
ブライディさんのシャベル/レスリー・コナー・文 メアリー・アゼアリアン・絵千葉茂樹・訳/BL出版/2005年
1856年、フライディさんは一本のシャベルをもって新天地へ旅立ちました。
荒海で船が大きく揺れたとき、からだをささえてくれたのはシャベルでした。
小さな帽子屋で、仕事をしていたときに、裏庭でシャベルで小さな花壇をつくり、育った苗を箱にならべて売り出しました。
冬は凍った川の雪かきをしてスケートあそび。スケート仲間の若者と結婚し、農場の囲いをつくるときの穴を掘ったのはフライディさんのシャベル。
果樹園とトウモロコシがたくさんとれる畑づくりもシャベルで。
川があふれるのを防ぎ、パンをこんがり焼いてくれるストーブに石炭をくべるのもシャベル。
まだまだシャベルは・・・。
夫がなくなり、夫のために木を植え、そのまわりに花をうえるときも・・・。
女の一生によりそったシャベル。つぎつぎに便利な道具が登場するいまですが、ちょっと前までは、道具は大事に大事に使われていました。わすれているものを思い出させてくれました。
それにしてもアメリカはやっぱり移民の国です。移民が原住民を追い出し、勝手に土地を自分のものにしていった歴史を見ない人が、不法移民だけでなく合法的に入国した人を迫害するなんて。
版画の色が鮮やかです。
新天地とありますがアメリカという言葉はでてきません。表紙は、家族から見送られているフライディさん。
一人でアメリカに渡ったのは、どんな理由があったのでしょうか。農場のシーンがだいぶながく、大地に根をはる暮らしが淡々と続きます。 火事もありシャベルの柄が焼け落ちたことも、はげしい雨で作物が全滅することもありました。しかし、それを乗り越えて・・。

ベンのトランペット/R.イザドラ・作絵谷川俊太郎・訳/あかね書房/1981年

ひぐま/あべ弘士/ブロンズ新社/2025年
秋になると山は 赤や黄色に染まり、森は、ドングリ、ヤマブドウ、キノコでいっぱい。
ひぐまは とてもいそがしくなります。冬眠前に、たくさん食べておかなけれならないからです。
やがて冬になると、森は 白い静かな雪一色。
ひぐまの巣穴には母ぐまと あかちゃんぐまが二頭。あかちゃんは、おっぱいをたくさん飲んで、ずいぶんとおおきくなりました。
キツネやキツツキ、ハクチョウの声もきこえてきます。
ようやく春がきて、こぐまたちが外へ出てみると、雪が溶けて・・・。
このところ毎日、クマのニュースがながれていました。人間の被害だけが注目されていますが、わたしたちはクマのことをどれだけ知っているでしょうか。
動物といえばあべさん。どんなふうにえがかれているか興味がありました。
巻末にリーレット「ひぐま しつもん箱」があって、あべさんが答えられています。
メスは、冬眠中に赤ちゃんを産む、オスは、ねて春をまつというのは はずかしい話ですが、はじめて知りました。何も食べず、子育てするなんて!。
母ぐまは、春になるとフキ、ウド、ギョウジャニンニク、水芭蕉など やわらかな植物、アリ、いろんな虫を食べるというのも クマと結びつきませんでした。
原因はいろいろあげられますが、今後クマとの共生は可能なのでしょうか。
とにかく、難しい!

おやゆびこぞう/スペンサー・オットー・絵矢川澄子・訳/評論社/1981年
おやゆびこぞうが、馬の耳にはいって、「馬をたくみに誘導する」、「見世物小屋に売って人儲けをたくらむ男から、お金を巻き上げる」、「ふたりの泥棒を手玉にとる」、「牛に飲み込まれる」、さらに「おおかみにのみこまれる」と、悪者?を手玉にとる痛快な冒険の連続。
おやゆびこぞうからみれば、まわりは巨人の連続。靴や帽子、牛などとおやゆびこぞうなどの対比がうまく描かれ、まさに絵本の世界。
「まったく、世の中には苦労のたねがつきない」・・そのとおりですね。

おやゆびこぞう/フェリックス・ホフマン・絵大塚勇三・訳/ペンギン社/1979年
ホフマン絵の服装は、現代風でしょうか。
おやゆびこぞう、ネズミの穴や牝牛のおなか、オオカミのおなかですごしたりと 得難い体験の連続でした。
途中のフレーズ。微妙な違いがあります。
「そう。世のなかには、かなしいこと、つらいことが、どっさりあるんです!」
また、べつの訳。「まったく、この世の中には、考えてもみないような、むずかしいことや、かなしいことがおこるものですね。」
おやゆびこぞう、たしかに小さいのですが、ちいさくなければできないことも多い。 欠点に目をうばわれず、自分の持っている強みをいかすことことから はじめたいもの。
金のりんごと九羽のクジャク/東欧の昔話2/直野敦・訳 赤坂三好・絵/小峰書店/1987年
ノアの洪水のときに、ただ一匹の竜だけが生き残りました。この竜はノアの方舟に忍び込んで、水が海や川や湖にひいてしまうまでまっていました。大地がかわいてしまうと、年とった魔女をみつけてきて女中としては働かせていました。
竜は勇者たちと会いに行きました。
最初にあったのが、とんち者のペタルでした。竜はペタルが勇者であるか聞いたあと、力比べをすることになりました。竜は地面から石を拾うと握りつぶし、塩のようにくだきましたが、水はながれません。ペタルは別の石をひろいあげるふりをして、じぶんのさげていた袋から、城チーズのかたまりをとりだし、にぎりしめると、そこからチーズの水分が流れ出しました。びっくりした竜は二人で義兄弟のちぎることを提案し、ふたりは義兄弟になりました。
ふたりがどんどん先へ進むと。サクランボの実をつけた高い木がそびえていました。竜は巨人でしたからじゅくしたサクランボを、むさぼり食べてました。ペタルはサクランボには手が届きませんでしたから、ただ舌なめずりするだけでした。ペタルが、サクランボには手がとどかないことを話すと、竜は枝を下のほうにおしさげ、サクランボをとるようにいいました。ペタルがサクランボをとろうとしたとき、竜が木から手を離したので、そのはずみに、ペタルは空へ舞い上がり、木からとおくへとんで、しげみのなかに落っこちました。しげみのなかにはウサギが昼寝していましたが、ペタルが落ちてきたのでとびあがり、逃げていきました。竜が、なにをしたかたずねると、ペタルは、ウサギをつかまえてやろうとおもったが、にげられてしまったといいました。
それからふたりが先へ進むと、けものがいっぱいいる森へつきました。高い壁でかこいこみ、けものをとって、焼いて食べることになりました。ともかく高い壁をつくりあげると、百頭のシカ、二百頭のカモシカ、五百匹のウサギをつかまえ、串にさして、焼き肉にしました。竜が三匹のウサギを一口でぺろりと食べているあいだ、ペタルの方は、わかいカモシカの肩肉を一切れたべるのがやっとでした。
暗くなったので、ふたりは竜のほら穴に泊まることにしました。
女中として働いていた魔女は、ペタルにわからないように「なぜ、この男を殺さないのか?」たずね、ペタルが寝いったら、大きなハンマーで打ち殺すよう竜にいいました。
とんち者のペタルは、竜の言葉も知っていましたから。袋に石をつめて、自分の寝ていた布団におしこんでおきました。真夜中、竜は、いくども布団の上にハンマーをふりおろしました。翌朝、死んだとおもったペタルが、「ノミに食われたと思ったが、からだを鍛えてあるから、殺そう思っても無駄だよ」と、笑ったので、竜は、からだを鍛える方法をたずねました。
ペタルは、竜が樽のなかにはいりこむと、そのなかに熱湯をそそぎこみ、悲鳴をあげる竜に、からだをきたえるためには我慢するようになぐさめました。
ペタルは魔女に、日が沈んでから、樽をぶちこわして、外にでてこさせるよういったので、魔女は日がとっぷりくれるまでまちました。そして月の光がさしはじめたとき、樽を壊しましたが、竜もうすっかり息絶えていました。
こうして、最後の竜もこの地上から姿を消してしまいました。
これもよくあるパターンの昔話で、やりとりがいまひとつですが、ノアの洪水や竜がでてくるちょっと珍しい話。

ロンと海からきた漁師/チェン・ジャンホン:作絵 平岡敦・訳/徳間書店/2015年
高いビルがならぶ海辺の町のはずれのそまつな小屋に、暮らすロンという少年がひとりでくらしていました。
ある朝、ロンはいつもように漁に出ました。たくわえの魚がすくなくなって、どうしても魚が必要だったロンは、死んだ父の教えをやぶって嵐の海に舟をだしました。
沖に出て釣り糸を垂れると、さそく手ごたえがありました。釣りに夢中で嵐がそこまでせまっていることに気がつきませんでした。大波にのまれそうになりながら、ロンが必死でつり上げたのは、ガイコツでした。
夕暮れになって、ロンはようやく岸にたどり着きましたが、ガイコツは舟につかまっていました。ガイコツにおいかけられ、ロンが、おそろしさのあまり気を失うと、ガイコツはそっとロンを小屋へ運びました。
やがて目をさましたロンは、震えるガイコツに自分の布団をかけ、外にあった魚をもってきて、あぶりはじめました。ガイコツは、魚が焼けるのをまちきれず、すぐにむさぼりました。一匹、二匹、さらに五匹と食べ続け、ロンの魚をたいらげてしまいました。
ロンが残っていたスープを差し出すと、ガイコツはさっそくのみはじめました。やがて、おわんをもつ手が、人間の手にかわり、布団の下から人の足がのぞき、布団をはねのけると、そこには漁師の服をきた、見知らぬ男がたっていました。
男は、ひどい嵐にあい、海に沈んだこと、ちょうどロンのような息子がいたことをはなしました。
つぎの日、漁師はロンを秘密の場所につれていきます。するとロンがこれまでに見たことのないほどの多くの魚がとれました。
男が、「これからはずっと一緒だよ。おれは、ほかにも秘密の場所を知っている。ふたりでもっともっと魚をとりにいこう」というと、ロンはうなずきました。
ストーリーはいたってシンプル。つりあげたガイコツが漁師にかわり、それからずっと一緒に漁にでるという物語。
嵐の海の中で奮闘するロン、巨大なガイコツとその変身、巨大な見上げるような岩の絵の迫力。そしてロンの目力。大型絵本で迫力が倍増。これぞ絵本です。
高層ビル群と竹で編んだ粗末な小屋の対比は、貧富の差をしめしているようでした。
原著は2013年フランスで出版。

アンジェロ/デビット・マコーレイ・作千葉茂樹・訳/ほるぷ出版/2006年
アンジェロじいさんのしごとは、古い教会の壁をぬりかえ、古びた彫刻に新しい命をふきこむこと。楽しみは週末のドライブ。
ある日、仕事中に息もたえだえのハトを見つけたアンジェロは、一晩だけテラスにおいてやることにしたが、近くの屋根でツメをとぐネコに気づいてあわてて部屋にいれた。それからはぶつぶついいながらも、ベッドを作り、手当をし、ドライブにつれていったり、音楽をきかえせたり。そしてハトが元気になると仕事場にもつれていくようになった。
元気になったハトは、どこかへ飛び立ち、にぎあう広場で大道芸をして人気者になりはじめた。ハトはときどき、アンジェロの仕事をみていたが、そのうちアンジェロの異変に気づく。仕事振りが遅くなり、休み時間も長く。ハトにも気づかない。
その日から、ハトは毎日アンジェロの仕事場にやってきた。暑い夏は翼であおぎ、へばっているときには、ちかくの噴水まで飛んでいって、ハンカチを冷たい水でぬらしてもどった。
しかしアンジェロは、ハトに助けてもらっても、どんどん時間がなくなり、やがて昼休みにも働き続けるようになった。
ハトになまえをつけた夜、アンジェロはながながと人生をふりかえり、教会の仕事を花道にすることにした。
その後も、アンジェロとハトは、いつもよりそうようにそばにいた。2年以上にもわたるつらい仕事の末、アンジェロはついに仕事をしあげた。教会正面中央の天使の像だった。しかし、教会の足場をとりはずした日に、アンジェロは姿を見せなかった・・・。
出会いと交流。アンジェロが最後に残したのは、教会の天使の足元に作った鳥の巣。その場所からは、アンジェロじいさんがよくドライブでいっていた大きな松の木のある遺跡が見えました。最後の瞬間まで相手を思いやったアンジェロじいさんでした。
孤独で、最後は一人と思った人生の終盤に訪れた素敵な出会いでした。
作者の紹介欄には、イギリス生まれ、アメリカ在住とありましたが、舞台はヨーロッパの古い街のよう。高い足場で作業するアンジェロとハトの視線から描かれた街と建物の俯瞰が落ち着きのある味のあるものとなっています。
人生の終わり、この世に、なにか残せるか? 自問。たぶん何も残せずに終わりそう。
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