母親に対して無意識に問題行動を繰り返します。
この年齢になると、自分の問題行動をしたことを意識する子どもも出てきます。問題行動は無意識にしていますから、母親が子どもの問題行動を辛く思っていることから、自己否定を起こして、子ども自身が持っている知識からも医療を求める子供が出てきます。医療を求めても子どもの心の辛さが解決しないので、子どもは葛藤状態になり、精神疾患の症状を出すようになる子どもが出てきます。
>ディズニーランドへ行ったり、映画の前売り券を買ったりしていますが、それでも常に死にたいと。
子どもがよい子を演じている姿です。上記の様に子どもは母親にとても優しいですから、子どもの知識から母親を喜ばせようとしています。しかしそれは子どもにとって子どもの能力以上の大きな労力を必要としますから、その分辛さがより辛くなって、問題行動も強めてしまいます。
>私は子供の言葉や仕草に不安になり
子どもは一方でよい子を演じて母親を喜ばせ、他方では問題行動をして、母親を混乱させています。その混乱を母親は不安と表現しています。
>子供にとっては母親では無いと思います。
母親であることは間違いないのですが、母親という知識から子どもと関わっている母親であり、母性が機能をしている母親ではないという母親です。
>子供に安心を与えることは出来ず
母性が機能をしていないという意味です。
>自分の不安を優先させて
母親の知識を満たす対応を続けているという意味です。
>つらいです。
母親の知識が満たされないという意味です。母性が機能をし出すと、同じ子どもの姿でも母親は辛くなくなり、子どもの心も辛くなくなり、子どもの荒れや問題行動がなくなり、母親が子どもの不登校も受け入れられて、母親と子供との関係が良くなってきます。
高3の子供の事で悩んでいます。
中二の秋から不登校、リストカットが始ましました。本人はいじめがあったと。元々友達との関わり方が上手くはなかったのですが、ここまで追い詰められたのは、小さい頃からの私との関わり方が原因にあったようです。こだわりの強い子供に、力ずくで育てていました。虐待でした。
元気に高校へ行き始めた時に、兄の友達から性暴力を受けていたようで、高一の夏休み最後の日にオーバードーズをしました。そこから入退院を繰り返し、今は通院、投薬拒否常に死にたいと
先日オーバードーズで救急搬送されました。入退院を拒否していていつまた飲んでしまうか不安でたまりません。ディズニーランドへ行ったり、映画の前売り券を買ったりしていますが、それでも常に死にたいと。私は子供の言葉や仕草に不安になり、子供にとっては母親では無いと思います。子供に安心を与えることは出来ず、自分の不安を優先させてしまっています。つらいです。
<解説>
>先日オーバードーズで救急搬送されました。
この子どもの場合、オーバードーズは自傷行為と同じ意味に理解して良いと思います。子どもの登校刺激を受けていて、子どもの心が辛いという意味です。果たして胃洗浄を受けたかどうか分かりませんが、医療の常道は点滴路を確保して、薬成分を尿として排出することになると思います。
オーバードーズの影響を見極める必要がありますが、多くの不登校の場合、子どもが母親に辛いと言うMSGを送っているのですから、子どもは死にたい(だから母親にオーバードーズという形で「助けて」という意味を表現しています)のではないので、服薬量もそれほど深刻な量を飲んでいない場合が多いです。
子どもは無意識で、薬で自分を傷つけることで、母親を慌てさせ、困らせています。それ故に母親が子どものしたことで、子どもの命に関わると判断して、このように救急搬送したことは間違いではありません。しかし子どもが登校刺激で辛いよという意味での行動だと分からない限り、子どもの不登校問題の解決はありません。この母親の周囲の誰かが母親に、登校刺激が子どもを苦しめているのだということを分かるようにして上げる必要があります。
>入退院を拒否していていつまた飲んでしまうか不安でたまりません。
母親の不安は子どもがまたオーバードーズをして、子どもの命が危険になることです。しかし子どものオーバードーズは登校刺激が子どもをオーバードーズしてまで母親に訴えているのに、母親がそれに気づかないことが続いていますから、子どもは母親不信になっています。
高3の子供の事で悩んでいます。
中二の秋から不登校、リストカットが始ましました。本人はいじめがあったと。元々友達との関わり方が上手くはなかったのですが、ここまで追い詰められたのは、小さい頃からの私との関わり方が原因にあったようです。こだわりの強い子供に、力ずくで育てていました。虐待でした。
元気に高校へ行き始めた時に、兄の友達から性暴力を受けていたようで、高一の夏休み最後の日にオーバードーズをしました。そこから入退院を繰り返し、今は通院、投薬拒否常に死にたいと
先日オーバードーズで救急搬送されました。入退院を拒否していていつまた飲んでしまうか不安でたまりません。ディズニーランドへ行ったり、映画の前売り券を買ったりしていますが、それでも常に死にたいと。私は子供の言葉や仕草に不安になり、子供にとっては母親では無いと思います。子供に安心を与えることは出来ず、自分の不安を優先させてしまっています。つらいです。
<解説>
>元気に高校へ行き始めた時に、兄の友達から性暴力を受けていたようで
あくまでも可能性ですが、心が元気なら、性暴力(虐め)を受けても性暴力が軽度の内にその性暴力から逃げられるようです。性暴力を受けて、それから逃げられなかったという事実から、心が元気と母親が理解した子どもの姿は、その子供がよい子を演じていた姿だと推測されます。未だ不登校問題が十分に解決していない状態で、高校に通い始めた可能性が高いです。未だ高校に行かさない方が良かった、いかしてはいけない心の状態だと推測されます。
>高一の夏休み最後の日にオーバードーズをしました。そこから入退院を繰り返し、今は通院、投薬拒否常に死にたいと
夏休みまでの間に、子供の心は死ぬほど辛らさを講じてしまいました。この時点で母親は再度子供から学校を取り上げて上げる必要がありました。不登校の子供は、夏休みの最後の日は、子供は子供の知識からとても強い登校刺激を感じてしまいます。その辛さからオーバードーズという問題行動をしてしまいました。それは決して自殺未遂ではないのです。死にたいという言葉も本当に死にたいのではなくて、死んでしまいたいぐらいに辛いと言う意味を、無意識に行動で表現したのです。しかし、医療にかかると医者は子供が自殺をすると行けないからと、向精神薬の投薬や入院をさせて監視下に置こうとします。子供の方では医療にかかると言う事実は、心が辛いと言う素直な子どもの心の否定になります。その子どもの心を否定される辛さから逃れるために、通院を拒否したり、投薬を拒否したのでしょう。その意味で、子供は生命力がある子供と言えそうです。
難しい話ですが、顕在意識(意識と表現することが多い)と潜在意識とを説明しておきます。
私たちが感じたり考えたりしたと理解しているときが顕在意識です。其れ以外の時が潜在意識です。私たちの多くの生命を維持している活動は潜在意識です。
脳科学的に意識は未だ解明されていません。但し私の経験では、意識には言語化が必要です。言語化した時に、その言語に関する行動を伴う場合と、伴わない場合があります。その際に必ず情動(得体の知れない感情=多分内臓感覚)を伴う必要があります。情動を伴わないと、言語を出力とした反射になってしまいます。強い情動を生じるときには、強く意識したことになり、弱い情動を生じたときには、弱い意識になり、反射に近くなります。
受けた情報を言語化した時と、言語から新たな概念を作ってそれを言語化する(思考。ただし未だ反射=潜在意識です)と同時に情動を生じる場合も意識に入るようです。
あくまでも私の経験からの説明ですが、コンピューターの機能(脳内での情報処理に相当)は言語を利用した反射になります。この機能に情動を伴うと意識になると考えられます。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。