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先日、AI技術をテーマにしたオンライン講演のイベント「POST Dev 2025」が開催され、その目玉の一つとして、アラン・ケイ氏による登壇がありました。この記事では、アラン・ケイ氏の講演後に私から問いかけた質問と、その後に氏から返ってきた回答を紹介しつつ、その内容を考えます。

私(usagimaru)からの質問は以下の通りでした。なお、質問投稿は当時の運営案内に従って、Xにてハッシュタグ「#postdev」を付加する形にて行いました。時間の都合でその場で直接氏に問いかけること/回答を得ることが叶わなかったため、イベントの運営者にQ&Aを仲介していただいた上で、日を置いて回答をテキストで得る形となりました。

(当時急いで文章を作って投稿したので、一部表現に違和感があることはご容赦ください。)

Q.
usagimaru:
現在人気なAIツールは、対話方法にチャット型のUIを採用しています。私はこの方法では「モードレス」とは逆のユーザー体験に寄っていくのではないかと考えています。ケイ氏はセッションの中で、GUIにおける「Undo」の重要性や、ユーザーが自らメディアを拡張できることの意義を説いておられました。これらのことは、AIを含む新しいコンピューティングにおいても変わらず重要なトピックであり続けるのでしょうか?

https://x.com/usagimaruma/status/1972587649614627003
https://x.com/usagimaruma/status/1972587652194148826

質問です#postdev

現在人気なAIツールは、対話方法にチャット型のUIを採用しています。私はこの方法では「モードレス」とは逆のユーザー体験に寄っていくのではないかと考えています。ケイ氏はセッションの中で、GUIにおける「Undo」の重要性や、 (続く)

— usagimaru ⌘ (@usagimaruma)September 29, 2025

ユーザーが自らメディアを拡張できることの意義を説いておられました。これらのことは、AIを含む新しいコンピューティングにおいても変わらず重要なトピックであり続けるのでしょうか?

— usagimaru ⌘ (@usagimaruma)September 29, 2025

私のこの質問に対して、ケイ氏からは以下の回答がありました。このメッセージは質問者に直接届けられたわけではなかったため、イベント運営者のニジボックスさんが公開されているWebページから引用する形で、本記事に掲載いたします。なお、ここで併記している日本語訳はニジボックスさんが掲載しているもののコピペではなく、私が原文を元に意訳した独自のものになります。

A.
Alan Kay:
The first thing to understand about today’s “AI”s is that they are not at all intelligent (and just trying to get there by scaling is almost certainly doomed to failure). In most things, “More is better — until it is much worse”. People have to get sophisticated about their tools.

The big questions to ask are “How much help is too much help?” and “What is actually needed” (for people, for systems, etc.) For example, from a systems designer’s perspective, the stability, and recoverability, and risk, etc., of systems are much more important than what the system was made for. Programmer’s are mostly interested in simple goals for a system, and miss what’s more important.

https://blog.nijibox.jp/article/alankay_questions/

アラン・ケイ氏による回答:
今日の「AI」についてまず理解すべきことは、それらはまったく知的ではないということです(そして、単なるスケールアップではほぼ確実に失敗に終わるでしょう)。ほとんどの事柄において「多い方が良い―ただし、いずれは悪くなる」ということが言えます。人々は、自ら使う道具について洗練された知識を身につけなければなりません。

考えるべきは、人間やシステムにとって、「過剰な支援となっていないか?」「真に必要なものは何か?」という問いかけだと言えます。例えばシステム設計者の視点では、システムの安定性・回復可能性・リスク管理などの観点の方が、その本来の目的よりもはるかに重要となります。プログラマーの多くは、システムの単純な目標ばかりに注目し、本来の目的を見落としがちです。

日本語訳した、アラン・ケイ氏による回答(DeepLを使用し、筆者が意訳・調整)

・・・

私はこの回答を、以下のように読み解きました。

・人間は知的な活動をする。そのためにコンピューターを含む道具に頼ってきた
・しかし、今日のAI技術はまったく知的ではない
・世の中では過剰なものは良いとされがちだが、いずれ悪く作用するようにもなる
・道具が人間の知的な活動を取り払うべきではないが、現在のAI技術にはその傾向が見られる
・デザイナーは道具が持つ真の目的を忘れてはならない

私が質問したチャット型UIのモードレス性についての直接言及はなかったのですが、文中にある「知的(intelligent)」というところに着目すると、人間にとっての知的で生産的な活動とは、試行錯誤、試して取り消してを繰り返したりしてアイディアを膨らませ、新たな価値を生み出せる環境、モードレスに振る舞える環境で起きることだとも考えられるから、道具がモーダルに振る舞うこと(道具側がユーザーの思考を縛り、一方的に何かを過剰支援しようとする類のもの)は、AIであれ何であれ、それは知的とは言えないのであると、そう述べられたのかもしれないなと私は解釈しました。

あとそもそも今のAIは単純に賢くはないと。AIが「Artificial Intelligence」の略であるから、「まったく知的ではない(not at all intelligent)」という指摘は、かなり皮肉めいた表現であるなと思いました。同時に今のAI技術を取り巻く環境を暗に批判されているような、そのようにも感じられました。

システム設計者やプログラマーが中心となって開発されたシステムにおいては、デザインの視点がシステムの都合に偏るため、道具が持つ真の目的が失われやすくなるとあります。これは、ケイ氏が実際に見てきたコンピューターとGUIの発展の歴史を踏まえての教訓なのだと思います。

講演内で触れられていたアイヴァン・サザランドのSketchpadは、すべてがオブジェクトとして表現され、扱うテキストでさえ、Flashでいうところの「シンボル」のように表現されていました。基本的なアイディアを発展させていけば、必要なものを自ら生み出していけるメタメディア的なシステムでした。例として、描いた線のパラメーターを応用した物理演算の表現が示されていました。Sketchpadは、紙とペンを模倣した単なるお絵描きシステムを超えた、人間が知的な創造をするための道具の姿を示唆していました。

Sketchpad – https://en.wikipedia.org/wiki/Sketchpad

「今、AI技術を使った道具に必要なのは、人間の知的な活動を後方から支援する振る舞い方と、そのためのビジョンをしっかりと示すことができるインターフェイスデザイナーである。テクノロジー主体で何かの変革を起こそうとしても、それがユーザーにとって過剰な支援になるようでは、システムをスケールアップしていった先には失敗が待っている。」

そのような警告を含むアドバイスなのだと私は捉えました。

人間の思考プロセスをそのまま置き換えるような支援の方法では、最終的には非知的な人間を多く生み出し、社会にとって危険である。そのような考えが念頭にあるように思います。私は改めて、AI技術も知的生産の道具(人間の知的な活動のために、それを支援するもの)としてデザインに取り込み、それ自体を目的とすることは踏みとどまらなければならないと考えました。

とすると、私の質問「人間が道具をモードレスに使いこなせることは、AIを含む新しいコンピューティングにおいても変わらず重要なトピックであるか?」は、ケイ氏としては「Yes」ということなのだと私は解釈しました。


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