AI力を引き出す技は? 新生銀で修羅場も体験した金融のプロ、教育界にも活躍の場
キャリアコラム
財務コンサル、客員教授としても活躍する村上さん
財務コンサルティングを手掛けるファインディールズ(東京・文京)代表取締役の村上茂久さん(45)。一橋大学大学院で計量経済学を専攻した後、2006年に新生銀行(現SBI新生銀行)に入行、証券化や不良債権投資、プロジェクトファイナンスなどの業務を担当して18年にスタートアップの取締役CFO(最高財務責任者)に転じた。さらに21年に起業、一方で武蔵野大学など複数の大学で企業分析やファイナンスをテーマに講義に取り組んでいる。これまでのキャリアを振り返りながら、人工知能(AI)を活用した金融教育などについて聞いた。
金融危機で人員削減、部署の人員が4分の1に
――なぜ一橋大学の大学院から経営破綻して再生まもない新生銀行に入行したのですか。
私は大阪出身で立教大学に進みましたが、学生時代は金融機関がバタバタ破綻して「失われた10年」と呼ばれた時代で、不良債権問題にすごく興味を持ちました。それで金融の研究をやりたいと、一橋大大学院の研究者養成コースに入りました。しかし、英語や数学のレベルが非常に高く、マクロ経済学や計量経済学を徹底的にたたき込まれましたが、心が折れそうになる日々でした。必死に食らいつきながら、寝る暇もないほど猛烈に勉強しましたものの、「このまま研究者の道に進むのは難しい」と感じ、就職を選びました。
大手金融機関も回りましたが、若手の段階で大きな案件を任される雰囲気ではありませんでした。一方、新生銀行は1998年に日本長期信用銀行が破綻し、2000年からスタートした投資業務などを主とした銀行でした。元長銀の人もいれば、外資系の投資銀行出身の転職組も多く、ユニークな組織だったし、証券化など大学で研究していたことをそのまま実践できると思ったので、修士を取得後、06年に入行しました。
――2008年にはリーマン・ショックに見舞われますね。現場はどんな状況となったのでしょうか。
まさに金融危機の直撃を受けました。まずリーマン・ショックの前に07年に米国で住宅バブルがはじけ、サブプライムローン問題が勃発しました。配属されたのはこのサブプライムローンに投資をしていた部署でした。当初30〜40人のメンバーがいて半分ほどは外国人でしたが、それが4分の1以下までに縮小。最終的には部長までも退職し、部署は壊滅状態でした。学生時代に不良債権問題について研究をしていましたが、くしくも修羅場の垣間見る経験をしました。
ただ、会社を去っていったのは主に外資系出身の転職組で、自分たちのような若手は対象外でした。08年のリーマン・ショック後にはそのリーマンのアセットを買ったりしていました。証券化、不動産投資、不動産のノンリコースローン、不良債権投資などの業務に携わった後、13年からプロジェクトファイナンスの業務を担当しました。太陽光など再生可能エネルギーを対象としたプロジェクトファイナンスに加えて、ファンド投資にも取り組みました。
スタートアップCFOから起業、武蔵野大の客員教授に
――投資金融のプロとなったのに、なぜスタートアップのCFOに転じたのですか。
09年から友人たちと経済をテーマにした読書会を始めていました。多い時は、土日や休日を中心に年間64回ぐらいやっていました。米ハーバード大学で使われる経済学の教科書を原著で読んだり、フランスの経済学者のピケティなどの著書を読んで、みんなで討論したりするわけです。そのような中、リンダ・グラットンの「ライフ・シフト」を読んだとき、「人生100年時代というけど、これから自分はどう生きていこうか」と考え始めました。
10年ごろから、これまでの学びをアウトプットしようと、「みずほ学術振興財団」の懸賞論文に毎年応募していたのですが、17年に日本の財政問題に関連して「労働市場の一層の流動化が必要」という論文を書き、入賞もしました。まあ、そう書いたのだから、自分も自律的なキャリア形成を考えながら、転職してスタートアップを支援しようかと。18年からGOBインキュベーション・パートナーズ(現GOB、東京・渋谷)の取締役CFOとなりました。
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