20代からコツコツ貯めていた500円玉貯金が100万円になった。
いや、正確には4年前には100万円に"なって"いた。
4年前、500円玉貯金が100万円に達した瞬間、あんなに熱心におつりが500円玉になるように計算し支払いをしていた癖が、するすると自分の中から抜けていった。
更に、ここ数年はキャッシュレス化が進み、めっきり現金を使う機会が少なくなっており、辞めるには丁度良いタイミングだった。
100万円分の500円玉は枚数にすると2000枚。重量だと15キロ弱。
ジャンボよっちゃんいかのケースにパンパンに入れてもまだ80万円くらいで、コストコのミックスナッツのケースに残り20万円分を入れていた。
よく見かける100万円貯まる貯金箱という商品は思いっきり嘘。あのサイズだと多分20万。よくて30万円ぐらいしか貯まらないと思う。
引っ越しの時、これをそのまま業者の人に渡していいのか、ダンボールの中に入れたら異様に重くて迷惑なんじゃないかなど色々なことが心配になり、リュックに入れて電車で新居に運んだ。リュックの肩紐がぶち切れるかと思った。
4年間増えることも減ることもなく部屋の片隅に鎮座している500円玉を、私はいつからか邪魔だと思うようになっていた。
今後この500円玉を使用することもないだろうし、火事の時に抱えて逃げることも出来ない。常に家に100万円がゴトッと置いてあるのはどこか心配な気持ちもある。
今まで銀行が開いている時間に起きているのは稀な自堕落な生活をしていた私が、子どもの保育園送り迎えという新習慣のおかげで日中起きているようになった。
というわけで今まで後回しにしていたのだがついに重い腰を上げ、この500円玉貯金を自分の口座に入れることにした。
銀行に2000枚の500円玉を一気に持って行くと、手数料はいくらかかるのだろう。調べてみると2700円かかるらしい。
たった2700円…。でも2700円かぁ…という気持ちになった。
大した金額ではないかもしれないが、数年間にわたり雨の日も風の日もコツコツ貯金して来て、結果が「マイナス2700円」というのがなんだか引っかかる。
誰かから「よく頑張ったね!すごいよ!」と褒められてもいいぐらいの事を成し遂げたのに、事務的に「はい、手数料2700円いただきます。」と言われるだけなのは悲しすぎる。
銀行の手数料ページとにらめっこしていると、とある一文が目に入る。
"100枚まで無料"
これだ。
これからコツコツと20回に分けてATMに入れに行けばいい。
私はさっそくジャンボよっちゃんいかのケースの中から500円玉を掴み取り、10枚の山を10個作った。
それをかき集め、小さい小袋にまとめてリュックの中に入れる。
子どものお迎え時間より少し早く家を出て、駅前のATMで入金すればいい。それをたったの20回やればいいだけだ。えっ20回…?20回もこんな事するの…?よく考えたら急にめんどくさくなった。
しかし、小袋を作った手前、とりあえず今日は行ってみることにした。
駅前の出張営業所はATMが2台ある。よく人が並んでいるのだが今日は誰もいない。ラッキー。ピンプク。
私は500円玉を100枚入金することにした。
小袋を空けて5枚ずつ機械に投入していく。
私がガチャガチャと小銭を入れていると、おばちゃんがやって来て隣のATMを操作し始めた。
全ての500円を入れ終わり、画面にある「入金」みたいな感じのボタンを押す。
なんだ、簡単じゃないか。これをあと19回やればいい。19回…19回か……
めんどくせぇな…。
ギーーー…ジャラジャラジャラ…
ATMが今まで聞いた事のない音を立てて小銭の枚数を数えている。
入口のドアが開き、若いお兄ちゃんが入って来た。
(はいはい、すみません。今終わりますからね)とお兄ちゃんに対して思いながら、排出されるキャッシュカードを素早くしまえるように財布を開いて待つ。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
あれ……
ずいぶん時間がかかるんだな…
ふと横目で後ろを見ると、若いお兄ちゃんの後ろにもう二人並んでいた。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
あまりに長い……
やばい…手が汗でじんわり湿ってくるのがわかる。
「こいつ何してんだよ」という視線が背中に突き刺さる。助けて。今すぐここから逃げ出したい。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーギーー……ジャラジャラジャラ…
また入口のドアが開き、誰かが入って来た気がする。行列が更に伸びているのだと思うと、もう怖くて振り返れなかった。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
隣のおばちゃんの方をチラリと見る。
せめて隣のおばちゃんがここを退いてくれれば、背後に並ぶ人達のヘイトを少し和らげることが出来る。頼む…!おばちゃん!私の為に退いてくれ!
心の叫びむなしく、隣のおばちゃんは画面を睨みつけ振り込みのような作業を繰り返しており、退く気が一切ない。
強い…どんなハートしてるんだ。
でも、後ろの人達からしたら、私もどんなハートしてるんだおばちゃんなんだ。
退く気が一切ない隣のおばちゃんと、退くことが出来ない私。
事情は違えど、後ろに並んでる人からしたら同じだ。同じ穴のムジナ。同じATMのおばちゃんだ。
ATMからの異音が消え、「入金が完了しました」という文字が画面に表示され、キャッシュカードが排出された。
ホッッッッッ!
心の奥底から息が漏れた。
後ろに並んでいる人全員にバラティエを離れるサンジぐらい土下座したかったが、今はとにかく素早くこの場を離れるのが誠意。
キャッシュカードを財布にしまい、その場を離れようとする
しかし…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ATMから異音が再び聞こえ出し、画面には「しばらくお待ちください」の文字。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
入金作業は終了したが、ATMはまだ内部で小銭の処理を続けていたのだ…。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
一度引いた冷や汗がまたドッとあふれ出す。
私は今すぐこの場を離れて逃げることが出来る。
しかしそれは、後ろのお兄ちゃんにこの「しばらくお待ちください」のATMを押し付けるだけだ。
そんなことしていいのか…?それって人としてどうなんだ…?混乱してきた。
後ろで列に並んでいる人には「しばらくお待ちください」の画面が見えないので、きっと「こいつあれだけ時間かけておいてまだ居座る気なのか?」と思っているだろう。
私がいなくなった所で後ろのお兄ちゃんがこのATMの前で待たなければならない。そうなると後ろの人達のイラ立ちの対象が私からお兄ちゃんに移るだけじゃないか?
この憎しみの連鎖は始めた私が全て背負わなければならない。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
結論、私は一歩も動くことが出来なかった。
なんでこんなことになってしまったんだ…。
こんなことなら大人しく銀行に行けば良かった…。
そもそも500円玉貯金なんてしなければ良かった…。
どうしてこんなことになってしまったんだ…。
ギーー……ジャラジャラジャラ…
ギーー……ジャラジャラジャラ…
今にも泣きだしそうになっていると突然画面が切り替わり、「お預入れ」「お引き出し」の文字が表示された。
終わった…。
私は今度こそ足早にATMから離れた。
申し訳なさそうな顔をして、ペコペコ会釈しながら外に出た。
後ろに並んでいた人達のことは顔も、人数も怖くて見ることが出来なかった。
ただ、隣のおばちゃんがまだ難しい顔をしながらATMを操作しているのだけは見えた。
銀行を出てから「あのおばちゃん、どれだけ強い心の持ち主なんだ…」と思いかけて、ハッとした。
あのおばちゃんも、もしかしたら私と同じ、あの場から離れたくても離れられない事情があるのかもしれない。ATMの画面にずっと「しばらくお待ちください」と表示されていて、後ろのお兄ちゃんに迷惑をかけたくない一心であそこに鎮座していたのかもしれない。
同じATMのおばちゃん、つまりは仲間かもしれないのに、おばちゃんのことを疑ってしまった自分が恥ずかしくなった。
私はもう二度と500円玉をATMに入れたりしないけど、私みたいな事情があるおばちゃんがいるという事をみんなの頭の片隅に入れておいて欲しいです。