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アルージ・アフタブが語るパキスタンの記憶、歴史、社会、フェミニズム

アルージ・アフタブ

アルージ・アフタブ(Arooj Aftab)が10月28日(火)・29日(水)にビルボードライブ東京で初来日公演を開催する。彼女は自身の出自であるパキスタンと南アジアの音楽に、ジャズ、アンビエントなど多様なジャンルを融合したサウンドで世界にその名を知らしめた。2022年にはパキスタン出身として史上初のグラミー受賞者となり、2024年の最新作『Night Reign』も高く評価されている。ここでは彼女にパキスタンの伝統音楽との関係や距離感について話を聞いた。彼女の新しさは、そのルーツに対する真摯な姿勢から来ていると思ったからだ。



ラホールで出会った故郷の音楽

―1985年生まれのあなたが育ったパキスタンのラホールは、どんな街だったのでしょうか。

アルージ:90年代のラホールは、美しくてロマンティックで……まるでタイムカプセルに時間が封じ込められたような場所だった。そんな街で、11歳から高校を出る20歳過ぎくらいまでの“大人になる前”の時期を過ごせたのは、本当に幸運だったと思う。今は街を見るとどこも高速道路や地下道とかだらけだけど、当時はとても美しく、緑豊かで、街全体がまるで古い大きな庭園のようだった。ラホールの人たちは音楽やアート、文学といった文化への関心が高い人たちが多かったので、街としての文化度が高かったと思う。

当時は音楽をかけるラジオ局もたくさんあって、ジャンルも色々。新しいものだけでなく、古い音楽も溢れてたし、俳優たちの朗読劇があったりして。地域や社会の中に、文化に対する審美眼のような精神が根付いていて、インディーの音楽やストリート劇、舞台の翻案なども多かった。夜になると、地元の音楽家が集まって古典パキスタン音楽のコンサートが開かれ、家族連れや多くの人が集まっていた。私も両親に連れて行ってもらってて、演奏は朝4時まで続くこともあった。そんな風に、みんなが自分たちの文化遺産を分かち合って、祝い合うような、素晴らしい文化があったの。

私も、何に恥じることもなく、複雑に考えすぎることなく、ごく自然体で、パキスタン人として生きていた。そしてパキスタンの──パキスタンになる前、インドになる前、ムスリムをめぐる対立とかもない──歴史や文化や伝統を、ただシンプルに、純粋に、受け止めていたんだと思う。その頃が本当に懐かしい。あの時代に10年間を過ごせたから、余計ラホールという街が今でも大好きなんだと思う。

―10代の頃に体験した90〜2000年代のパキスタンの音楽ってどういうものでしたか?

アルージ:インディー系の音楽シーンが盛んで、ポップバンドもラップバンドもいた。西洋で言うところのラップのような、歌詞を早口で話すように歌うスタイルが、パキスタンにも昔から存在してた。ジュヌーン(Junoon)は世界中をツアーした有名なバンドで、私が初めて行ったコンサートも彼らだったけど、国内では地元のポップミュージックも当然人気があった。

詩や音楽の豊かな伝統を持つ国には、自然とそういうシーンが形成されるし、市やラジオ、テレビのプログラムによって支えられ、音楽活動を続けるためのインフラや必要なリソース、資金が提供されていた。ストリングス(Strings)とかヴァイタル・サインズ(Vital Signs)のようなバンドが活動していたし、ごく自然にそういうのも聴いてたって感じ。私が最初に行ったコンサートもジュヌーンで、ごく自然にそういうのも聴いてたって感じ。


ジュヌーン

―過去のインタビューでもパキスタンのカッワーリー音楽の巨匠、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの話をされてました。カッワーリー音楽は10代のあなたにとっても身近なものだったのでしょうか?

アルージ:両親が車の中でいつもヌスラットを聴いてたから、私も7歳くらいの頃から耳にしてた。ヌスラットは国民的な人気があったから、コーヒーショップでも普通にかかってたし、アビダ・パルヴィーン(Abida Parveen)もよく聴いてた。クラシカル(古典音楽)、セミ・クラシカル、カッワーリー、ガザル……その境界がはっきり引かれていたことは昔からなかった。今もそう。車や店でラジオをかけても、その全部が流れてくる。カイリー・ミノーグの次にヌスラットの曲がかかるというように。生活や日常に織り込まれているというか、私たちにとってのポップミュージックだから。

―興味深いです。日本では伝統的な要素が入った音楽を街や家で耳にすることって、滅多にないんですよね。

アルージ:もちろん、クラシカルな音楽にもいくつかの層があって。たとえば純粋な伝統民謡や極めてクラシカルな音楽──1曲25分もするような長尺曲がコーヒーショップでかかるなんてことはない。でもヌスラットのようなアーティストの曲はカフェでも流れてる。アラブに行ったらファイルーズやウンム・クルスームといった歌手の音楽が流れているのと一緒。ヌスラットも、元々はもっと古典音楽寄りで、カッワーリーよりさらにクラシカルな音楽が出発点だったわけだけど、それを大衆的な音楽へと発展させていった人だから。

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Translated by Kyoko Maruyama

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