名作会ブログをご覧の皆さん、こんばんは。Niynuh Swidffel(ニーヌ・スウィドゥフェル)です。
さて、今回は少しお知らせと解説を兼ねた記事をお届けいたします。
先月末より、名古屋作曲の会から私の楽曲がサブスクリプション配信という形で皆さまのお手元に届くようになりました。今回配信が始まったのは、拙作「luminiferous」と「sihahmern mamonde」という2曲です。
この記事では、その2曲の歌詞に込めた意味と背景について、少し詳しくお話しさせていただこうと思います。
初めて耳にされる方にも、既にお聴きくださった方にも、この記事が楽曲の奥行きを知る一助となりましたら幸いです。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
https://www.youtube.com/watch?v=kMtmCZzQh-E&list=OLAK5uy_n_bvwOnum6D_Z_PTq414wguoKODYDyVzo
(ここからフルサイズで視聴できます)
この楽曲の歌詞は全て「ミュラン語」(Mulanese)という架空言語によって表されています。
まず初めに、ミュラン語がどのような言語であるかについて説明したいと思います。ミュラン語という名前は、日本を中心に活動している(いた)二組のアーティストの名前からつけられました。そのアーティストというのが、MiliとKalafinaです。
Mili: 2012年結成のインディーズ音楽ユニット。幻想的かつ緻密なサウンドが特徴で、ゲームやアニメ好きから特に強い支持を得ている。
Kalafina:梶浦由記プロデュースの女性ボーカルユニット。荘厳で神秘的な三声ハーモニーが特徴。2018年に活動終了の後、2025年1月に一夜限りの復活ライブを開催した。
この言語はSynthesizer Vという歌声合成ソフトに歌ってもらうために開発されました。Synthesizer Vには日本語や英語といった言語の文章だけでなく、言語が持つ音の最小単位である「音素」を直接入力することが出来ます。この機能を活用することにより、現実に存在しない架空の言語を歌声として出力することに成功しています。
Synthesizer V: Dreamtonics社製の歌声合成ソフト。AI技術で自然かつ滑らかな歌声を生成する。多彩なボイスバンクと多言語対応が特徴。
それでは歌詞の解説をどうぞ。
【構成】
原詩
㣎語訳
逐語訳
解説
霞む空の果てに見えた
iso-shao hhah laasgnahfah-serpita ntia-e etelius
/iso shɔː hɑ lasgnafa sɝpita ntia e etɝlius/
見る-過去/〜に(in)/霧-のような/終わり-の(エザーフェ)/天空
1語目の後半は過去を表す接尾辞です。英語でいうところの-edのようなものです。そして、動詞の過去形が文頭に置かれることで英語の過去分詞のような振る舞いをするのも重要な文法事項です。英語で例えるとすると、”Seen from an airplane, buildings look like grains of rice.”で「飛行機から見ると、ビルは米粒のように見える」というような意味になります。
続いて4語目のntia-eです。ここで注意すべきは「-e」という語尾です。この「-e」は言語学の用語でエザーフェといいます。ペルシア語などにみられる要素で、修飾関係を表す時、「〜の」にあたるものが修飾される側に付きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7
(エザーフェのWikipedia)
淡い影が揺れる朝
lehptuh saolatiy paa-esonami edola
/leptu sɔːlatɪːpa esonami edola/
薄い/影/進行形-揺れる/朝
ここで注意すべき点は、3語目の「paa-esonami」です。「揺れる」を意味する女性動詞「esonami」に進行形の接頭辞「paa-」がついています。先程触れた接尾辞の「-shao」とは異なり、これは文頭につきます。
知らぬ世界の囁きが僕らを導く
maht-nihksay amalemi-meh baot-i leh emali ihgaaleh
/mɑt nɪksaɪ̯ amalemi me bɔːt i le emali ɪgɑle/
打ち消しの接頭辞-知る/囁き-of/世界-(属格)/それ/導く/我々
まず1語目、「maht-nihksay」。「知る」を表す男性動詞「nihksay」に打ち消しの接頭辞「maht-」がついた形です。そのあとの「amalemi-meh baot-i」ここの2語で「世界の囁き」の意味になります。そしてその後ろのbaot-iは「世界」に属格の接尾辞がついています。接尾辞というのは独立した1語としての機能をもたない造語成分、すなわち接辞のうち、語のあとにつくものです。日本語の「神さま」の「さま」、「こいつめ」の「め」、「汗ばむ」の「ばむ」と同じと考えていただいて問題ありません。
過ぎゆく時の彼方に 隠された真実
hhah ntia-e kluhn Dfo-paa-sitashtus vlaa dfo-sih shao-liyyah
/hɑ ntia e klʊn ðfo pɑ sitaʃtus vlɑ ðfo sɪ ʃɔː lɪːjɑ/
in/終わり-の(エザーフェ)/時間/that-進行形-過ぎる/真実/that-コピュラ/過去-隠す
この聯では、1から4語目とそれ以降の部分で倒置が起きています。さらに「時の彼方」の部分がエザーフェで修飾されているので見かけ上2重に倒置されています。まず隠されている場所を示し、その後に隠されているものの内容を示す、という構成になっています。
勇気の灯火を胸に 暗闇を越えよう
yahkahlah-shao fleyah-meh heCka hhah hhahliyah chah sitashtus myah
/jɑkɑlɑ ʃɔː fleɪ̯ɑ me heθka hɑ hɑlɪːjɑ tʃɑ sitaʃtus mjɑ/
抱く-過去/火-of/勇気/in/胸/〜しましょう/越える/闇
第1聯で触れた内容を覚えていらっしゃるでしょうか?この聯にも「文頭の過去形動詞」のパターンが使われています。このパターンでは英語の分詞構文のような訳、「~するとき」「~するので」「~するならば」になるという話でした(ミュラン語における分詞構文は英語とは異なる点があるので英語の訳し方をそのまま適用することはできませんが)。
無限の夜空に散りばめられた 数多の星々
mistio-shao asorro-ihd-estola paalih leshka-leh
散らばる-過去/無限-性質の-夜空/多い/星-複数
/mistio ʃɔː asoro ɪd estola pɑlɪ leʃka le/
私はこの曲を作るにあたって、まずメロディとオケ(伴奏)を作り、日本語で歌詞を考え、最後にミュラン語に訳す、というステップを踏んだのですが、日本語で歌詞を考える時につい筆が乗ってしまい後で訳すのに苦労した箇所がいくつかあります。この聯もその一つです。「無限の夜空」をミュラン語に訳すにあたって、この塊を「無限という性質をもつ夜空」と解釈し直しました。ちょうど「aなb」を表す機能をもつ接中辞-ihd-があったのでそれを使用しました。
それぞれの物語が 静かに輝く
chilaki yema krristela Cierra
/tʃilaki jema kristela θiera/
それぞれの/物語/輝く/静かに
ミュラン語には子音と母音に性の区別があります。長母音や二重母音を含む17の母音があり、そのうち12が男性、5が女性です。そして、25の子音があり、そのうち7が男性子音、13が中性子音、5が女性子音となっています。ミュラン語の発音について語る上で欠かせないのが、共起の制限です。着想を得たモンゴル語と同様に、1語の中に性の異なる母音または子音が共起することはありません。ただし、ハイフンで連結されている場合は、一つの語の中であっても違う性の音素が入ることがありえます。
未知なる未来の扉を 今、開け放つ
ihgaa vih-sihahmern maht-nihksay Nabi-e hiu, yaolah
/ɪgɑ vɪ sɪɑmɝn mɑt nɪksaɪ̯ ŋabi e hiu jɔːlʌ/
私/指大辞-開ける/打ち消しの接頭辞-知る/未来/扉-エザーフェ/,/今
ここでは「開ける」を意味するsihahmernを強調するために指大辞の「vih-」を添えています。また、3語目には打ち消しの接頭辞「maht-」が含まれています。これを男性動詞の「nihksay」につけることで「未知なる」という意味になります。ミュラン語には品詞の壁がなく、1つの単語が複数の品詞をまたいで様々な意味を持つことがあります。なので、この一見ありえないように見える組み合わせも、きちんと意味を持つことが出来ます。
魂の声を聞き 希望を抱きしめて
paa-dehdeyls brrad-e da, paa-yakala miaxamine
/pɑ dɛdeɪ̯ls brad e da, pɑ jakala miaxamine/
進行形-聞く/喝采、鳴き声-エザーフェ/魂/進行形-握りしめる/希望
君と共に光と影の間に漂う(Drifting between light and shadow with you.)
ihgaaleh stiy jhahsliy liyhhaa-Cam-saolahtiy
/ɪgɑlɛ stɪː dʒʌslɪː lɪːhɑ θam sɔːlʌtɪː/
我々/漂う/〜の間/光-接中辞(aかつb)-影
忘れ去られた涙が海へと還る
solte-shao-vihpiaNa xasta mahnyuh pihknaa
/solte ʃɔː vɪ piaŋa xasta mʌnjʊ pɪknɑ/
忘れる-過去-指大辞/涙/還る/〜へと(into)/海
1語目、男性動詞のsolteに過去の接尾辞と指大辞がくっついています。これで「忘れ去られた」の意味になります。加えて、3語目の発音は注意が必要です。xの音は無声軟口蓋摩擦音(舌の奥(舌背)を軟口蓋に近づけて、そこを通る空気を摩擦させて出す音)といい、現実の言語ではドイツ語やロシア語、スコットランド英語などに含まれる音素です。
(私は)幻の地図を広げる
paa-tiher saturro ahsaoliy
/pɑ tɪɝ saturo ʌsɔːlɪː/
(主語省略)prog-広げる(vt)/幻の/地図
1語目の頭についている「paa-」は進行形の接頭辞になります。これは、「主語を省略したうえで文頭に置くことで英語の現在分詞のような振る舞いをする」という規則に則った表現です。
遠い記憶の欠片が 静かに語りかける
shuhliy mounui-ihd xestela yeymaa hhah tehs
/ʃʊlɪː mounui ɪd xestela jeɪ̯mɑ hʌ tɛs/
古い/記憶-性質の/欠片/物語る/〜に(to)
6語目の前置詞「tehs」が後ろに指示対象を従えていないことが気になる方もいるかも知れません。この表現にした理由は2つあります。まず1つは英語的な表現を目指したためです。ここまでの解説でミュラン語が特に文法において大いに英語の影響を受けていることは分かって頂けると思います。英語でtalk toに当たる意味を持たせたかったので、このようにしたのが一つ。そして、もう一つは音数合わせです。曲を先に書き、別に書いた詞を後で合わせる私のスタイルでは、どうしても言葉が足りなくなったり逆に余ったりする事が出てきます。そういった問題を解決するため、多少強引ではありますがこのようにした、という背景もあります。
煌めく調べに 二人で耳を澄ます
tehsehn dehdeyls lirrie krristella bea
/tɛsɛn dɛdeɪ̯ls lirie kristella bea/
包括的一人称双数/聞く/注意深く/きらびやかな/音楽
包括的一人称双数は文字通り「私」を含む2人を意味します。ここで「私たち」を意味する「ihgaa-leh」を使わなかったのは、できるだけ多くの単語を使いたいという思いがあったからです。それに、なんとなくかっこいい響きですからね、包括的一人称双数って。加えて、4語目のkrristellaは英語のcrystalから輸入した単語になっています。
次は「sihahmern mamonde」の解説です。
【構成】
原詩
㣎語訳
逐語訳
解説
朝は雲を従えてやってきた
ehdaolah kaom-shao suhmih daeuhl
/ɛdɔːlʌ kɔːm ʃɔː sʊmɪ dæʊl/
朝/来た/~と共に/雲
2語目のkaom-shaoのkaomは「来る」の原形です。それに過去を表す-shaoが付くことにより、「来た」という意味になります。ちなみに、kaomは英語のcomeに由来する単語です。
(私は)藍色の空をすり抜けて飛ぶ一羽の鳥を見ていた
ihgaa paa-ihsao-shao iys kuhkuh Dfo-merhheh foyfehn yahkahn siheylah
/ɪgɑ pɑ ɪsɔː ʃɔː ɪːs kʊkʊ ðfo mɝhɛ fɔɪ̯fɛn jʌkʌn/
私は/見ていた/1つの/鳥/that-飛ぶ/しなやかに/藍色の/空
2語目、paa-ihsao-shaoに注目してください。これが過去を表すことは既に申し上げた通りですが、その前にpaa-というものもあります。これは進行形を表します。過去形と違い、動詞の前に付くことに注意が必要です。これらの接辞が動詞、ihsaoに付くことにより、「見ていた」という過去進行形の意味になります。そして5語目の頭についているDfo。これは関係詞、英語で言うところのthatです。このDfoを様々な動詞と組み合わせることにより複雑な表現が可能になります。もう一つ注意が必要なことがあります。この単語は、続く動詞が母音で始まるか否かで形が変化します。母音で始まる場合はDfで、子音の場合はDfoです。この機能は子音の連続を避けるために実装されました。
この街の灰色が静かに変わっていく
suhmeh lahviynao-eh toyn paa-lih-tah kaonkiyehtaa
/sʊmɛ lʌvɪːnɔː ɛ tɔɪ̯n pɑ lɪ tʌ kɔːnkɪːɛtɑ/
この/灰色-の/街/変わっていく/静かに
夜は月を従えてやってきた
eyhhaalbih kaom-shao suhmih mahaal
/eɪ̯hɑldɪ kɔːm sɔː sʊmɪ mʌɑl/
夜/来た/~と共に/月
4語目、mahaalの1音節目と2音節目は表記上別の音になっていますが、発音する際は「あー」(/ɑː/)のように長母音として発音して構いません。
(私は)霞むような蒼く淡い夢を覚えている
=私が覚えている夢は霧のような蒼く淡いもの
luhnaem Dfo-mai ihgaa moyniy sih laasgnahfah-serpihtah, yahkahn-Cam-lehpt
/lʊnæm ðfo mai ɪgɑ mɔɪ̯nɪː sɪ lɑsgnʌfʌ sɝpɪtʌ, jʌkʌn θam lɛpt/
夢/私が/覚えている/(コピュラ)/霧-のような/青い-かつ-薄い
張り巡らされた真綿の糸に首を絞められながら
lahkuh-shao hhuhnehk eh mahlih luhmpaa-eh Cetida
/lʌkʊ ʃɔː hʊnɛk ɛ mʌlɪ lʊmpɑ ɛ θetida/
絞られる(過去分詞)/首/~によって/満杯の/糸-の/綿毛
運命に導かれた者たちの歌声を
vehlah-ihs-eh ehmaalih-shao muhlah eh sertao
/vɛlʌ ɪs ɛ ɛmɑlɪ ʃɔː mʊlʌ ɛ sɝtɔː/
歌う-(名詞化語尾)-エザーフェ/導く-(過去)/人間/~によって/運命
ここで特筆すべきは1語目の-ihs-です。ミュラン語においては単語の前や後ろ、あるいは中に音を付加することで様々な派生した意味を表すことが出来ます。ここについているのは名詞化語尾で、「歌う」という動詞に付くことで「歌声」という意味に変化します。現時点でこのような特定の働きをする接頭辞が20個、接尾辞が11個、接中辞が2個定義されています。全体の意味は「運命に導かれた者たちの歌声を」になります。この部分はベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章、通称『歓喜の歌』に影響を受けています。
私たちには目指すべき光があるから
=私たちは目指すべき光を持っている
ihgaaleh kuheytaa faoleh deym liyhhaa
/ɪgɑlɛ kʊeɪ̯ta fɔːlɛ deɪ̯m lɪːhɑ/
私たち/持っている/〜するための/目指す/光
さあ、共に行こう
jhah yah chah irra
/dʒʌ jʌ tʃʌira/
さあ/共に/〜しましょう/行く
この部分は発音が特徴的です。まず1語目にレアなjh子音があり、4語目にはふるえ音が入っています。3語目のch子音もミュラン語においては比較的珍しいです。
この歌は希望を紡ぐためにある
suhmeh lamasoma D-Nau faeleh toy aetao
/sʊmɛ lamasoma ðŋau fælɛ tɔɪ̯ ætɔː/
この/歌/ある/〜するために/構成する/希望
3語目、「~がある」を意味するD-Nauに大文字のNが含まれています。これは軟口蓋鼻音と呼ばれる音で、日本語では「半額」のようにカ行またはガ行の前のンの音に当たります。
花よ咲け
sihahmern mamonde
/sɪɑmɝn mamonde/
咲く(vi)-呼格/花
ミュラン語で命令文を作る場合はその方法が2パターンに分かれます。自動詞の場合と他動詞の場合です。他動詞vtの場合、主語を省略することで、自動詞の場合、動詞を文頭に置くことで作ることが出来ます。今回は「咲く」という自動詞が使われているので先頭に置かれています。オプションとしてさらに動詞の語尾に呼格の語尾「ern」をつけることによっても表せます。ミュラン語にはロシア語やラテン語、ドイツ語のような格変化のシステムが存在してはいますが、古い時代に廃れてしまって現代ではほとんど使われることはない、という設定になっています。
春は花を従えてやってきた
tiy kaom-shao flaoleh daeuhl
/tɪː kɔːm ʃɔː flɔːlɛ dæul/
春/来る-(過去)/~と共に/花
毎日歩いたあの道はもうないけれど
=毎日歩いたあの道は既に消えたけれど
fuhah Dfo-mai chehstah maeblih-shaol mey mahmuhs-shao fahn
/fʊʌ ðfo mai tʃɛstʌ mæblɪ ʃɔːl meɪ̯ mʌmʊs ʃɔː fʌn/
道/that/(主語省略)/毎(every)/日(day)/歩いた/既に/消えた/〜なのに(逆説結果)
この部分では主語の省略が起きています。メロディの音数に合わせるための方策だったのですが、ミュラン語では文脈により明らかな場合に主語の省略を認めているので、問題は無いということになっています(要検証)。
でも、ほら夜明けだよ 霧の街に光が差し込んだ
paohhah, hheh, faonkah kaom. liyhhaa arria laasuhgnahfah taon
/pɔːhʌ, hɛ, fɔːnkʌ kɔːm. lɪːhɑaria lɑsʊgnʌfʌ tɔːn/
だけども(逆説理由)/ほら/夜明け/来る/。/光/(空間に)入る/霧/街
文頭に単体で逆説理由を表す「paohhah」が入っています。英語のhoweverに似た発想です。また、元の日本語の歌詞では「夜明けだよ」となっていますが、訳す際に「夜明けが来る」と解釈し直しました。
冬は雪を従えてやってきた
leyhhyahdih kaom-shao yah sihah
/leɪ̯hjʌdɪ kɔːm ʃɔː ja sɪʌ/
冬/来る-(過去)/~と共に/雪
凍えそうな私を包んでくれたあなたの温もり
=あなたの温もりが凍えそうな私を包んでくれた
tehsih laombah nahnerkaos-shao-gwaa ihgaa Dfo-NaNexos luhnmih
/tɛsɪ lɔːmbʌ nʌnɝkɔːs ʃɔː gwɑ ɪgɑ ðfo ŋaŋexos lʊnmɪ/
あなた-の(属格)/温もり/包む-した-(指小辞)/私/that-凍る/〜しそうな(about to)
まず1語目のtehsihです。2人称単数の「teh」に属格語尾の「sih」がついて、「あなたの」になっています。次に3語目のnahnerkaos-shao-gwaaです。長いですね。これはハイフンから分かる通り3つの成分から出来ています。まず男性動詞原形で「包む」を意味する「nahnerkaos」過去形語尾の「shao」、そして指小辞(物事や人を小さく、可愛らしく表現する接辞。例: 〜ちゃん、〜っこ)の「gwaa」です。この指小辞をつけることで「包んでくれた」という相手への親愛の感情を表現しました。
それが薄れゆくことに恐怖するけれど
=それが薄くなっていくことに恐怖するけれど
ihgaa lhhehnaa leh paa-ihlyaa leptuh
/ɪgɑlhɛnɑ lɛ pɑ ɪljɑ lɛptʊ/
私は/恐怖する/それ/〜になる/薄い
原詩では「それが薄れゆくことに恐怖するけれど」になっているのですが、訳すにあたって「それが薄くなっていくことに恐怖するけれど」とニュアンスを少しだけ変更しました。
さて、これにて全ての歌詞解説が終了いたしました。最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。いかがでしたでしょうか。
このミュラン語という言語を創り始めて、気付けばもう3年の歳月が経ちました。その間、日々試行錯誤を重ねながら語彙を一つ一つ編み出し、文法の体系を組み上げ、発音や表記の細部にまで心を砕いてきましたが、それでもなお、まだまだ未完成で拙い部分が多いことを痛感しております。
それでも、この言語を通して少しでも物語や音楽の奥行きや彩りを感じ取ってくださったなら、これほど嬉しいことはありません。世界にたったのこの言語が、誰かの心に少しでも残ったのなら、私の努力も報われる思いです。
また新たな語や表現が生まれたときにはぜひ、再びお付き合いいただければ幸いです。
それでは、またいつかお会いできる日まで。
こんにちは。なんすいです。
最近ライブを見に行き、また自分でも小さいライブをやったので、今回はそのレポート記事になります。
時系列は逆なんですが、先にライブを「見た」方から書きます。(プロップス順で)
Cory Wongはギタリストで、卓越したカッティングギターの名手として知られています。
またAntwaun Stanleyは歌手で、Cory Wongとはアメリカのミニマルファンクバンド、Vulfpeckでしばしば共演しています。
そんな彼らが来日!名古屋にも来ました!
会場は新栄のダイアモンドホール。段差が無く平べったいイメージだったのでどれくらいステージが見えるか不安でしたが、実際行ってみると意外と見えました。
開幕「Lunch Time」で盛大に始まり、得意のチャキチャキしたギター捌きを遠慮無く披露。
もうこれ以上の盛り上がりは無いんじゃないのか?くらい盛り上がってました。
全パート細かい動きを要求される音楽でしたが、特にドラムやホーン隊の合いの手が後ノリを徹底することにより、極めて安定した合奏を実現させていました。
本当に全パート上手すぎでしたが、とりわけホーン隊がめちゃめちゃ上手くてびっくりしました。
2曲目以降は少し落ち着いて、各パートの長いソロを含む曲が代わる代わる披露されましたが、中でもトロンボーンのソロは圧巻でした。
そして、ボーカルのAntwaun Stanley。ゴスペルやR&Bにもルーツがあるようで、ソウルのある伸びやかな歌声でした。特に高音の質はとても日本人は真似出来ない、芯のある響き。
今回のライブがきっかけで「Work it out」が好き曲になりました。
アンコールは「Stevie Wonder Medley」「Assassin」でした。
Stevie Wonder Medleyではサックスがモスキート音みたいな超高音を出していました。
ライブ1曲目でこれ以上の盛り上がりは無いんじゃないか?と思っていましたが、Assassinでしっかりそれを超えて来ました。その一番の理由は、終盤テンポがどんどん速くなっていったからです。テンポが速くなると盛り上がるのです。
Vulfpeckのような音楽は、長くやるとだれてしまいそうだなと思っていたのですが、今回のライブは盛り上がる要素を適格なタイミングで小出しにすることで、大局で見てずっとテンションが上がるようなライブを作っており、大変勉強になりました。
私が「やった」ライブの話です。
大学の学祭のステージでひたすら歌を歌うライブをやりました。
このライブとは規模もジャンルもプロップスも全然違うCory Wongのライブを記事の中で並置しようと思ったのは、ライブ特有の「怖い感じ」が似てるなーと思ったからです。
今回のCory Wongのライブは結構長いソロが多くて、みんな上手いのでバッチリ成功することは分かっているのですが、私はそれでも常にヒヤヒヤしながら聴いていました。
いつでもちょっとしたミスで全部壊れてしまいそうなヒヤヒヤ感、これが、Vulfpeckのような機械的なファンクの中にある「身体性」であって、特にライブという場ではそれを意識せずにいられませんでした。
そして、その「ヒヤヒヤ感」を味わいたかったために、私はライブ「紅白歌合戦」を企画したのでした。
ライブのセトリは、以下の通り。
1. モス/サカナクション
2. 幼い二人/寺尾紗穂
3. =space/逆さまのイドラ。
4. urar/Chima
5.アルビレオ/冨田悠暉・梢明
6. 金の鯱/内田温
コンセプトは概要欄に以下の通り、記してあります。
「紅白」 ……相異なるもの、対立するもの、惹かれ合うものが一緒になるということ……それは「ふたり」であるということ。 「ふたり」をテーマにして、正に対立するものが衝突し顕現したエクストラステージの舞台上にて、LIVEを行いました。 歌を歌ったのは、大学生の自由研究メンバーの清水。清水自身は、紅白混濁の故に常に独りの存在です。セットリストはラブソング(だと清水が思ったもの)を中心に集めました。 ふたりを恐れ、独りに悲しむ全てのものに……晴やかなお祭りに、大道芸人に、コモンネクサスに、冨田悠暉に、食パンに、ダフトパンクに、香蘭楼に、
つまり、「私が一人で歌を歌うライブ」にしようということは、コンセプト段階で確定していました。
これに加えて先述の「ヒヤヒヤ感」を味わい自分の輪郭を認識することで、自分と他者の認識について理解し、最終的に「ふたり」を理解するという算段で、セトリを考えました。
マイノリティとして社会で生きていくものを描きつつ、マジョリティの中のマイノリティという視点を超越する、的な歌です。
MVには可愛すぎるジュノンボーイとしてかつて話題を呼んだ、井手上漠というセクシャルマイノリティの人が出ています。
この人に私は昔影響を受け、結果的に私が独りになる要因になったので、セトリに加えました。
また、MVの真似をしたかったので、寝袋を購入して再現しました。自分の身体的限界をなぞることがライブの目的だったので、頑張って地面を這ってみました。
キーは+5にして、自分が地声で出せる高音ギリギリを攻めました。当日の朝家でリハしてみたら全く出なかったので、ヤバいと思って本番までずっと龍角散を舐めていました。
過去の幼い恋を追想する歌。
幼い自分と大人の自分の対峙であるところの追想こそ、独りの私にとって出来うる「ふたり」の想像なのかも。と思ってセトリに加えました。
「逆さまのイドラ。」は、名作会初代会長のトイドラくんとその元カノによって結成されたユニットです。
今春2人が別れたので、何かセトリに加えたいなと思い、この曲を選びました。
と思ったら、ライブをする前にトイドラくんに新しい彼女が出来てました。おめでとう!
さすが「ふたり」の伝道師こと冨田悠暉、といったところでしょうか。
喪失や過去との葛藤を経て、空虚な"space"を自分の居場所として見つけていく歌。ですが、私はこれを「ふたり」が「ひとり」になる歌として再解釈しました。
ラスサビでは、一人で声をいっぱい重ねてみました。普通のアパートで絶叫しながらレコーディングしたので、通報されないかとヒヤヒヤでした。
当日スピーカーの後ろで歌ったのと、曲がハイテンポかつバスが控えめだったため、リズムを合わせて歌うのがかなり難しかったです。結構ズレちゃいました。ライブ特有の怖さ、来ましたね。
お金が貯まったらイヤモニ買おうかなと思いました。
ライブの中で最もヒヤヒヤだった曲です。
全編ファルセットで、音域も(私の中では)広めでした。
今回のようなコンセプトで無ければ絶対にセトリに加えないような怖い曲でしたが、今回のコンセプトなので、必須のナンバーとなっていました。
ずっと怖かったですが、これを歌ったことでかなり紅白歌合戦感が担保されたように思います。
ライブとしてだれるから無くても良いかなと思っていたんですが、ラブソングだったので入れてしまいました。
客観的にラブソングなのか微妙な曲が多いセトリの中で、かなりラブソングなナンバーです。
バックがオルゴール1本なので、一度タイミングを間違えると二度と復帰出来ない怖さがありました。
ハモリもこの曲だけは全編通して無しにしました。
私が大好きな内田温の曲です。
客観的に見て全くラブソングでは無いですが、ラブ要素はかろうじてあります。ライブの〆としての選曲です。
概ね、怖いライブが出来たので満足しています。
ただ、本当はこの企画のためのオリジナル楽曲を含めるつもりだったので、それが間に合わなかったのが心残りです。
製作時間が足りなかったことが主な要因ですが、そこには「ふたり」について自分がどういう答えを出せるか分からなすぎたこともありました。残念です…
(去年同じようなステージで歌ったオリジナル曲「Before anyone else」は明確なラブソングだったんですが、この時からあまり思考が進んでおらず、もう一度歌うのもなんかなぁと思ったので、歌いませんでした)
あと、(私にとっての)低い地声、高い地声、ファルセットを今回のライブでやることが出来ましたが、他にもラップとかデスボイスとかボイスパーカッションとか、もっと色々やりたかったです。
楽器演奏もやりたかったですね。
来年はしっかり製作時間を設けて、できるだけ色々やろうと思います。
以上、ライブを見たレポートと、ライブをやったレポートでした。THANK YOU
弾け弾です。
と~にかく転調が多いジャズの難曲、サックス奏者のジョン・コルトレーンが作曲したGiant Steps。ご存知の方も多いと思います。
私も知ってはいるが、この曲に対して語れることは何か。残念ながらコード理論の解説サイトで知って以来、「コルトレーンチェンジ」あるいは「マルチトニックシステム」のために書かれた曲だという浅い認識しかなかったのです。
最初に断っておくとGiant Stepsがそういったコード理論を超えて後世に多大な影響を与えた楽曲なのは疑いようがありません。ただ和声の側面に注目するあまり、他の要素への感受性が欠けている私には正直心に響き切らないところもあったのです。そんな私でもGiant Stepsの深遠を見ることはできるのか?長年考えたり考えなかったりしてきて、ある時、自身の得意とする和声的アプローチは保ちながら、ちょっとズームアウトして調性で観察することにしてみました。ただのコード分析ではなく、音楽をビジュアルにして捉えなおしていく、故に「観察」です。
そうして曲を捉え直してみると、思いもよらぬ真に驚くべき発見があり、楽曲に溢れる生き生きとした緊張感と奥行きを初めて感じることができたのです!今回はその過程をブログに書き記すことにしました。
YouTubeの個人チャンネルで、今回の記事の内容に関連するShortsに投稿しています。実際に曲に合わせて五度圏上のトーナルセンターの動きを表していますので、映像の方が直感的に理解しやすいという方は合わせてお使いください。
テーマが3回繰り返される間に、1周目:観察①・②、2周目:観察③、3周目:観察④を表す内容になっています。
観察の手始めに、まずはリードシートを見てみましょう。
調号こそ書いていないですが、臨時記号だらけであることから、転調が多分に含まれることがわかります。Bメジャーから入ったかと思えば、2小節目にはもうGメジャーに転調しています。一体この曲は何回転調するのか?
見通しをよくするためにドミナントモーション、つまりD7→G、B♭7→E♭のようなV-I進行、そしてAm7→D7→GのようなII-V-I進行といったベースが完全5度下がるコード進行をグルーピングしてみます。
最初のコードのBだけ孤立しているように見えますが、一番最後のC#m7→F#7→からループしてつながると考えられますのでここもグループにしておきます。
その結果、Giant Stepsはすべてのコード進行がドミナントモーションの一部であり、ドミナントモーションのグループの中のコードは、すべて同じ調に属することがわかります。その調を専門用語でトーナルセンターといいます。まあそう書いておけば「調」と書くよりは格好がつくというだけなので、適宜トーナルセンター=調と読み替えてもらって(少なくとも私の書いたこの記事では)大丈夫です。
逆に、グループが変わるとそこで調が変わっていそうだと見えてきます。そして実際その通りになっています。これで、転調のタイミングが把握しやすくなりましたね!
ドミナントモーションの行き着く先をトニック(主和音)と見なして、トーナルセンターの変化したタイミングを抜き出すと下表のようになります。
小節 | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
これでGiant Stepsのテーマは転調が頻繁に起こるものの、その回数は10回に限られ、使われているトーナルセンターはわずか3つだということがわかります。1オクターブの12の調(短調を含めると24の調)どれにでも転調できる可能性があるなか、3つのトーナルセンターに絞り込んだからこそ、曲の統一性と個性が生まれていると言えるのです。
つまり、Giant Stepsは、3つの調に転調する曲だ!と言うことができます。
…しかし、それを結論とするのは早計でしょう。実際には、コードシンボルだけでは読み取れない、より制限されたルールに従っているのです。そこで今度は視点を変えて見てみましょう!
ここからは、1つ1つのコードについては捨象します。注目すべきポイントは、B・G・E♭の3つのトーナルセンターがどのようにして選ばれたかです。A・B・CとかF#・G#・A#とかも3つのトーナルセンターの組み合わせになりますが、なぜその3つになったのか。
それは視覚的なツールである五度圏を使うと見えてきます。
五度圏とは1オクターブの中の12の調を円形に並べたものです。五度圏上で隣り合うB MajorとE Major、もしくはB MajorとG♭(=F#) Majorは、調号のシャープ・フラットの数が1つだけ変わります。色相環の隣り合う色が似ているように、五度圏上で近い配置のものは相性が良いのです。
五度圏上に先ほどのB・G・E♭を見つけて、線で結んでみると綺麗なトライアングルができます。これは、先に挙げた例A・B・CとかF#・G#・A#では作れない形であり、B・G・E♭が選ばれる必然性が見えてきます。
ここから2つのことが言えます。
この調性システムはコルトレーンチェンジ、あるいは3トニックシステムと呼ばれています。
一般的に、五度圏で等しい距離にあるn個の調に転調する曲をnトニックシステム、まとめてマルチトニックシステムといいます。ここでnは12の約数である2、3、4、6、12をとります(1は普通の転調しない曲なので除外)。
その中でも3トニックシステムは、転調の前後で長3度トーナルセンターが変化します。この音程はジャズ史上でも他の音程と比べて転調に使われる機会が少なかったため、その意味でもコルトレーンチェンジは画期的なシステムでした。
こんな複雑な難しい理論を作って作曲し、即興演奏するコルトレーンはすごい!
私が過去Giant Stepsに関して得た知識はこのようなものでした。
しかし、それだけで十分なのでしょうか。マルチトニックシステムが生まれてから65年、そのシステムを用いて作られた曲は聞きません。コルトレーン自身による楽曲を除けば、有名なものはないといってもいいのではないでしょうか(ご存じの方がいたらぜひ教えてください)。理由の一つにコルトレーンの卓越した技巧や作曲技術を真似できる人が極めて少ない、ということはあるでしょう。結果としてマルチトニックシステムは理論としての名声ばかりが広まり、実質的には超絶技巧を誇示するための手段、音楽的価値の乏しいものとなってしまった感があります。
Giant Stepsは、実際はそんなマルチトニックシステムという理論の枠に収まらない作品です。より緻密に構成されたルールに従って作られていて、そこにこそこの曲の真価を見出せるのです。
もっともっと眼を見開いて観察を続けましょう。
次に注目するのは、転調のタイミングと、前後の調の関係です。先ほどの表を再掲しておきます。
小節 | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
転調するタイミングの小節の間隔に注目してみると、1小節に1回したり、2小節に1回したりと様々なタイミングで転調しています。表に行を追加し、前の転調から何小節後に転調したか(小節の変化)を書き入れます。
小節 | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小節の変化 | - | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 |
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
小節の変化の次は、トーナルセンターの変化を見ていきます。
前準備としてトーナルセンターの変化を定量的に表すための数値が必要になります。ここで五度圏を再登場させます。
五度圏のBを0とすると、右回りにG♭は1、D♭は2、翻って左回りにEは-1、Aは-2と"数円"(数直線に対応した概念。はした金ではない)上に数値を割り振ることができます。
その数値を落とし込んだ表がこちら。
小節 | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小節の変化 | - | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 |
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
調の数値 | 0 | -4 | -8 | -4 | -8 | -12 | -8 | -4 | 0 | 4 |
調の数値は必ず4の倍数になっている、これは3トニックシステムならではの特徴ですね。
鋭い観察眼の持ち主であれば、小節2から3の、GからE♭の転調について、図ではE♭が4なのに表では-8になっている!と不思議に思われるかもしれません。
これは数円ならではの特徴で、差が12の倍数になる数は、同じトーナルセンターを表します。この事実は当記事の結論として重要な鍵を握るので、頭の片隅に置いておいてください。
よって1つのトーナルセンターを表すのにも無限通りの数値が考えられるわけですが、ここでは一旦-4であるGからE♭に転調するのに4より-8のほうが距離が短かったので、-8を選びました。
そしてその移動した距離を調の変化として算出していくと、
小節 | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小節の変化 | - | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 |
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
調の数値 | 0 | -4 | -8 | -4 | -8 | -12 | -8 | -4 | 0 | 4 |
調の変化 | - | -4 | -4 | +4 | -4 | -4 | +4 | +4 | +4 | +4 |
このようになりました。さて、小節の変化と調の変化に法則が見えてきます。
小節の変化1のときは調の変化が-4、小節の変化2のときは調の変化が+4になっている!
10回あった転調が2パターンに分類され、だんだんGiant Stepsのコード進行が抽象化されてきました。
さらに、この言い方を洗練させるために「調速度」という概念を定義しておきます。
一般に速度は、ある時点からある時点までの物体の移動量の指標です。通常、2つの時点は任意に選べますが、調速度の場合は「転調したタイミング」に限定されます。ここでの転調したタイミングとは、この記事内の取り決めと同じようにその主和音が鳴る時点を指します。
また一般の速度は具体的には距離÷時間で求められますが、ここでの距離は「五度圏上の距離」とします。これは先ほどの「調の変化」に相当し、数値が1変わると5度動くことから単位を[fifth]としておきます。(つまり、距離は五度圏上の角度に対応しているので、調速度は速度の中でも角速度に近い概念です。)
時間の単位には「小節の変化」を使用し、小節を表す一般的な単位である[bar]を採用します。
調速度は、fifthをbarで割って算出するので、fifth per bar、略して[fpb]と表記します。
まとめると、
調速度[fpb] = 調の変化[fifth]÷小節の変化[bar]
つまり、Giant Stepsは転調から1小節後に次の転調がくる場合は調速度が-4[fpb]、2小節後の場合は調速度が+2[fpb]となる
と表現できます。
ここで、グラフを作ってみます。
上段のグラフは小節ごとのトーナルセンターの変化を、下段のグラフは小節ごとの調速度の変化を示しています。下段において調速度は2つの値しかとっていないことがわかります。
抽象度がさらに上がったことで、むしろ意外とシンプルな進行だったんだ・・・とさえ思えてきますね。でもこれで終わりではありません。
このグラフは「見かけ上の調速度」を表しているにすぎないのです。
思い出してください。トーナルセンターを数値に置き換えたときに、E♭の表し方が4と-8、2通りありましたね。
差が12の倍数になる数は、同じトーナルセンターを表すのでした。
今まではトーナルセンターに対応する数値を一意に定めるのに、前の調から最も近い距離で選ぶ方法をとっていました。これが言わば、「見かけ上の調速度」です。
今度は、必ず調の変化が負になるようにトーナルセンターの数値を選んでみましょう。
小節[bar] | 1 | 2 | 3 | 5 | 6 | 7 | 9 | 11 | 13 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小節の変化[bar] | - | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 |
調 | B | G | E♭ | G | E♭ | B | E♭ | G | B | E♭ |
調の数値[fifth] | 0) | -4 | -8 | -16 | -20 | -24 | -32 | -40 | -48 | -56 |
調の変化[fifth] | - | -4 | -4 | -8 | -4 | -4 | -8 | -8 | -8 | -8 |
調速度[fpb] | - | -4 | -4 | -4 | -4 | -4 | -4 | -4 | -4 | -4 |
すると驚いたことに、調速度がすべて同じ値になります。
これを改めてグラフにすると
拍子抜けするほどシンプルな、直線になりました!
これがGiant Stepsの真の調速度。
Giant Stepsの調速度は一定だった、そう考えることができます。
ただし、テーマの先頭に戻る部分だけは2小節で-4[fifths]進んでおり、他の速度が違っているので、厳密にはGiant Stepsのテーマの調速度は一定、と言えます。
実はハ長調やイ短調といった慣れ親しんだ「転調しない」状態も、速度が常に0という意味で「調速度が一定」という概念に含まれます。そもそも元々は調速度なんて概念無いものなので、これを悪用して「転調しない」を「調速度が一定」と包含関係ではなくイコールの概念と再定義してしまえば、Giant Stepsのテーマは転調していないとさえ言えるのです。
まあそれはいくら何でも言いすぎだとしても、観察を重ねた結果、複雑に思えた曲がここまで単純な原理から成り立っていたという事実はかえって楽曲から醸し出されるヴィルトゥオジティと相反するかのようで、その原理から複雑な即興演奏が創発されることこそが、この曲の本質的な美しさを形作っているのだと感じます。
調速度が一定という調性システムは、五度圏上で力学の概念と関連付けることができます。
まずは転調しない音楽を考えてみましょう(例えば、Creepy NutsのBling-Bang-Bang-Bornのような)。その調性を五度圏上に配置すると、一点に静止しているのみですね。これは外力が加わっていない、自然な状態といえます。次に、転調する音楽を見てみると、例えばサビで半音上に転調するYOASOBIのアイドルのような楽曲は、五度圏上ではある点からある点に「瞬時的に」移動しています。これは明らかに外部からの力なしには起こりえないイレギュラーな動きです。対してGiant Stepsのような調速度一定の曲は、五度圏上で見ると一定速度の回転運動を(タイムラプスで)見ているようです。それは地球の周りを回る月のように、あるいは自転する地球の上に立つ私たちや富士山のように、向心力以外の力を必要としません。
故に、調速度一定の音楽は転調しない音楽と同程度に「あって構わない」存在であり、五度圏上の力学的な観点からはむしろ突然転調する曲より「自然に」存在すると考えられるのです。転調しない音楽とのただ一つの違いは、その調性システムが持つ運動エネルギー。これこそが、Giant Stepsが持っている特別な力、聴衆を体ぐるみでのめりこませる、並々ならぬダイナミズムに繋がっているのかもしれません。
本記事ではGiant Stepsについて、使われている調やマルチトニックシステムという概念による分析からさらに推し進め、調速度という概念を定義することで、極めて単純明快な調性システムによる作品であることを明らかにしました。
勿論、Giant Stepsは理論にとどまらず、技術面でも音楽的にも優れた名曲です。こうした分析をせずとも魅力が伝わる、という方も多いでしょう。しかし、コードという観点からでさえ、少し視野を広げるだけで――現実世界の力学を音楽の世界に取り入れる調性システムの自然な拡張により――Giant Stepsの核心に迫ることができました。
Giant Stepsは目まぐるしい転調を繰り返しながらも一つの楽曲として成立しています。その背景には運動エネルギーと等速度運動という2つの力学が存在するのです。この視点に立てば、Giant Stepsが単なる理論のための音楽ではなく、コルトレーンチェンジが技巧を見せつけるためのギミックではない、もっと根源的なものなのだと理解できます。
調性に速度が在る、そして在っても良いという発想の転換。これはドミナント(減5度)による緊張をトニックの解決へ向かう推進力としたことに始まる、破壊が新たな秩序となり成長する音楽の有機的な営みを思い起こさせます。理論を不要としてアトランダムに作曲するでもなく、生成AIのような既存の音楽を組み換える帰納的作業とも違った、枠組み自体を壊しては構築していく動的平衡性。それこそが、私がGiant Stepsに、ひいては音楽に見出す美しさなのです。
榊原です。
昨日まで大学祭でした。
ここ2年間、毎年音楽系の企画(歌、演奏)をやっていたので、今年もやりました。
名作会とは関係なく他に所属しているサークルに大学生の自由研究というものがあり、そこでは毎年「エクストラステージ」という、とりあえずやりたいことをやりまくるステージを組んでいます。そこで、今年も、音楽系の企画をやりたいなあ〜と思いました。
ちなみに、去年はなんすい会長と(もう一人)で一緒にリコーダーと歌をやっていました。
このもう一人がベースを弾けることが発覚し、弾かせた〜い弾いてくれなきゃヤダヤダヤダ〜となった私は、ベースを中心に据えることを念頭に話を進めました。
が、大学生の自由研究は音楽サークルではないのでまともに楽器を弾ける人はほぼいません。なのでとりあえずできるであろうボーカルを探すことにしました。
女性ボーカルがいいかなあ(男性は自分が歌えばいいし)と思ったので適当に女性に当たってみます。
ベースの人に......
振られました。
他の女にも......
振られました。
3人目でようやく契約成立しました。
ちなみにボーカル自体は振られはするものの、みんなバンドメンバーにはなってくれたのでここでメンバー募集を打ち切り、意図せずハーレムバンドになりました。
編成は
・ノイズとサンバホイッスルと雑用
・ベース
・アゴゴ+ピアノ
・ボーカル
に決定。今の自分ならアゴゴではなくチャンチキにするところですが、まあ仕方ありません。
演奏する曲にはせっかく集まってくれたみんなのいいところを反映させたくなったので、頑張っていいところを考えてみました。
ベース:元メサイアコンプレックスer。自分を守るために周囲に威嚇する技を備えている。
アゴゴ:認知が歪んでいる。人たらし。他人に対する純粋な悪意がある。
ボーカル:自己中心。躊躇というものがない。戸川純が好き。
最初は牧歌的なバンドを構想していたのですが、これを全て反映するとどう頑張っても攻撃的な内容にせざるを得ないので、半年くらいずっと考えていた選曲を全て放棄して、新たに曲を選んで編曲の方向性を考えることに。
ちなみにこの段階で4/25くらいです。大学祭が6/7で、素人が練習することを考えるとだいぶヤバいです。
まあまあ悩みましたが、最終的に以下のように曲を決定しました。
田舎の学校/HASAMI group
お前を殺す/自由ヶ丘
SUPERVISION(新曲)
Another View Point/Cornelius
です。
・田舎のお山の学校であるところの名古屋大学とそこに通う学生を全員ぶち殺す
・統一テーマ「天晴れ、広がるVISION」の外側にある(遺棄された/不都合な/無視された)光景を並列して見せることでテーマを超える
などの気持ちがこもっています。
曲が決まったので、全体的に破滅的なアレンジを施していきます。
込められた気持ち的にパンクが似合うと思ったので、シンプルな味付けを心掛けました。
1曲目の「田舎の学校」はそもそもがめちゃくちゃなのであまり変化させずマイルドに、続けて演奏される「お前を殺す」は元々相対性理論みたいにオシャな感じでしたが、気に食わないのでバキバキにしておきます。
田舎の学校pic.twitter.com/3pCNL1yGoN
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9)2025年6月8日
お前を殺すpic.twitter.com/xJe5NCuqSL
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9)2025年6月8日
(動画ではみられませんが)「お前を殺す」のBメロはメロディはそのままで、ひたすら転調していくことで復調が生まれています。これは直前に演奏している田舎の学校作ったHASAMI groupがよくやる手法を適用しています。こうすることで全く出自の違う二曲が違和感なく溶け込むことを期待して...... ちなみにAメロのドラムパターンをそのまま田舎に学校に転用しており、それもまたシナジーを産んでいるのではないかと勝手に思っておりますが実際どうだったんでしょうか。
SUPERVISION(新曲)はひどく難航しました。
普通に全員素人だし、恐ろしく簡単な曲にしなくては.....
とは思いつつも、かっこよくしないとやる気が起きないので......
結果的にファンクっぽくすることでわりと簡単な曲を作ることができました。
SUPERVISIONpic.twitter.com/TVjy8ECbHo
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9)2025年6月8日
☆簡単要素☆
・コードが二つしかない(GM7-A7sus4)
・フレーズは基本一小節ループ
・キメが多いのでロストしても復帰しやすい
・音数が多いのでミスってもバレない
☆簡単ではなかった要素☆
メトリックモジュレーションする(6/4↔12/8)
ポリリズムする
速い(BPM200↔150)
Another View Point
オリジナルのライブ版が、普通に演奏する背景にCMなどを無許可でサンプリングしまくるというもので、今回はその名古屋版を作成することで「統一テーマ「天晴れ、広がるVISION」の外側にある(遺棄された/不都合な/無視された)光景を並列して見せることでテーマを超える」という意図の9割くらいを担ってもらいました。
Another View Pointpic.twitter.com/eWaINTa5cj
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9)2025年6月8日
かっこつけすぎたかなという気がするので次回があればもっとお茶らけた曲を演奏するでしょう。
上記の内容は文字だと伝わらない部分も多いと思うので、そのうちアップされるライブのフル尺動画を見てください。すまねえ......
お久しぶりです。ぎょくしです。
相も変わらず、というより最近は、以前よりやや熱心にアニソンを掘り進めている日々でございます。さて、そんなアニメソング、およびサブカルソングですが、意外と日本語じゃない他国語楽曲って多いんですよね。てな訳で、今回はアニソン・サブカル関係で他国語曲をいっぱい聴いてみようぜ!といった催しです。ただ、日本語と英語アニソンはおそらく山ほどありますのでそれは除外しますよ... あとは今回は架空言語詞のものも除外しておりますので何卒ご容赦を...
では早速、聴いていこうぜ!
早速ですが、人工言語「エスペラント」の歌です。なぜなら過去にこのブログで何度か取り上げている言語だからです... ざっくり説明すると、「世界共通語となる言語を作ろう!」っていって作った言語ですね。そして自分をエスペラント沼に引きずり込んだ元凶の音楽です(詳しくは下記ブログ参照)。
それでは曲と歌詞を見てみましょう。
Vesperrugo fluas en ondetoj
(夕陽が沈み 流れるさざ波)
Ĝi estas kiel la kanto, bela kanto de feliĉo
(それはまるで無垢な幸せの歌のよう)
Ĉu vi rimarkis birdojn portantajn afablecon?
(鳥たちは優しさを運ぶ遣い)
Super la maro flugas, ili flugas kun amo
(海を越え飛ぶよ 愛を風に乗せ)
Oranĝa ĉielo emocias mian spiriton
(心ふるえる黄昏の空に)
Stelo de l′ espero, stelo lumis eterne
(永遠(とわ)に輝く希望の星よ)
Lumis eterne
(ルーミス エテルネ)
歌詞の一番がエスペラントで歌われており、二番はその日本語訳(意訳)となっております。上の日本語訳は二番の歌詞をそのまま持ってきておりますが、だいたい合ってますし、良い意訳だと思います(えらそう)。私、このアニメは視聴済ですが、本編の中でかなり感動的なシーンで歌われており、本当に素晴らしいです...みんなARIAを観てくれ!
『サカサマのパテマ』は2013年に公開された、吉浦康裕によるアニメ映画作品です。自分にとっては、高校時代に友人宅に集まってBlu-rayをみんなで観たという、青春(?)の1ページを飾る作品となっております。ラストの展開がなかなか衝撃的で、めちゃくちゃ面白いんですよ、この作品... で、その主題歌もなんとエスペラントで歌われております!
Inverse sin etendas mondoj du,
("逆さま に 広がる"ふたつ の 世界)
Jen unu jen l'alia tiritaj palpe,
(ひとつひとつ 手探りを繰り返し)
Jen unu jen du alŝovitaj mane.
(ひとつふたつ 手繰り寄せた)
Ĉiel' kej Tero eltonditaj for
(切り取られた空と地上を)
Sur la manplaton estas kunmetitaj.
(手のひらに重ね合わせてゆく)
Vizitas lumradio de l' komenc',
(始まりの光が そこに)
Ĉi tiun mondon kun esper'!
(願いを乗せて訪れる)
La duo, nepre, iam...
(二人, きっと, いつか)
Michiru Oshima - Patema Inverse (日本語 の翻訳)
これ、インターネットで調べるとかなりの確率で歌詞のラストの部分が
"La duo, nepre, jam..."
と出てきますが、実は誤りがあって、"jam"ではなく"iam"が正しい歌詞なのでお間違えなきよう... というか訂正しようとする人はおらんのか...!!
『エルフェンリート』はもとは週刊ヤングジャンプで連載されており、そのアニメ化作品となっております。よく「グロシーンのある作品!!w」みたいな感じでyoutubeで紹介されていますが、まあ、グロシーンは、のっけからあります( )。あと、話の内容が重い... とにかく重いです... このずっしりとした重みからか、この作品を"名作"に挙げる人も少なくはありませんが、自分はあまりハマりませんでしたね...
そんな『エルフェンリート』のOPはラテン語で歌われています。ラテン語は古代ローマの公用語であり、現在はほぼ死語となってしまっていますが、学術関係の専門用語や宗教関連楽曲(主にキリスト教曲)などにまだまだ使用されています。
Os iusti meditabitur sapientiam,
(正しき者の唇は、叡智を陳べ)
Et lingua eius loquetur indicium.
(其の舌は 正義を物語る)
Beatus vir qui suffert tentationem,
(幸いなるかな 試練に耐え得る者よ)
Quoniqm cum probatus fuerit accipiet coronam vitae.
(之を善しとせらるる時は 命の冠を受くべければなり)
Kyrie, ignis divine, eleison
(主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え)
O quam sancta, quam serena,
(おお、何と聖なる哉 何と静かなる哉)
quam benigma , quam amoena
(何と慈悲深き哉 何と情愛厚き哉)
O castitatis lilium
(おお、清廉なる白百合よ)
エルフェンリートのLiliumどなたか歌詞と、日本語訳を教えていただけ... - Yahoo!知恵袋
このブログ記事を書いていた時に初めて知ったのですが、この歌詞は聖書からの引用となっているようですね。ということもあってか、下の動画のように海外の聖歌隊や合唱団でも結構盛んに歌われているのです。
こうやって、アニメソングが海外で歌われているのを見ると、なんだかうれしいですね。
『アリーテ姫』は、『マイマイ新子と千年の魔法』や『この世界の片隅に』で知られる片淵須直が監督の2000年の映画です。自分は大須シネマで上映された際に視聴しました。大須シネマ...(大須シネマは4月に閉館しました...)フェミニズム童話的な要素もありますが、なかなかに美しい映画でしたよ。
この歌を歌っているのは、ロシア人のシンガーソングライターのOrigaさん。この歌の他にも『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のOPを歌っていますね(こちらもロシア語楽曲)。
(早朝の晴れた空の元)
Раным-рано, да по над чистым небом
(美しい太陽が昇っていました)
Поднималося ой да красно солнце
(花とスベスベの草が平野の日々にやってきていた)
Оживали в степи цветы, шёлковы травы
(若い茎は光に向けて真っ直ぐに伸び)
Выпрямлялися к свету малы-молоды стебли
(そして鳥や獣が起きだす)
Да просыпалися птицы да звери
(輝かしい朝が再びやってくる)
Снова утро, слава ему
Krasno Solntse(アリーテ姫) - 歌聴クブログ@遥
歌詞の一番の部分を引用させていただきました。歌詞にはキリル文字が使用されていますね。歌声も美しく、この部分だけ見ると綺麗な自然の情景を描いている歌ですが、二番から戦の気配が漂い始め、ラストには平野に墓標と十字架が並び...という結末となっております。ぜひ引用元で全文を確認してくださいね。
1998年放映の『時空転抄ナスカ』というアニメの、『コンドルは飛んで行く』の歌詞付きカヴァーです... アニメの方は... 観られておりません... というのも、今現在どこにも配信のないアニメだからです。まさしくレアアニメだ!ちなみに内容を知っている人に「俺このアニメ観たいんす!」と言ったところ、難色を示されました... その人曰く、「当時流行ってた(?)雰囲気アニメのうちの一本」だそうです。果たしてどんな内容なのか... ますます気になる...
言語はアニメの舞台(?)がペルーであることから、スペイン語がつかわれています。世界話者人口は4位、メキシコ・キューバ・チリなどでも使用されていますね。
El cóndor de los Andes despertó
(アンデスコンドルが目覚めた)
con la luz de un feliz amanecer
(幸せな夜明けの光とともに)
Sus alas lentamente desplegó
(彼の翼はゆっくりと展開した)
y bajó al río azul para beber
(そして青い川に下りて水を飲みました)
Tras él la Tierra se cubrió
(彼の後ろの地球は覆われていた)
de verdor, de amor y paz
(緑と愛と平和の)
Tras él la rama floreció
(彼の後ろの枝は花を咲かせた)
y el sol brotó en el trigal
(そして麦畑に太陽が昇った)
en el trigal
(小麦畑で)
en el trigal
(小麦畑で)
(google翻訳により翻訳)
原曲が良いというのもありますが、歌詞も美しくて良いですね!自分は一時期この曲を無限ループ再生に設定したうえで、睡眠導入として利用していました。この曲、マジで気持ち良く眠れます。ちなみにこの曲の伴奏のヴァイオリンは葉加瀬太郎が弾いているそうです。...マジで?
航空自衛隊に配属されたひそねを待ち受けていたのはドラゴンだった!? ...てな感じで、『ひそねとまそたん』より『Le temps de la rentree』です。キャラデザが特徴的でかわいいですよね。この作品、以前は限られた配信サービスでしか配信しておらず、友達に頼んで1話を観せてもらいました。...と思ったら、今自分が加入しているU-NEXTでも配信されていました。そのうち視聴しようと思います。
この歌は、世界で二番目に多くの国・地域で使用されているフランス語で歌われています。自分は触れたことがありませんが、噂によると発音が超難しいとかなんとか...
Moi, j’aimerai longtemps
(私はずっと楽しみにしている)
lorsque reviens le temps,
(その時が来るのを)
le temps de la rentrée.
(また学校に行くのを)
Les vacances et la vie
(休日もバカンスも)
nous avaient séparés ;
(私たちを会えなくする)
je vais te retrouver.
(もうすぐ会える)
Moi, j’aimerai toujours
(私はずっと楽しみにしている)
emmenant mon amour
(恋が戻るのを)
le temps de la rentrée.
(また学校に行くのを)
Il va me redonner
(また始まるでしょう)
nos baisers envolés
(飛び立つようなキス)
dans le grand ciel d’été.
(広い夏の空に)
Je ne pensais sur les rochers
(海岸に立って思うのは)
et les plages ensoleillées
(日光の下の海辺)
qu’à toi à la rentrée.
(あなただけのために 学校に戻る)
France Gall - Le temps de la rentrée (日本語 の翻訳)
映像では各キャラクターがノリノリで踊っていて、めちゃくちゃ楽しい曲ですが、バカンスで会えない恋人のことを思い続ける女の子の気持ちを綴った歌詞ですね。この曲の原曲は『夢見るシャンソン人形』などで知られるフランス・ギャルが歌っていますよ。
日本と韓国のアニメーション会社によって作られた『あにゃまる探偵キルミンずぅ』のOPには、なんとタイ語の曲が使われています... 何で?
ちなみにタイ文字は2回ほど勉強しようという気になりましたが、2回とも挫折しています... (いつの日かまた強くてニューゲームします)。タイ語って、そもそも文字が固有の上に声調言語(中国語みたいにトーンの上げ下げがある言語)なので、めちゃくちゃ難しいんですよね~ いつかこの話も語ろうと思います。
เขาว่าดีว่าดีนะถ้าได้ฝันเห็นงู อูว์ กำลังจะเจอเนื้อคู่
(ヘビの夢を見るといいことがあるんだって もうすぐ素敵な人に出会えるって)
เราก็ยังไม่เคยไม่เคยจะฝันเห็นงู ฝันทีไรก็เห็นแค่ปู
(あたしはまだヘビの夢なんてみたことない 夢に出てくるのはカニばかり)
มีแต่ปูก้ามโตใหญ่ใหญ่ ยัย ยัย ยัย ยัย ยัย ยัย ยา
(めちゃくちゃ大きいツメのカニばっかり)
มีแต่ปูก้ามโตมากมาย มาย มาย มาย มาย มาย มาย มาย
(とにかくすごいツメのカニばっかり)
ท่าทางก็น่ากลัว ท่าทางก็น่ากลัว ยิ่งดูยิ่งน่ากลัว ทำไงล่ะคะ
(なんだか怖くて なんだか怖くて 見れば見るほどビビっちゃう どうしよう)
oh no no no อย่างนี้ไม่ดี
(オーノー!これってよくないよね?)
oh no no no อย่างนี้สงสัยไม่ดี
(オーノー!これってきっとよくないよね?)
oh no no no อย่างนี้น่ากลัวว่าคงจะเป็นฝันร้าย
(オーノー!これってヤバいよね 悪夢だよ)
oh no no no อย่างนี้ไม่เอา
(オーノー!こんなのイヤだよ)
oh no no no อย่างนี้สงสัยไม่เอา
(オーノー!こんなのきっとイヤだよ)
oh no no no ถ้าเห็นแค่ปูละอยู่คนเดียวดีกว่า
(オーノー!カニの夢しか見ないなら 彼氏もいないほうがマシ)
やっぱりタイ文字が特徴的ですよね。タイ文字は、英語のように単語ごとにスペースで区切って表記せず、日本語のようにズラッと並べて文を表記する(なんなら句読点すら全く使わない)言語なので、パッと見ではどの部分がどの単語を指しているのかサッパリです...
で、ヘビの夢はともかく、なんでその代わりにカニが出てくんの?って話ですが、おそらくこれは言葉遊びなんじゃないかと私は推測します。ほら、こんな風に...
なんというか、日本語の「雲」と「クモ」の違いみたいな感じでしょうか。これに気付いた時、めちゃくちゃ脳汁が出ました。(なお、これはあくまで自分の推測なので話半分くらいで聞いてね...)
トキポナという、120+αしかない単語をぶん回して意思疎通を図るシンプル人工言語があります。そんなトキポナで歌われているのが、この『telo sewi』です。この曲はいわゆるボカロ曲ですが、伴奏は打ち込み音源ではなく、なんと生楽器を使って演奏されています。すごいぜ!
ちなみに歌詞の各文頭が小文字になっているのは、自分がブログ編集作業を怠っている訳ではなく、このように表記するのがトキポナの正式表記だからですよ。
mi pilin e kalama lili.
(小さな音が聞こえる)
mikute e telo sewi.
(木々を揺らす雨)
ni li ike tawa sina anu seme?
(君はうんざりしてるけど)
ni li pona mute!
(僕は好きさ)
sina ken ala lukin e suno.
(おひさまが見えなくて)
len sina li kama lete.
(服も濡れるけど)
taso ni li pona mute tan ni:
(頬を伝う雨粒)
sina ken lon tomo sina.
(僕は好きなんだ)
kalama pi telo sewi li sama kalama ni:
(空から降ってくる雨の音は)
kulupu pi jan mute li tawa lon nasin.
(まるでパレードの足音みたい)
kalama ni li kama kalama musi.
(彼らは唄を湛えてる)
mi mute o open e kalama musiuta ni!
(この音をさぁ一緒に口ずさもう!)
ona mute li tan sewi, li tawa anpa,
(ある日 空からこぼれ落ち)
li tawa, li tawa nasin tan musi.
(進む 進む 浮き足立って)
mi pini e oko mi a! mi pilin e wan ona.
(僕は目を閉じて 思い巡らす)
mi wile toki e ni:
(彼らの旅を)
ona li tan kon walo pimeja
(灰色の雲を飛び出して)
poka jan pona, li pilin e ijo nanpa wan,
(いろんなはじめてに出会う)
li lukin e jan, e tomo, e kasi, e soweli,
(人や鳥や猫 草木 花 家)
la ona li pilin pona!
(すべてを撫でていく)
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/58160.html
上に貼った日本語の歌詞は、公式で出ている日本語ヴァージョンの歌詞で、厳密には和訳ではありません。そのため、ところどころ本来の歌詞とは違う部分があります。たとえば、日本語版では「木々を揺らす雨」となっている部分は、本来は
mi(わたし)/kute(聴いている)/e telo sewi(雨を).
となり、「雨(の音)を聴いている」と歌われています。
ちなみにこの曲、エスペラント版もあります。トキポナ版と日本語版とエスペラント版で似つつも非なる歌詞のため、まずトキポナ版を聴いて、それから日本語版を聴いて、またトキポナ版を聴いて、次はエスペラント版を... といった楽しみ方のできる、一度で無限に楽しめる楽曲となっています。たのしいね!
ちなみに、動画の画面上方に謎の絵文字が出てきますが、これはシテレンポナというトキポナ単語それぞれに絵文字を当てたものです。
VRチャットにてトキポナで筆談やメモするとき、このアルファベット表記でなくシテレンポナを使って高速で書き取りする人もちらほらいたりします。
Flash動画黄金期に一世を風靡(?)した空耳動画の一つが『もすかう』ですね。この曲は『もすかう』こと『Moskau』は、単語から推察できる通りモスクワのことを歌っている歌であり歌詞ももちろん... といきたいところですが、実はドイツ語です。というのは実は、1980年のモスクワオリンピックのためのキャンペーンソングなのです。ではでは、そんな『Moskau』を聴いてみましょう!(すでに擦り切れるほど聴いてる人もいるかも知れないけどw)
Moskau
モスクワ
Fremd und geheimnisvoll
奇妙で謎めいていて
Tuerme aus rotem Gold
赤い金で出来たいくつもの塔
Kalt wie das Eis
氷のように冷たく
Moskau
モスクワ
Doch wer dich wirklich kennt
けれど本当に知っている者は
Der weiss, ein Feuer brennt
炎が燃えていることを知っている
In dir so heiss
その内部が、とても熱く
Kosaken hej hej hej leert die Glaeser
コザック騎兵よ、ヘイヘイヘイ、杯を空けろ
hej hej
ヘイヘイ
Natascha ha ha ha du bist schoen
ナターシャ、ハハハ、君は美しい
ha ha
ハハ
Towarisch hej hej hej auf das Leben
同志よ、ヘイヘイヘイ、この人生を祝し
hej hej
ヘイヘイ
Auf dein Wohl Bruder hej Bruder ho
君の健康を祝し、兄弟よ、ヘイ、兄弟よ、ホー
hej hej hej hej
ヘイヘイヘイヘイ
Moskau, Moskau
モスクワ、モスクワ
Wirf die Glaeser an die Wand
壁に杯を投げつけろ
Russland ist ein schoenes Land
ロシアは美しい国だ
Ho ho ho ho ho, hej
ホホホホホ、ヘイ
Moskau, Moskau
モスクワ、モスクワ
Deine Seele ist so gross
その魂はとても偉大だ
Nachts da ist der Teufel los
だから夜は馬鹿騒ぎ
Ha ha ha ha ha, hej
ハハハハハ、ヘイ
Moskau, Moskau
モスクワ、モスクワ
Liebe schmeckt wie Kaviar
愛はキャビアの味
Maedchen sind zum Kuessen da
少女達はキスしようと待ち構える
Ho ho ho ho ho, hej
ホホホホホ、ヘイ
Moskau, Moskau
モスクワ、モスクワ
Komm wir tanzen auf dem Tisch
テーブルの上でダンスを踊ろう
Bis der Tisch zusammenbricht
そのテーブルが壊れるまで
Ha ha ha ha ha
ハハハハハ
【おすすめ音楽(ドイツ語) めざせモスクワ!】 | 欧米・アジア語学センター【公式】
なんというか、ソ連らしい雄々しい感じの歌詞ですね。自分は大学の頃、ドイツ語を第二外国語として履修していたので、なんとな~~~~く見覚えのある単語がちらほら出てきて楽しいです。まあ、もうすっかり忘れてしまって、ドイツ語歌詞だけ見ても何言っているのかわかんないですが...
こちらもまた「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」の弾幕で一世を風靡した(?)『Caramelldansen』です。経緯としては、『ぽぽたん』というゲームのOPのダンス(のループ映像)に『Caramelldansen』の早回しを合わせたものがバズり、様々なバージョンが量産されまくり...といった感じですが、ニコニコ大百科曰く第23回日本ゴールドディスク大賞シングル・オブ・ザ・イヤー洋楽部門を受賞しているそうですよ。
Vi undrar, är niredo att vara med?
(踊る準備はできたかな?)
Armarna upp, nu ska ni få se
(腕上げてどうするか見てごらん)
Kom igen
(ほらね)
Vem som helst kan vara med (vara med)
(だれでもできるよ)
Så rör på era fötter, oh-ah-ah-ah
(足の動きはそう)
Och vicka era höfter, oh-la-la-la
(腰も同時にほら)
Gör som vi
(一緒に)
Till denna melodi
(メロディーあわせて)
Dansa medoss, klappa era händer
(踊ろうよ 手をたたいて)
Gör som vi gör, ta några steg åt vänster
(する通り踊ればいいんだ)
Lyssna och lär, missa inte chansen
(聞いてみて チャンス掴んで)
Nu är vi här medCaramelldansen
(みんなで踊ろう キャラメルダンセン)
Oh, oh, oh-ah, oh-ah
Oh, oh, oh-ah, oh-ah, ah
Oh, oh, oh-ah, oh-ah
Oh, oh, oh-ah, oh-ah, ah
Musixmatch - The world's largest lyrics catalog
Caramelldansen / Caramell [意訳&歌唱用日本語歌詞] | 謎歌詞.com
こちらも日本語訳はある程度の意訳とはなっていますが、曲調通り元気で楽しい歌詞ですね!スウェーデン語は英語で使用される26のアルファベットのほかに、å/ä/öという英語にはないアルファベットが使用されているのが特徴です。こういう見慣れない文字が使われていると、「おお~知らない言語だァ...!」と楽しくなりますよね。
以上!
さてさて、今回は様々な言語が使用されているアニソン・サブカルソングを歌詞とともに聴きました。探してみると、多国語で歌われているアニメソングって意外とあるもんですね。ここに挙げた歌はあくまで一部に過ぎませんので、他に他国語で歌われているアニソン等がありましたら、是非教えてくださいね!
ではまた!
どうも、トイドラです。
世の中にはいろんな3要素がありますよね。
たとえば、色の3原色。
これら3つの色を混ぜれば、全ての色を作れます。
あるいは、3大栄養素。
僕らの体を動かすエネルギーとなり、体を動かしてくれます。
あるいは、3種の神器。
日本の歴史を見守りつつ、代々受け継がれてきました。
さて、そんな大事な3要素ですが、実は音楽にもあります。
いわゆる、音楽の3要素です。
「リズム・メロディ・ハーモニー」の3要素があれば、どんな音楽も思いのまま。
まさに音楽の源であり、過不足なく音楽の特徴を表すことができるというわけですね!
…………………。
ほんとか???
というわけで、この"音楽の3要素"というものは、音楽を表すうえで全く説得力がありません。
確かに、多くの音楽がこの3要素を持っているのは事実です。
しかし、この3要素では表しきれない部分もたくさんあるし、逆にこれら3要素のうちどれかが欠けていても音楽は平気で成立します。
そればかりか、音楽の3要素はそもそもMECEですらありません。
上の図では、あたかも「リズム・メロディ・ハーモニー」という3つが独立して存在しているかのように(色の3原色のように)描かれていますが、実際の音楽はこんな風にキッパリと要素を分けることができないのです。
どういうことなのか、見ていきましょう。
まずいちばんのツッコミどころとして、音楽の要素に音色が含まれていないのはかなりの違和感じゃないでしょうか……?
当然ですが、楽器が変われば音楽の雰囲気は大きく変わります。
そればかりか、最近は音色(音ネタ)が主役として聞かれるような音楽も珍しくはありません。
また、「リズム」は要素として数えられている一方「グルーヴ」が入っていないのも個人的には気になります。
グルーヴとは、つまり
「思わず身体がノッてしまうような感じ」
のことで、打楽器的なトランジェント(音色)やスウィングしたビート(リズム)によって感じることができます*1。
思わず身体がノッてしまうような効果をもたらす、音楽の大事な要素ではないでしょうか。
例えば、グルーヴ感の弱い曲はこれで、
グルーヴ感が強い曲はこれです。
他にも、音楽における形式というものも重要ではないでしょうか。
どんな音楽でも、多かれ少なかれ秩序だった形式を持っていて、特によく使われる形式には名前もついています。
まったく形式を持っていない音楽というのはまれです。
例えば、2部形式の曲はこんな感じ。
ソナタ形式の曲はこんな感じ。
ここに上げた要素は一例ですが、他にも挙げればいくらでもありそうです。
また、音楽の3要素が含まれていない音楽というものも挙げることができます。
例えば、日本の伝統音楽である雅楽にはリズムの概念がなく、「メロディ・ハーモニー」だけでできていると考えられます*2。
また、テクノやハウスなどのダンス・ミュージックにはメロディがないことも珍しくありません。
「リズム・ハーモニー」だけということです。
ヒップホップなどのラップをメロディと考えるべきかどうかも、意見が分かれそうです。
また、ハーモニーがない音楽もフツーに存在します。
太古の昔、クラシック音楽の原型になったグレゴリオ聖歌にはハーモニーはなく、「メロディ・リズム」だけでした。
また同様に、「リズム」だけの曲もあれば、
「メロディ」だけの曲もあるし、
「ハーモニー」だけの曲もあります。
なんなら、全部ない音楽もあります。
ここまでくると
「もはや音楽なのか???」
というツッコミも来そうですが、少なくとも3要素のうちどれか(あるいは全部)かけても問題なく音楽として成立してしまうわけです。
音楽の3要素とは一体……?
さらに言えば、そもそも「メロディ」と「ハーモニー」というのは分けられるものなのでしょうか?
音楽の歴史をたどると、そもそも太古の昔には「ハーモニー」という概念はなく、「メロディ」しかありませんでした。
そこへ、
「複数のメロディが同時に鳴ると、なんか面白いぞ!?」
という発想が生まれたことで、メロディとは独立したものとして「ハーモニー」という概念が分化します。
例えば、この曲の中では複数のメロディが同時に鳴っています。
これは、複数の「メロディ」なのか、1つの「ハーモニー」なのか、一体どっちなのでしょうか???
これを区別できないとすると、もはや音楽の3要素ではなく2.5要素(?)です。
同じように、さっき話した「グルーヴ」についても、トランジェントなど音色の要素とスイング・ビートなどリズムの要素が両方関わってきます。
「音色」についても、実は音色と和音は本質的に同じもの*3なので、ハーモニーと何が違うのか、という話になりますが、やっぱり感覚的には分けないと気持ちが悪くて仕方ありません。
というわけで、音楽の要素って結局なんやねん!というのが今回のオチです。
残念なことに、この議論に明快な答えはありません。
音楽は、「空気の振動」という単なる物理現象に対して、人間が感覚的に色々なイメージを感じることで成立します。
そもそもが感覚的な概念なので、色の3原色みたいな感じで明快・MECEに要素を分けることはできないのです。
多少ツッコミどころがあっても、寛大に受け止めてあげる必要があるんでしょうね。
にしても「音色」は含めた方が良いと思うけどな……
2025年も関東在住、Southernです。
都心部在住の方とは切っても切れないものはいくつかあると思います。
その中でも通勤・通学・その他さまざま、鉄道には助けられている人が多いことでしょう。
え?遅延ばっかりで腹立つ?それはごもっとも。
そんな鉄道の世界にも音楽はいろいろあるもので、電車が近づくと鳴る接近メロディ、車内で駅出発・到着前後に流れる車内メロディなど、意識して聞いていれば意外と隠れています。
その中でも今回は電車が動き出す直前に流れる発車メロディについて、思うことを書き連ねていきます。
そもそも鉄道の発車メロディは歴史が長いようです。
1951年(昭和26年)には旧国鉄の豊肥本線豊後竹田駅でレコードを使用し、列車の発車時に「荒城の月」を流していたという記録が残っており、これは発車メロディの嚆矢と言える。
――Wikipediaより引用
発車ベルも風情を感じられて良いものはありますが、やはり何かしら音楽が流れている方が耳が心地いいところがありますね。
いずれにせよこの記録から70年以上経った今、少なくとも関東のJR管内ほぼすべての駅で多種多様なメロディが流れるようになりました。電車での旅行が好きな私のような人間にとっては、移り行く景色とともに流れる音がなんともたまらない瞬間があります。
ご当地系で私の印象に残っているのは、大井町駅の「四季(「春」第一楽章/「秋」第三楽章)」、三鷹駅の「めだかの学校」、仙台駅の「青葉城恋唄*1」あたりでしょうか。
てな感じで普段使わない路線に乗ったりするとテンションが高まったりするのですが、つい最近南武線に乗ったときはそんな気分にはなりませんでした。
鉄道大好きな方ならご存じの通り、2025年3月のダイヤ改正で南武線はワンマン運転を開始。
その流れで発車メロディが電車本体から流れる2種類のみになってしまっていたのです。
割を食ったのはこの区間にあったご当地メロディでしょう。
例を挙げると、登戸駅の「ドラえもんのうた」、武蔵溝ノ口駅の「Jupiter」などがありました。
これら個性の強かったメロディはすべて淘汰されてしまったということになります。
これについては、端的に言って無個性極まれりではないかと思うのです。
あらゆるものに対するコストがここ数年で跳ね上がっているのは、皆さまも意識されているはずです。そして、そのコストを何とか抑えながら、より困難になった需要の見極めに奔走している企業は数知れないことでしょう。いつもありがとうございます。
もちろん各鉄道会社も例外ではないはずで、しかも昨今の人員不足にも対応しながらの運用がきわめて難しいことは容易に想像がつきます。
頭ではそれをわかっているつもりなのですが……しかし私自身文化人の端くれであり、「効率化による個性の排除」により、文化的に健全な状態ではなくなっているのではないかという疑問がよぎらずにはいられないのです。
例えるなら、カードゲーム大会に来たら全員が同じデッキで同じ戦い方をしているかのように感じてしまいます。もっと言うなら、私自身が経験した学校教育をも想起させます。
この事例に限った話ではなく、今日では「文化」が軽視されがちだと私は思っています。
「博物館資料の廃棄も検討」と発言したどこかの偉い人や、歴史ある神宮球場・秩父宮ラグビー場の建て替えに関する話題、鉄道に絡めるなら旧原宿駅舎は今後どうなるのか? など……失うには惜しく、しかしいま維持するには難しい文化が、日本には数多く残っています。
それでも、資料の保管場所や予算、建築基準など、現実的にどうしようもない部分があるのもまた事実でしょう。きっとこういった事業にかかわる誰もが、「文化」を手放すことと、「現実」との落としどころに頭を悩ませているに違いありません。
とにもかくにも、私にとってはまだまだ不勉強なことも多いです。「失われそうな音楽の文化、他にもあるのでは?」と思っている今のうちにいろいろ調査し、どこかで報告できたら良いなと思ったりしたいものです。
発車メロディの統一は、当記事の執筆中も着々と進んでいます。
いま私が良く使う経路もそれ以外の路線も、いずれはメロディがすべて元に戻ってくれるよう、陰ながら祈るしかありませんね。
△個人的に気に入っている発車メロディ。突然短調になるのが好きです
近く私は、また仙台へ行きます。
帰路に就くときに青葉城恋唄を聴き、少なくなった風情を感じられたら良いなぁと思います。
……と、ここまで書いて締めようと思っていたのですが。
更新直前でもうひとつ、最近起こっているメロディ変更の傾向に気が付きました。
最近の曲なんか変拍子多くねぇ????????
次回の執筆に続く………
*1:原曲は全く知らないのですが趣味でちょくちょく仙台に行くことがあり、帰りの新幹線に乗るとき流れるところが良いんですよね。また来たくなる衝動に駆られます。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。