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飯田一史さんの「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」という記事を拝読しました。飯田さんの、出版業界の現状について統計データを用いて検証しようとする姿勢に、あらためて敬意を表したいです。

なのですが、拙著を「間違ってる」と言い切るにしては、データの定義のズレや、ダブルスタンダードと指摘せざるを得ない箇所が多々ありました。

あくまで建設的な議論のために、そしてなによりも『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読者の皆様に向けて、ここに事実関係とデータの解釈についての反論を記します。


前提   『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は何を主張した本か

まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。

全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。

拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。

1.「高校生で読書離れは起こっており、働き始めてから減るわけではない」への反論

飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。

まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。

読書習慣のある層の平均冊数は長年3-4冊で推移している
参考|毎日新聞社「読書世論調査」

この「標準的な読書家(月3-4冊層)」という定義に基づき、飯田さんも引用された文化庁「国語に関する世論調査(令和5年度)」の年代別データを改めて分析してみます。
飯田さんは全体を平均して「変化がない」と仰いますが、「3,4冊」の項目(グラフ中央)に着目すると、全く異なる景色が見えてきます。

読書習慣のある層に対しては、労働環境の影響が見て取れる
参考|文化庁「国語に関する世論調査(令和5年度)」

ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。

学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

2.「読書時間の低下の主要因は書籍離れではなく雑誌離れである」への反論

飯田さんは「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」とし、その理由を「積読などの読書習慣の違い」に求めています。その上で、拙著が雑誌と書籍を混同していると批判されています。

しかし、市場構造の特性を見れば、その批判が当たらないことは明白です。

書籍の販売額と月の平均読書冊数(書籍)には十分な相関が無い(左)が、
雑誌・電子出版の販売額と月の平均読書数(雑誌)には十分な相関がある(右)
参考|出版科学研究所総務省統計局、毎日新聞社「読書世論調査」
*非常に細かい点ですが、従来の「雑誌」区分には紙のコミックスが含まれ、一方の「電子出版」も9割以上がコミックで構成されています。 そのため、飯田さんの分析と異なり、中身の実態に合わせて両者を統合したセグメントで分析を行いました。

一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。対して、雑誌は情報の鮮度が命であり、新刊市場での消費が主となります。 実際に相関係数を算出してみても、書籍の販売金額と読書冊数の相関は著しく低く、「積読などの読書習慣の違い」で説明のつくものではないのです。書籍の場合、新刊の市場規模が必ずしも読書量を反映しないことは明白であり、ここを混同して因果関係を論じるべきではありません。

また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

3.「労働者の労働時間は減ったが、自己研鑽の時間も減った」への反論

引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。

4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。

これには二つの反論があります。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。

ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。

まとめ

飯田さんも私も、「本が読まれる社会であってほしい」「出版文化に貢献したい」という志は同じであると信じています。

だからこそ、データを扱う際には、自説に有利な数字の切り取りを行うのではなく、データの背景にある定義や構造的な違いまで踏み込んだ、誠実な解釈が求められるのではないでしょうか。

そもそも私は会社員時代はこういったデータ分析が本業だったので気をつけていることですが、誰でも簡単にAIでデータにアクセスできる時代だからこそ、私たち書き手には、数字の向こう側にある人間の実感と真摯に向き合う姿勢が必要ではないか。そう思っています。

本稿が、単なる反論に終わらず、現代の労働と読書のあり方をより深く考えるきっかけになればと思います。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだことのない方はぜひ読んでみてほしいです。

そして最後に、データの読み解き方を学ぶための名著として、こちらの一冊を推薦させていただきます。


※2025年12月14日追記
本稿の目的は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の統計的裏付けをとることではなく、タイトル通り「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか、です。そのため、私は文中で述べたように「あえて飯田さんと同じデータソース・分析手法」を用いることで、その論理の不十分さを主張しています。使用しているデータセットや定義そのものへの疑義は本稿での検証では行っていません。

また、「2. 出版市場は縮小しているが、その背景は読書離れではなく、雑誌が市場縮小の要因である」への反論においてのみ、新規に作成した散布図を使用しています。 飯田さんは「雑誌は読書冊数と販売金額がパラレルに減少している」ことを「読書冊数と販売金額が相関している」根拠としていましたが(参照)、元のグラフは軸の起点が0でないなど、2つの系列を比較するには不適切なものでした。 そのまま引用して論じることは適切ではないと判断したため、全く同じデータソースを用い、適切に可視化できるようグラフを作り直しています。そのため、統計的な厳密性や詳細な因果関係の特定はここでの論点ではありません。あくまで「元記事の可視化手法によるミスリード」を正すことが目的です。


飯田一史@cattower (2025年12月4日) より引用


【補足:引用ページ番号の訂正(引用順)】
飯田さんの記事内で言及されている拙著のページ番号に誤りがありましたので、読者のみなさんのために訂正しておきます。(おそらく電子書籍版のリフローNo.等を参照されたのかと推察します)

「雑誌や自己啓発書を中心として……」(誤:38ページ → 正:50ページ)

「2009年(平成21年)にはすべての年代で……」(誤:151ページ → 正:194ページ)

「読書離れと自己啓発書の伸びは……」(誤:138ページ → 正:177ページ)

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三宅香帆いつもありがとうございます。たくさん本を読んでたくさんいい文章をお届けできるよう精進します!
文芸評論家。著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』他13冊発売中。1994年高知出身、京都在住。

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