Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


見出し画像

☆mediopos3803(2025.4.18.)

「ディスタンス・メディア」で掲載されている
科学史家・隠岐さや香への
「文理融合の現実と理想」に関するインタビューの3回目と4回目
聴き手は編集部の田井中(T)/賀内(K)の両氏
(1回目・2回目はmediopos3707(2025.1.12.)でとりあげている)

1回目・2回目では
文系と理系という二つのカテゴリーが
いつどのようにして生まれたのか
そしてそれが今後どのような方向を持ち得るのかについて

西欧における近代諸学問の成立や
日本の近代化の過程にまで遡った議論の流れのなかで
現状はどうなのかまたその実態をふまえながら
めざすべき方向をどうとらえるのかが語られているが

それが可視化されていることは少なくとも健全なことであり
「分断の可視化はチャンスでもある」としている

それに続き3回目では
隠岐氏は本当は理系に行きたいと思っていたにもかかわらず
文系を選んだ理由と
その経験が文理の研究へとつながったこと

4回目では
なぜ人は「分けたがる」のか
「学問の自由」とアジアの文系不要論
そして文理融合の鍵となるものについて語られている

まず3回目について

日本ではOECD諸国と比較しても
女性の理系卒業生が最低レベルで少ないのが現状であり
男女の格差は縮まる方向に向かってはいるが
「理系に進学する女子が少ない」状況が続いている

分野適性と性差との関係は明確ではないが
むしろ「環境や文化によるところが大きい」と思われる

隠岐氏は「本当は理系に行きたいと思っていた」が
「物理や数学では、テストの時にパニックに」なるため
「教師の勧めもあって、文系に」進むが

「もっと数学やほかの理系の教科も学びたかったのに、
「学ぶ機会を奪われた」というのが正直な気持ち」で
そうした自身の経験から
「文系と理系の真ん中をやりたい」と
科学史の道に進むことになる

続いて4回目について

男女で文系と理系が分かれる感覚は
日本だけではなくヨーロッパにおいても続いてきているが

分けたり融合させたりすることには
「国の方針」が大きく影響していて
「2020年に起きた、内閣総理大臣による
日本学術会議会員候補の任命拒否問題というのは、
文理問題を象徴する一つの出来事」だったという

このとき隠岐氏は半ば諦めの気持ちで
Twitter(現X)で
「理由を示さずに政治判断で
アカデミーへの学者の任命を拒否って、
ブルボン王朝じゃないんだから」とつぶやいたところ
意外なことに大きな反響があり

隠岐氏より年長世代の研究者も
「学問の自由が危ない」という発信を始め
反対運動の気運が高まっていくことになる

「学問の自由」というときには
学問をする「個人の自由」と
「組織の自治」という二つの構成要素があるが

「今回の事件は、組織の自治を脅かす重大な行いであり、
「もう日本の民主主義は終わったな」と思った」ものの
実際には終わることはなく
「国の姿勢にダメ出しをする人たちがたくさん」いて
「任命拒否の理由開示を求めて、国に対して裁判を起こして」いる

任命拒否をされた学者はすべて人文社会学系であり
それを「文系不要論」とつなげて捉える人もいるように

「日本も含む東アジアでは、学問、
とくに科学を経済や軍事、国威発揚に結びつけようとする
「科学ナショナリズム」の発想が強」く
「そうした傾向は「役に立たない」分野を
槍玉にあげる言論ともつながって」いることのひとつの現れが
「文系叩き」であって
いまやそのこと自体が研究の対象にさえなっていたりする

一方でビジネスの現場においては
「「技術には哲学が必要だ」と説く経営者」もいるように
「理系偏重から、いまふたたび哲学や教養を求める声が高ま」り

「「普遍」ばかり追いかけるのではなく、
個別的で一般化されづらいけど
大事な対象を扱うことが注目されてきてもいる」

しかしそれは「諸刃の剣」で
「細かく把握できる、
個別性が把握できるということは、
把握して制御することにもつなが」るように
「個別的な知というものは、政治利用される可能性がある」

「個別性の研究こそ、
文理融合がうまくいくための一つの条件」ではあるが
「だからこそ、こういう研究のある種の独立性、
外部からあまり干渉を受けすぎないようにする環境が
とても大切」であるのだという

以上1回目・2回目から3ヶ月ほど空いたが
「文理融合の現実と理想」に関する
科学史家・隠岐さや香へのインタビュー(全4回)について
その概要をまとめてみた

個人的にいえば
文理を分けてしまうことには違和感があるが
「分断の可視化はチャンスでもある」というように
文理の分断と融合をめぐる視点を通じて
さまざまに見えてくるものがある

「論理国語」と「文学国語」のように
いわば「国語」が教育上において
「分断」されたてしまっているということも
それそのものは愚かな制度ではあるものの
それは「事件」とでもいえることを通じ
「言葉」そのものへの気づきを深めるチャンスとして
とらえることもできるだろう

■科学史家・隠岐さや香教授が語る文理融合の現実と理想:
 ○文系vs.理系の本当のはなし #3(F5-5-3)
  「なんで理系に進まなかったんだろう」
 ○文系vs.理系の本当のはなし #4(F5-5-4)
  「文系不要論」はなぜ唱えられたのか
 ディスタンス・メディア(文理のエコロジー 04 Apr./11 Apr. 2025)
  (聞き手:田井中麻都佳・賀内麻由子(DISTANCE.media編集部)
  構成:田井中麻都佳/写真:高橋宗正)
■隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書 2018/8)

***
****

**(文系vs.理系の本当のはなし #3)

○Contents
・東大の理系学生の9割近くが男性という現実
・「本当は理系に行きたいと思っていた」:隠岐先生が文系を選んだ理由
・自身の経験が、文理の研究へとつながった

・東大の理系学生の9割近くが男性という現実

「T/
 隠岐先生は、『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書、2018)のなかで、「ジェンダーと文系・理系」についても一章分割かれていました。そのなかで、日本では、OECD諸国と比較しても、女性の理系卒業生が最低レベルに少ないと指摘されています。東大も8割が男性だそうですね。とくに工学部は12%、理学部は13%(東京大学の概要 資料編 2023)と、その傾向は理系でとくに強いということですが、まさにこれも、日本の文理問題を象徴する現象と言えそうです。

 隠岐/
 これは文理とジェンダーについてお詳しい横山広美先生(東京大学教授)の受け売りなのですが、一つには、職業のイメージがジェンダー化されていることが進学のビジョンを狭めてしまう、ということはあると思います。理工系の仕事をイメージしたときに、男性しか思い浮かばないとなると、親御さんも本人も、入学したところで本当にやっていけるだろうか? と心配してしまいますよね。

 もちろん人によりますが、周りが男子ばかりの学部に行くくらいなら、文転してしまおうという人もいます。女子大の理工系なら行ってもいいけれど、共学で男性が9割以上などというところでは、とてもやっていけない、と感じる人もいる。「なんて軟弱な!」と思う人がいるのかもしれませんが、当人からしたら切実な問題です。「危険な目に遭うかもしれない」「友だちができないかもしれない」といったことは、とくに若い人にとっては重大なことです。

 実際に、ある調査結果では、共学に不安を感じて女子大を選んだという人が一定数いることもわかっている。進学できる学力があっても、女性の場合、「東京は心配だから、地元に残りなさい」などと周りから言われるケースも少なくありません。理系に進学する女性を増やすには、やはりこうした状況を変えていなければならないと思うんですね。

 T/
 それは容易に想像がつきますね……。

 隠岐/
 実際には他のOECD諸国がそうであるように、日本においても近年、進学における男女の格差は縮まる方向に向かっています。ただ、理工系でその変化は非常に緩やか、つまり理系に進学する女子が少ないままの状況が続いています。

 本にも書きましたが、私も以前に授業でこの話を扱ったことがあるのですが、授業後のアンケートで、まったく正反対の二つの意見が見られたのが印象的でした。「それが日本の文化なのだから無理に変えなくてもいい」「男女で適性が違うというだけのことではないか」という意見があるのに対して、「私は文学に興味があったが、親に就職を考えれば法か経済に行けと言われた」という男子学生や、「理系に進んだが、女の子なのに変わっていると言われた」という女子学生の意見も見られました。実際に、そうやって希望する進路を変えるように勧められたり、例外的な存在扱い、あるいは差別をされたりするケースが少なくないわけですね。

 なお、分野適性と性差の議論は、現時点では決着はついていません。むしろ、環境や文化によるところが大きいのではないかと思います。少なくも日本では、「男性だから」「女性だから」という思い込みに従って、本人の適性や希望を無視した進路が推奨されているケースが多いと推測できる。それはやはり、とても不幸なことと言わざるをえません。」

・「本当は理系に行きたいと思っていた」:隠岐先生が文系を選んだ理由

「T/
 もうずいぶん昔のことになりますが、私自身、進学に際して、親戚から「女は大学なんか行かなくていい。どうせ就職してもお茶汲みをするだけなのに、勉強しても意味がない」と言われたことがあります。親がそういう考えではなかったのは幸いでしたが。隠岐先生ご自身も、そうした体験をされたことがあるのでしょうか?

 隠岐/
 うちは少し特殊事情がありまして、母子家庭で経済的には厳しかったのですが、母親が高学歴だったのです。ゆえに親から反対されるようなことはなく、応援してくれていました。むしろ、「親に負けたくない、経済的にも負担をかけたくないから、国立大で授業料免除の可能性のある東大に行くしかない」という、変なプレッシャーを感じていました。修学支援制度のなかった時代ですから。

 ただ、研究者になることには反対されましたね。母親も研究者なので、自分も研究者の道に進もうと思ったのですが、「それはやめたほうがいいんじゃない?」、と。母は女性の研究者に仕事がないことを経験的によく知っていた世代です。既婚者の男性に優先的に仕事が割り当てられる、という話をしていたのを覚えています。

 話を戻すと、私が大学を出る頃はちょうど就職氷河期で、2〜3社受けてみたものの、全部落ちてしまった。それで大学院に行くことにしたのです。

 T/
 東大卒は引く手あまたのイメージですが、そうではなかったのですね?

 隠岐/
 当時は、男子学生でも苦戦していましたが、女子学生はもっとそうだったと思います。スタート時点から差がありましたから。当時はオンラインのシステムがまだないので就活はすべてハガキ投稿でエントリーしていたのですが、そのために求人会社から前もってエントリー用ハガキの束が送られてきます。しかし、男子学生と比べると、女子学生の場合、その送られてくるエントリー用のハガキの量がうんと少ないのですね。

 T/
 確かに、そういう時代でしたね……。隠岐先生のご専門の科学史というのは、まさに文理に跨るような学問ですが、進路についてはどのように決められたのですか?

 隠岐/
 最初は歴史に興味を持っていたのです。一方で、天文学や物理学にも関心があったので大学受験に際しては、文系・理系、どちらに進むかかなり悩みました。というのも、高校2年の文理分けの際には、理系クラスを選んでいたのです。

 先ほどもお話ししたように、うちは母子家庭で経済的には裕福ではなかったので、私立高校に特待生として通っていたんですね。つまり、成績が良いことを条件に、授業料が免除されていた。だから、毎回の試験もお金を免除されている以上、いい成績を残して、存在意義を示す必要がありました。

 ところがどういうわけか、物理や数学では、テストの時にパニックになってしまうことがありました。試験中に急に動悸がして、問題が頭に入ってこない、ということがあったのです。一方、国語ではそういうことは絶対に起きないし、安心して問題を解いて、全国模試でもトップクラスの成績を取ることができました。そんなことから、教師の勧めもあって、文系に進んだというわけです。

 T/
 パニックが起こらなければ、理系に進んでいたかもしれませんね。

 隠岐/
 ただ、うちの親は両方とも文系でしたし、女性が理系に進むというロールモデルが見当たらなかったということも影響したかもしれません。自分でも「無理かも」という気がして、やれる気がしなかった。いまとなっては、その選択が間違っていたとも思っていないのですが、もし男性として育てられていたらどういう進路を選んでいたのか、ちょっとわからないな、とは思います。

 一方で、当時は文系の学問についての知識はなかったし、その面白さも知りませんでした。ちょうど1986年にハレー彗星が来たこともあって、天文学に憧れがあったし、それで理系に行きたいと思っていたんじゃないかと。

 K/
 文系と理系のあいだで本当にかなり悩まれたのですね。

 隠岐/
 そうですね。じつは後年、私が通っていた高校の校長をしていた田村哲夫先生と対談する機会があって、そのときに田村先生が、「私は、チャールズ・P・スノーの『二つの文化と科学革命』の話や、ダンテの『神曲』の話もしましたよ」とおっしゃっていました。当時、校長講話というのがあって、そのときに生徒相手に人文教養の話をいろいろしてくださっていたのですね。ところが、当時の自分はまったく頭に入っていなくて……(笑)。だから、人文系とは出会い損ねたままだったのです。

 そんなわけで、点数の良さだけで文系に進んでしまったけど、なんで理系に進まなかったんだろうという気持ちがくすぶったままだったんでしょうね。もっと数学やほかの理系の教科も学びたかったのに、「学ぶ機会を奪われた」というのが正直な気持ちでした。なぜ、こんなふうに文理に分けて、学ぶ機会を奪われなければならないのか。分けないでいてくれたら好きに学べたのに、と。こんなふうに、制度の中に分断が仕組まれていることがとても残念だな、と思っていたので、後々、なぜこうなったのか、という由来に興味が向いていったのかもしれません。」

・自身の経験が、文理の研究へとつながった

「T/
 もしかすると隠岐先生のように、数学もできるけど、文学も歴史も好きという人はいるはずで、やはり「行ったり来たり」できると良いのかもしれませんね。

 隠岐/
 そうですね。実際に、少し前に東工大(当時)の学生で、物理を勉強していたけれど、大学院からは哲学を勉強する、という人に出会いましたよ。回り道に思えるかもしれないけれど、そういう道もアリだよな、と思っていたところです。

 T/
 逆に理転する人は少ないですよね。

 隠岐/
 しにくいですね。システム上もしづらい。たぶん若いうちだったら追いつけると思うのですが、東大の場合も理転の枠というのは非常に少ないのです。

 K/
 文理に分かれているのは、学ぶ人の側の問題というよりも、受験を含めて教育する側のさまざまなプラクティカルな理由から分かれてしまっているということなんでしょうね。

 隠岐/
 ええ、その傾向が日本は特に強くなってしまった。他の国の事情を見てみると、受験のときの分け方などは、もう少し緩やか、それこそ行ったり来たりしている印象があります。アメリカでも、学部のときは社会科学を学んでいたけど、大学院から数学科に行くという人もいます。また、日本では一般的ではありませんが、海外では、複数の異なる専攻分野を同時に学ぶことのできるダブルメジャーの制度もありますからね。

 T/
 隠岐先生ご自身は、その後、大学に入られてからは、どのようにして科学史の道に進まれることになったのでしょうか?

 隠岐/
 東大の場合、前期教養学部の2年の夏までの成績をもとに、3年から進学する学部や学科を決めることができる「進振り」という制度があって、そのときに「文系と理系の真ん中をやりたい」と思ったんですね。じつはそれまで科学史の授業を取ったこともなく、単に文理の両方に興味があったから、という素朴な動機で選んでしまいました。

 先ほども言ったように、まさに、自身の経験から、「文系と理系はなぜ分かれたのか?」という研究をしてみたいと思っていました。ただ、それを卒論でやりたいと当時の指導教官に言ったら、「それは無理」と却下されてしまった。

 T/
 テーマが大きすぎるということでしょうか?

 隠岐/
 そうですね。「扱いきれないし、うまく形にならないでしょう」と言われて、その研究は卒論では諦めましたが、結局、現在まで関心が継続していて本も出した、という状況です。そういう意味では、初志貫徹と言えます。」

**(文系vs.理系の本当のはなし #4)

○Contents
・どうして人は「分けたがる」のか?:身分制度から男女の区別へ
 ・もう民主主義が終わっているのかな?:「学問の自由」とアジアの文系不要論
 ・文理融合の鍵となるもの:「個」に向かう知の可能性と危うさ

・どうして人は「分けたがる」のか?:身分制度から男女の区別へ

「T/
 前回、隠岐先生は「もし男性として育てられていたらどういう進路を選んでいたのかわからない」とおっしゃっていましたけど、そもそもいつから、ジェンダーによってイメージされる学問が分かれるようになってしまったんでしょうか?

 隠岐/
 最近、ある学生の卒論を指導していた気づいたことがあるんですよ。その学生がまさに理系とジェンダーの問題に関心を持っていたので、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の教育論である『エミール』を読むように勧めたのです。この本には、エミールという生徒が生まれたときから結婚するまで、一人の先生が自然を偉大な師と仰ぎながら人生を導いていくという話が描かれています。そのなかでルソーはいわゆる古典的な性別役割分担、すなわち男性と女性では性として持っている役割が違うこと、男性は能動的で強く、女性は受動的で弱くできているから、女性は男性に服従し、サポートする役割がある、といった内容を述べているんですね。そして、能動的な男性は女性よりも野外で活動する傾向が強いから、従って自然界の現象、すなわち自然科学にも向いている、という発想が出てくるのです。

 なぜ当時、ルソーはそのようなことを言ったのか。背景にはよくわからない部分もあるのですが、ルソーの分け方は結局のところ、当時の社会を反映しているのですね。当時、女性は実際に家から外へ出ておおっぴらに仕事ができない立場で、法的な権利も弱かった。それでルソーは彼の直感と偏見の赴くままに、男女をそのように役割分担する補完的な存在として描いたわけです。

 ただし、これはその学生とともに確認したことですが、ルソーは自然を手本にしてはいるものの、女性の能力が生物学的に劣っているという話はしていません。ただ、男女を描くときは不平等も含めた社会の現状を「自然」であるかのように描く傾向があるのです。いずれにせよ、そうした偏見が継承され、批判されつつも完全には消えないまま現在に至っているのではないかと思います。これはけっこう根が深い問題と言わざるをえません。

 T/
 日本に限らず、ヨーロッパでもそういう感覚が連綿と続いてきたわけですね。

 隠岐/
 そうですね。近代に向かうなかで身分制度がなくなってくると、今度は、家の内と外、男と女という分け方がクローズアップされるようになって、ルソーのような言説が生まれてきたと言えます。

 もっとも、ルソー自体は、性差別的でありながらも、女性たちからは支持されていたところもあるのです。実際、ルソーの観察力は並外れたところがあり、女性たちに特有の処世術をよく捉えていました。ゆえに当時の女性たちは、「よくぞ私たちのことを書いてくれた」と捉えたようです。たとえば、女性というのは立場上はっきりものを言うことのできない場合が当時は多かった。ルソーもそれはよくわかっているので、「女性は嘘をついてもいい」とも言っている。女性の嘘は、男性とは違う種類の嘘だ、と(笑)。

 K/
 ルソーという人自身が、ある種、女性的な側面を持っていたのかもしれませんね。

 隠岐/
 ええ、彼自身がセンシティブで、社会的には「弱い男性」だったというのはあると思います。

 ちなみに、「天才」という概念も近代が生んだものなんですよ。「モーツァルトは天才である」とよく言われますが、天才の典型像は非常に女性的な男性とされる。軍事など一部の領域を除き、マッチョな天才は例外的です。女性の繊細さを持ちつつも女性ではない、というのが王道なのです。これも、根っこのところでは、文理とジェンダーの話につながっているように感じます。

 K/
 なぜ人は分けたがるんでしょうね。身分制がなくなったら、男女の区別がクローズアップされるとか、天才と凡人とか。

・もう民主主義が終わっているのかな?:「学問の自由」とアジアの文系不要論

 T/
 そうなってくるとやはり、分けたがったり、融合させたがったりしてきたのは誰なのか、ということにも目を向ける必要がありそうですね。

 隠岐/
 そういう意味では、国の方針というのが大きく影響することは間違いないと思います。最近では、2020年に起きた、内閣総理大臣による日本学術会議会員候補の任命拒否問題というのは、文理問題を象徴する一つの出来事でした。

 このとき私は、思わずTwitter(現X)で、「理由を示さずに政治判断でアカデミーへの学者の任命を拒否って、ブルボン王朝じゃないんだから」とつぶやいたんですね(2020年10月1日の投稿)。投稿した時は半ば諦めというか、「もう民主主義が終わっているのかな」くらいの気持ちでした。そうしたら意外にも大きな反響がありました。そして私より年長世代の研究者が「学問の自由が危ない」という発信を始めて、反対運動の気運が高まっていったのです。私はといえば、じつは「学問の自由」といキーワードには即座に反応ができませんでした。恥ずかしながら、その意味をきちんと理解できていなかったからです。

 「学問の自由」と言ったときに、二つの構成要素があります。一つは、学問をする「個人の自由」。つまり、個人が研究したり、その内容を発表したりする自由です。そしてもう一つが「組織の自治」になります。後者は第二次世界大戦後、とくにドイツにおける学問の自由の法律解釈のなかで定着していった考え方です。その背景には、大学のような組織の自治がきちんと守られなかったことがナチスの台頭につながったという反省があったと言われていますが、正確には1920年〜1930年代にはすでに組織の自治の議論が出てきていたようです。

 さて、そんなわけで、学術会議会員の任命拒否問題が起きたとき、最初は18世紀のようなことが起こった、つまり前近代的なことが起きた、と私自身は感じたわけです。実際に、私が研究している18世紀フランスの数学者であり、社会選択理論の先駆者の一人とされるコンドルセ(1743-1794)という人は、アカデミーのメンバーは自分たちで選ぶべきだと述べています。彼自身が科学アカデミーの会員であり、会員たちが選挙で会員を選ぶプロセスをよく知っていました。だから今回の事件は、組織の自治を脅かす重大な行いであり、「もう日本の民主主義は終わったな」と思ったわけです。

 ところが実際には終わっていなかった。むしろ、こうした国の姿勢にダメ出しをする人たちがたくさんいることに気づきました。とくに司法に携わる人たちが積極的に動いて、学問の自由を謳う憲法23条の解釈に照らして、内閣総理大臣(当時)の判断はおかしい、と主張したのです。現在は、学術会議に任命されなかった6名と支援する法曹関係者らが、任命拒否の理由開示を求めて、国に対して裁判を起こしています。

 じつはこうした問題は、トルコやロシアでも起きていて、日本だけの現象ではありません。そうしたことから私自身は、この問題を起点にして、「近代学問の自由への挑戦」をテーマに、研究の傍ら活動するようになりました。国内では弁護士会や市民団体の方々とお話をする機会がありました。国外ではInternational Science Council(国際学術会議)にある「科学の自由と責任委員会」委員の一人として活動しています。

 学術会議の問題は紆余曲折を辿り、まだ解決していません。政府はまず、2023年の春に国の組織にとどめ置きつつも、その会員選考に政府が直接「助言」できる仕組みをつくろうとしました。しかしこれは会員選考という組織の自治への介入ですので、学術会議や海外のアカデミー等から懸念の声が高まり、政府は法案提出を断念しました。

 その後、政府は学術会議を法人化する方向に舵を切りましたが、その方針に対しても懸念の声があがり、対立は続いています(追記:2025年3月7日に法案が閣議決定され、2025年4月1日現在、複数の反対声明が上がるなか、国会審議の行方が注目されている)。過去になされた国立大学の「法人化」があまりよい成果を上げなかったことも影を落としています。要するに、引き続き学問の自治は危ぶまれているわけです。

 任命拒否をされた学者がすべて人文社会学系だったこともあり、この件をその前から話題に登ってきた「文系不要論」とつなげて捉える人も私の周囲には少なくありませんでした。

 なお、ここで「文系不要論」というのは、直接には2015年夏、文部科学省が国立大学の文系学部の廃止・縮小という方針を示したという報道がなされ、騒動になったことを指しています。この件はとくに文系の若手研究者に衝撃を与えました。学生の頃にこの議論に接し、「自分たちの実存に関わる問題として受け止めた」と言っている若手研究者を複数知っています。

・文理融合の鍵となるもの:「個」に向かう知の可能性と危うさ

「T/
 国の会議の資料などでも、最近、「地政学リスク」という言葉をよく見かけるようになりました。その背景には、国際紛争やエネルギー問題などがあるわけですが、日本のように資源に乏しい国には切実な問題であり、実学に直接的には関係のなさそうな学問を軽視する風潮に結びついているように感じます。

 隠岐/
 そうですね。日本も含む東アジアでは、学問、とくに科学を経済や軍事、国威発揚に結びつけようとする「科学ナショナリズム」の発想が強いと思います。そうした傾向は「役に立たない」分野を槍玉にあげる言論ともつながっています。「文系叩き」はそのひとつの現れでしょう。いまや、そのこと自体が研究の対象になってもいます。

 ただ、それはいまに始まったことではないんですね。これは日本政治史研究者の方に教えていただいたことでもあるのですが、思想・政治などの学問に対する警戒というのは明治時代からありました。

 たとえば、明治期の官僚・政治家で、帝国憲法や教育勅語を起草した井上毅(1944-1895)は、『教育議』(1879)のなかで、「工芸・技術・百科ノ学ヲ広メ…(中略)…浮薄激昂ノ習ヲ暗消セシメテ、実用ノ材ヲ成シ、以テ公益ヲ資クルニ取ルベシ」と述べています。つまり、「工芸技術百科の学(科学)」を推進し、思想などの学問はなるべく消して、「実用の材」となる人材を育成することが、国家富強の礎となると考えていたのです。

 こうした言説の背景には、自由民権運動の勃興期にあって、政治情勢が不安定ななかで近代化に向かうにあたり、政府がある種の学問分野の人を警戒してきたことがある。さらに、とくに20世紀後半に東アジアにおいて、理工系が国力の地位向上に結び付けられてきたという現実もある。そのような歴史を経るなかで、独特な文理の学問観が定着していったのではないかと思います。

 T/
 ただ一方で、ビジネスの現場では、理系偏重から、いまふたたび哲学や教養を求める声が高まっていると感じています。たとえばイノベーションを起こすにも、社会課題を解決するにも、たんに技術力があるだけではダメで、ビジョンを描く力、多様な文化を理解する力、それを説明できる高い言語能力などが求められている、といったように。「技術には哲学が必要だ」と説く経営者もいます。

 隠岐/
 サイエンスのほうにも、手詰まり感があるのは確かですよね。ある種の新しいフロンティアを求めるということは必ずあって、それこそいまや社会課題やウェルビーイングといったことに関心が向かうなかで、従来のやり方では太刀打ちできなくってきている。

 また、従来だと自然科学では普遍的で再現可能な定理や法則の発見をめざすとされていましたが、最近はやや手詰まり感があり、新しい定理がなかなか発見できないという話を聞きました。そうしたなかで、「普遍」ばかり追いかけるのではなく、個別的で一般化されづらいけど大事な対象を扱うことが注目されてきてもいる。

 たとえば、地球環境という宇宙からすれば個別的で特殊な対象をきちんと捉える研究をするためには、森林や海洋だけ見ていてもだめで、環境に影響を与える人間の社会・経済活動も把握しないといけません。すると、文系と理系の研究者が協働する場面が増えてきたりもする。

 ただ、細かく把握できる、個別性が把握できるということは、把握して制御することにもつながります。そこは諸刃の剣なのです。つまり、個別的な知というものは、政治利用される可能性がある、ということです。かつて文化人類学の知見が戦争に利用されたことはご存じかと思います。戦時中、アメリカでは文化人類学者たちを戦時情報局に登用して、日本人の国民性や戦意を研究し、それが軍事戦略に活用された、というのは有名な話ですよね。

 個別性の研究こそ、文理融合がうまくいくための一つの条件のようにも思いますが、だからこそ、こういう研究のある種の独立性、外部からあまり干渉を受けすぎないようにする環境がとても大切だと思っています。」

○隠岐さや香(おき・さやか〕
科学史家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。博士(学術)。現在、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は18世紀フランス科学史、科学技術論。著書に『科学アカデミーと「有用な科学」――フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』(名古屋大学出版会、2011、第33回サントリー学芸賞受賞)、『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社、2018)などがある。

◎科学史家・隠岐さや香教授が語る文理融合の現実と理想:
 ○文系vs.理系の本当のはなし #3(F5-5-3)
  「なんで理系に進まなかったんだろう」
 ディスタンス・メディア(文理のエコロジー 04 Apr.2025)

◎科学史家・隠岐さや香教授が語る文理融合の現実と理想:
 ○文系vs.理系の本当のはなし #4(F5-5-4)
  「文系不要論」はなぜ唱えられたのか
 ディスタンス・メディア(文理のエコロジー 11 Apr. 2025)


いいなと思ったら応援しよう!

「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。HP https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/    Facebook https://www.facebook.com/kazenotopos

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp