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シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで大学生しています。C1レベルのドイツ語に達して日本語とドイツ語で小説を書くのが当面の当面の目標です

#275 2024年1月2日のヴェネツィア

 San Giorgio Cafe の値段設定は観光地だからか少し高めに感じて、エスプレッソが一杯3ユーロもした。朝からみかん二つしか食べてないけれど不思議とお腹は減っていない。夜はよく寝れたけれど、ホステルの二段ベッドばかりある部屋では防犯面を気にしていて、心は落ち着かなかった。シャワーに入る気になれなくて、だから体が少しかゆい。

San Giorgio Maggiore教会

 

 日本では昨日地震があったらしい。まだちゃんとニュースを見ていないけれど心配ではある。高校の部活チームメイトの一人が金沢で大学生活をしているので、部活のグループラインが動いていた。こっちに来てから知り合った人も数人がWhatsAppで連絡をくれた。

 台風でも豪雨でも地震でも、何か災害が起きた時に私は心配になる。世界の秩序が崩れたということが私の内面に影響を与え、私はどこまでも不安になる。と同時に、当地に住む人のことが心配になる。同時に、自分が本当に心配しているのかということを冷静に考える。優しい人を演じたいだけじゃないのか。意識が高いことを周りにアピールしたいだけじゃないのか。そんな風に自嘲的になる。私はいつでも私自身のことで手一杯で、他の人を考えるだけの余裕は経済的にも肉体的にもないはずだ。

中にも一応入る

 ガザで戦争が始まってからもうすぐ3ヶ月。戦争というよりも虐殺とかジェノサイドの様相を呈するようになっている。イスラエルは建国当時から人権を侵害しているのに、どうしてかみんな戦争や対立が10月7日から始まったかのように話している。わかりやすい死者の数。女性や子供が死者数の中にどれだけいるのか。風景がどのように変わってしまったのか。ジャーナリストがどれだけ亡くなったのか。わかりやすい指標だけがどんどんメディアに流れている。


 ハンブルクのゲストファミリーは毎週教会に通うキリスト教徒でイスラエルに親戚が住んでいる。彼らにとって大切なのは親戚が24時間水道やガスを使えるかどうかということであって、インフラが破壊されているガザのことではない。エルサレムが守られることであったり、「ジハーディスト」から西欧的な世界が守られることの方が大事なのだろう。

 今のシリアやパレスチナの問題の遠因を作ったのは西欧の植民地政策であって、だからこそ彼らはガザの状況にも責任があるのだと思うけれど、ニュースではいつもハマスがテロリストだと言われ、イスラエル軍が正しいことをしているかのように報道されている。

 わたしはいつでも虐げられている人の側に立ちたいと思うけれど、そこには順番ができてしまう。LGBTQの権利について話すことと、イスラム教徒への差別を語ること、どちらも大事なことだけれど、個人やグループの力には限界があって、意図的でなくとも順番を決めなくてはならない。それが組織として個人としてできる建設的な取り組みなのだと思う。

 わたしは決断を下すのが苦手だ。何か一つの決断を下してしまうと、それ以外のことを少なくとも短期的にはできなくなる。これがわたしは悲しい。これってきっとみんな7歳とか9歳とかで対処できるようになることなのだと思うけれど、いまだに対処するのに手間取ってしまう。というか、先伸ばしてしまって、場合によっては1年近くかかることがある。きっとわたしの心や精神、脳のどこかしらに致命的な欠陥があるのだと思う。その「こだわり」とうまくやっていきたいけれど、時々それを「特性」という言葉で表現してしまうのは生優しすぎると思うことがある。わたしが狂う時があったら、あるいは認知症になったら、きっとこのこだわりのせいで迷惑をかけたり、恥をかいたりするのだろう。その時のわたし自身が「恥」という感覚を持っているかわからないけれど、周囲の人にきまり悪い思いをさせるかもしれない。

 昨日までの母と伯母の再会を経て、わたしは自分が永遠に孤独であるような気分がしている。家族の中に誰も理解してくれる人がいないという気分。自分は一人で生きないといけないという感覚。わたしは今もうここで消えてしまいたいけれど、残念ながらわたしは肉体を持ってしまっている。例えば今日わたしが自殺したとしても、遺体が発見されて、日本に空輸されるのに日本円で大体200万円ほどかかるらしい。バカみたいなお金を誰にも払わせるわけにはいかない。あるいは家族が亡くなった時のことについて考える。その時にわたしは帰国したいと思うのだろうか。

魚市場

 いい加減外に出ないと。冷たくなったエスプレッソを一息に流し込んで外に出る。考え事をするわたしの前で、小さなカップに入ったエスプレッソは酸っぱくなってわたしを待っている。いつも砂糖は入れない。冷えて酸っぱいエスプレッソを味わいながら、砂糖を入れたら何か違ったかもしれないと毎回思う。でも外に出よう。何か違ったことを見つけて違うことを考えられるはず。

 冬のヴェネツィアがこんなに悲しい風景だなんて知らなかった。San Giorgioは島。カフェが一つしかない島。教会の中を少しだけみて、船が来たのを見て急いで船着場へ。

 ロシアでもドイツでもそうだけれど、教会に入るときは色々考えてしまう。ある人にとっては神聖な場所であり、ある人にとっては観光地でしかない。観光客の中にも色々いて、前情報を調べて、積極的に来ている人もいれば、歩いている途中で大勢が入っているから一緒に入っているだけの人もいる。写真を撮っていいのかダメなのか。お金は払うべきなのか払わないでいいのか。お金を入れる箱を無視するのか。ケチだからいつも入れないのだけれど。

どの人にもどの建物にも物語があるはず

 

「お金なんて、言われた時に払えばいいんだよ。無視していいんだよ」って笑いながら言ってくれたDr.Pを思い出す。彼はインドのチェンナイ出身でBremerhavenの研究所で魚の研究をしている。いつか彼を訪ねたいけれど、行けるだろうか。

 

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 敬愛する須賀敦子の文章に、ローマで春の雨の日に教会に入るシーンがある。そのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会は、カラヴァッジョの絵で有名らしい。そこに有名な教会があるとは知っていても、街に長く住んでいると観光地には行きにくいものである。彼女も長らく存在を知りながらも教会の前を通り過ぎるばかりで入る気にはなれなかったようなのだが、その日は気分で教会の中に入ることにする。

 それが、エッセイ集『トリエステの坂道』に入っている「ふるえる手」という20ページほどの文章である。1991年当時は、200リラを小箱に入れると照明がついて、暗い教会の中でカラヴァッジョの絵画を見ることができる仕掛けだったらしい。須賀敦子はその絵をもっと近くで見たいと思うも、団体客の人垣に阻まれて近くで見ることができず、教会を後にする。観光客として教会に入るかどうか悩む時、このエピソードを思い出す。

「ふるえる手」の主題となっているのはナタリア・ギンズブルグという作家である。須賀敦子は同じ1991年の11月に再びローマを訪れる。渡航のひと月前にギンズブルグの死を知る彼女は日本とイタリアの間にある物理的な距離のせいで、死を実感できないままローマへ飛ぶ。ミラノの書店で働いていた頃に夫に勧められた彼女の作品を読んでから、須賀は彼女の作品を翻訳し、知人を通じてギンズブルグと知り合い、ローマに行く度に彼女の住まいを訪れていたようだ。広場に面したギンズブルグの住んでいた家を通り過ぎ、また教会で再びカラヴァッジョを見る。それだけの話。それだけの話なのに須賀敦子の文章はわたしの心にまだ残っている。

ここもきっと市場なんだろうな

 ギンズブルグはまだ読んだことがない。自分が目標にしている書き手である須賀敦子が「こんな文章が書きたい」と目標としていた作家としてしか知らないけれど、いつか読まないといけない。できればローマにも行きたい。今日のうちにヴェネチアからローマに行けたりするのだろうか。多分無理だろうな。本当は同じ須賀敦子でも『ヴェネツィアの宿』を思い出したいものだった。同じイタリアを舞台にしたエッセイ集でも『ヴェネツィアの宿』の方が今日に向いているだろうから。わたしはヴェネツィアにいるのだから。わたしが阪急西宮北口の古本屋で買ったその本は、谷垣くんという京都大学に進んだ予備校時代の友達が持っているはずだ。彼からは代わりにトマス・マンの『トニオ・クレーゲル』をもらった。谷垣は今も、あの本を持っているだろうか。須賀敦子の作品の多くは絶版になっているから、今入手しようと思っても難しい。ヨーロッパにいるなら尚更。

 船に乗ってグルグル回る。チケットはチェックされないから、下手したら無料で乗れてしまう。何も考えずに乗っていたら大晦日に母と泊まったホテルのあるリアルト橋まで来てしまった。Rialtoという綴りはわたしに映画『ララランド』に出てくる映画館を連想させた。こうやって一人で頭の中で会話するのではなくて、目一杯目の前にあるヴェネツィアを感じないといけないと思った。魚市場、メルカートジェラート屋。屋台の多い通り。観光地にいる観光客でしかないのが居た堪れなくなって、わたしは一人になりたくなった。武器庫も美術館も、サッカーチームのショップもどうでも良くなって、もう少し沖合にある島へ行く。砂州ばかり伸びたLidoという島は、夏場に賑わうような場所で、アフリカ出身と思しき人がマフラーを売りつけようとしてきただけで、人が全くいなかった。石川県の千里浜を思い出し、小さい頃に行った天橋立を思い出し、また船でヴェネツィアまで戻る。途中霧の中に包まれたFC Veneziaのホームスタジアムが見える。早く帰りたいと思った。でも帰る場所なんてもうどこにもないような気がした。

 

 

 

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#274 ベニさんの歌集

 友達に短歌を書いている人がいる。ベニさん。夏に会った時に手渡された歌集をドイツにも持ってきている。引っ越しや諸々の手続きで忙しかったのがひと段落して、だんだん本なども読めるようになって、ようやく2冊の歌集を手に取る。

最近越してきたキールは北ドイツの港町です。

 最近LütjenburgからKielへと転居したこともあって、ドイツに来てから手紙を交換した人には順番に手紙を出している。ベニさんにも出そう、そう思い立って数週間が経ったけれど、一向に書けない。やはり短歌集を読んで、感想と一緒に送らないと。そう思って読む。物語と違って短歌は感想が難しい。自分がブログに載せているエッセイやフィクションなら感想はすぐに書けそうな気がするけれど、詩というのは無闇に評価をしてはいけない。そんな気がする。その人の性格や人が一層深く出ていると思うから。また、自由詩と違って形式が決まっている短歌や俳句は、感情がそのまま出ることが少ない。読み手の想像力や感受性が求められるに違いない。いかに景色を脳内で再現できるか、彼女の文脈を知っているのか。私は友達をどこまで知っているのだろう。いや自分へのハードルを上げず素直に読んで書けばいいのだ。なのに時間がかかってしまう。自分のこだわりの強さを時々忌々しく思う。

最初に最初に働いていた宮ノ下のホテル

 最初に出会ったのは箱根の生活が終わる頃だった。宮ノ下のホテルで住み込みで働いていた私は、強羅のホステルへと移り、そこで働き始めた。Hakone Tentというホステルだ。ホテルの元同僚が時々遊びに来てくれて、ホステルにあるバーで一緒に飲んだりピザを食べた。その中に福島県出身のオジーがいた。若い時から車に乗っているからか、オジーと地元の友人たちはとてもフットワークが軽い人たちのようで、彼女がバーに来た時も、同郷だという友達を連れてきていた。それが短歌集をくれた人、ベニさんである。

 一緒にいたのはきっと2時間くらいだったけれどなんだか意気投合して、文学やら旅やらについて話した。冬が近づく強羅駅前を少しだけ歩き、駅前に大きく聳える松の前でお別れをした。それは確か2022年の暮れだった。強羅では「私は地元に残ることを選んだ人間だから」と言っていたベニさんは、その次の年くらいにはリゾートバイトをしていて、東北から出て宮島で働いていた。

 

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 以来なんだかんだ3年もやり取りをしていて、よくも悪くも文通は半ば義務のような習慣になった。生活の節目のたびに思い出し、あるいは勉強の気分転換として、つらつらと返事を書くようになっている。これはドイツに来て身につけた習慣の一つだ。私がハンブルクにいる間に彼女も地元を離れて、当時の私やオジーのようにリゾートバイトをしていた。知っているだけでも宮島と長崎、兵庫県の北部で働いていたはずだ。短歌集の一つは『地図を広げるための旅』というタイトル。彼女がリゾートバイト中に出かけた場所で考えたことがベースになっている。素敵な写真が短歌の後にカラーで印刷されている。31文字に収まりきらない感情をまるで写真が補っているようだと思った。あるいは風景と文字の組み合わせによって余白が生まれるようにも思った。

 もう一つの歌集は『四半世紀生きて紡ぐ言葉 私は私の輪郭をなぞる』という題。なんと全て手書きで書かれている。字の汚い自分には到底真似ができないと思った。製本も手作りで、仮に数十部しか作っていなかったとしても、きっと製本作業だけで1週間以上かかったのではにか。「自然と切望」と題された11の歌があって、そこに見える気候や地域性がとても興味深かった。

 

「青い実赤い実熟した実いつも少しだけ先のみらいみている」

「黄色くて渋い実を甘く変えるのは冬が混じったこの風たちだ」

「冬の大地に青々と麦育たぬ国の寒さに思いを馳せる」

「テーブルのうえにあるのはすべてつちからうみからやってきたものです」

 

 福島県伊達郡ってどんなところなんだろう。夏に訪ねるまでも気になっていたし、短歌を読んだ今、より細かいことが気になるようになっている。サイダーの泡のように湧いてくるいくつもの質問。最寄りのツタヤまで何分かかるんだろうとか、図書館にはどんな本があるんだろう。高校になれば原付免許が必要なのだろうかとか。いかんせん私の育った西宮という地域が便利すぎる分、そういう利便性について考えてしまう。神戸方面、あるいは大阪方面に向かう電車が5分毎に走っていて、徒歩で行ける範囲に3つも鉄道がある環境で育つと、便利すぎてよくも悪くも想像できないことがある。

 例えば「自然と切望」の9首目に「家々の屋根月あかり照り返しそれがなんだか海みたいで」という歌がある。これは西宮南部ではまず作れないだろうと思う。そもそも阪神間には月あかりを照り返す瓦の屋根が少ない。瓦の屋根が月光を照り返せたとしても、人工の光が多いから海みたいにはならないだろう。屋根瓦が照り返す光を「海」と表現するにはおそらくそれらの家々を見下ろせる場所にいないといけないだろう。しかし平野部に位置する私の街はそれだけの標高差はないし、マンションやビルがあるから光の「海」のようには見えないだろう。

強羅駅前の踏切。よく真夜中に散歩して写真を撮った場所。

 彼女たちが育った地域を夏に訪ねた。数時間の滞在では全貌が掴めなかった分、よくある地方都市という印象のままで終わってしまった。新幹線の停まる駅、田んぼ、高架線。近道になるという山道と、その向こうの山の中にある58コーヒーというカフェ。本当に「小屋」のようになっていて、でもそこに毎時間のように人が来てはマスターと話して去っていった。

あの日、人生で初めて東北新幹線に乗った

ジーが昔バイトしていたお店のお寿司

 小学校の時に入院した神戸市北区の病院の近くに似た雰囲気もあったし、関西に立って郊外に行けばこういう場所はあるかもしれないと思った。当たり前だけど、きっと住んだら全然違うんだろうな。都会の人間は「田舎」という一つの言葉で括りたがるけれど、同じ「田舎」なんて一つとないのだ。都会は似たものばかりだというのに。

年末年始で、正月野菜を毎日洗っていた

 私が最初に知った「田舎」は21歳の冬に住み込みで働いた南丹の農場。最寄りのスーパーマーケットまで歩いて40分かかる場所だった。同じ寮に住んでいる社員さんは「スーパーに行く時はいつでも声かけてくれたら車出すよ」と言ってくれていたけれど、いつも一人で歩いて買い物に行っていた。人と話すのが苦手だったし、迷惑をかけたくなかったのだ。

 夜になると街灯の全くない道は心細くて、でも遠くに見える幹線道路の光や、空に輝く星を見ながら、あるいはウォークマンで音楽を聴きながら。都会では味わえない暗闇をどこか楽しむような気持ちで歩いたのを覚えている。農場では熟しすぎてしまったトマトや、小さすぎて商品にならない大根や白菜をもらったから、そもそも買い物に行かなくていいことの方が多かった。唯一の楽しみはこれもまた片道40分かかるミスタードーナツでの時間で、そこで本を読んだり文章を書いたりする時間だった。それはまだこのブログを書き始める前のことで、あの頃のノートには、まだキーボードでは打ち込んでいない思い出がたくさんあるけれど、ドイツに来た今となっては、好きな時に取り出して読めるわけではなくなってしまった。もしかしたらもう二度と読まないかもしれない。自分がどこかで死んでしまったら、誰かが読むだろうけれど、字が汚いし、メモとして使っている箇所がほとんどで清書はほんのわずかだから、きっと読めないだろう。紙が貴重な時代に生まれていたら私の字は綺麗になったのだろうか。

ミスドの入るこの建物はコロナ禍で潰れてしまったらしい。

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 南丹の農場には西村さんと西本さんがいて、よく混同して名前を呼んでしまっていた。西村さんは広島出身。神戸大学を中退した人だった。気温や湿度のデータを分析してまとめたり、植物を観察する能力がとても高いのだと、山本農場長が説明してくれた。西本さんには、私と同じくらいの息子さんがいた。息子さんは高卒で工場に勤める傍らで漫画を書いてコミコンとかで売ったりしているらしかった。羽曳野や和歌山出身の社員さんがいる一方で、パートで働く人は地元の人ばかりだった。正月の頃は毎日、水菜を洗って腐った葉を取り除く作業ばかりだったのだけれど、パートの人たちは世間話をする傍ら、口の悪い社員の悪口を言っていた。コメリで買った花を仏壇に備えるのは果たしてOKなのかを議論しているお婆さんたちが可愛いと思ったのはまだ覚えている。「また来てな!」って言われて「来ますよ! 言ったからには本当に来ますよ」って答えたのを覚えている。本当にもう一度行けば良かった。その後の数年間辛い日々が幾度も続いたのだから。

2021年10月の栗原市。万葉祭というお祭りにて

「田舎」の人が、あるいは「年配」の人が、どうやって助け合っているのかをまだ深く理解していない頃だった。そののち、宮城県栗原市に数回滞在したり、ドイツの田舎に住んだりして、だんだんわかってきたのは、リソースが少ないならば助け合った方がいいということだ。田舎には田舎の良さがあるし、それは結構自分にとっては心地いいものだった。逆に都会では人がたくさんいるのが結構しんどいと思うようにもなった。そして一口に「田舎」と言ってもそこにあって私の心を惹くのは、歴史や文化だったり、人の中にある伝統だったり共同体のエネルギーだったりした。同時に、自分の育った地域について考えることも多くて、西宮の好きなところも増えた。

栗原市花山地区で、筒井さんがやっている畑。

 きっとリゾートバイトをしていたベニさんも同じようなことを見たりしたのだろう。旅館での仕事、最寄りのスーパーやコンビニまでの道のり、休みの日に日帰りで出かける知らない街、一人でコーヒーを飲む時、その街の名物を食べる時に感じる束の間の自由と開放感、少し遅れてやってくる孤独、キラキラして見える外の世界。似たようなことを彼女も考えていたのだろうか。『地図を広げるための旅』を読みながらそんなことを考えた。エッセイじゃないぶん、31音の間から想像する余地があるから好きだ。自分ではなかなか書けないけれど。

 書いている人の空気や雰囲気がどことなく見える文章が好きだ。AIが美術や創作の分野まで進出するようになった時代に、そうした筆者の汗の匂いや苦しみが伝わってくるような文章の方がより価値を持つようになると思う。生き様を見せられるのは人間だから。

 

「私はね、もう短歌で食べていこうなんて思うのはやめた」

58コーヒーでベニさんはマスターにそんなことを言っていた。それは宣言のように聞こえる言葉だった。隣に座る私は借りてきた猫のように余所者の顔をしながら、こんなお金にならないような文筆作業を我々はどうして続けられるのだろうと、自問していた。

 

「寝袋ひとつしか置けなくたって広い宇宙の一部だ、おやすみ」

 

 

 

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#273 新しい季節で適応に失敗したかもしれないけれどそれでも聴く音楽たち。


 スピッツの「ロビンソン」が好きだ。6枚目のアルバム『ハチミツ』に入っている曲。

 ウィキペディアによると、曲名はタイにあるロビンソン百貨店に由来しているらしい。ならばスピッツファンはタイを旅行したりするときに、ロビンソン百貨店に行くのだろうか。そういえばロシア語専攻の友達にスピッツが好きな同級生がいた。知り合った頃にスピッツの話を聞いたからか、同じ『ハチミツ』に収録されている「愛のことば」のサビに「昔あった国の映画」というフレーズがあるのだけれど、それを聴くといつもソビエト連邦のことを思う。同時に大学時代にYouTubeで観たモスフィルムが公開しているソビエト映画のいくつかのシーンをも。

 

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 2015年。19歳だった。私は浪人生で河合塾で勉強していた。ラジオをずっと聴いていた。FM802ばかり聴いていて、どの曜日にどんな番組がやっているかをなんとなく把握しているほどだった。昔も今も音がない状態で過ごすのが苦手だ。

その日、ラジオで紹介されたのが『ハチミツ』と、その発売20周年を記念するトリビュートアルバムだった。アルバムに収録された各曲を、スピッツに思い入れのある人やバンドがカバーするという内容だったと思う。新しいCDだから音源全部を流すわけにはいけなくて、各楽曲のサビだけが数秒ずつ流れた。ゴールデンボンバー鬼龍院翔がカバーした曲が良かったと思った記憶がある。

 

 

スピッツがあの頃、なかなか売れないバンドと言われてたなんて信じられない」みたいなことをラジオDJが言って(おそらく当時土曜日を担当していた仁井聡子さんだと思う)、それでまた流れたのがスピッツの「ロビンソン」 

 

 スピッツのことはカラオケで知っていたけれど、よくつるんでいた友達がカラオケで歌うのは「チェリー」と「空も飛べるはず」だったので「ロビンソン」は知らなかったと思う。

 浪人時代、ツタヤに行くのはやめていたけれど、時々市内の図書館でCDを借りていた。スピッツの『ハチミツ』があったので借りてウォークマンに入れた。8GBしかないウォークマンはもうパンパンで、新たにデータを入れられなくなった頃。いきものがかりの曲を減らして、スペースを作った。

 

 FM802には色々思い出があって、大学時代にもよく聴いていた。よく聴いていたのは土井コマキさんのMidnight Garageという番組。当時は火曜日の深夜にやっていて、水曜日の宿題をしながら夜更かししていた。番組内で月1でコーナーを持っていた京都のバンドHomecomingsのトークを聴くのも好きだった。Spotifyで聴ける彼らのトークをドイツに来てからも時々聴いている。いつかまたライブに行ってみたい。でも本当にいつになれば行けるんだろう。

 

 大学に進学して、その時にもずっとスピッツのロビンソンを聴いていた。大阪大学の外国語学部の学生は1年生までは豊中キャンパスで授業を受けて、2年生からは彩都西にある箕面キャンパスで授業を受けることになっていた。自分は新歓の時期にだけ軽音部に参加していて、だから時々授業の後にキャンパス間を走るバスに乗って箕面に行ったりしていた。

 

 当時彩都西にあった箕面のキャンパスは、人里離れたところにあって、そこからの帰り道にずっと「ロビンソン」を聴いていた。バンドの練習なんてきっと数回しかしたことがなかったけれど、梅雨になって同じ『ハチミツ』収録の「あじさい通り」を聴いたりしたのは覚えている。バスはちょうど大阪中央環状線を通って石橋に向かっていて、雨粒に濡れた窓の向こうにエキスポシティの観覧車が見えた。

 

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 ドイツに来た頃もスピッツのロビンソンを聴いた。4月のドイツは雨が多くて、ドイツの中でも北の方に来てしまったからか、寒かった。夜行バスでフランクフルトからハンブルクに着いたのは午前5時とかで、ダウンを持たずにドイツに来てしまったことを後悔しながら私は早朝のマクドナルドでずっと文章を書いて過ごしたのだ。その頃もきっと心の奥には「新しい季節」という歌詞を聴いて色々考えていたのだろう。キールに引っ越してきた最近と同じように。

 

 歌詞を聴いてよく思い出すのは武庫川沿いに毎年現れる菜の花の群れだ。自転車や原付で西宮から石橋へと向かっていた頃に通った甲武橋のその少し南側に毎年現れる菜の花。一番の歌詞にあるように誰かと川沿いを歩いたという記憶はないけれど、それでも思い出す風景。そういう風景がいくつも頭にあればあるほど人生は豊かなのだと思っていたけれど、果たしてそうなのだろうかと考えるようになった最近。こんなに誰にも読まれない文章を書いて、それで何になったのだろう。それで何になるのだろう。

 

 

「新しい季節」で脳内を検索するともう一つ出てくる曲がある。それはエレファントカシマシの「今宵の月のように」である。

 この曲を聴き始めたのは結構最近だ。オードリーのラジオで若林がこの曲について話すのを聴いたのがきっかけだけれど、ドイツに来るまでしっかりと聴いたことがなかった。就活をほんの少しだけしていた時、東京の王子駅近くのゲストハウスに1週間ほど泊まっていたことがある。時々隣の赤羽駅で乗り換えることがあった。赤羽はエレファントカシマシの出身地らしく、電車が発車する度に「今宵の月のように」が流れていた。そのことも少し思い出す。毎日通っていた都立図書館のある有栖川公園や麻布の坂道を。

 

 今、別に腐っているわけではない。ただ逃避したいのだと思う。自分がドイツ語で全く会話ができないことを認められないとか、そもそも自分自身がつまんない人間になっていることとか、自分の拙い語学力では表面をなぞるだけの会話をするしかなくて、それがとてもとても悲しいとか。まあでもそれは仕方ないのだ。私はそういう人間で、表面的な関係だけではわからないような、深さがあって、ここ数ヶ月で知り合ったような人には自分自身をなかなか開示できない。ちょっと悲しい。



 日本で自殺してしまうのが怖くて海外まで来たのに、鬱とか過去とか諸々の事象はドイツまで追いかけてくる。成功した将来の自分がいるかもしれないと思って、いつの日にか今日みたいな夜を違う見方で思い出せるようになることを願って、この歌を口ずさみ、やっていくしかないのだなあと思う。

 オードリーの若林は30歳の冬に売れた。数年前までは30歳までに何かできればいいやって思っていたけれど、もうすぐそこである。フラワーカンパニーズの「深夜高速」を聴いて、2番の「10代はいつか終わる。生きていればすぐ終わる」というのを口ずさんで急にハッとする。怖い。怖いけれど、でもやっていかないといけない。怖い。自分が何者にもなれないのが怖い。自分が経済的に自立できない人間になるのも怖い。

 

 私はドイツで大学生活を始めたけれど、盛大につまづいてしまった。このクリスマス休暇で取り返さないと。

 

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「今宵の月のように」に出てくる新しい季節というのはどうも夏らしい。歌詞の中で主人公は、夕暮れ過ぎの初夏の街を歩いているのだけれど、最近この曲を聴きすぎたせいで、私の中では秋から冬にかけてのキールの風景がこの曲にマッチしてしまうようになった。いつの日か私がこの歌を思い出す時、果たして脳内にはどんな風景が見えるのだろう。5年後10年後、今とは違った風景を私は見られるだろうか。将来の自分はまだ、いつの日かだなんて青臭いことを言っているのだろうか。もうそんなことすら言えずに腐っているだろうか。

 

 

 

 

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#272 お風呂に入れない日々

 ドイツに来てからお風呂に入ることがめっきり減った。ハンブルクに住んでいる時は、とあるお家の3階に住まわしてもらっていた。3階にはシャワーしかなくて、時々本当に3ヶ月に一回くらいの頻度で2階にある湯船に浸かっていた。

 Lütjenburgという日本語のどのカタカナにもあてはまらない名前の街に住んでいた時は、自分のシャワーというのがなくて、インドネシア人と二人で使っていた。別に悪いやつじゃないのだけれど、自分勝手な人間で、もう会わなくていいと思ったら嬉しいと感じている自分がいて、フェアに見てもやっぱり嫌なやつなのかもなあと思いながら別れた。

 ドイツにいて恋しく思うことはいくつかある。まず文学。そしてお笑いとユーモアのセンス。それから銭湯である。意外にもご飯はそれほど恋しくない。そりゃつけ麺とか街中華とか言い出したらキリがないけれど、私は自分で作った料理を美味しいと感じることができるので、いつも味噌汁を啜りながら「結局自分で作ったのが安くて一番美味しいんよなー」と脳内で独り言を呟くのだ。

ブレーメン

 ドイツで初めてサウナに行ったのは去年の夏。カウチサーフィンを使ったり知り合いの家に泊まったりしながらドイツをゆるーく一周したのだけれど、最後に泊まったブレーメンではどうしてもそこのシャワーを使う気になれなくて、仕方なくプール付きのサウナに行ったのだ。

 過去にも書いているけれど私は泳げない。ドイツのプールは大抵2メートル弱の深さがあるので、早々に私は監視員に注意されて浅瀬に移動させられた。ムッとしながら従うけれど、こういう時のドイツ語のコミュニケーションってびっくりするほど非人間的というか事務的というか。冷たい言語だとも時々思う。

 2時間か3時間滞在できるチケットを買ったので、20分ぐらい水中に漂ったりプールサイドを泳ぐのを諦めて、サウナに行った。なんだか夏なのに曇りで雨がパラパラ降るような日だった。8月の中旬なら日本はまだ夏本番という感じなのになあと思いながら私は外気浴をして寝そべっていた。日本のサウナとの違いがわかるほど私はサウナを知らないけれど、とにかくドイツのサウナは裸で入る。慣れたら全然楽なのだけれど最初は少し抵抗があった。働いている人にやり方を教えてもらってくつろぐ。Aufgussのあとで室内に広がるミントの匂いが最高なのも外気浴が気持ちいいのもここで初めて知った。サウナはお風呂の代替にはなるけれど、やはり少し違った。でも銭湯や温泉と似ているような賑やかな感じもあって好きになった。

 Lütjenburgにはサウナはない。今住んでいるキールにもなくて、郊外のMolfseeという田舎のような風景のあるところに一つだけある。スイミングプールに付属した小さなものや、個人向けに貸し出ししている小さなサウナはあるのだけれど、Molfseeほどの大きさはない。夏場は結構行きたいけれど、今住んでいる場所からだと自転車でもバスでも40分から50分くらいかかる。

 Lütjenburgからキールに引っ越して、家に湯船がある生活になった。最初の数週間ほどは同居人がいたのだけれど、彼女は大家と揉めて契約期間を残したまま実家に帰ってしまったので私は年末まで一人で過ごすことになっている。とても快適な生活なので、誰かが越してきたときにうまく適応できるかが心配である。時々一人で歌ったり、台所で5時間以上もゆっくり料理したり、台所で立ちながら勉強したりしてたら、まるで一人暮らしのような錯覚を感じてしまう。また新しい人が入ってきたりしたら慣れるのに時間がかかるのだろうな。

 長すぎるくらい湯船に浸かれる時間もあるのだけれど、それももしかしたら年末までかもしれない。そう思ってできるだけシャワーではなく湯船に使おうとしている。基本的に私は寝る前にお風呂に入るのだけれど、疲れすぎていたり勉強しているとお風呂に入るタイミングを見失ったりして朝に入る時もある。12月の中旬までは、遅くても8時に家を出ないといけないけれど、大抵は朝6時に起きてご飯を炊いたり時々はお風呂に入る。寝癖が酷かったり鼻詰まりが酷かったりするから。

 キールの駅まで歩いて30分弱、バスだと20分程度で行ける距離。学校までは自転車でもバスでも50分ほど。家賃は結構高いのだけれど、8月まで住んでいたシェアハウスが10人でキッチンをシェアしていたことを考えると全然いいなって思う。来年も再来年も住んでいるかと言われると微妙だけれど。

 日本にいるときは、お風呂ではよく歌っていた。夜に入る時は本を読んだりした。今いる家でも時々本を読む。毎日授業で使うようなドイツ語の本を読むけれど、ちんぷんかんぷんなので、読書する時間は日本よりも短くなった。もっと余裕があれば、日本から持ってきたような本たち、たとえば須賀敦子とか友達の短歌集とか、あるいは青空文庫の古典をゆっくりお風呂で読みたいと思う。でも、そんなふうに心のゆとりができるのはもう少し後のことになりそうだ。

 少なくとも2年半のお風呂なしの生活を経て今はお風呂に入れる時間を楽しめている。私はゆっくりでも前には進んでいる。

今週のお題「お風呂アクティビティ」

 

 

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#271 die zweite Woche an der Fachhochschule/第2週目の学校

13.10.2025

今日の授業のテーマは「Die Anfänge der Sozialen Arbeit als staatliche Institution –von der Armenpflege im 19 Jh. zum Wohlfahrtstaat in der Weimarer Republik」

本を読んで予習したけれど、あんまり関係なかった。「Elerfelder System」とかは昨日の段階で名前を知って少し調べたりしたけれど、別にそれくらい。

ウサインボルトよりも速いスピードでパワーポイントのスライドが進み、写す暇もなく、でも今日の内容についての質問をグループで協力して答えていく。歴史が好きというのもあるけれど、試験対策はやりやすそう。完璧にしなくてもいいのだ。帰り道に新しいカフェ兼コワーキングスペースを試す。

 

自転車を漕ぎながら、流石にグループワークで一緒にいるみんなの名前は覚えないとって思う。

夜9時。砂糖を使わずにマフィンを焼いたら恐ろしくまずいものになった。実験は失敗。

13.10.2025

Das Thema der heutigen Vorlesung war „Die Anfänge der Sozialen Arbeit als staatliche Institution – von der Armenpflege im 19. Jahrhundert zum Wohlfahrtsstaat in der Weimarer Republik.“

Ich hatte das Buch zur Vorbereitung gelesen, aber es war nicht wirklich relevant. Den Begriff „Elberfelder System“ kannte ich seit gestern und hatte ein bisschen dazu recherchiert, aber das war nicht genug sondern nicht so wichtig, wie ich gedacht hatte.

 

DiePowerPoint-Folien flogen mit einer Geschwindigkeit vorbei, die selbst selbst ein 100-Meter-Champion wie Usain Bolt Konkurrenz gemacht hätte. Ich hatte keine Zeit zum Mitschreiben.

 

Trotzdem beantworteten wir in der Gruppe Fragen zum heutigen Thema. Vielleicht liegt es daran, dass ich Geschichte mag, aber die Prüfungsvorbereitung scheint nicht so schwierig wie andere Fächer zu sein. Ich muss nicht alles perfekt können.

Auf dem Heimweg probierte ich ein neues Café, das auch als Coworking Space dient.

 

Während ich mit dem Fahrrad fuhr, dachte ich: „Ich sollte mir endlich die Namen der Leute aus meiner Gruppe merken.“

 

Um neun Uhr abends backte ich Muffins ohne Zucker – sie schmeckten furchtbar. Das Experiment war ein Fehlschlag.

 

 

 

14.10.2025

新しいことを始める時に「熱中したくない」という気持ちがある。一度熱中したら私は文字通り寝食を忘れてしまう。実際、一人でいるとご飯を食べる時間を大切にしてなくてとても悲しい。例えばこの法学の授業はとても面白いのだけれど、「本気」で取り組んでしまえば、他の授業に支障が出るくらいに時間を使ってしまいそうだ。

 

毎週毎週パワーポイントの枚数だけでも45枚以上ある。私は毎回授業を録音しているけれど、4時間以上の授業の音声をもう一度聞いてるわけにもいかないから困る。

 

憲法やヨーロッパの法律を一つ一つ取り上げて、それについて例を挙げて行く。全然わからない。でも先週より理解できているので、これは多分自分の心体が環境に慣れてきたのだと思う。昨日のグループワークはやはり自分がリラックスする上で大事だったみたいだ。

 

来週の授業はもっと理解できているといいな。

シールをペタペタ貼ることにハマっている娘を持つ同級生がいて、ようやく今日ステッカーを渡せた。JobmesseでもらったUKSHのやつとか、絶滅危惧種ヤンバルクイナとか、小学校のノートにくっついてある教科シールとか。

ヤンバルクイナは絶滅に瀕している」っていう簡単なドイツ語を言えなくてとても悲しかったけれど、まあいいや。

 

授業後に自転車の方へ歩きながらKと話す。学校で先生として働いていた人。私が最初に面接を受けた(そして落ちた)会社で働く人。カフェ「ジュピター」に行く。最近見つけたお気に入りのカフェ。



 

14.10.2025

Wenn ich etwas Neues anfange, habe ich oft das Gefühl, mich nicht zu sehr hineinstürzen zu wollen. Sobald ich mich nämlich wirklich begeistere, vergesse buchstäblich alles um mich herum — Schlaf, Essen, alles. Eigentlich achte ich, wenn alleine bin, kaum darauf, regelmäßig zu essen, und das macht mich sehr traurig, obwohl das eine Art meiner Eigenart ist.

 

Beispielsweise ist dieser Kurs namens „Rechtliche Grundlage“ sehr interessant, aber wenn ich mich „richtig“ reinknien würde, hätte ich wahrscheinlich so viel zeit investiert, dass es andere Kurse beeinträchtigen würde.

 

Jede Woche gibt es mehr als 45Powerpoint-Foilen allein. Ich zeichne den Unterricht zwar immer auf, aber ich kann mir nicht vier Stunden Audio noch einmal anhören,daher ist das ziemlich problematisch.

 

Wir gehen die Verfassung und das europäische Recht Punkt für Punkt durch und bringen dazu jeweils Beispiele. Ich verstehe fast gar nichts. Aber da ich schon mehr begreife als letzte Woche, denke ich, dass sich mein Kopf und mein Körper langsam an die Umgebung gewöhnen. Die Gruppenarbeit gestern war offenbar wichtig, um mich etwas zu entspannen. Ich hoffe, dass ich den Unterricht nächste Woche besser verstehe.

 

Eine Kommilitonin, deren Tochter gerade total auf Aufkleber steht, war heute auch da, und endlich konnte ich ihr ein paar Sticker geben — die vom UKSH von der Jobmesse, den vom vom Aussterben bedrohten japanischen Vögel namens „Yanbaru-Kuina“, und auch ein paar Schuletiketten, die normalerweise auf Hefte geklebt werden. Ich war traurig, dass ich den einfachenSatz der „Yanbaru-Kuina ist vom Aussterben bedroht“ auf Deutsch nicht genug sagen konnte. Aber ja, nächstes Mal kann ich das schaffen.

 

Nach dem Unterricht sprach mit K, während wir in die Richtung Fahrräder liefen. Sie hat früher als Lehrerin gearbeitet. Ihr Träger ist ein Wohlfahrtsverband, bei dem ich mein erstes Vorstellungsgespräch hatte (und abgelehnt wurde).

Danach fuhr ich ins Café Jupiter, mein neuer Lieblingsort in Gaarden.



 

15.10.2025

休みになったから早起きして、前の仕事先に行こうと思っていたけれど、別に早起きできるわけでもなく、午前中は溶けた。午後、歩いたけれど雨で何もやる気が出ないまま。毎週水曜日にやっているイベントに参加したけれど。来週も来るか微妙だ。水曜日はやっているイベントが多すぎる。

クラスラインでは誰かが今日もパーティーに行ってたらしい。全然そんな余裕ないや。孤独ではある。

 

15.10.2025

Heutehatten wir frei. Ich hatte mir vorgenommen, früh aufzustehen und meine ehemalige Arbeitsstelle zu besuche —— aber natürlich bin ich nicht früh aufgestanden. Der Vormittag hat auf dem Bett einfach dahingeschmolzen. Ich bin am Nachmittag spazieren gegangen. Mittwochs gibt es zu viele Event. Ich habe en einer Veranstaltung teilgenommen, die jede Woche in Gaarden stattfindet aber ich weiß nicht, ob ich nächste Woche wieder hingehe.

 

In der Klassen-Chatgruppe hat jemand geschrieben, dass heute wieder eine Party irgendwo in einer Ecke der Stadt war. Ich habe keinen Spielraum in meinem Kopf.

 

Auf einer Fremdsprache zu studieren und zugleich ein Einzelgänger zu sein, bringt nur Einsamkeit? Nein. Ich habezwei Welten. Doch in dem tiefen Tal dazwischen verstecke ich mich und finde momentan keinen Weg zu klettern.

 

 

 

16.10.2025

Dの授業は、先週の哲学と一変、文献の参照の仕方と、アカデミアの世界における問いの立て方についての授業だった。めっちゃ退屈だった。ただ、私は大学を卒業したとはいえ、お粗末な卒業論文しか書いていないのである。自由ではあったけれど、私の大学時代は大事なことに集中できずに終わってしまったように思う。

 

ドイツの自動車免許を取得しようとしていて、そのために役場まで行ったけれどひどく疲れていた。学校はいつも緊張感を持ってやっているので、とてもすり減る。

 

夕方ベンと会う。警察になるのはやめて、DRKで保育士になるAusbildungに申し込んだことを言ってた。めちゃ頭いいし、優しいので、何かいいことをするのだろうなって思う。

Alanya Grillっていうお店でDönerを買って、彼の家に行って食べた。。インスタで紹介されていた店だからか混んでたし美味しかった。次はクリスマスマーケットが出てくる11月に会おうと言って別れる。また会えるって最高だな。クリスマスは家族と過ごすって言っていた。移民として一人で生きている私はクリスマスがいつもちょう暇なのだけれど今年はどうしようか。

Verkehrerlaubnisbehörde, eine freundliche Ecke in der Stadt

16.10.2025

Der Unterricht beim Dozent D war heute ganz anders als philosophische Stunden letzte Woche — es ging um den Umgang mit Literatur und darum, wie man in der akademischen Welt eine Forschungsfrage formuliert. Es war fruchtbar langweilig…… Aber obwohl ich mein Studium abgeschlossen habe, war meine Abschlussarbeit ziemlich dürftig. Ich hatte zwar viel Freiheit, doch im Rückblick habe ich das Gefühl, dass ich meine Studienzeit damit verbracht habe, an den wirklich wichtigen Dingen vorbeizugehen.

 

Ich versuche gerade, einen deutschen Führerschein zu bekommen, und war deshalb in der Verkehrerlaubnisbehörde — das hat mich völlig erschöpft. Die Schule ist ohnehin immer mit einer gewissen Anspannung verbunden; sie zehrt an meinen Kräften.

 

Am Abend habe ich B getroffen. Er hat mir erzählt, dass er sich gegen die Polizei entschieden und stattdessen für eine Ausbildung zum Erzieher beim DRK beworben hat. Er ist klang und freundlich — ich bin sicher, dass er irgendwann etwas Nettes machen wird.

Wir haben uns beim Alanya Grill einen Döner geholt und in seinem Haus gegessen. Der Laden war ziemlich voll, wahrscheinlich, weil er gerade aufInstagram empfohlen wurde. Dessen Essen war ziemlich gut.

 

Wir haben uns verabschiedet mit dem Plan, uns im November wiederzusehen, wenn die Weihnachtsmärkte öffnen. Es ist einfach schön, zu kennen, dass man sich wiedersehen wird. Er verbringt Weihnachten mit seiner Familie — ich dagegen, als Einwander, der allein im Norden lebt, habe ich an Weihnachten immer endlos viel Zeit. Ich frage mich, was ich in diesem Jahr machen werde.

 

 

 

17.10.2025

最悪だなあと思いながらプレゼンテーションをしている。何も理解できないし、だから何も話したくない。でもやらないといけない。こういうとき死にたいって一瞬でも思うけれど、それってドイツにもある感覚なんだろうか。私の中の鬱もASDもドイツに来てからかなり大きく変容した。

「死にたい」と思う気持ちは消えないけれど「生きたい」という気持ちは増えた。必要なものに集中しないといけなくて、だから他人のことに冷たくなった気がする。人に興味が持てなくなったかもしれない。生きるのに必死だからなのか。

 

朝早起きして、朝3時から、あらかじめアップロードされている授業のパワポをKIに聞いて訳す。グループワークが嫌いだから、PDFのファイルをいちいちコピペして訳していく。「これは学びではない作業だ」っていう声が頭の中で聞こえるけれど、やるしかない。正直KIの助けを借りないといけないのは悲しい。でも母語でも理解できないことがないからこそ使えるのだ。

もし私にとっての最初の言葉がドイツ語で、それでも授業の言葉を理解できなかったとしたら?最悪だ。でもそういうことだって十分にあり得る。まだ理解できる分だけまし。

 

後ろ向きの気持ちが消えなかったので、授業の後すぐに家に帰ってきっかり13時間寝た。起きてもまだ朝の5時だった。

17.10.2025

Bei der Präsentation denke ich ganze Zeit: das ist einfach fruchtbar—— Bekam ich eine Sociophobie? Aber seit wann?

Ich verstehe nichts, also will ich auch nichts sagen. Ja, ein Teufelskreis. Nein, ich kann das schaffen. Ich muss. Ich kann.

 

In solchen Momenten denke ich selten für einen Augenblick, dass ich einfach nicht mehr leben möchte.

Ich frage mich, ob es dieses Gefühl auch in Deutschland gibt. Seit ich hier bin, haben sich meine Depression und mein Autismus (odder besser gesagt Autisistische Tendenz) stark verändert. Der Wunsch, zu sterben, verschwindet nicht — aber der Wusch, zu leben, ist größer geworden.

 

Ich habe das Gefühl, dass ich kälter gegenüber anderen geworden bin, weil ich mich auf das konzentrieren muss, was wirklich notwendig ist,

Vielleicht habe ich das Interesse an Menschen verloren. Vielleicht, weil ich einfach damit beschäftigt bin, zu überleben.

 

 

 

 

18.10.2025

やることがないとはいえ、外に出ないといけないと思って図書館で勉強をした。イエメン出身のフサインがいたけれど彼はめちゃクチャ 風邪を引いていたみたいで途中で帰って行った。

14時に図書館が閉まってCaféAlmaに移動。金曜日の授業の復習をするだけで1日が終わる。悲しい。全然勉強が進まない。

 

18.10.2025

Auch wenn ich fast nichts zu tu hatte, dachte ich, dass ich mindestens einmal pro Tag rausgehen muss.Daher war ich in der Bibliothek, um einige Nachbereitung der Woche zu machen. Hussein aus dem Jemen war auch da, aber er schien ziemlich stark erkältet zu sein und ging irgendwann nach Hause.

 

Um 14 Uhr schloss die Bibliothek, also ging ich ins CaféAlma. Ich verbrachte den Rest des Tages damit, den Stoff aus der Vorlesung vomFreitag zu wiederholen. Traurig fand ich es, dass der ganze Tag vorbei war, und ich hatte trotzdem das Gefühl, kaum etwas geschafft zu haben.



19.10. 2025

Asmaと会う。マフィンを焼いて持っていこうと思っていたのだけれど砂糖を買ってなくて焼けない。代わりにトマト缶でパスタソースを作った。めちゃ美味しかった。胸焼けするぐらい食べて自転車で走る。彼女は仕事終わり。

 

Friedrichsortは何もなかった。昔、ここには魚雷工場があったらしい。その前には要塞があって、跡地にはCatapilarの兵器工場がある。要塞はきっとデンマークとの戦争で使われたのだろうとぼんやりと思う。150年の歴史がある木造の教会に入り、風が強すぎる海を見て、Dietrichsdorfまでの船の中で寝そうになる。WellingsdorfのDönerはAsmaが言う通り全然美味しくなかった。

 

歩いていると通りすがり目も合わさずに「你好」と叫ぶ人がいて悲しくなった。すぐに言い返すけれど。

 

Ich traf mich mit Asma. Eigentlich wollte ich Muffins backen und mitbringen, aber ich hatte keinen Zucker mehr, weswegen konnte ich sie nicht backen. Stattdessen machte ich eine Pastasoße mit Dosentomaten. Sie war unglaublich lecker. Ich habe so viel gegessen, dass mir fast schlecht wurde, und fuhr dann mit dem Fahrrad los. Asma kam direkt von der Arbeit.

 

In Friedrichsort gab esaußer dem Gewässer nichts Besonderes zu sehen. Früher soll es dort eine Torpedofabrik gegeben haben. Davor stand dort eine Festung, und auf dem ehemaligen Gelände befindet sich jetzt eine Waffenfabrik von Caterpillar. Ich dachte vage daran, dass die Festung wahrscheinlich im Krieg gegen Dänemark genutzt worden war.

 

Ich ging in eine Holzkirche, die schon über 150 Jahre alt ist, sah das stürmische Meer und wäre auf dem Schiff nach Dietrichsdorf fast eingeschlafen. Der Döner in Wellingsdorf war, wie Asma gesagt hatte, wirklich nicht gut.

 

Als ich später auf der Straße spazieren ging, rief mir jemand im Vorbeigehen, ohne mich anzusehen, „Ni hao!“ zu. Das machte mich traurig. Ich rief sofort etwas zurück, was ich nie und niemals in meiner Heimat gesagt habe.

 

 

 

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#270 映画『In die Sonne schauen(太陽を見つめる)』死に惹かれることをどのように芸術に昇華させるべきか


 映画で描かれるのは4人の女性。というか少女。もっとも画面に映る時間が長いであろうAlmaを除けば全員思春期に差し掛かっていると言える。

 冒頭に出てくる少女は1940年代に生きたErika。彼女が廊下を松葉杖で歩く異様なシーンから始まる。彼女は伯父Fritzの松葉杖を借りて、足を縛り、左膝の下がない彼の気持ちを味わっている。その間父親がずっと彼女の名前を呼んでいる。眠るFritzの臍に溜まった汗を舐める狂気的なシーンと、父親にぶたれた彼女が窓際にいるFritzに微笑む表情。カメラ目線。からのタイトル。原題の『In die Sonne schauen』を訳すと「太陽を見つめる」みたいな意味。「太陽を見るのは危険だからやめなさい」ってよく子どもは親に言われるけれど、彼らは大人の忠告なんか無視して太陽を見つめ続けて、知らず知らずのうちに危険な領域は入ってしまう。そういう連想をしてしまうようなタイトル。

 

 映画全体を支配するのはブーンとかゴーとか、そういう擬音語でしか表現できないよう音たち。レコードをかける時のプツプツという音がずっと流れたりもする。あるいは水中の音。4つの時代に生きた女性の4つの人生。「死」とか「希死念慮」という概念が共通していると思うのだけれど、でもドイツ語のセリフを全部分かったわけではないし、私の情報は映画監督のインタビューとか脳内での想像や連想に基づいているから、よくわからないことがたくさんある。

 

 タイトルシークエンスの後は、1910年代のAlmaの時代が描かれる。子ども達がいたずらを仕掛けて使用人Bertaがつまづく。追いかけ回される子ども達。カメラは家の中をグルグルと回るのだけれど、急に音が無くなってAlmaの足音しかなくなる。彼女はこの映画の中では独りだ。

 

 7歳の彼女の行く末がどうなるのかは明示はされないけれど、映画に出てくる少女同士の運命が互いにリンクし合っていることを考えると、彼女もいづれ大人になるかならないかの時代に死ぬのだろう。自分から死ぬのか、病気になるのか、そういうことはわからないけれど。

 ザクセン・アンハルトの農村にある小さなBauernhof(農場)。四角く区切られた中庭とそれを囲む住居と。時代によって家畜がいたり、農作業の道具が置かれてたりするけれど、夏にはお祭りがあったり、子ども達が遊びまわっていたり、ポラロイド写真を撮ったりする。時代にもよるけれど、農村の暮らしはきっと苦しいだろうから、みんなが協力して生活する。

 

 誰しもが一人で生まれ、一人で死ぬ。でも生きている間は、多かれ少なかあれ他の人と過ごす。誰しもが死なないといけないのと同じように、誰しもが生きないといけない。そして生きる上では誰かと協力することが合理的だ。

 

 生きることが今よりももっと過酷だった頃、集団での労働や生産は、「生きること」や「生き続ける」ことを前提としたはずだ。

 

 そんな集団の中に「死に魅せられた人がいる」というのは奇妙だし、その人の存在は今よりも異質になっていただろうし。共同体にとっての脅威ですらあったかもしれない。

 共同体の中に希死念慮を抱えた人がいることは、きっと昔の人にとってはとても怖いことだったと思う。

 

 

 1980年代の主人公はAngelika。彼女の年代のシーンで最初に差し込まれるのはウナギの頭のシーンだと思う。Angelikaの母であるIrmaが祭りで使われた死んだ鰻に手を噛ませているシーン。その後に水中を漂う誰かの腕が見えて、また1910年代のAlmaの時代に戻る。彼女はLeaと一緒に鍵穴を覗いている。Trudiがベッドに寝たきりになっているFritzを介護しているのだ。信じられないことではあるけれど、使用人として雇われる女性の中には強制的に不妊手術が行われることがあったらしい。Trudiは寝たきりのFritzを介護する。それを鍵穴で覗く子どもがいる。

 映画全体を通じて、希死念慮ともに描かれるのは女性に対する暴力。異常なことがごく普通のことのように描かれる。当時としては「当たり前」だったのかもしれないけれど、観客は現代の価値観で見るから否が応でも気がついてしまう。ほとんどのシーンが間接的だったとはいえ、女性への暴力が当たり前に描かれる映画を見続けるのは結構苦痛だった。

 

 一人になったAlmaはまた鍵穴を覗き、死んだ家族の写真が並べられていくのを見る。現在はほとんど廃れた習慣ではあるが、その昔、家族の誰かが死んだら、その写真を撮影することがよくあったらしい。それは写真の黎明期で、今よりも写真を気軽に撮れない時代だった。肖像画よりも価格が安く、かつはっきりと世界を映し出す写真は、死者の顔を思い出させるためにはもってこいで、死後数時間のうちに撮った写真がその人の唯一の写真であることもよくあったという。

 

 Almaの家族は子どもたちが死ぬたびに写真を撮る。それは現代の私からすると多少なりともグロテスクに映るし、特にAlmaの姉Leaが自殺した後に、死後硬直で閉じてしまった彼女の目を無理やり針で縫い付けて、まるで生きているかのように写真に写すのはかなり見ていて辛い。この辺りで映画館から出てしまった人が何人かいた。

 

 Almaは死んだ子どもたちの中に自分に生写しな少女を見つける。そして自分の名前がその少女にちなんで名付けられたことを知る。観客はAlmaもまた若くして死ぬのだと知る。彼女が死ぬことは映画の中で明確には描かれていない。けれどもこの2時間以上の映画の中で4つの時代が相互に絡み合っていることを考えると、Almaは死ぬに違いないのだと確信してしまう。もうそうじゃないとありえないとまで思う。とても悲しい映画だ。全ての子どもに幸福な子ども時代があって欲しいと思う。それはドイツに来て知り合った何人かの過去が壮絶だったりするからというのもあるし、今学校の授業で教育学を学んでいるからでもある。

 

 聖職者のような人が来て、家族全員がその人の前に並ぶ。Almaは何をしたらいいのかわからないから他の人に聞いて、他の人と同じようにしたらいいと教わる。お葬式のお焼香みたいにみんなが儀式的何かをしていく。列に並ぶ中でAlmaだけカメラ目線になる。

 この映画において登場人物たちのカメラ目線はどういう意味なのだろう。私が覚えている限り、カメラ目線になる人間は6人。冒頭のErika、1910年代のAlma、Lea、鍵穴を覗き返したFritzとTrudi、それから狂ってしまったかのように嗚咽するAlmaの母Emma。Alma役の子役の演技も凄かったのだけれど、Emma役のオーストリア人俳優Susanne Wuestの演技がもの凄いと思った。

 映画の中でカメラ目線になった人は、死ぬ人なのだろうと、途中まで考えていた。でも人間は誰しもが死ぬし、登場人物の全員が狂気を抱えているとしても、全員が自殺するとは考えられない。Almaの時代に登場したFritzは1940年代にも確認できるけれど、EmmaやTrudiのその後はどうなったのだろう。ドイツ語がもっとできたら、映画の中で語られることがもっと理解できたら、答えはもう出ているのだろうか。私には聞き取れなかった。

 基本的にはキリスト教は生まれ変わりを信じたりしないはずだけれど、19世紀末から1910年代、20年代にはスピリチュアルな考え方が流行していたと思う。あるいはドイツの農村にも土着の呪術的な民間信仰が残っていたのだろうか。Almaの周囲では「生まれ変わり」は普通の概念のようである。おばあちゃんが死んだ時もAlmaは7歳らしく生まれ変わりについて話す。「アフリカに生まれたのかも」とか「おばあちゃんは虫になったのよ」とかそういう会話は一般的だったようだ。目が開かないように瞼の上に石を置いたり、顎をリボンで結んで口を閉じたり。

 死者を悼む日にAlmaの横に座っていたHeddaは「Almaが死んだ時、地下室の遺体から魂が抜け出してあなたの体に入ったのよ」なんて言う。教条的な信仰が支配的になっていない子どもの世界には、いつでも想像力が入り込む余地があって、なんて楽しいのだと思う。そしてこの映画に描かれる大人の世界のなんと退屈なことか。

 他の時代のパートで農場には人がたくさん住んでいるらしいのに対し、

現代のパートではそんなに人が出てこない。もしかしたら村は寂れているのかもしれない。登場するのは5人だけ。Berlinから移り住んできた4人家族と、近くに住む女の子Kyla。近所の子ども達が集まって水遊びをするシーンや、その時に両親の友人などがいたりするのだけれど、それ以外はあまり重要ではない。

 

 Berlinから来た家族に異常な部分があるとしたら、それは娘達が寝ているのと同じ空間で両親がセックスしていることだと思う。次のシーンで泣き出す娘の声がして、それはまるで農場の建物に残る過去の亡霊達に怯えているようにも見える。そういった感覚や建物に息づく歴史の積み重ね、感情の澱のようなものを両親は感じているようには見えない。月明かりの下を娘達が乗ったマットレスを母親が引っ張って、3人ともニコニコ笑っているのに音は聴こえない。怖いシーンだった。無音だったのがプツプツと音がして、時代は80年代になる。

 1980年代の主人公はAngelika。映画の中で私が一番共感できた。同じ建物に住む叔父(伯父かも)Uweに惹かれている彼女は同時に従兄弟であるRainerともキスしたりする。Angelikaが登場する最初のシーンは母親のIrmaに「盲点」について説明しているところ。紙に⚪︎と×を書いて、片目を隠しながら紙を近づけていくやつ。

 彼女はもっとお母さんと話すべきだ。戦争の時に死んだお母さんの姉Erikaについてもっと聞くべきだ。

 この映画に出てくる何人かの人たち。Angelikaと母Irmaや、ErikaとFritz、現代の主人公であるLenkaとKylaの間には、語るべきものを持ちながら語らないというもどかしさがある。「頼むからもっと話してくれ!」って思うけれど、彼らは語らない。大切なことを知るには人生はなんて短いのだろうと思う。「完璧なタイミング」を探すうちにみんないなくなったり、会えなくなったりする。でも私だってドイツに来るまでそんなこと全くわかっていなかった。

 映画の登場人物達はみんな、語るべきものを持ちながら語らない。みんなモノローグで語るだけ。それも過去形で。それらが語られていたら何か変わったのではないかと思ってしまう。あるいは観客が見ていないところですでに語っているのか。それでも何も変わらなかったのか。希死念慮や性的欲求が語りにくいものであったとしても、やはり人間は語るべきだと思う。それを語らなくて死ぬくらいなら。

 AngelikaとIrmaが川辺に座るシーンが私は特に好きだ。Angelikaは語る代わりに、その昔Erikaたちが死んだ川を泳いで西ドイツへと渡る。Irmaを驚かせるために。あるいは元気づけるために。

 水中のシーンや、泳ぐ鰻のモチーフは、どうあら時代と時代の間に差し込まれているようである。サブリミナル的に差し込まれるそれらは生と死、そして時代の流れを象徴している思う。

 魚眼レンズ(あるいはそれに似たレンズ)で撮影されたシーンがいくつかあって、それらはどうやら現代と過去を行き来するようである。未来から過去への眼差しだったり、逆に過去から未来への眼差しだったりする。例えばFritzを夜中に訪ねたErikaにIrmaが後ろから手を伸ばすシーンは、まるで誰かが階上の床の隙間から見下ろしているかのように上から描かれる。それは後の時代のAngelikaの視線であるようにも解釈できる。

 

 Almaはその年の夏と農作物について語る。LenkaもBelinから移り住んだ初めての夏について語る。Angelikaの夏は農作物を収穫して、農場に住んでいる人たちとポラロイド写真を撮った直後に終わる。そして従兄弟であるRainerのモノローグによって「彼女が消えた」とだけ語られる。Erikaには夏は来なかったから、彼女のモノローグはない。

 Almaのおばあちゃんを埋葬するためなのだろうか。たくさんの村人達が鎌を持って歩くシーン。一人の人間が死んだとしてもあまりにも多い数の人と鎌。墓地へ向かって歩くシーンで後ろからAlmaが姉のLeaに呼びかけるシーンの意味がわからなかった。数ある子ども達の中で、どうしてLea とAlmaだけが死なないと行けなかったのだろう。彼らが収穫の中で吹き荒れる風の中で飛んでいくシーンで映画は終わる。他方で麦の穂が飛ばないように押さえつける人々は彼らが去っていくことに気がつかない。なんという映画素晴らしい映画なのだろう。



 

〈あとがき〉

私がキールの映画館で観た『In die Sonne Schauen』について書いた文章です。めっちゃいい映画なのでおすすめです。日本での公開はまだ決まっていないようです。アカデミー賞、国際長編映画賞のドイツ代表作品になったようなので、おそらく来春には本邦でも公開されるはずですが、かなり好き嫌いの分かれる映画であるのは間違いないですし、ミニシアター系での公開になりそうです。

ちなみに英語のタイトルは「Sound of Falling」といいます。かなり受ける印象が違うので、原題のほうがずっといいなと思います。

 

めぐりあう時間たち』(2002アメリカ・イギリス)

『A Strange Love Affair with Ego』(2015 オランダ・アメリカ)

『セノーテ』(2019 日本・メキシコ)

『Evolution』(2015 フランス)

 

以上の映画が好きな人がいたらおすすめです。私は観ていないのですがミヒャエル・ハネケ白いリボン』と比較しているドイツのブログが結構ありました。

超自然的な存在、象徴が主題になっている点でタルコフスキーの『ストーカー』と比較している記事もいくつかありました。

『In die Sonne Schauen』のほうがより具体的な地域史や女性への抑圧や暴力に焦点を当てているのに対し、『ストーカー』は宗教的、哲学的なテーマが中心になっている点で大きく違うように思います。

 

 

 

【予告編】

 

 youtu.be

 

 

【今日の音楽】

 

 youtu.be



 

 

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#269 die erste Woche an der Fachhochschule/第1週目の学校

 先週は1週間学校だった。キールにある運河近くの学校。私はそこでこれから3年半勉強するのだけれど、かなり難しい1週間だった。緊張が取れて、環境に馴染んできたらもっとドイツ語も話せるのだろうと思うけれど、まだまだこれからだ。

 

*Ich schreibe meine Aufsätze auf Deutsch mit Hilfe von Geppetto – oder besser gesagt, ChatGPT.

*ドイツ語の文章はChatGPTの助けを使って書いています。

 

 

月曜日の授業

06.10.2025

《私の名前はYで始まる》

40人もいる場所で自己紹介しないといけないなんて。こんなに大勢の前で自己紹介するのはきっと浪人の時の予備校以来。あの時は日本語で話せたし、並んでいる順番で自己紹介するから。余計なことを考えなくてよかった。

 

なんとなくで前から3列目に座ったけれど、前に座ったせいで後ろの人の発言を聞くには大きく振り返ったりしなくてはならない、自分が自己紹介するタイミングを選ぶのが難しかった。結局立ち上がったのはいいけれど、他の女の子と立ち上がるタイミングで、笑っちゃった。立ち上がった時は緊張して笑えてなかったけれど。

 

社交的な人もいればそうじゃない人もいる。

ドイツ語の文化は「よく喋る」文化だし、時々「喋らないといけない」文化でもあるから、日本とは全然違う。でもよく喋るように見える人が内向的でないとは限らない。

 

無理しすぎず、自分のやり方で仲良くなろう。きっと全員が語るべき物語を持っている。少しずつでいいから、多くの人と話せたらいいな。でも今日は情報量が多すぎて最後の方はイライラしてしまった。

 

授業が終わってからMargritの絵かき教室に行った。KielからLütjenburg。家に帰ったら22時だった。来月にも行けるか分からない。

 

 

 

06.10.2025

„Mein Name beginnt mit Ypsilon.“

Ich muss mich in einer Gruppe mit vierzig Leuten vorstellen? So viele Menschen – das letzte Mal, dass ich mich vor einer solchen Menge vorstellen musste, war wohl in einer Vorbereitungsschule für die Universitätsaufnahme in Japan, einer Art „Cram School“, wie man sie dort nennt.

Damals konnte ich wenigstens Japanisch sprechen, und man stellte sich einfach der Reihe nach vor. Ich musste nicht darüber nachdenken, wann ich an der Reihe bin. Ich habe mich eher nach vorne in die dritte Reihe gesetzt, aber von dort muss ich mich jedes Mal umdrehen, wenn jemand hinter mir spricht. Das machte es schwierig, den richtigen Moment für meine Vorstellung zu finden. Als ich schließlich aufstand, tat das gleichzeitig mit einem anderen Mädchen – wir mussten lachen. Als ich aufstand, war ich zu nervös, um zu lächeln.

 

Manche Menschen sind sehr kontaktfreudig, andere eher zurückhaltend. Die deutsche Kultur ist eine Kultur des Sprechens – manchmalsogar eine, in der man sprechen muss. Ganz anders als in Japan. Aber wer viel redet, ist nicht unbedingt extrovertiert.

 

Ich möchte ohne mich zu verstellen, auf meine eigene Weise Kontakte knüpfen. Jeder Mensch hat eine Geschichte, die erzählenswert ist. Wenn ich nach und nach mit vielen sprechen könnte, wäre das schön. Aber heute war es einfach zu viel Input, und am Ende wurde ich ungeduldig.

 

Nach dem Unterricht bin ich noch zu Margrits Malkurs gefahren – von Kiel nach Lütjenburg. Zu Hause war ich erst um 22 Uhr. Ich weiß nicht, ob ich nächsten Monat wieder hingehen kann.

 

Während der Gruppenarbeit sagte jemand zu mir: „Entspann dich ein bisschen.“ Aber ich weiß nicht, wie man sich entspannt. Ich hätte nie gedacht, dass ich auf Deutsch so wenig sagen kann. Vielleicht kann ich mehr sprechen, wenn die Nervosität irgendwann verschwindet.

 

Aber wann wird das sein?

Wann bloß?

 

 

 

07.10.2025

《もう別の言語じゃないか》

法学(rechtliche Grundlagen)の授業はわからない。別の言語みたいだ。せっかくDozentが前もってメールで授業のパワーポイントを送ってくれていたのだから、ファイルをダウンロードして、翻訳アプリを使ったりすればよかった。その文脈に沿った法学用語を調べないと。使いたくないけれどきっとChat GPTも使わないといけない。

 

1ページ1ページ翻訳する。法学の語彙を調べる。何が重要で何が重要じゃないかを取捨選択する。覚える。試験がどういうやり方で行われるのかはわからないけれど。

 

学生は皆マイクロソフトのアカウントをもらえるのだけれど、まだワードとかマイクロソフトのアプリをインストールしていない。

 

前の席のSがパワーポイントのノートのところに授業のメモを書いているのを見て、来週は自分も同じようにしようと思った。

正直、私のこれからの仕事は法学の知識がかなり必要なのだけれど、これから理解できるのだろうか。

 

今日も海沿いを走って帰る。自転車に乗っていると走ることに集中できるからとても楽だ。気分転換になる。でも行き帰りで毎日1時間以上自転車に乗っていることになる。続けられるのだろうか。

 

 

 

07.10.2025

„Ist das überhaupt noch dieselbe Sprache?“

 

Der Kurs Rechtliche Grundlagen – ich verstehe fast nichts. Es fühlt sich an, als wäre das eine ganz andere Sprache.

 

Der Dozent hatte uns zwar schon vorher diePowerPoint-Folien per E-Mail geschickt – ich hätte sie einfach herunterladen und mit einer Übersetzungs-App durcharbeiten sollen. Ich muss die juristischen Begriffe im jeweiligen Kontext nachschlagen. Ich will es eigentlich nicht, aber wahrscheinlich muss ich doch ChatGPT benutzen.

 

Seite für Seite übersetze ich, suche juristische Fachwörter heraus, wähle aus, was wichtig ist und was nicht – und versuche, es mir zu merken. Ich weiß noch nicht, wie die Prüfung am Ende aussehen wird.

 

Alle Studierenden bekommen einMicrosoft-Konto, aber ich habe Word und die anderen Programme immer noch nicht auf meinemiPad installiert.

 

Ich habe gesehen, wie S., die vor mir saß, ihre Notizen direkt in denPowerPoint-Folien gemacht hat. Nächste Woche werde ich das auch so machen.

 

Ehrlich gesagt, für meinen zukünftigen Beruf brauche ich ziemlich viel juristisches Wissen. Aber kann ich das wirklich alles verstehen?

 

Auch heute bin ich wieder an der Förde entlang nach Hause gefahren. Wenn ich auf dem Fahrrad sitze, kann ich mich ganz auf das Fahren konzentrieren – das tut gut, es ist wie eine kleine Pause im Kopf. Aber hin und zurück sind es mehr als eine Stunde am Tag.

Ob ich das auf Dauer durchhalte?

 

 

 

08.10.2025

《故郷はいつも文学の中に》

こんなにもたくさんの同級生がいるんだって思ってたら、上回生もきていた。アイスブレイキング的なことをやってくれたけれど、私のアイスは温暖化にも関わらずなかなか溶けない。普通に楽しくない。昼休みは一人で森の中を歩いてカタツムリを数えていた。14ぐらい見つけたところで、自分は何をやっているんだろうって思ってやめた。エレファントカシマシの「今宵の月のように」とかフラワーカンパニーズの「深夜高速」とかみるきーうぇいの「カセットテープとカッターナイフ」とか大声で歌いたかったけれど、森の中を散歩している他の集団もいたのでやめた。私はこれ以上周囲との間に距離を作ってはいけないと思う。夜ならまだしも、学校の休み時間に、日本語の世界に逃げ込むのはなんだか危険な気がする。

 

実は水曜日の授業の内容が一番抽象的で、難しいかもしれない。先生の性格がまだわからないけれど、もしかしたら結構グループワークとかやる人なのかも。

 

夜はハンブルクまで行って友達の主催するライティングのワークショップに参加した。友達は20年前にキルギスタンから来て、ドイツで心理学を勉強して、ドイツ語で綺麗な文章を書く人だ。ロシア文学にも詳しい。「故郷」をテーマに話した。マフィンを持って行って食べた。ハンブルクは私が一年目に過ごした街。ハンブルクに行くたび私は初心を確かめる。当時の自分に、今の自分が正しい道にいることを教えてあげたい。当時は今よりももっと不安だった。秋から冬にかけて私は心が沈んで、UバーンやBusに乗っている自分の存在がとても希薄で、いつか消えてしまいそうな気がした。

あの頃と比べたらドイツ語は上手くなってるし、友達も増えた。大丈夫だ。

 

 

 

08.10.2025

„Die Heimat existiert immer in der Literatur.“

Ich dachte, es wären einfach viele Kommiliton*innen da – aber es waren auch Studierende aus höheren Semestern gekommen.

 

Sie machten eine Art Ice-Breaking-Aktivität, aber mein Eis wollte einfach nicht schmelzen – trotz der globalen Erwärmung. Ehrlich gesagt: Es hat einfach keinen Spaß gemacht. Ich habe mein Herz noch nicht weit genug geöffnet.

 

In der Mittagspause bin ich allein durch den Wald gegangen und habe Schnecken gezählt. Als ich bei vierzehn angekommen war, fragte ich mich, was ich da eigentlich tat – und hörte auf.

 

Ich wollte laut singen: „Imayoi no tsuki no yō ni“ von Elephant Kashimashi, oder „Shinya Kōsoku“ von den Flower Companyz, oder „Kassettenband und Cutter-Messer“ vonMilkyway. Aber es liefen auch andere Gruppen durch den Wald, also ließ ich es bleiben.

 

Ich darf die Distanz zwischen mir und den anderen nicht noch größer werden lassen. Nachts wäre es vielleicht egal, aber in der Mittagspause an der Hochschule in die japanische Welt zu fliehen – das fühlt sich irgendwie gefährlich an.

 

Am Abend bin ich nach Hamburg gefahren, um an einem Schreibworkshop teilzunehmen, den eine Freundin von mir organisiert hat. Sie kam vor zwanzig Jahren aus Kirgisistan nach Deutschland, studierte hier Psychologie und schreibt wunderschön auf Deutsch. Sie kennt sich auch gut mit russischer Literatur aus.

 

Das Thema des Abends war „Heimat“. Ich hatte Muffins mitgebracht, und wir haben sie zusammen gegessen.

 

Hamburg ist die Stadt, in der ich mein erstes Jahr verbracht habe. Jedes Mal, wenn ich dorthin fahre, erinnere ich mich daran, wie alles angefangen hat. Ich möchte meinem damaligen Ich sagen, dass ich jetzt auf dem richtigen Weg bin.

 

Damals war ich viel unsicherer. Zwischen Herbst und Winter fiel ich in eine Art Dunkelheit, und während ich in der U-Bahn oder im Bus saß, fühlte ich mich so durchsichtig, als könnte ich jeden Moment in dieser kalten Luft verschwinden.

Heute spreche ich besser Deutsch, ich habe mehr Freunde. Es wird schon gut.

 

 

 

09.10.2025

《「また明日」って言えることの尊さよ》

昨日のライティングのワークショップはどうだったの?

って隣の人が聞いてくれる。それってすごい嬉しいことだ。毎日毎日顔を合わせる人がいる。「また明日ね」って行って別れられる。

「どこかに所属している」という気持ちは、そういった繰り返しの中で育まれるものかもしれない。

 

授業がとっても面白かった。今日はパワーポイントの内容をいちいちiPadのノートに書き写そうという試みをした。

私は読む人間であって、聴く人間ではない。書く人間であって、話す人間ではない。

苦手なところを伸ばすなら、pptの大事なところを音読して録音して聴き込むのがいいのかもしれない。それってもう司法試験生じゃん。木曜日の授業学期末の試験はなくて「Exposé」というのがある。 Exposéってなんだろうって思ってたらレポートのことらしい。kの方のルカが教えてくれた。彼は授業では結構たくさん発言して、彼の発音の癖とかがだんだん分かってきて、聞き取りやすくなってきた。

 

木曜日の授業には時間を多く使いすぎないほうがいいのかもしれない。

 

 

 

09.10.2025

„Wie kostbar es ist, sagen zu können: Bis morgen.“

„Wie war eigentlich der Schreibworkshop gestern?“

Das fragte mich meine Sitznachbarin heute Morgen. Und das hat mich wirklich gefreut.

 

Es gibt Menschen, die man jeden Tag sieht. Menschen, zu denen man „Bis morgen!“ sagen kann, wenn man auseinandergeht. Vielleicht entsteht das Gefühl, irgendwo dazuzugehören, genau in solchen Wiederholungen.

 

Der Unterricht war heute wirklich interessant. Ich habe versucht, die Inhalte derPowerPoint-Folien direkt in meiniPad zu übertragen. Ich bin eher ein lesender Mensch als ein hörender, ein schreibender Mensch – kein sprechender.

 

Wenn ich das, was mir schwerfällt, verbessern will, sollte ich vielleicht die wichtigsten Stellen aus der Präsentation laut lesen, aufnehmen und anhören. Das klingt schon fast wie bei einem Jurastudenten vor dem Examen.

 

In dem Donnerstagskurs gibt es übrigens keine Klausur am Semesterende, sondern einExposé.

Ich wusste erst nicht, was das ist – bis Luka (der aus dem Kurs mit K) mir erklärte, dass es so etwas wie ein Bericht ist.

 

Er beteiligt sich oft im Unterricht, und langsam beginne ich, mich an seine Aussprache zu gewöhnen. Sie wird immer leichter zu verstehen.

 

Vielleicht sollte ich nur aufpassen, dass ich für den Donnerstagskurs nicht zu viel Zeit aufwende.

 

 

 

10.10.2025

《遺産を『勝ち取る』とか》

 自転車に乗って学校に行くと汗かいたまま学校に来ることになってとっても嫌である。今日は半袖のシャツを着て学校に行った。アーセナルのパチモンのユニフォーム。このユニフォームを買った半年後にカードを不正利用されたのだけレド、もしかしたらユニフォーム購入時にカードの情報が盗まれたのかもしれないと考えているけれど真相は藪の中。芥川龍之介。(先週駅前のショッピングモールに行ったら古本市がやっていて、その本の山の中に日本文学の短編集があった。「蜘蛛の糸」と「藪の中」があったので持って帰った。他には中上健二とか大江健三郎があった)

 

 寒かったせいか、なんだか悲しい気持ちになってしまった。ドイツ語がわからない。グループワークで何を話したらいいかわからない。教育学の授業。両親の「家庭内での子育てスタイル」を5種類に(わざわざ時間を使って)分類した学者がいるらしく、宿題をやらないアレックスの事例を見ながら、各々の子育てスタイルについて考えていく。

 

 祖母が私を育てたスタイルは間違いなく「Autoritärer Erziehungsstil」に分類されるとか考えていたら結構エモーショナルになってしまって、悲しかった。法学の授業でもそうだけれど、今週は私は母のことや父のことを考えた。

 

 3年前に死んだ父が死んで遺産協定ももうすぐ終わりそう。

「遺産を『勝ち取った』」と言うと「受け取った」の方が正しいよて教えてもらった。

 

 父は全く会ったことがない。そしてそちら側の親族は意地悪な人たちである。従姉にあたる人が私の義理の姉になったりしている。なので、「勝ち取った」という気持ちである。こういう時ってドイツ語ではなんと言えるのだろう。

 

 

 

10.10.2025

„Ich habe das Erbe gewonnen“

Wenn ich mit dem Fahrrad zur Hochschule fahre, komme ich immer verschwitzt an – und das mag ich gar nicht.

Heute trug ich ein kurzärmliges Trikot, ein billiges Arsenal-Imitat.

Etwa ein halbes Jahr, nachdem ich es gekauft hatte, wurde meine Kreditkarte missbraucht.

Manchmal denke ich, vielleicht haben sie meine Kartendaten beim Kauf gestohlen – aber das bleibt wohl für immer ein Rätsel. Wie bei Ryūnosuke Akutagawas Im Dickicht.

(Letzte Woche war im Sophienhof vor dem Bahnhof ein Flohmarkt mit gebrauchten Büchern.

In einem Stapel fand ich eine Sammlung japanischer Kurzgeschichten – darunter Der Faden der Spinne und Im Dickicht. Ich nahm sie mit. Es gab auch Bücher vonKenji Nakagami und Kenzaburō Ōe.)

 

Nach der vierzigminütigen Fahrradfahrt, als ich die Kälte spürte, wurde ich irgendwie traurig. Ich verstehe das Deutsche immer noch nicht richtig, und in der Gruppenarbeit weiß ich nie, was ich sagen soll.

 

In Pädagogik haben wir über verschiedene Erziehungsstile gesprochen. Es gibt anscheinend einen Forscherin, der die elterlichen Erziehungsweisen in fünf Typen eingeteilt hat. Anhand des Fallbeispiels von Alex, der seine Hausaufgaben nie macht, sollten wir überlegen, welcher Stil jeweils vorliegt.

 

Ich dachte dabei an meine Großmutter – ihre Art, mich zu erziehen, würde ganz sicher in die Kategorie

„autoritativer Erziehungsstil“ fallen. Und irgendwie wurde ich dabei emotional. Wie schon im Rechtsunterricht diese Woche musste ich oft an meine Mutter und meinen Vater denken.

 

Mein Vater ist vor drei Jahren gestorben. Das Erbverfahren geht bald zu Ende.

Jemand sagte mir neulich, man solle nicht sagen:

„Ich habe das Erbe gewonnen“, sondern: „Ich habe das Erbe erhalten.“

Aber ehrlich gesagt – „gewonnen“ passt besser. Es fühlt sich an, als hätte ich das Erbe erkämpft, nicht einfach geerbt.

 

Ich habe meinen Vater nie getroffen. Und seine Verwandten sind – gelinde gesagt – keine freundlichen Menschen. Eine meiner Cousinen ist inzwischen meine Schwägerin geworden. Vielleicht deswegen denke ich:

Ja, ich habe das Erbe gewonnen.

Aber passt dieses Wort in diesem Fall wirklich wirklich?

 

 

 

11.10.2025

《みんな風邪気味》

Evaと待ち合わせしていたのだけれど、ドーナツを焼いたり掃除していたりしたら15分くらい遅れてしまった。

1周目を話す。お互いの最近のことについて。最近亡くなった彼女の母について。学業について悲観的な私を励ましてくれて嬉しかった。週末なのに私の1週間を覆い隠していた不安の霧は晴れず、コーヒーを飲みながらドイツ語が全くわからない瞬間があって、イップスみたいだと思った。彼女が勤めていたという小学校やお気に入りの森を教えてもらう。風邪気味らしくボンボンを舐めていた。

 

夜、音楽を聴きにLukasと運河の反対側へ行く。子供のこと奥さんのこと、ポルトガル時代に経験したブラジル人への差別について聞く。長男くんが学校に入ることになる来年を前にして、再来週から3ヶ月間ブラジルに帰るらしい。Lukasはエンジニアなので一応ブラジルでも働くらしい。

 

「新しいことが勉強できるの、羨ましいよ」っていってくれた彼の言葉を私は来週も思い出さないと。

 

2回目に演奏したメタルバンドがすごく良かった。行きも帰りも二人で30分近くバス停まで歩いた。こういう時間が好きだ。

 

 

 

11.10.2025

„Alle sind ein bisschen erkältet.“

Ich hatte mich mit Eva verabredet, aber weil ich noch Donuts gebacken und ein bisschen aufgeräumt hatte, kam ich etwa fünfzehn Minuten zu spät.

 

Wir machten eine erste Runde – sprachen über unsere letzten Wochen, über ihre Mutter, die vor Kurzem gestorben ist. Ich war in einer pessimistischen Stimmung wegen meines Studiums, aber sie hat mich auf eine warme, ruhige Art ermutigt. Das hat gutgetan.

 

Trotz Wochenende wollte der Nebel meiner Wochenangst nicht weichen. Während wir Kaffee tranken, gab es Momente, in denen ich plötzlich gar nichts mehr auf Deutsch verstand – wie ein mentaler Yips.

 

Sie zeigte mir die Grundschule, an der sie früher gearbeitet hat, und ihren Lieblingswald. Sie war ein bisschen erkältet und lutschte Bonbons.

 

Am Abend bin ich mit Lukas auf die andere Seite des Kanals gegangen, um ein Konzert zu hören.

Er erzählte von seinen Kindern, von seinerFrau, und von der Diskriminierung, die er als Portugiese in Brasilien erlebt hatte.

 

Inzwei Wochen fliegt er mit seiner Familie für drei Monate nach Brasilien, bevor sein ältester Sohn nächstes Jahr eingeschult wird. Er ist Ingenieur und kann dort weiterarbeiten.

 

„Ich beneide dich – du darfst so viele neue Dinge lernen“, hat er gesagt.

Daran will ich mich nächste Woche erinnern.

 

Die zweite Band, eine Metalband, war unglaublich gut. Auf dem Hin- und Rückweg sind wir fast eine halbe Stunde gemeinsam bis zur Bushaltestelle gelaufen. Ich mag solche Zeiten.

 

 

 

12.10.2025

《家コーヒー》

一日家にいた。勉強と食べることしかしなかった。食事の時間が少なくとも5回あった。寒いからか、いまだに不安だからかお腹が空く。家にいるとカフェに行くより安くコーヒーを飲めるからいい。延々に教育学の資料を読んで知らない単語を調べていたけれど、果たしてそれが効率的なやり方だったのかは果たして疑問。夕方親友のゴビゴビ砂漠氏と電話して、それが人間らしい唯一の時間。

寒いぞ。

 

 

 

12.10.2025

„Kaffee zuhause“

Ich war den ganzen Tag zu Hause. Ich habe nur gelernt und gegessen. Mindestens fünf Mahlzeiten.

 

Vielleicht, weil es kalt war. Oder weil ich immer noch unruhig bin. Ich bekomme schnell Hunger.

 

Zu Hause Kaffee zu trinken ist billiger als im Café – das ist gut. Ich habe stundenlang Unterlagen für Pädagogik gelesen und unbekannte Wörter nachgeschlagen, aber ob das wirklich effizient war, weiß ich nicht.

 

Am Abend habe ich mit meinem besten Freund, Herrn Gobigobi-Sabaku, telefoniert.

Das war der einzige Moment des Tages, der sich menschlich anfühlte.

 

Es ist kalt. Sehr kalt.

 

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

 

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