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※すみません、長いです。

※登場人物は実在の人々をモデルにしていますが、個人特定を避けるためにイニシャルで表記し、エピソードには適度なフェイクや時系列の再構成を施しています。半分ノンフィクション、半分思い出補正の混ざった「記憶遊び」として読んでもらえたら嬉しいです。

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まえがき:なぜ今あえて「アメリカの服装」の話をするのか

久々のアメリカ留学体験記を投稿してみる。
今回は外伝として文化論強め。

さて、異国の生活を「衣食住」で語ってみようと思い立ったはいいが、この中で一番説明が難しいのが実は「衣」 だと気付いた。

なぜなら食は味覚、住は環境で語れるが、衣だけは「文化コード」「権力」「性」「階級」「宗教」 の全部乗せ。

その国の “無意識” が一番あからさまに露出するのが、実は服装だったりする。

日本人は「ファッション」をオシャレの問題だと思いがちだが、アメリカでは ほぼ“思想の可視化”であり、身分証明書だ(だから私はベージュのジャケットで “pimp” と呼ばれたし、ガールフレンドのLは “oddly hot” として成立した)。

そんな「服装」だけが持つ文化の深さをいったん自分の留学体験に引き戻して、改めて言語化してみようと思った。そんな外伝です。

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★留学体験記本編および外伝1リンク


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#0. 留学体験の内、「服装」「人の見た目」に焦点を当ててみた

“Side Stories : What Kind of Clothes Would You Like”

『アメリカ某州留学体験記』本編ではどうしても収まりきらなかった「見た目」「服装」の話。
泣く泣くカットしたが、時間が経った今こそ書き残しておきたい、そんな思いで筆を取った。

本記事は留学していた時の自分自身や友人のエピソードのうち、特に服装や外見など、米国の高校生活の地下にひっそりと張り巡らされた「暗黙のドレスコード」「陽キャでいること、自己主張することを公然と求められる同調圧力」を強く感じた瞬間をまとめたものである。

それは「人は見た目による」「名は体を表す、のではなく導く」を地で行く社会。
服装という一見表層的なものが、実はアメリカ社会の深層構造を露わにする。ここで扱う一地方の小さな回想録的エピソードにも、普遍的な文化の手触りが宿っているはずだ。

「自由の国」と呼ばれるアメリカの真実、共に覗きに参りましょう。

※性質上、先に本編を読んだほうが理解は深まりますが、この記事単体でも楽しめます。

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#1. 私はなぜ“Pimp”と呼ばれ、それが許容されたのか

“My Freedom : ‘Cause I Was an Outsider”

多くの日本人にとって、服装とは自分のセンスやクリエイティブ性を表層化するツールである。
地域によって程度の差はあれど、その表現方法はおおむね自由だ。

そこで私はある日、(本編でも書いたとおり)ベージュのタイト気味なジャケットに黒の細身のパンツ、おまけに赤黒いフレームのサングラスをジャケットのポケットにぶら下げて、意気揚々とハイスクールへ向かった。
そして “pimp” (原義は「売春斡旋業者」だが、スラングで「色男」)と言われた。

その時は純粋に褒め言葉と受け取っていたのだが、文化コード的には別のニュアンスが含まれていたのではないかと、今になって思う。いや馬鹿にされていたのではなく、もっと複雑な事情で。

――――――

まず、アメリカの高校生にとって、「Tシャツにジーパン、またはハーフパンツ」は殆ど制服のようなものだ。日本と違い、アメリカの服装コードとは「思想の表出」だから。言ってしまえば日本の高校生のほうがよっぽどオシャレ。

例えば、迷彩柄を着ていたらガンマニアかミリタリー信奉者。緑色やピンクの髪はアナーキーで反体制の象徴。サウスパークのTシャツを着ていたら問題児の悪ガキ(実際、校則で禁止されていた)。革ジャンはギャングといった具合に。

そういった文化事情があるため、多くの高校生は「無難オブ無難」に落ち着くのだ。

――――――

で、私の“pimp”な服装。

これ、本来はアメリカ南部の高校生文化圏で最も浮くタイプのスタイル。

●日本人/アジア人 → 希少種。
●ベージュのジャケット → 都市的でセクシュアル。パーティー大人男子。
●黒の細身パンツ → スケーターかバンド系、またはゲイカルチャーのアイコン。
●グラサン → 誰だよお前。

全てのパーツが、「こいつどこの階級なん……?」という違和感の塊。それを日本人なんてアウトサイダーがやっているから、余計に “odd” (奇妙)かつ “edgy”(尖りまくり)。

なので、周囲はこう感じていたに違いない。

“He’s kinda cool, but like…… what is he ?
Is he in a band ? A foreign DJ ?
Or a fashion guy ? No idea.” 
(うん、彼は確かにcoolなんだろうけど……なんだあれ?バンドメンバー?外国人DJ?ファッションマニア?わけわからん)

結果、pimp で雑に括るしかなくなる。

ただし、それでも許されるのが、“Legal Alien” にして “Band Kids” 、つまり「カースト適用外」の留学生特権だったんだろう。
おかげで私の評価は「なんかおもしれーアジア人」に落ち着いた。

――――――

アメリカ社会で服装=性の文法が暗黙知化している中、文化コードの混線が起きると、人々はそれを「名前をつけられない魅力」として処理する。

それが “pimp” 呼ばわりであり、“oddly hot”(変に魅力的)へのカテゴライズに繋がっていったと考えている。

私は意図せず、その文化記号のミスマッチからそれを生み出していたわけだ。

今考えると冷や汗が出るが、まあ落ち着くところに落ち着いたし、それでなかなかの留学生活を送れたのだから、まあよいか。やはり自己主張はアメリカ社会で必須の武器だ。

こうした「文化文脈から外れた魅力」へのラベリングは、私自身だけではなく、周囲にも及んでいた。とりわけガールフレンドだったLは、その象徴的な存在だった。
なぜ彼女は“oddly hot”として成立したのか。次章で改めて考えてみたい。

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#2. Lの服装の話:なぜ彼女は “Oddly Hot” として成立したのか

“My Girlfriend : She’s Hot, Isn't She”

また彼女を擦る気か、未練たらたらじゃん。という声が聞こえてきそうだが、そうじゃないっす!

ガールフレンドだったLの服装や振る舞いを、「アメリカの文化コード」に当てはめた時に、興味深いロジックが成立するのでトピックにするだけです!未練とかじゃないっす!たぶん。

“oddly hot” 。Lの文脈で和訳すれば「妙に色っぽい」。完璧でも流行最先端でもないのに、なぜか惹きつけられる存在感。

これは単なる個人の思い出話ではなく、アメリカの高校文化を理解するための格好のケーススタディだ。なぜ、彼女のスタイルが “oddly hot” として成立し、私を選び、自然と一緒にいられたのか。その理由を探ることが本章のテーマである。

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本編でも書いたが、初めて彼女と会話らしい会話を交わした時、彼女は “Nerd” を自称していた。当時の私は「全然そんなことないじゃん。可愛い」と思い、素直にそれを口にしたわけだが ―― 今考えると、このやりとりこそに「アメリカ的文化事情と、Lの自覚的立ち位置」のヒントが隠されていた。

まず、表面上の彼女の所属カーストは “Band Kids” だ。これは私と同じマーチングバンドに所属していたのだから間違いない。

●Jocks(体育会系、カーストの頂点)
=「王者だが、アメリカ的な理想の記号に忠実であること」が求められる階層。
●Band Kids(文化系の一種)
=多少の奇抜さも「文化的キャラクター」として許される身分。

要するにBand Kidsは「サブカル貴族」階層。
アメフトを応援する役割という関係上、体育会系と文化系を繋ぐブリッジとして機能し、カースト間の越境自由度も高い。

だから、Legal AlienにしてBand Kidsであった私は、極めて越境性の高い立場だった。希少人種にして留学生という身分上の理由も加わるので。

だがそれだけではL個人のキャラの説明にはならない。彼女は太ももをむき出しにするショートパンツスタイルが好きで、バンドコンペの時もタイトなミニスカートに薄いストッキングだった……だから、これは未練じゃないです!

つまり、アメリカの服装コードに置き換えた際、そういった服装は本来 “Queen Bee” 、女子のカーストの頂点(大抵はチアガール)のみに許されるものだ。だがLの服装は許容されていた。
校風がおおらかだったこともあるだろうが、恐らくそれだけではない。

なぜ彼女は許されたのか。ここに “oddly hot” の秘密が隠されている。

Lは自らを “Nerd” と位置づけることで、脚の露出やコケティッシュな装いを「本気でQueen Beeを狙っているわけではない」と中和していた。

彼女の自己認識は、奇抜さを正当化する防波堤でもあったのだ。そして Band Kids という文化的立場が、「露出に対する緩衝材」の高さと柔軟性をさらに強化していた。

彼女は朗らかで明るい性格、掴みどころのない自由奔放さもあった。バンドコンペに向かうバスの中、唐突に私の頬へキスしてきたのも、その性格を表す典型的な行動だろう。

スクールカーストで言うと “Floater” 的な立場だったかもしれない。直訳すると「浮遊物」だが、カースト文脈で意訳すると「不思議少女」だろうか。Legal Alienと同じく、カーストピラミッドの適用外にある位置で、越境性も極めて高い。

普通は「露出=あざとい」と見られるが、彼女は「バンドクラスという立場」と「ちょっとNerdな自己認識」で絶妙なバランスを取っていた。

Band Kidsという「文化的居場所」を持ちながら、どのカーストにも顔を出せる Floater 的性質を兼ね備える。「地位の固定化に縛られない=多少逸脱しても許される」立場。

彼女の場合は、私のように文化コードと服装が混線して “oddly” になったのではなく、行動とキャラが “oddly” でありながら、周囲に害を与えない魅力によって “hot” として消化された。

下半身の露出度が高くても「彼女だから」で流される。Legal Alienである私の頬へ唐突にキスしても「まあLだしね」となる。彼女自身がルールをずらす力を持っていた。

これは「文化的記号の逸脱」ではなく「人柄による逸脱の正当化」。

だから周囲にとってはルール違反ではなく、「彼女らしい可愛さ」として扱われたのだ。

――――――

それが「完璧ではないが妙に惹かれる」という “oddly hot” な雰囲気の完成に繋がっていたのではないか。ムーミンでいうスナフキン的魅力とでも言おうか。完璧な「王者」ではなく、むしろルールを外れながら人を惹きつける魅力の象徴。

Band Kids + 留学生としての立場を(結果的に)フル活用、越境性を「文化的に」手に入れた私。

Band Kids + Floater的性格により、越境性を「個人的な魅力で」勝ち獲ったL。

メインストリームではなく、その周縁にいる者で「越境者」同士。あるいは同志。だからこそ彼女と私は「奇妙に噛み合った」。

※補足。私もLも変人枠だが “Losers” ではなかった。これはアメリカ的カースト構造の理解において極めて重要である。

Band Kidsの一部、特にLのような「一定の社交性・表現力・文化的魅力」がある者は、堂々と恋愛市場にアクセス可能な 「許された変人」(Permitted Misfits/変わってるけど恋愛はできる層)となる。

真のLosers / Outcastsは恋愛トーナメントに参加する権利すらないという、実に厳しいサバイバル社会。それがアメリカの高校だ。

――――――

“oddly hot” とは、文化的記号の逸脱と、個人のキャラが織りなす絶妙なバランスのことで、Lはその稀有な体現者だった。そして服装コードをめぐるロジックは、彼女だけでなく「アメリカ文化そのものの象徴」にも広がっていく。
それを最も端的に示すのが、スクールカースト王者たるJocksの服装 ―― 体育会系の「ユニフォーム」だった。

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#3. 理想のアメリカ人像の象徴:体育会系のチームシャツ&ユニフォーム

“Uniform:Why Are You Wearing It Here”

Jocks、いわゆる体育会系・スポーツエリートが「アメリカ社会の理想系」として見られ、スクールカーストの頂点にいるのは有名な話だ。

日本の学校にも似た側面はあるが、微妙に性質が異なる。日本は良くも悪くも教育指導要領が「平等・横並び」だが、アメリカのそれは「エリートを見つけ出すのが主旨」。よって教師も Jocks の味方側に付きやすく、「校内の王者」としての地位はより盤石になる傾向がある。

さて、本編で1行だけ言及した生徒がいた。
「マーチングバンドとアメフト部を兼任する、ワーカホリック高校生」。名前はG、バンドでもアメリカ史の授業でも一緒で、エイリアンの私にも明るく接してくれる好漢だった。身長は高く肩幅も広く、とても同い年とは思えない貫禄。
私が「アメリカ史の授業で披露した、ベビーブーム期のキャッチコピー案と、それで巻き起こした爆笑」に、いち早く乗ってくれたのも彼だったように記憶している。

つまり、Jocksとは「授業中の空気を作り出し、制御する権利と義務を持つ」身分だとも定義できるのだが、彼らにはあるひとつの特徴、というか習慣があった。

「授業中でもアメフト部のチームシャツ、果てはユニフォームさえも授業中に着る」ことが実に多かったのだ。

そう言えば、友人のJもたまに着ていた記憶がある。当時の私は「はー、アメフト好きなんやなー」とアホのように考えていたわけだが、今思うとそんなアホよりもっと深い事情がある。

アメフト部であることを示す服装を頻繁に着ていたのは、そのスポーツが好き云々以上に、彼らにとっての権威の象徴、所属する集団のシグナルだったと見ることができる。

名は体を導き、人は見た目による。そんなアメリカ社会の縮図を、彼らの授業中の服装は体現していた。威嚇とまでは行かないが、少なくとも「Football Playerという居場所と権威性の誇示」を無意識に行なっていた可能性は高いだろう。

※実際に(重い話になるので注意)、1999年に起こったアメリカ屈指の衝撃のひとつ、コロンバイン高校の銃乱射事件の犯人達も「Jocksと分かる服装をしていた」生徒を優先的に狙ったという証言がある。

まあアメリカだからこそ許される服装といえばそうで、日本でそんなことをやったら、例えば「生徒が侍の甲冑姿で威嚇しながら日本史の授業を受ける」みたいな状況になってしまうわけだが。十中八九脱げと言われる。ただ、あの国の人々はそれをごく当たり前に受け入れていた。

Gに関して言えば、Band Kids と Football Playerという二足の草鞋を履いていた中で、本人が「どちらのIDを優先していたか」という側面でも、これは貴重なサンプルだ。

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書いていて思い出したのだが、M(本編でも出てきた、バンドのパーカッションチームのリーダー。超凄腕のドラマーにして、帰国直前の私へ餞別にドラムの通販カタログをくれた人)も、それと似たような行動をしていた。

彼は授業中も、廊下を歩いている時も、常にドラムスティックを持ち歩いていた。あれも「俺はDrum Prodigyのカーストだ」と、常に権威を誇示していた側面があるように思う。

パーカッションエリートの3名(M・A・N)は、今思えば「同じバンドエリート」に見えて、服装はかなり異なっていた。

●M:「常にスティックを持ち歩く」=制服代わり。服装以上に「楽器そのもの」を纏う異端の天才枠。
●A:「アメカジ」=ドラマクラスとバンドの架け橋で、Jocks寄りの陽キャ性を象徴。カジュアルなオシャレさに加え、「仲間と同じ空気を着る」感覚。
●N:「Tシャツ+ジーパン」=服装は最低限、演奏が本当の姿。プログレの変拍子を叩く瞬間、無地の布が舞台衣裳に化ける。

あー、現在の知識と知見を持ったまま、当時に戻りたい。もっと面白い観察ができたし、Lにももっと気の利いたことが言えただろうに……。

やっぱりあるのか?未練。

――――――

まとめ。米国の文化(特に学校)において、服装とは「社会的身分証明」に近い。アスリートならチームのTシャツ、ドラマーならドラムスティック、クリスチャンなら十字架ペンダントやタトゥー。制服の代わりにそれぞれの所属を可視化している。アメリカ人の自己主張の強さとは、つまるところそんな「自己証明」に起因しているのだ。

というわけで、次章はアメリカ社会の道徳規範とは切っても切り離せない、「クリスチャン」の服装について見ていこう。
本編でも活躍?した、JとDも出てきます。

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#4. 信仰と身体:十字架タトゥーとジーンズが意味するもの

“The US Morality:Jeans and Tattoos”

この章で扱うのは「信仰が服装にどう刻まれるか」というテーマだ。

我が友人、フットボール選手兼日本のアニメマニアという希少種Jと、そのガールフレンドのD。彼らはカースト的には完全無欠のPopular Kidsだったが、Dの服装はジーンズが殆どだった。

活動的な服装を好んでいたという見方もできるが、彼女の家庭はクリスチャンとしての考えが強いと本人およびJから聞いていたので、恐らくその道徳観に基づいた「性的に見られることを避ける」無意識の信仰的選択だった可能性が高い。

Popular Kidsという「華やかさを選べる階層」にいながら、あえてTシャツやニット+ジーンズという標準的な装いを貫くことで「内なる規範」を表していたように思う。

と言いつつ、(本編でも記載した通り)パーソナルスペースがかなり近めだったり、ハグを厭わないのも不思議なもんだと、日本人的価値観から抜け出せない当時の私は思ったものだが。

――――――

Dと言えば印象的な出来事があった。彼女はふわっとした雰囲気の美少女。見た目通り性格も温厚、人当たりもよかった(これは彼氏のJも同じ)が、たった一度だけ、公衆の面前ではっきりと強い怒りを表明したことがある。

学校の廊下にて、同級生の大人しそうな男子に向け、大声でこう言ったのだ。

“You freak me out ! ”

これは文脈によってかなり意味が変わる言葉で、日常会話では「驚かせんなよ」「ちょっと気持ち悪いな」ぐらいのニュアンスだ。ただし、叫びや怒りと共に使う場合は文脈がかなり変化する。

「お前本当に気持ち悪い。私を怒らせるな」
人格全否定にも近い拒絶感を帯びるのだ。

周囲は茶化すこともなく、場はシーンとしていた。Jが彼女を宥めていたように記憶している。

私は相手の男子が何を言ったかよく聞いていなかったこともあり、当時は「うわ、Dがあんなになるなんて珍しい。あいつ、何言って怒らせたんだ?」くらいにしか思っていなかった。

だが、今の私の知見なら、「それも彼女の信仰から来る一貫性」だったと再解釈できる。
普段決してFワードなどの「汚い言葉」を使わない彼女にとっては、Fワード並の怒りを表す語彙を用いた「拒絶の表明」だったのだと思う。

つまり、彼女の怒りのフレーズの中で最強のカードを切ったのだ。

怒り方の語彙ひとつにも、個人の信仰がどれだけ厚いのかが滲み出るものだ、という話。

……にしても相手の男、本当に何を言ったんだろ。それが最大の謎だな。

――――――

Dは「見せないこと」でその信仰心を示していたが、その逆の表明の仕方も存在する。

留学当初はびっくりしたものだが、十字架を何らかの形で誇示する生徒も結構多かった。タトゥーやアクセサリーはもちろん、後頭部の髪の一部をクロスに染め、金の十字架をいつも頭に背負うようにしていた生徒もいた(将来ハゲたらどうすんだろ、とアホなティーンの私は思っていた)。

つまり、彼らはシンボルを前面に押し出し、「見せるための信仰」として可視化していたのだ。Dの控えめさとは好対照である。
なお、そういった「信仰を可視化するファッション」をしていた生徒は、Band Kids も多かった印象がある。……やっぱり、自由な変わり者が集う階層なのかも。

――――――

さて、Jの話。Dのボーイフレンドである彼は、彼女の信仰や価値観には当然影響を受けつつも、そこまで真剣ではない様子だった(ので、割とグロいアニメも好んでいた。生粋のクリスチャンだったらタブーだろう)。

思春期らしい衝動や葛藤も当然抱えており、ある意味で「信仰と欲望の間」に立つ辛い立場だったかもしれない。

あの頃、私とJは「どうしたら彼女と至れるのか」を夜通し話し合ったものだが、そう考えると、信仰による葛藤を持たない日本人の私と異なり、案外彼は真剣だったのかもと思えてくる。

などと、神妙な雰囲気でドレスコードをめぐる文化的背景を滔々と語ってきたが、最初にJと私が教え合った英単語/日本語は、結局、ドレスどころか下着の中身のモノに関わる言葉だった。文化論とは、かくも高尚、かつ下世話な両面を持つ。
あとティーン男子のアホさは世界共通。

そして、この段階でこの2名、未だvirgin。

いずれにせよ、服装は単なる外見ではなく、信仰・欲望・社会的立場と深く結びついた「パスポートのような身分証明」だった。アメリカの高校で交差するこの3つは、まさにその縮図を示していたのである。

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#5. チアガールという「健全な倒錯」と、日本との共通点

“School Girls:Libido Is Intelligence”

チアガールは女子のヒエラルキーの頂点にして、アメリカ人にとってのフェティッシュの象徴だ。

気持ちは分かる。露出度は高いし脚はむき出しだし。だがどうも解せないのが、「キリスト教」という絶対的な道徳規範があって、露出度の高い服装を “like a prostitute”(娼婦のよう)と言って非難する文化もあるのに、なぜ「スポーツ」というフィルタを通すと、それがOKになってしまうのか、という話だ。超ダブスタ。

推測するに、これにはJocks文化=正義という、暗黙の了解が影響しているように思う。別記事(クリスチャンロックバンド・Creedの曲を和訳解説する文章)でも記載したが、本質的にはアメリカ社会ならびにキリスト教の道徳規範は「家父長制」で、男が主、女は従という価値観が根強い(特に地方では)。

その家父長制的性格を最も体現するのがJocksという階層であり、レディーファーストの文化も元々は「女性は保護すべき対象」という、「対等」とは程遠い考え方から生まれたものだ。

つまり、Jocksという名の「正義のフィルタ」を通せば、多少の矛盾には目を瞑る。その結果としてのチアリーダー文化なのだと考えている。

学校では(少なくとも表面上は)健全そのもののスポーツ応援。だが同時に、全アメリカ国民の頭のどこかでチアガールは「フェチの対象の代表的存在」「倒錯のアイコン」として機能している。これを “健全な倒錯” と呼ばずして何と呼ぼう。

日本でいえば、セーラー服やブレザーの制服といった服装が持つ「女子高生フェチ」の魔力に近いだろう。実際、周囲の男子は口をそろえてチアガール達を “Hot” と評していた。

……だが、私にはどうもその方面の才能がなかったらしい。ルックスが大人っぽすぎて刺さらなかったのだ。

なのでLのほうに惹かれたのかと、本編を読んでいただいた方なら思ったのでは。

そ の と お り で す !

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#6. 終わりに:時を経て見つかった、「見た目は人を導く」という真理

“My Growing Knowledge:Like ‘Flowers for Algernon’”

まとめとして、本記事で登場したものに加え、米国で典型的な服装コードを整理してみた。

●暗黙のアメリカン・ドレスコード:記号一覧と文化的文脈

*ロンT・パーカー・黒フレーム眼鏡
Band kids / Theater kids
→ Nerdとは別ベクトルの「創造的サブカル生徒」の記号。

*迷彩 (camouflage)
Army Believer / Redneck / Pro-Gun
→ ハンティング文化や愛国心、保守主義のシンボル。特に南部・中西部。

*派手な染髪(緑・紫・青・ピンクなど)
Anarchy / Anti-social / Punk / Queer-coded
→ 反社会的の典型。「個人主義」「体制批判」「LGBTQ+」との結びつきも。

*US ARMY / NAVYと書かれたシャツ
Military Volunteer
→ 文字通り軍志願者。単なる信奉者の場合も。

*肩出しキャミソール
Whore / Slutty (ふしだら、性的に奔放)
→ 性的規範が強く作用する社会。中高生女子は特に厳格に指導されがち。

*サウスパークTシャツ
Twisted Humor / Rebellious / White Trash
→ 保守層の反感対象。校則で禁止も。エミネムと同質の「教育に悪い」文化コード。

*眼鏡(度強め)
Nerd / Geek / Teacher's Pet
→ ガリ勉やオタクのステレオタイプ。ジャズバンドなどでは知的オーラとして逆転も。

*ホリスター / アバクロ / アメリカンイーグルなどのブランドロゴTシャツ
Popular Kids
→ 勝ち組、ホワイト・ミドル〜アッパークラス高校生の制服的存在。スクールカースト上位に属する者の記号。

*チアリーダー制服・レターマンジャケット
Cheer Girls / Jocks
→ アメフトやチア文化の象徴。正装としての意味合いがあり、学校の顔でもある。

*チェックシャツ(+バンドT)× 黒髪ロング
Goth / Emo
→ ゴシック・エモ・シューゲイザー系の音楽を好む者の象徴。パッと見で “Don’t talk to me” オーラを出す。音楽知識は深い。

*坊主頭(スキンヘッド)
Nazi / White Supremacist(ネオナチ)
→ 特に1990年代〜2000年代前半はSkinhead=ネオナチという文脈で理解された。黒人やヒスパニック生徒は特に敏感。

*革ジャン(レザージャケット)
Gang / Biker / Dropout(不良・バイカー・不登校予備軍)
→ バイカー文化との結びつき。GTA的な世界観とも共鳴。

*ジーパン(特にLevi's)
Default / Blue Collar / Safe
→「制服化」した日常着。無難中の無難。反逆でも自己主張でもなく“空気”扱い。

*スカートの丈が極端に短い
Trying Too Hard / Slutty / Popular Wannabe
→ チアガール系ならOK、それ以外は痛い子判定リスクあり。Lのように “Oddly Hot” な魅力を纏う者はプラスに作用する場合がある。

*ポロシャツ+チノパン
Preppy / Conservative / Rich Kid
→ 裕福で私立校志向な印象。共和党的で白人上層階級の香り。

*男の細身のパンツ
Skater / Band / Gay-like
→ 特に地方で浮く。都会では許容される場合もあるが、「勘違い」される可能性は常に孕む。

こうした服装コードは単なる見た目だけの話ではなく、あの国での「生き方のパスポート」そのものだった。

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服装や名付けは、無意識に人の行動や役割を方向づける。自分が当時分からなかった「文化的コード」に、大人になってから気付く。

それはまるで、『アルジャーノンに花束を』的な、不思議な脳内体験だった。

ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』。知的障碍を持つ主人公チャーリィは、とある実験を受けIQを劇的に向上させていく。だが知能が上がるにつれて「当時は理解できなかった人々の言葉の真意」に次々と気付くようになる。

私自身もまた、あの頃のクラスメイトの何気ない言葉や行動を、大人になった今だからこそ理解できるようになった。

ただし「その事実を悲しみ、やがて知能が衰えていくチャーリィ」とは違い、私の理解は今も持続して、血肉になっている。そして文章となり、回顧として書き留めることも可能になった、というわけだ。これも異文化交流の醍醐味、と言えるのかも知れない。

それは遅れて届く花束。私とLがPermitted Misfits(許された変人)であり、だからこそ惹かれ合ったことに気付いたという、「確信」という名の花であった。

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