資産形成のための本なので、本書には金銭管理、節約や貯蓄の方法、税制の話などが書かれている。基礎控除のように広く知られていそうな知識から、わかりづらいiDeCoの制度的な特徴まで、色々な事柄にも触れている。有資格者でない限り、全部を網羅している人はあまりいないと思うし、私も参考になった。なおかつ、この本は著者一個人の話なので、単なるチェックリストではなく、ひとまとまりのナラティブにもなっている。著者を主人公とした、資産を増やしていく物語としても読める(=だから頭に入ってきやすい)のは、タイトルに偽りなしだと思う。
資産にかかわる以上、投資の話や住居の話も登場する。2億円という資産を築くためには投資が必要だし、大きな支出となる住居の問題にも触れないわけにはいかない。ところが、会社員としての給料は足し算的だし、副業で得られるお金も限界がある。タイトルから私は「2億円を達成するには、投資を最大限に活用したんだろうなぁ」と想像していたけれども、実際、投資に大きなウエイトをあてている様子が読み取れた。
どこまで・どう投資をするのか?
それは年齢や年収、投資の目的によってさまざまだろう。著者は、手持ち資産のうちある程度高い割合を、長期的投資に割り当てることを第一に勧めている。もちろん短期的な値崩れが起こることはある。それでも長期的にみれば、危なげのなさそうなところに堅実に投資し続けることが肝心で、それこそが投資ならではのメリット──足し算的にではなく、掛け算的にお金を増やせるメリット──を受け取る大前提になる。そして掛け算的にお金を増やせるメリットを体感するためにも、ある程度まとまった額を投資に差し向けたほうがいい。「まずは100万円作って投資する」と紹介されているのはすごくわかる。私も、最初に投資をしたのはそれぐらいの金額だったからだ。
ここまでは、「ふつうの会社員」としての著者の話。ここからは、私が「やっぱりトピシュさんはふつうじゃない」と読んで感じたことを書いてみたい。
会社員としてのトピシュさんは年収が極端に高かったわけではなく、不況やブラック労働の時代に翻弄されていたさまも記されている。これらを読む限り、確かにトピシュさんはふつうの会社員でもあり、本書はタイトル詐欺ではない。
とはいえ、本書に書いてあることをそのまま実行できる人はそれほど多くない、と思う。少なくとも、さっき書いたような内容だけを参考にしているうちはそうだ。
いくら投資の勉強をして色々な資格を所持したからといって、誰もが自分の人生を投資の筋書きどおりにデザインし実践できるわけではない。オンラインゲームをとおして成長効率性について深い理解と洞察を得たはずの人でも、その理解と洞察を自分自身の人生に適用できるとは限らないのと同じことだ。でも、たぶんトピシュさんにはそれができている。
本のなかでトピシュさんは、経済的な自由を獲得する一環として結婚した、といったことを書いている。これは、2020年代の日本においてプラグマティックな結婚観だと思うし、今こそ考えておくべき勘所だと思う。結婚というと、今でも不自由なイメージを持つ人も多かろうし、それはある部分ではそのとおりだ。でも、トピシュさんにとって結婚は自由を獲得する手段、そしてその自由は資産によって担保されるべきものだったのだろう。とはいえ、エクセル上で計算すればそうだとしても、そのとおりに結婚する人・できる人はそうざらにいるものではない。
この結婚をはじめ、トピシュさんの物語は全体的に経済合理性にかなっている=コスパにもかなっている。投資活動や資格の勉強をしたからトピシュさんが経済合理性を獲得したのか、それともトピシュさんが経済合理性の塊のような人だから投資活動ができて、資格も次々に獲得できたのか? どちらなんだろう? ともあれ本書をとおして私が印象付けられたのは、「ホモ・エコノミクスとは、コスパとは、こういう風にやるものなんだよ!」といった話だ。
ホモ・エコノミクスとは、人は人でも、経済合理性にかなった行動をする人のことを指し、経済学の黎明期から想定されてきたものだ。経済合理性に妥当する行動をとる人、つまりコスパ的に最適な行動をとる人は、2020年代においてそう珍しくなく、むしろ現代人の条件とさえ考えられる。でも、人間が昔からそうだったわけじゃないし、今でもそれが苦手な人はごまんといる。
ホモ・エコノミクスとは、言い方を変えると、行動のいちいちに経済的な無駄を省き、できるだけ儲かるように合理的計算に基づいて意思決定する主体である。これは自己利益の主体とも呼ばれるが、ここで金儲けは肯定的に捉えられている。肯定的というか、人間が生きていく上で当然の行為様式とされているということだ。そしてそれに成功した人は尊敬に値する。ホモ・エコノミクスの社会では皆が金持ちを目指し、その企てが成功すると多くの人に評価され羨ましがられるのだ。
『ホモ・エコノミクス』から
重田園江『ホモ・エコノミクス』を読むと、現代人にとって自明に思えるホモ・エコノミクスの精神、くだけた言い換えをするならコスパを気にする精神が比較的最近の思想に根差しているさまがよくわかる。だがルーツがどうであれ、今日の人間にとってホモ・エコノミクス的であることは社会適応に不可欠だし、そうでなければ資産を形成するどころか、家計を成立させることさえ難しくなる。
問題は、ホモ・エコノミクスのディシプリンを知ることが難しい以上に、ホモ・エコノミクスのディシプリンをうまく内面化し、こなれたかたちで実践するのが難しいことだ。さきほど、オンラインゲームをとおして成長効率性について洞察を得た人でも、自分自身がそうであることは難しいと書いたが、ホモ・エコノミクスも変わらない。コスパやタイパをきちんとやったほうがいいのはわかっている、でも、わかっちゃいるけどそれができないんだ、という人は少なくないだろう。
19世紀の人々に比べて、21世紀の人々はおそらく全体的にはホモ・エコノミクスとしてのディシプリンを内面化しているし、だからこそコスパやタイパといった言葉が人口に膾炙したのだろう。しかし、それができる度合いには程度の差があって、本書から浮かび上がってくるトピシュさんの姿は、ホモ・エコノミクスとして非凡であり、ふつうとは言えないところがある。
だから、本書は「ふつうの会社員」の話であると同時に「非凡なホモ・エコノミクス」の話でもある。ホモ・エコノミクスとして非凡だからこそ、トピシュさんは生活のあらゆることを経済合理性に照らして設計・運用できる。結婚や家族といった親密圏の設計も例外ではない。そう、ホモ・エコノミクスの精神に沿って本気で人生を考えるなら、親密圏の設計にも経済合理性にかなった計画や意図が反映されていてしかるべきなのだ。それが、トピシュさんではできている。本書をひとつの成功譚として読み取る際に、この、トピシュさんのホモ・エコノミクスとしての卓越は絶対に頭に入れておくべきだと思うし、本書をとおして学び取るべきは、税制や投資の知識だけでなく、トピシュさんの生きざま、ホモ・エコノミクスとしてのディシプリンなのである! と私は読者として勧めてみたい。
ホモ・エコノミクスやコスパやタイパといった言葉から、守銭奴とか、お金のための人生とか、そういったことを連想する人もいるかもしれない。いやいや。確かにホモ・エコノミクスは経済合理性にかなったライフスタイルをとるし、トピシュさんにおいては、それが極まっていると思う。しかしホモ・エコノミクスであることと、守銭奴であることはイコールではない。ましてや、お金をため込むこと自体が目的であるわけでもない。
本書には、自由という言葉がたびたび登場する。トピシュさんが自由という言葉を挙げるたび、私は『銀河英雄伝説』の登場人物が語った「金銭があれば嫌な奴に頭を下げずに済むし、生活のために節を曲げることもない」という言葉を思い出す。
金銭はけっして軽蔑すべきものじゃないぞ。これがあれば嫌な奴に頭を下げずにすむし、生活のために節を曲げることもない。政治家と同じでな、こちらがきちんとコントロールして独走させなければ良いのだ。(ヤン・タイロン)
— 銀河英雄伝説名言BOT (@gin_ei_bot)2023年3月8日
最後のとっておきの方法が、テレビやインターネットを一旦遮断して近所のケーキ屋さんに走り、美味しいケーキを買ってきて、お気に入りの銘柄の紅茶と一緒にティータイムを楽しむことです。
(中略)
「お金がリアルに減っている時にのんきな!」と思うかもしれませんが、これが本当に効くんです。ケーキの糖分は疲れた脳を癒してくれますし、紅茶の香りはリラックスさせてくれます。
『ふつうの会社員が投資の勉強をしてみたら資産が2億円になった話』から
これは、ブラックマンデーのような暴落にもめげずに投資を続けることの重要性を説くパートからの引用だが、ここでトピシュさんがやっていることは、「正気度の回復」だと思う。長期投資を続ける際の大敵は暴落による動揺と、動揺に基づいた不用意な売りだ。トピシュさんは「時間をかけて資産形成をする上での敵は、自分自身の心です。これは精神論ではなく本当の話です」とも書いている。良い投資を続けるためには正気であることが大切で、正気を保つためにトピシュさんはケーキや紅茶を買うことを惜しまない。
ここでケーキや紅茶が登場するのは、トピシュさんがホモ・エコノミクスではないことの証拠ではなく、その逆、ホモ・エコノミクスをきわめし者であることの証拠だと思う。投資にかかわる重要な変数のひとつとしての正気度に、ちゃんと手当をしているわけだ。
総体としてホモ・エコノミクスをやっていくとは、お金にも、精神にも、健康や文化や親密圏といったそのほか色々なことにも目配りがいく状態をやっていくってことだろうし、それらが総体として経済合理性にかなっていて、全体としてコスパやタイパに優れていることだと私は思う。総体としてホモ・エコノミクスをやっていくためには、お金のことしか見えない守銭奴になるのでなく、コスパやタイパにもとづいて他の色々なことにも目配りし、なおかつ、それらとお金の関係、それら同士の関係を取り持てることではないだろうか。
私が本書から受け取った一番重要そうに見えたエッセンスはこのあたりだった。ふつうの会社員が投資をとおしてひとまとまりの資産をつくるためには、狭義の経済資本だけにとどまらず、もっと視野の広いホモ・エコノミクスとしての精神、その実践が必要になるのだと思った。コスパやタイパを考える際には単純になりすぎるのでなく、色々な変数や関数にも思いを馳せる必要があるし、人生を総合的にやっていきなさいってことでもあろう。参考にしたい。
id:p_shirokumaはてなブログProイーストプレス『ないものとされた世代の私たち』、早川書房『人間はどこまで家畜か』大和書房『「推し」で心はみたされる?』好評発売中! 仕事連絡は「c6eneroアットhotmail.com」まで。ただし、忙しくて全部のお仕事はお引き受けできないかもしれません。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。