
言語学者が継承のためにできること:自然談話を記録する営み
この原稿は、令和6年度10月13日開催、シンポジウム『シマクトゥバ継承で研究者がなすべきこと』で、私が講演した部分の書き起こし原稿をもとに、修正加筆し、また当日のスライドで使用した音声や画像を加えたものです。このシンポジウムの全体の様子は『しまじまのしまくとぅば6』(令和6年度 消滅の危機にある方言の記録作成および啓発事業)に収録されていますが、一般に流通しない報告書なので、私の講演部分のみ、ここで公開します。
シンポジウムの詳細
シンポジウム『シマクトゥバ継承で研究者がなすべきこと』
令和6年度10月13日開催@沖縄県立博物館
【パネリスト】
下地賀代子(沖縄国際大学総合文化学部 教授)
「地域と研究者との協働による継承活動の実践」
下地理則(九州大学大学院人文科学研究院 教授)
「言語学者が継承のためにできること:自然談話を記録する営み」
狩俣繁久(琉球大学戦略的研究プロジェクトセンター 産学官連携研究員)
「シマクトゥバ継承の目標をどこまで設定するか」
【司会】
石原昌英(琉球大学理事・副学長)
イントロ
(下地理則) じゃあすみません、始めたいと思います。九大の下地です。今日は言語学者の観点で、私は宮古島のさらに離島の伊良部島のことばを記述しているのですが、継承するときに言葉の何を継承するのかということを言語学者の観点からみると大まかには大体3つです。1つは単語の語彙ですね。例えば“私”とか“昨日”とか“平良”とか“行く”とか。まあ伊良部だったら“昨日”が「ツヌ」になったり“私”が「バン」になったり、“平良”が「ㇷ゚サラ」になったり“行く”が「イㇷ」になったりするのですが、こういう語彙だったり、あと文法ですね、活用パターンとか。“私は”だったら「バー」、“私が”だったら「バガ」、“私に”だったら「バヌー」になります。こういう規則を解明していくことと、そして談話です。1つ1つの文が合わさって文章をどんどん発話していくものが談話なのですが、今日はその談話について細かく話していきたいと思います。

談話資料について
談話と言っても今みたいな日常会話、例えば「私は昨日平良に行って「れりあん」で、(平良に「れりあん」という喫茶店があるんですけど、)そこで友達と会って、、、」とかそういう話もあれば、あるいはインタビュー形式の独話(ナラティブ)、物語、挨拶、歌、などなど、実に様々なジャンルがあります。談話とは、当該言語話者が能動的に語る文脈のある自然な一連の発話のことを指します。言語学者は、それらを集めていくという作業をします。なぜそんなことをするんでしょう?

言語学者がその談話を収集して整理して残すということが、継承の文脈でどういう意味があるのかと考えたとき、多くの場合は資料的価値というものが得られると思います。つまり談話そのものを高音質で記録して、お話として残す。これが資料的価値です。もちろんそれも大事なのですが、その中に埋もれている事実の中にですね、本当だったら活用パターンとか、さっきお話しした語彙のパターン、活用パターンなどの、文法として教える内容の部分の中に、談話にしか出てこないような非常に重要なものが潜んでいます。それを我々言語学者が引っ張り出して、継承のために文法項目として教えていかないといけないわけですけど、そういうものが埋もれていますよと言う話をします。つまり談話と言うのは資料的価値だけではなくて、そのなかにも言語学的な文法項目のようなものがたくさん入っているっていうことを話します。
伊良部ことばの状況
まずその伊良部ことばがどのような言葉かという状況なのですが、私が調べたセンサスの政府統計のを見ると、1970年代ぐらいまでは一万人くらいいました。70年から75年にかけて人数が全く変わってないです。ですが、2005年から2010年にかけて千人くらい減っています。この五年で。さらに2010年から2015年にかけて五百人くらい減っています。

このように結構急激な減り方をしています。ただ2015年に伊良部大橋が完成しました。つまりそれによって平良と、平良と言うか宮古本島と伊良部がつながったわけです。その後2019年に下地島空港が開業しました。非常に沢山の人が来ています。それで2021年頃、コロナの直後くらいからリゾート建設ラッシュで、今確かヒルトンホテルが宮古本島にできたりして、宮古と伊良部の合体したリゾート化というのが非常に進んでいます。その影響もあって伊良部に住む人数が微妙に増えています。働く人たちも増えて行くことになるので、人口動態は変わってきていますが、ただ一万人という時代ではなく、五千人は切っており、伊良部島方言を話す人と言うのはこの中でもかなり少なくなってきています。
伊良部ことばを聴いてみよう
ちょっと伊良部島の言葉を聞いてみたいと思います。これは私が2005年に当時92歳の方からそのまま録音してそのまま話してもらったものです。
以下をクリックすると、談話の映像にいけます。
1 とぅーりいけん てぃーどぅい。っしばら まいばら さとぅぶずとぅの あたる゜つぁ。 ふたきゅー。
通り池の話だ。北側と南側、隣同士の家があったそうだ。2軒あったそうだ。
2 ふたきゅー ありゅーとぅいどぅ ぷすとぅきゅーが いむ゜ぬあっつぁやいば うぬきゃー。ぷすとぅきゅーぬ ぷすとぅぬ っしばらる あたっる まいばらる あたっる んみゃ っさんすが
2軒あって、そのうち一軒の者が海のそばだったので、その一軒の者が北側だったか南側だったかは分からないが、
3 ぷすとぅきゅーぬ ふたきゅーから ぷすとぅきゅーぬ プスとぅぬ
とにかくそのうちの一軒が、二軒のうちの一軒が
4 ユナイ にんぎょ ユナイタマう とぅいっちーい くるしー んみゃ うりぁ っずやいば
ユナイ、人魚がいるでしょう?、ユナイタマを捕えてきて殺して人魚と言っても魚だからね。
5 くるしー かたばたうばー やきー ふぁい かたばたうばー やーぬぱなん ぬーしー ぷしゃーたる゜つぁ。
殺して下半身は焼いて食べてしまい、上半身は屋根の上にのせて干してあったそうだ。
6 あいどぅ りゅーきゅーぬ りゅーぐーぬ かむ゜ぬ ユナイタマーユナイタマーてぃ あっしばどぅ
すると竜宮の神が「ユナイタマよ!ユナイタマよ!」と呼んだので、
7 ならー んみゃ くるさいどぅ かたばた ふぁーいー かたばたー やーぬぱなん ぬーしらいういば ならんな くーらいんてぃ あい゜たる゜つぁ。
(ユナイタマは)「私は殺されてしまいました。体の半分は食べられてしまい、もう半分は家の屋根にのせて干されてしまって、私は帰ることができません」と言ったそうだ。
8 うぬ りゅうぐうのかむ゜ぬどぅんみゃ ういさーる゜てぃー っちー ゆらびば
竜宮の神はユナイタマを連れ戻そうと陸までやってきてなおも呼ぶので
9 ならー かたばた ふぁーいー かたばたー やーぬぱなん ぬーしーどぅ ならうば ぷしー んちある゜ てぃ あすたりゃー
(ユナイタマは)「私は体半分を食べられ、体半分は干されているのです。」と返すだけだった。
10 ってぃがー うくなんむ やらはでぃっしば うりーくーよーてぃ あい゜たりゃー んーでぃてぃ あい゜たりゃー うくなんむ ばーってぃ やらすたりゃー とぅどぅかんにば。
(竜宮の神は言った)「よし、それでは大きな津波を起こしてやろう。それに乗っておりてくるのだ」(ユナイタマは)「分かりました」と答えたので竜宮の神は大きな津波をバーッと起こしたが、届かない。
11 また んめぷすとぅなむ゜ おーきー うくなんむ ばーってぃ やらすたりゃ ざざーってぃ んみゃ うりー んみゃ うりゃー んみゃ ぱる゜たる゜つぁ。
そこで、もうひと波、津波を起こしてやるとザザーッと波がやってきて、ユナイタマはそれにのって逃げることができた。
12 あいどぅんみゃ うまぬ っしばら まいばら んみゃ どーふてぃ うてぃーい んみゃ とぅーりいけん なる゜たる゜つぁ。
さてその北と南の二軒の家はどうなったか。地面がドーンと崩落してそこが今の通り池になったんだそうだ)
これが本物の口承文芸です。このお話は、あらかじめ練習していただいたわけではなく、即席で、ライブ演奏のように語ってもらったものです。物語を伝えるということが昔は普通にあって、こういうおばあちゃんがいる所(ご家庭)に集まったり、あるいはトゥンカラと言ってそこに泊まりに行って寝たりして、それで夜こういう話を聞いたりするというエンターテインメントがかつてはありました。もう私が知る限り今こういう形で話すことのできる人はほとんどいません。当時92歳つまり2005年で92歳だったので、その世代の方々は残念ながらもうお亡くなりになっているということが多いです。
このような形で自然談話というものを言語学者は記録して、わたしももう数十数百とっているのですが、それを書き起こしたりしながら研究に使います。研究の道具に使うだけでなく、これ自体も資料的価値があるという話は先ほどしました。今の話をそのまま、例えば伊良部ことばの教材に使う事だってできますね。むしろ、自然談話を資料的価値のあるものとしてそのまま残すというのは想像しやすいのですよね。でも、談話を研究に使うというのがどういうことなのかまだ実はそんなに共有されていないところもあるので少し話したいと思います。また、自然談話を研究して、それを縦横無尽に知り尽くした言語学者の知識は、実は言語継承の文脈でも不可欠なものです。そのことも、お話ししていきたいと思います。
言語調査の方法
談話資料を使った研究について解説する前に、まずはそれ以外の、おそらく皆さんにとっても想像しやすい方法から話した方がわかりやすいと思います。まず、単語を聞くといういわゆる語彙調査です。話者のお宅に伺って「頭って何て言います?」「カナマル゜。」、という感じで、「頭はカナマル゜」と記述する。あるいは「平良に行った。」って何て言いますか?「プサランドゥ イフタル゜」。「プサランドゥ イフタル゜」と記述する。これは文の翻訳調査です。単語ごとに音の抑揚(アクセント)が決まっていたらそれも調べる。語彙であれ文であれ、これらのような、話者に「〜ってどう言いますか?」というタイプの調査は、言語学者が絶対やらなければならない調査です。なぜかというと網羅的に調べないといけない事があるからです。活用の調査のようなものは、自然に観察していて、お話しの中の一個一個を拾っていってもなかなか集まりません。必ず、「食べるって何て言います?」「ファウ」、「食べたって何て言います?」「ファウタル゜」、などというふうに網羅的にやっていかないといけないので、これは必要です。

今やったような調査のやり方っていうのは話者の人に直接「これ言えますか?言えませんか?」って言うので、「こうは言わないよ」という風に、明示的に情報が得られるというメリットがあります。あとは、効率がいいということもあります。
ですが、問題もあります。例えば、こちらから翻訳をお願いすることで、つまり無理に「言わせる」ことで、本当は存在しない言い方とか不自然な言い方を採取する可能性があります。そしてもう一つは、「調べたいこと」を検証しようとしているという点そのものです。最初から私たちはこれを調べたいと思ってやっているので、まったく新規なことを調べるということがなかなか出来ないのです。サプライズに出会うことがなかなか出来ません。
下図の円で言うと、本来私たちは緑の丸の「記録すべき言語事実」だけを報告したいのですが、面接調査に頼っていると黄色の丸、つまりちょっとずれたことをやってしまいます。

つまり「記録すべき言語事実」の一部しか記録できないし、あるいは記録してはいけないものまで記録している可能性があります。ほんとうは不自然なやつを取っている可能性があるのです。
自然談話の重要性
なので、こうした問題を回避するために自然談話というものが必要になります。自然談話を観察するとその話者たちがほんとうに日常で使っているままの言葉を記録することになるので、上の図の緑の丸の枠内からずれる心配が減るし、「記録すべき言語事実」のなかで面接調査から漏れるような、我々言語学者が気づいてないような「サプライズ」とか、最初は調べたいわけでもなかった全く未知の言語事実が多くそこに含まれてます。
今、ちょっと言語継承の文脈に話を戻すと、言語学者が面接調査ばかりやっていたら、本来継承すべきものがたくさん見逃されてしまうということを意味します。伊良部ことばの中で継承すべき言語事実事実が、言語学者が知らない事の中にたくさん含まれているからです。消滅危機言語研究や継承言語研究の界隈では、談話は記録して保存するために使う、と考える人が多いし、そういう人たちはとにかく集めておけば、いつか継承に役に立つ、と「曖昧な」言い方をします。確かに、談話を集めることは大事ですが、それだけではダメなんです。談話資料を継承に役立てるためには、談話において、そして談話においてのみ展開されるサプライズを言語学者がまず把握しておく必要があって、そのために自然談話を調べて、継承すべき言語事実をできるだけたくさん把握しておく必要があるんです。
要は、談話を資料的価値でとどめてはいけないということが今回の強調したいポイントで、だからこれからは自然談話の資料を掘り起こしてしっかりと言語学者の責任として分析してくということが必要になってくると思います。今述べたことをよりよくわかるために具体例が必要だと思うので、私の経験をもとに二つ挙げてみたいと思います。
ケーススタディ1: 左方転移構文
私は伊良部言葉を研究してもう二十年ぐらいなるのですが、それでもサプライズ、驚きと言うものはあります。例えば、次のやつ。これを聞けば、伊良部のひとっぽいなと感じる部分があります。聞いてみてください。
タキヌ パーガマ ウルー フニャーシー ツッフィー
「竹の小さい葉っぱ(があるでしょう)、それを船のようにして作って」
「タキヌ パーガマ」の「マ」の部分で、音がちょっと上がるんですよ。次も同じようになります。太字部分に注目。
アミフーヌ ミズ ウイガ カーッティ ナガリー フーティガー
「雨降り(の時の)水(があるでしょう)、それがバーッと流れてきたら」
「アミフーヌ ミズ」の「ズ」で上がります。その次もそうです。
ン―、ウル カンズメヌ カンズメヌ カンカン、 ウイガ ナカンカイ ンーマ ッリー ウルー ニー ウルー ンーナ ツキー ファウ
「いも(があるでしょう)、それを缶詰の、缶詰のカンカン(があるでしょう)、それの中へイモを入れて、それを煮てね、それをみんなついて食べる。)」
上の例、全て太字の名詞の部分の末尾がちょっと上がる。それだけじゃなくて、名詞を受ける「それ」にあたる表現(代名詞)が次の文に必ず含まれています。こういう、いくつかの特徴的な「型」がある表現を、言語学では構文と言います。例えば英語で受け身はbe動詞をつけて、動詞を過去分詞にして、byをつけて、みたいないくつかの特徴を持った構文ですね。
さて、この表現、一体どんな構文なんでしょう?つまり、どんな働きをしてるんでしょう?上の例全て、太字の名詞に対応する訳として「〜があるでしょう?」となっている点に注意してください。
ズバリ、この構文は、話の途中で何か新しい話題を選んで、これからそれについて話しますよ、と宣言するという働きを持っています。「竹の小さい葉っぱ(があるでしょう)、それを船のようにして作ってね、」と言うとき、日本語で言えば、「竹の小さい葉っぱがある」という、何かの存在を宣告する文(存在文)をまず言って、その後、その何かについて、「(それを)船のようにして作る」というふうな情報を付け加えていく文(題述文)を加える、というふうに、二つの文章に分けて表現します。伊良部ことばでは、この2つを一個の文に圧縮する技があって、それがこの構文なのです。
日本語:竹の小さい葉っぱがあるでしょ、 + それを舟のようにして作って
伊良部:タキヌ パーガマ ウルー フニャーシー ツッフィー
「竹の小さい葉っぱ(があるでしょう)、それを船のようにして作って」
「タキヌ パーガマ」で上げるということが、この「圧縮」の合図です。この構文、これまで琉球語の研究でおそらく誰も報告したことのないものです。これって驚くべきことです。この、文頭の名詞の末尾をちょっと上げるという言い方がもう、伊良部の人たちというか宮古の人たちの言葉の決定的とも言えるほど、すごく特徴的な言い方なんです。なのに、この構文がずーっと、ずーっと、ずーっと無視されてきた。それって、談話を見て研究するということがなかったからなんですね。
この構文、話者の人に面接調査で調べようと思ってもどうにも聞けないんですよね。なぜなら、話者の人はこれを特別な言い方(構文)だとも思ってないし、ある一定の文脈がないと出てこないものなんです。例えば、会話をしているときに、ふとあることを思い出して、それを相手に「ほら、〜ってあるじゃん。あれはね」みたいにして話が展開していく(あるいは横道に逸れていく)、その瞬間にパッと出てくるものなんです。こちらがあらかじめ用意した「太郎が花子を見ている」みたいな文を訳していく面接調査で拾えるわけがないんです。
実は先ほど聞いた「通り池のユナイタマ」にもこれが出てきます。4番の文をもう一度聞いてみましょう。ユナイタマという人魚が出て来るシーンで、この表現が出て来るんです。
3 ぷすとぅきゅーぬ ふたきゅーから ぷすとぅきゅーぬ プスとぅぬ
とにかくそのうちの一軒が、二軒のうちの一軒が
4 ユナイ にんぎょ ユナイタマう とぅいっちーい くるしーんみゃ うりぁ っずやいば
ユナイ、人魚(っているでしょう?)、ユナイタマを捕えてきて殺して人魚と言っても魚だからね。
「にんぎょ↑ ユナイタマう とぅいっちー」というふうに、「人魚っているでしょう、」というような。日本語で言うと「人魚っていうのがいるでしょ」のような感じで出てきたりします。
自然談話を書き起こしていて、私は何度も何度も、この構文に遭遇しました。でも、ごく最近まで、これが構文(規則性のあるもの)だとは考えていませんでした。話者のそれぞれのクセや、気まぐれの現象ではないか、と無視していたんです。実際、この構文がどんな働きをしてるかと言うと非常に解明が難しくて、私は最近その謎が解けたのですが、その謎というものはさっき言ったように、あるものの存在をまず宣告する文(存在文)と、その後、それについてコメントする、という文(題述文)の二つに分かれるものを1つにまとめ上げるという不思議な文なんです。
このようなときに使うので、話者の人に面接調査で「これって言えますか?言えませんか?」と尋ねながら取る事って厳しくて難しいんですね。だから談話を見ないとこれは取れないし、しかも、伊良部ことばとしてここまで特徴的なものが獲得できなかったら、継承の場面で、伊良部の言葉としてはやはりなにか物足りない。なのでこれをちゃんと継承できるように文法項目として教えるためには我々言語学者が談話を使ってこうやって分析していかないといけないというのが一つの例です。
余談ですが、これを「構文」と真面目に認識し始めたきっかけは、これが次に見るような(特に欧米の)言語で報告されている構文にそっくりだと気づいたことでした。

これらは全部、名詞(赤字)とその後の部分を分断する特徴的な音、そして、「それ」にあたる代名詞で受けるという特徴(黄色)が共通していて、伊良部の現象と全く同じです。いわゆる左方転移という言葉で呼ばれる言語学の立派な構文なんですね。伊良部の不思議な構文が、世界でたくさん報告のある現象の1つとして相対化してみることもできるようになって、伊良部の文法記述の世界から、一気に世界の言語研究との繋がりが見えてきたんです。
さらにすごく余談ですが、琉球語も本土方言も、談話を見て、サプライズを拾い上げていけば、こうして世界の諸言語の1つとして、相対化してみることがどんどんできていくと思うんですよね。逆にそういうことをせず、すでに知られている方言学的な調査項目を調べているだけだと、いつまでも「方言」として、日本語研究のガラパゴス的な研究の檻に閉じ込めてしまうのだと思います。真面目に向き合えば、その檻から地域言語を解き放つことができます。それもまた、危機言語を「救う」ことになります。世界の注目を集めることが、その言語の研究を活発にすることにつながるわけですから。
ケーススタディ2:「引用の1人称」
具体例がもうひとつあります。私が仮に「引用の一人称」と呼ぶものです。まず、この現象の前提を説明しましょう。例えば次の文、「太郎は友達の子にお金をあげた」、そしてその次「太郎は太郎の子にお金をあげた」とありますね。二番目の文は「太郎は自分の…」と言いたくなりませんか?

太郎は太郎の子にお金をあげたというと変で、太郎は自分の子どもにお金をあげたと言うのが普通じゃないですか。伊良部でも、ナー(自分)という代名詞で置き換えます。
タローヤナーガファンド ジンノ フィータル
「太郎は自分(=太郎)の子に金をあげた」
言語学ではこのような代名詞を再帰代名詞と言います。同じ文の中に同じものが出てきた際、それを「自分」というもので置き換えるという規則です。主語そのものもナー(自分)で置き換えることが出来ます。
タローヤ ナーガ イカディティ アイ゜タル゜
「太郎は自分(=太郎)が行こうといった」。
これは厳密には再帰代名詞とは言わなかったりしますが、とにかく再帰代名詞っぽい使い方としてよく知られてきたもので、琉球語にも同じようなものはたくさんあります。「ドゥー」などと言ったりするものもあるし。
ところが、談話を見てると、この再帰代名詞の使われ方で、謎のやつが出て来るんですよ。一番目を見てください。ナラは上で見たナーと同じ再帰代名詞です。

ナラー イカディツァ「(太郎は)行くってさ」は、太郎くんが「俺はいくよ」というのを聞いた人が言っています。直訳すると「「自分は行こう」だとさ」です。このナラというのは、再帰代名詞なのに、その前に係っていくべき主語がないのです。その意味は何かと聞いたら、「私は行くってよ」という意味ですと教わります。では、これを二番目の文「バー イカディツァ」「私は行くってよ」という言い方に直して、これでもいいですか?と話者に聞くと「駄目だ」と言います。日本語的感覚からすると、上と二番目は同じ事を言っていると思います。「太郎によると私は行くって言ってるらしいよ」と言っているのと同じなので二番目で置き換えてもいいような気もするのですが、話者は駄目だと言います。なぜなんでしょう?
その謎は談話を見ていればわかってきます。特に、物語とか伝説にやたら出て来ます。「私」と訳したくなるようなやつが使われているんですよね。上で取り上げたユナイタマの話をもう一度見てみます。人間に囚われた人魚(ユナイタマ)のセリフに注目すると、ユナイタマのセリフの「私」は常にナラです。以下、再掲します。7, 9のセリフに注目。
6 あいどぅ りゅーきゅーぬ りゅーぐーぬ かむ゜ぬ ユナイタマーユナイタマーてぃ あっしばどぅ
すると竜宮の神が「ユナイタマよ!ユナイタマよ!」と呼んだので、
7 ならー んみゃ くるさいどぅ かたばたー ふぁーいー かたばたー やーぬぱなん ぬーしらいういば ならんな くーらいんてぃ あい゜たる゜つぁ。
(ユナイタマは)「私は殺されてしまいました。体の半分は食べられてしまい、もう半分は家の屋根にのせて干されてしまって、私は帰ることができません」と言ったそうだ。
8 りゅうぐうのかむ゜ぬどぅんみゃ ういさーる゜てぃー っちー ゆらびば
竜宮の神はユナイタマを連れ戻そうと陸までやってきてなおも呼ぶので
9ならー かたばた ふぁーいー かたばたー やーぬぱなん ぬーしーどぅ ならうば ぷしー んちある゜ てぃ あすたりゃー
(ユナイタマは)「私は体半分を食べられ、体半分は干されているのです。」と返すだけだった。
他にもたくさんあります。別の物語で、例えば「「俺はあいつを今から行って殺してこようと思ってる」と言ったんだとさ」とか、「「あの人が教えてくれなかったら、俺は二人を殺して死なせているところだったよ」と借金とりは言った」などというふうに必ずセリフの中で出てくるんですよ。このようなことが分かり、謎が解けてきたわけです。それは以下の通りです。
物語を語る時には二つ、ややこしい「私」の使い方があると思います。一つは語ろうとしている語り部自身を指す「私」です。「私これから桃太郎の話をしますね」というときの「私」です。もう一つは、「私これから鬼退治に行ってきます」とおばあさんが代わりに言うときの「私」があると思います。これを、今仮に私0と私1という名前を付けます。

日本語で「私はこれから鬼退治に行ってきます」と話者の人が語った時、当然ですが普通は私1を指すと思います。一方、伊良部では、私0と私1が区別されている。このように、「これから鬼退治に行ってきます」という私1を専用で指すのがおそらく再帰代名詞「ナラ」だというのが今の分析です。これを、私は「再帰代名詞の引用1人称用法」と呼んでいます。言語学では、「話し手」が1人称、「聞き手」が2人称、それ以外が3人称とされますが、伊良部では、この「話し手」の中でも、実際に発話している話し手(私0)と、引用や物語の中の「話し手」(私1)を区別している、ということです。

談話の研究成果を継承に役立てる
このように伊良部の話者たちが教えてくれた談話の中にこのように面白い、そして伊良部ことばの重要な特徴として継承すべきものが盛り込まれてることがよく分かりました。二つ例にして話をしました。一つは「タキヌ パーガマ↑」みたいな感じで上がる、ちょっと特徴的な構文。もう一つは引用人称。この二つとも私が面接調査でやっていた頃はまったく追うことが出来なかったものです。談話を見て初めて分かってきたことです。したがって、話をまとめますと言語学者が談話を収集して整理して残すと言うのは資料的価値以外にも、今日示したような言語事実を引っ張り出してそれを記述するということが我々に課せられた義務です。その言語事実が継承されるべき重要な特徴になっています。
そういうこともあり、今現在、九大のお金をもらって談話収集プロジェクトというものをやっています。助教の髙城隆一氏が中心となっている共同研究です。言語学者が取ってきた談話を電子化して、簡単に、そして話者の方々を含めた世界中に公開することが出来るよう取り組んでいます。これもリリースできたら皆さんに紹介できたらと思っています。

「正しいことばの継承」など気にするな
最後に補足なんですけど、継承するときの言葉と言うときに、私は先ほど語彙と文法と談話だと言いましたが、これでことばの「総体」を集めたことになるとは思っていません。例えば伊良部ことばと言った場合にその単語集と文法の規則と談話データがあればそれで全てになるというふうには思っていません。まるでことばをモノのように見ている感じがするのです。ことばは人がしゃべる生きているものなのに、ことばを物体や物質のように見ているから単語を集めたり、文法を理解したり、談話を集めるだけで満足してしまうのですが、実際にはその明確な終わりがないような実態が掴みにくいものだと私は思っています。言語は人が使って生きているものだから。なので記録には終わりがないと考えた方がむしろ良くて、私がやってるような記録とか記述の努力と並行的に、もう使い始めることが本当に大事だと思っています。それがさっき下地賀代子さんのご発表にあったような様々な方のプロジェクトに表れていると思います。
その過程では、当然、伝統から外れた用法とか、新用法も出て来ると思います。つまり昔の話者の人が認めたくない、活用の間違いや、、不自然な用法が出てくるということがあると思うんですけど、私はそれが副作用ではなくて、むしろいいことだと思ってます。新しい人たちによって新陳代謝と言いますか、その言語がどんどん新しいことにチャレンジしていっている感じが出ているので、それを私は非常にいいことだと思っているんです。このように考えた場合、正しい言語を継承するという考え方からの転換を意味するんのではないかと思っています。言語を静的に、モノのように考えるべきではなく、捉えどころがなくて、どんどん変わっていくものだし、成長していくものだというふうに思っています。
最後に個人的な話なんですけど、何回か登場しているこのおばあちゃん(講演中に出てきた写真を指して)がいますよね。私は沖縄県の南部の生まれで、伊良部には調査をするようになって初めて行ったんですよね。

この方、実はその時に私の祖母たちの家のすぐ近くに住んでいたらしく、私の祖母のこともよく覚えていらっしゃって。それは調査をしていく中で偶然に分かったことなんですよね。
このように、調査を通じて、自分のルーツを辿ると言う体験が伊良部のことばを研究する過程でとても多くなったのです。このような経験は言語学者としての喜びとはまた別のレベルの感動でした。会ったことのない、遠い親戚ともたくさん会えました。向こうの親戚というのはすごい濃密なので親戚というだけで仲間だみたいな感じの雰囲気を出してくれるんですけど、そこに入っていくことが出来たという。しかも自分が伊良部のことばを勉強して話せるようになって、伊良部のことばを話しながら親戚たちと付き合いができるようになっていったという過程が、個人的には非常に大きな経験になっていて。
だから継承を考えるときも何というかマクロで抽象的な伊良部のアイデンティティや宮古のアイデンティティというのも大事ではありますが、もっと個人的なレベルでこういう人がこういうストーリーを持っていて、継承して、というものがシェア出来たらいいなと思っています。私自身はほかの人がどういう経験をしているのか知らないので、どういう経験をした結果自分が継承をやろうと思ったかなどの話もあまり知りません。したがって、そういうのを共有できたらいいなと思っています。ちょっと余談でしたが、これで私の発表を終わりたいと思います。