僕の知り合いのデザイナーのうち
少なくとも3人は
「日経新聞を読むデザイナーは僕くらいだ」
と自慢します。
日本経済新聞は、読むに、面白くないと、僕は思っていた。
社会に出て間もないころです。
しかし、社会に出て、いくつか、民間会社と取引きができると
まるで自分の会社のことのように、
その会社に関する記事を読みますでしょう。
最近だと、車が鉄から樹脂に素材を換える記事がありました。
素材商品化とりくむケミカル系企業の記事は興味深く読みました。
なにかをやめた なにかをはじめた なにかをうりだす
そういう記事が多いですよね。
新聞報道される以前に、その会社内部では、喧々諤々論議する。
よくいわれることは
「新聞に掲載されるときはもう遅い」
すでに企業内部では論議をつくし、具体的なやりかたとスケジュールも決定した後に
報道されますからね。
僕は、デザイナーが新聞を読む気持ちはよくわかる気がする。
企業の方針や企業姿勢に対して
広報・PRするためにどうすべきなのか。
新聞の報道が
コンペ・プロポーザルのオリエン課題みたいに見えるのでしょう。
新聞記事を読みながら、頭のなかで問題を軽く解く練習をしているのだと思う。
自主トレでしょう。
「日経新聞を読む、自主トレを行っている、デザイナーは僕くらいだ」
といいたいのだと思う。
「日経新聞を読むデザイナーは僕くらいだ」
と真顔で言われて
「えらいね」
もしくは
「最近気になった記事あった?」
くらいしか僕は返答できない。
「最近気になった記事あった?」の返答として
気になった記事ついて説明を聞いても
あまり面白くないときが多いのです。
デザイナーがその記事に触発されて
なにをかんがえたか そこが興味あるけど
そこを日常会話のなかで聞きだすのは無理ですから。
天保4年宮城県の山深い農村で
鍬によりかかりながら
汗をぬぐう農民Xさんが、
休憩時間に
ふと なにか画期的なこと もしくは画期的ななにかのヒントを思いついたかもしれない。
大企業が多額の支払いをして見出した結論と同じことに
長い歴史のなかの広い世界のなかで
だれかが
すでに気がついていたかもしれない。
そんなふうに思ったりします。
週末休めてますか。週末。
そんな感じの日曜日。