
🌹女風土記🌹 京都府 統一教会初・大阪3区初の女性代議士候補 阿部令子 女史 / Unification Church's First Female Diet Candidate, Ms. Reiko Abe

「かぜになれ 若葉の街で かぜになれ 光の中で」
"Become the wind in the town of young leaves, Become the wind in the light."
阿部(旧 藪野)令子 女史
Ms. Reiko Abe
1952 -
京都府 生誕
Born in Kyoto-fu
阿部 令子 女史は、統一教会信者初の女性代議士立候補者、大阪3区初の女性代議士立候補者。自民党衆議院議員・渡辺美智雄の私設秘書を勤め、「日本教育婦人問題研究所」を創設。
Ms. Reiko Abe, the first female Diet candidate from the Unification Church and the first female candidate in Osaka's 3rd district. She served as a private secretary to Liberal Democratic Party member of the House of Representatives, Michio Watanabe, and founded the "Japan Educational Women's Issues Research Institute."
「小豆島」
令子の父親は大阪出身で京大医学部卒業後、戦争中に海軍医として寄港した小豆島で、流行していた赤痢を治療中に、宝石商をする旧家出身の令子の母親と結婚。母親は女優か声楽家になることを周りから勧められていたものの、13歳で親の勧めに従って嫁ぐと、家事一切をこなしながら14歳年上の父や祖父に絶対服従をし、篤い信仰心でお菓子や宝石を患者や従業員に分けてまわります。京都で開業医を始めた両親のもと、令子は20分近くバスに乗ってノートルダム学院小学部に通います。表彰されるのが嬉しくて、勉強にスポーツに張り切ります。学芸会では迫害されるキリスト教信者女性の物語を書いて褒められます。「将来は作家になりたい」。父親の怪我がもとで一家で小豆島へ引っ越すと、教会に通いながら学級委員に弁論大会に体育会にと大活躍。高松高等学校に進学するとバスケットボールと弁論大会に熱中、クリスチャンの友人と切磋琢磨しながら父親と同じ京都大医学部を目指します。
「原理研究会」
ストレートで京大医学部に入れず傷心の令子は、父の知人の看護婦長宅に下宿して近畿予備校に通う浪人生活を始めます。進路に疑問を感じ始めた頃に怪我で二浪目を迎え、文化放送ラジオで社会学者・加藤蹄三が担当する土曜日の「セイヤング」を欠かさず聞きます。「第二次世界大戦を、君たちはどう思うか?」学園紛争の真っ只中、リスナーの過激な意見が読み上げられた後で、「経済封鎖をされて戦争で打開する以外、日本の生きる道はなかった。」「これは大変だ」新たな目標を見つけた令子は外交官を目指して慶応大学法学部政治学科に進学します。優秀な長女を医者にしたがっていた父親は、手のひらを返したように見合い結婚を迫ります。仕送りの打ち切りをちらつかせ押し付けてくる見合い相手から逃げる様に、令子はバスケットに明け暮れ、統一教会(統一協会)の「原理研究会」に出会います。
「ホーム」
「何か困っていることはない?」「きれいな目をしているわね。」勉強の面倒や悩みの相談にのってくれる優しい先輩たちに、ビデオセンターと呼ばれる統一教会の建物に連れて行かれると、グラス音楽の流れる暖かい雰囲気のホームに迎え入れられ、あたたかい食事でもてなされます。「アンケートに答えてくれない?」「姓名/手相 見ましょうか?」アンケートで貯金や資産を調べられ、家系図を書かせられ、隔離された空間で教義のビデオを見て、3日間の修練会と7日間の合宿に参加し、文鮮明夫妻を「お父さま、お母さま」と呼ぶ統一教会信者である食口(シック)になると、「氏族メシア」になるため、「地上天国」の実現のため、「経済(献金)か生命(献身)か愛」を捧げるよう迫られます。銀行借り入れまで財産を捧げ尽くすと、「ホーム」の共同生活で睡眠・食事・プライバシーに至る全生活を監督されながら、駅前で若者たちを伝導したり、1日3万円のノルマで物売りや募金集めに個人宅や会社を訪問してまわります。
【ハンコ売りのマニュアル:
(笑顔で軽く頭を下げて)ごめんくださーい ○○から来ました○○と言います。よろしくお願いします。今キャンペーン中で、姓名判断とか印相を無料で見させてもらっています。おかあさん/おとうさん、運勢に興味ありませんか?(玄関に入らせてもらう)(相手の顔を見ながら)とてもきれいな目をしていらっしゃいますね。とても笑顔が明るい方ですね。(元気で明るく感謝して。第一声が問題!大きな声で!賛美しまくる!)】
「カウンセラー」
令子は大学を卒業後、外交官試験勉強を続けながら、子供を集めて自宅で塾を開くと、いつのまにか母親たちの相談相手・カウンセラーとして重宝がられるようになり、婦人サークルに入って奉仕活動を始めます。すると、大阪府吹田市で「朝起き会」を主宰する婦人サークルのリーダーで実践倫理会の役員を務める女性から「教育問題」について講演を頼まれ、東京と大阪を言ったり来たりするようになります。「日教組こそ教育荒廃の根源である。立ち上がり行動しよう。」いじめ・校内暴力・登校拒否で学校に不満を持つ母親たちの反響を呼んで、講演に引っ張りだこになります。高槻市では準公選(教育委員会の選挙)阻止の署名運動が1年間に渡って行われます。
「新しい人格」
「夫婦の悩みはありませんか?」「子どもの悩みはありませんか?」噂話を恐れて近所やPTAで話せない悩みを打ち明けると、やさしく真剣に話を聞いてくれます。「霊界のお子さんが助けてくれと言っている」「ご主人が地獄会で苦しんでいる」「先祖の因縁によって不幸が起こる」霊能者が言う通り、何百万円ものお金を渡してしまいます。「聖書学習」「文化サークル」「自己啓発」で誘われて来たビデオセンターでビデオ学習を何日も続けるうちに、女性蔑視と日本蔑視を賛美しながら犠牲の精神を植え付けられ、自由な思想と行動、「善」「悪」の判断を奪われます。「女性は汚れたもの。女性が男性を世界を家庭を堕落させた。」「新婦の使命は、自分の全ての物質と所有も新郎に捧げなければならない」「日本というのはいわば悪魔の国の女性、全ての物質と所有を、神の国の男性である韓国に捧げることが必要」「この世の全ての金と財産は神様のものであるから、夫や銀行の金を盗んで来て私(文鮮明)に献金しても神様の法律では罪にはならない。」
「風になれ」
「"親"が喜んでくれる結婚をしてこそ、本当の意味での結婚でないか」30歳の時、令子はソウルの国際合同結婚式に参加、文鮮明夫妻が王冠をつけて聖水を撒く下を、愛媛県代議士の秘書を務める男性とくぐって結ばれます。そして33歳のとき、婦人サークルの要請と夫の協力と実家の資金援助を得て、大阪三区から初の女性候補として保守系無所属で立候補(1986年第38回衆議院選挙)。「なかなか筋が通っている。わしの血を引いている。」街頭演説の原稿を読んで聴かせると父親は上機嫌で激励してくれます。「無風の大阪3区に新風を吹かせましょう」「教育に心を、家庭に愛を」スローガンを掲げ、「風になれ」自ら作詞作曲したテーマソングをテープに吹き込んで売って資金の足しにし、40万人の握手キャンペーンを行います。「これはいける」後半に盛り上がりを見せるものの、75,749 票の支持を得て落選します。
「韓国への送金」
笹川良一が身元引受人となり、ソウルから宣教師・崔奉春(チェ・サンイク、日本名は西川勝)が日本に密入国(1958年)、学生部として「全国大学原理研究会」を結成(1966年)、全国で「原理運動」を開始します。続いて、立誠佼成会会長・久保木修巳が佼成会青年部らと集団入信、活動の中心となって勢力を増大。中曽根康弘はじめ自民党代議士らが「北東アジアの平和を考える議員の会」を結成、金丸信・自民党副総裁が法務省入国管理局に身元を保証し、文鮮明(ムン・ソンミョン)が初来日。東京、名古屋、関西の統一協会施設で説教し、山梨県本栖湖で第一回アジア反共連盟結成準備会を開催(1967年)。笹川を名誉会長に久保木を会長として国際勝共連合が韓国から日本に移植創設されます(1968年)。「日本と韓国と中国をアメリカで結ぼう、それが日本を救う道だ!」帝国ホテルでの日本各界人士1700人を集めた「希望の日・日本晩餐会」(1974年)で文鮮明がスピーチして10年で、日本から統一教会本部のある韓国へ2000億円(1980-1990)が、翌10年で約4900億円(1990-2000)、また翌10年で約7600億円(2000-2010)が送金されます。日本の家庭から捧げられた潤沢な資金と、朴軍事政権(1961-1979)の反共政策と結びついて急速に発展した統一教会は、韓国の軍需産業の一翼を担いライフル銃・対空砲の部品生産を行い第三国へ輸出工作するのを米国に警戒されるも、文鮮明はゴルバチョフと面会しソ連への経済支援を約束(1990年)、金日成と会見し北朝鮮への経済支援を約束します(1991年)。
「霊感商法」
令子は再挑戦を目指して大阪の吹田市に「日本教育婦人問題研究所」を開設。自民党の政調会長を務める衆議院議員・渡辺美智雄から私設秘書の肩書を貰って指導を受け、渡辺美智雄の名前を借りて「芋づる式草の根」支援団体の結成を急ぎます。社会党の進出で与野党逆転、リクルート事件と消費税の真っ只中、自民党の公認を得た令子は、37歳の時に2回目の選挙に挑戦します(1990年第39回衆議院議員選挙)。「自民党に女性代議士を女性の感性を」高槻市民会館と豊中市民会の両決起集会には述べ4000人以上が集結。渡辺美智雄・自民党政調会長はじめ山崎拓・前防衛庁長官、大石千八郵政大臣らが応援に駆け付けます。「今回はいける」その矢先、「安倍令子は霊感商法をしている」共産党員が中傷ビラを配り、左翼系週刊誌に記事を掲載、銭湯で電車ラッシュ時で街頭演説の聴衆内でささやきます。そこに、日本統一教会会長の久保木修己が日本の天皇陛下の身代わりとして、文鮮明とその家族に拝跪する不愉快な儀式が報道されます。「霊感商法の女王をよろしく」右翼団体の街宣車が軍歌を鳴らして選挙カーを付け回します。令子を熱心に支援する勝共連合の仲介を得て右翼団体は抑えるものの、折り返し地点で潮を引くように79,102 票で落選します。
「結びつき」
首都圏選挙区(1990年第39回衆議院議員選挙)では、新興宗教の「オウム真理教」が「真理党」を結成し25名を擁立。『麻原彰晃マーチ』を歌い、青いガネーシャ帽子、黄色いガネーシャ着ぐるみ、麻原マスクをかぶった「彰晃軍団」が応援。前年には「オウム真理教被害者の会」を組織する坂本堤弁護士家族3名を殺害。「アルマゲドンは秒読みの段階」「破局が迫っている」「今出家しないと生き残れない」大学内の偽装サークルで勧誘、超能力やオカルトとして麻原を持ち上げるテレビや雑誌で宣伝、バブル経済崩壊後の深刻な不況と行き詰まりを皺寄せられた若者たち、経済や核戦争はじめ人類の危機から人々を助けたい若者たちを惹き付けます。オウム真理教に出家するには遺言状まで用意され全財産を寄付、お布施を拒むと誘拐され、「脱会者は無間地獄に落ちる」逃亡信者は暴力で連れ戻され、脱会しようとすると集団リンチで殺害に至ることも。修行は、薬物投与、施錠付きの独房、長時間断食、眠らせない、熱湯に入れる、土に埋めるという事実上の拷問で、無給労働を修行として強制、「悪行をつみ地獄に落ちるものを、成就者が殺すと天界にいき不死の生命を与えられる」教祖のためなら殺人も許されるという人命を軽視する思想を植え付けます。選挙で全員落選すると、「オースチン彗星が接近して災害が起きる」沖縄の石垣島に信者1000人を集めて1人30万円の災害回避修行、山梨県上九一色村と熊本県阿蘇の波野村へ進出。森林法・国土法違反により熊本県警から家宅捜索や幹部逮捕を受け「信教の自由侵害」を宣伝するオウム真理教を「統一教会(統一協会)」が擁護します。まもなくロシアで布教を開始(19992年2月)、ロシア製の軍用ヘリコプターや毒ガス検知器などを輸入、死傷者6300人に及ぶ無差別テロ「地下鉄サリン事件」(1995年)に突き進みます。
「高市早苗」
「宗教活動と称して、訪問販売や主議員候補の手伝いを強制させられた」無報酬で動員された元統一教会会員らが、令子はじめ「統一教会(統一協会)」と「全国大学連合原理研究会」を相手取って、未払い賃金と損害賠償と慰謝料の合計5000万円を求める民事調停を静岡地裁に申し立てます。令子側は支払いを拒否、裁判に発展します。統一教会の「勝共連合」「霊感商法」「親泣かせの原理運動」のイメージが広まってきた頃、女優・桜田淳子、元新体操選手・山崎浩子、元バドミントン選手・徳田敦子の「統一教会交際合同結婚式」がマスコミで盛んに取り上げられます。「日本マスコミ文化情報労働組合会議」、「原理運動を憂慮する会」、「全国霊感商法被害対策弁護士連絡会」らがマスコミの加熱報道に冷静さを申し入れると、芸能ネタから社会問題として取り扱われるようになります。そこに「私達は"国際合同結婚式"を応援します」産経新聞と統一教会の新聞・世界日報で「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」が意見広告を出します。「中国は長男であり、韓国は次男、日本は三男。次男を立てて兄貴のいろいろの問題を助ける三男坊が後からついていく。これが自然な姿だ。日本の政治家も日本人もこれをわきまえるべき。」令子40歳のときの再々挑戦(1993年第40回衆議院議員選)では、以前の得票を半分近く減らして44,360 票で落選します。前年の決起集会「あべ令子と21世紀に飛翔く大阪の集い」には武藤嘉文・自民党税制調査会長、安西愛子・自民党元参議院議員、そして政治評論家の高市早苗が応援に駆けつけています。

-「明日に飛翔く : 無風の大阪三区に新風を吹かせる」(阿部令子 著 竹井出版, 1990.11)
-「新興宗教ブームと女性 増補版」(いのうえせつこ 著 新評論, 1995.7)
-「いま、宗教者と語る : 日隈威徳対話集」(日隈威徳 編著 白石書店 1992.4)
-「文鮮明主義の批判 : 統一協会の過去・現在・矛盾」(榊利夫 著 白石書店, 1993.3)
-『文化評論 (350)』(新日本出版社 [編] (新日本出版社, 1990-04)
-「史報」(1982年12月号)
-大阪3区第38回衆議院議員選挙 / 選挙ドットコム
-大阪3区第39回衆議院議員選挙 / 選挙ドットコム
-大阪3区第40回衆議院議員選挙 / 選挙ドットこむ
-「国際労働運動 17(8)(193)」(国際労働運動研究協会1987-08)
-「日韓タブーと言論の自由 : 言論・文化の日韓癒着を抉る」(中川信夫 編 晩声社 1979.10)
-「振興宗教になぜ惹かれるのか 統一教会と若者たち / いのうえせつ」「月刊状況と主体 (205)」(谷沢書房 [編] 谷沢書房1993-01)
-「文鮮明先生の半生 血と汗と涙」(野村健二 統一思想研究所所長1975)
-「文鮮明主義の批判 : 統一協会の過去・現在・矛盾」(榊利夫 著 白石書店1993.3)
-「前衛 : 日本共産党中央委員会理論政治誌 (12)(627)」(日本共産党中央委員会, 1992-12)
-「韓米関係の調査」米国下院国際関係委員会国際機構小委員会1978年
-「プロメテウス : 労働の解放をめざす労働者党理論誌 秋季(19)」(労働の解放をめざす労働者党 編 全国社研社1995-09)
-「統一協会・文鮮明来日 金丸自民元副総裁が便宜 韓国文書公開 政府方針ゆがめ 被害拡大」(しんぶん赤旗2023年4月7日)
-「文鮮明教祖の「血分け」ルーツで浮上した「女子大事件」 / 大林高士」(『週刊ポスト』1993.10.15)
-「仰天ルポ 統一教会とオウム真理教が急接近」(江川紹子 有田芳生「週刊文春」1994年11月17日号)
-「統一教会とオウム真理教の奇妙な接点」(江川紹子 有田芳生「週刊文春」11月24日号)
-「オウム「ハルマゲドン」の末路 : 理性と人間性への反逆」(新日本出版社編集部 編 新日本出版社 1995.7)
-2022年10月17日 衆議院 予算委員会
-オウム真理教問題デジタルアーカイブ 法務省

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