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「コロナ禍と出会い直す」磯野真穂著〜この4年を振り返って見えてくるもの

 ものすごく真っ直ぐな本だった。

 

「コロナ禍と出会い直す」

磯野真穂 柏書房

 

 前回の読書エッセイ「急に具合が悪くなる」(宮野真生子 磯野真穂/晶文社)でも書いたが、磯野真穂の著書はすでに「他者と生きる」(集英社新書)を読んでいた。ところが「急に具合が悪くなる」を読んでいる最中には、そのことを全く思い出さなかった。

「急に具合が悪くなる」を読んだあと、「コロナ禍と出会い直す」を推薦している中島岳志のX(旧ツイッター)を見た。「あ、この人『急に具合が悪くなる』の人だ」と気づき、とても素晴らしい本だと中島が言っているので、購入した。中島岳志は、直接存じ上げているわけではないのだが、私が日ごろ信頼している学者や作家、ジャーナリストのなかのひとりである。

 え、そうなんですね。磯野真穂は、2024年から東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院の教授に就任している。

 中島岳志も同院の教授だ。少し前に「利他研究」のプロジェクトを東工大でやっていて、『「利他」とは何か』(集英社新書)という本が2021年に出ている。執筆者は、伊藤亜紗、若松英輔、磯崎憲一郎、中島岳志、國分功一郎の5人だ。ついでながら、中島岳志著「思いがけず利他」(ミシマ社)も大変興味深い本である。

 その中島教授の書評(2022年3月12日毎日新聞)を参考に、「他者と生きる」を買って読んだのだった。ついこの間のことなのに、思い出せなかったのは不覚である。

 

「コロナ禍と出会い直す」を読みながら、内容云々の前に、こんなに正々堂々と真正面から研究して語る学者がいるんだ、と尊敬の思いがふつふつと湧いた。

 磯野真穂は人類学者である。専門は医療人類学。素人の私には耳慣れない学問だ。

医療人類学とは

人が生まれ、死んでゆく過程において、人々は自ら及び他者の身体をどのように気遣い・考えるのかを、それぞれの人の視点及びその人を取り巻く社会・文化、政治・経済的、歴史状況を鑑みながら、観察、聞き取り資料調査を駆使して明らかにし、その知見から人が身体とともに生き、死んでゆくことの意味を包括的に明らかにしようとする学問。

いそのまほ

(磯野真穂オフィシャルブログより)

 ということだ。本人も説明はとても難しいと言っているので、これ以上深入りせず、読書エッセイを続けます。

 

 コロナは終わったわけではない。現在(2024年8月)とくに流行しており、11波と言われている。死亡者数も意外と多く、病床も逼迫しつつあるということは、決してウイルスが弱くなったわけでも、人間が慣れたわけでもなさそうだ。

 インフルエンザには治療薬なるものがあるが、コロナにはない。しかもlong COVIDという後遺症がなかなか怖い。私もコロナに感染したとき、味覚と嗅覚を失ったという経験をした。ひと月ほどで戻ってきたので安堵したが、なかなか戻らない人もいると聞く。味やにおいを感じることが出来ないというのは、ほんと〜に辛い。ゆえに、感染したくないので、今でも外出時はずっとマスクを着用している。定期的に病院へ通っているのだが、病院はどこもいまだにマスクをしないと入れない。していないと入口で注意されてしまう。なので、公の場でのマスク着用には慣れている(でも、さすがに今年の夏は暑い)。

 

 さて、磯野は、そのマスクや、少し前までどこにでもあったパーティションなどに疑問を投げかける。

 パーティション(アクリル板)については、逆にそこにウィルスなどが付着して汚いような印象を私は持っていたし、店のレジの人がしている手袋も、もしウィルスが付着していたらその手袋の手で客の商品をつかむわけなので、なんだかちょっと…とあまり気持ちの良いものではなかった。この場合、店員さんを守るという意味合いのほうが優先されているように思う。いや、それも大事なのだが。

 

 県を越える移動が禁止されたとき、車のナンバープレートに他県の名前を見つけて非難する人たちがいた。県を出るな、他所から入ってくるな、というのも、なかなかのアイデアだった。確かにウィルスを持っている人が移動すれば、その移動先で感染させるのではあるが……。

 

 あるいは「気の緩み」という表現があった。気の緩みによって感染が拡大する。

「気の緩み」を頻回に掲げる人々の属性、について著者は次のように書いている。

「気の緩み」を最も多く使うのは、会見で気の緩みを連発して批判をされた岸田文雄首相を筆頭に、政府・自治体の関係者だった。これは全記事中の4割強を占める。それに続くのが、医師などの専門家であり、これが2割弱。残りは記者自身による言葉、さらには芸能人など著名人の意見、街の人の声などが続く。

(P110)

 確かに「気の緩み」って何だろう。この本で指摘されるまで、私自身、この表現をなんとなく分かったように受け入れていた。私としては、大丈夫だろうとか、面倒くさいとかそんな気持ちで、マスクをしなかったり、手洗いうがいをおこたったりする、そのくらいの行動を想像していたのだが。

 このあと、日本人特有の「気」についての興味深い考察が書かれている。

 

 それから、やはりなんと言っても衝撃だったのは、志村けんと岡江久美子の死である。この二人の様子から、感染して死亡するとそういう扱いになるんだ、ということを思い知らされて愕然とした。

 見舞いにも行けない、死に目にも会えない、葬儀もまともにできない。人間ではなく物のように扱われる。磯野は、これについても疑問を呈する。

 この物々しさはどうなんだろう。自分の家族だったら、と思うとやるせない。岡江の夫・大和田獏は、押しかけるマスコミの前でとても気丈に、知的に振る舞っていた。

 いや、感染症対策として致し方ないことなのかもしれない。けれども、こういったことに慣れっこになっていくと、病人の尊厳、人の死の尊厳というものが次第に失われていってしまうのかもしれない、と私も感じる。

 

 海外では「自由」を求める市民の姿もあったが、日本では逆に、政府に緊急事態宣言を求めたり、行動の仕方まで細かく規定することを望んだりしていた。

 磯野をはじめ、人文系の学者たちが当初から心配して叫んでいたのは、すなわち、このまま権力者が権力を手放さなくなる、ということについてだった。しかも日本の場合、市民の側からそうしてくれと頼んでいたりもするわけで。加えて、緊急事態宣言と緊急事態条項を同一視してしまう人々もいた(いる)。これは怖い。

 

 ドイツでは、当時のメルケル首相が素晴らしいスピーチで国民に問いかけた。今は移動の自由を制限するけれども、それはいっときのことなんだ、と強調する。そしてエッセンシャルワーカーたちに感謝しよう、と。

 そう、いっときのことが状態化することに警鐘は鳴らされているのである。

 不要不急の視点や感染拡大を止めるという善なる道徳によって、

人権の制限も個人の監視も許すべきだ、そんな空気が世界を覆っています。

(P183)

 これに尽きる、と私は思う。

 

 コロナ禍でなされたあれこれを、容易に受け入れて、なんだったら市民の側から求めて、「〇〇警察」なる戦時中の「隣組」のような人々も現れた。自然に発生するのだから国にからすればありがたい限りだろう。

 メルケル首相は、東ドイツの出身だ。ゆえに、移動の自由が奪われたり、監視された世界など人権が無視された生活をよく知っている。そのメルケルが国民に移動しないように呼びかけたのだから、COVID19の脅威は大きかった。だが、メルケルはいっときのことだということを約束して緊急事態を国民に示し、そのうえで、国民全員の人権に配慮していた、と私は思う。もちろん、いつどうなるかは、誰にも分からないが。

 

 これは、本気で難しい問題だ。

 ゆえに、「コロナ禍と出会い直す」ことは必要だと思う。あのときのことを振り返らずして次はない、成長はないだろう。

 こうして、あらためてまとめてくださった本があるので、私たちはぜひとも当時を思い出して次に備える、という作業、心構えをするべきなのだと感じた。

 報道番組が特集を組んでも良いはずなのだが、どうも日本という国は、検証ということをしたがらない。

 ゆえに、また同じ失敗を繰り返すとか、あたふたするとかいう可能性が高い。あるいは国民が、人権を支配者に手渡してしまうことを容易に選択してしまうようなことになるかもしれない。

 また同じことが起きたらすぐに体制が整えられるような準備を、行政府はしているのだろうか。

 なんだか心もとないので(ほんとうはそんなことではいけないのだが)、国民、市民のひとりひとりが、リテラシーを持つことが求められている、のかもしれない。

 そのためにも、大いに学びとなる一冊である。

 

 当時、うまく機能させることができた介護施設のドキュメントも載っている。参考になる。磯野真穂のフィールドワーク力がすごいです。

「コロナ禍と出会い直す」 ©2024kinirobotti



ボンジュール
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