
oasisの来日公演に寄せて
ASHのとツアー大阪公演の前日に連絡が来て、oasis再結成の来日公演のオープニングアクトを務めることになった。バンドにとっては寝耳に水、瓢箪から駒、鼻から牛乳。25日の公演はメンバー揃って観客として参加する予定だった。「マジかよ」と驚いたのが正直なところで、メンバーのなかでは「いくらなんでも急すぎる」という意見もあった。
冷静に考えると、自分たちくらいのキャリアのバンドだと、楽器や音響スタッフも含めて、それなりに規模が大きい。スタッフの25日のスケジュールが空いていなければ、メンバーがどんなにやる気でも実現が厳しい。急なオファーに窓から飛び出して快哉を叫びたいところだったけれど、アラフィフにもなると別の心配が一緒に湧き上がったのは事実。
個人史としては、名曲『Live Forever』がなければ、現在の自分はなかった。「Maybe」の一声で何かが塗り変わってしまった。あの瞬間がなければ音楽をはじめることもなかった。『Wonder Wall』は俺の作曲の最初の教科書であり、バイブルだった。それは押韻についても同じで、俺は日本の詩歌からではなくて、ノエルの作曲を若い頃に研究、模倣することで言葉とメロディーの関係を学んだ。
事務所の社長(俺たちのマネージャーでもある)から、「直接オファーが来た」という連絡をもらった時点で、断るという選択肢はなかった。俺はスタジオの機材の入れ替えに奮闘しながら「みんな喜んでるだろうな」と妄想していたが、他のメンバーはホテルで冷静に話し合っていた。「なんだよ!」という気持ちと、しっかりしてるなという気持ちが8:2くらいの割合だった。
「俺がどうやって音楽を始めたのか知ってるんだから、バンドがどうこうじゃなくて、友達として俺を東京ドームのステージに立たせてくれよ」
正直に、皆にはそう伝えた。
いやぁ、でも、俺たちは2005年にoasisの前座を務めて、幸運にもアフターショウにまで参加させてもらった。同年にoasisとweezerの並びでサマソニのステージに立たせてもらえたのも、自分たちに近しいスタッフのみならず、クリエイティブマンのブッキング担当の皆に思いを汲み取ってもらえたからだと思う。それだけで、十分に色々な何かを既に果たせたと言える。
アラフィフのバンドが、ここに立つべき若いバンドやアーティストの一席を奪ってしまっているかもしれないという罪悪感が、いくらかある。けれども、「どうせ誰がやってもファンに怒られるなら俺がやる」くらいの気持ちでいたのも事実で、ゆえに、どうやらオープニングアクト自体がなさそうな雰囲気について少しだけ拗ねていたのも事実。俺はアンビバレントで小さい男だと思う。笑ってほしい。
多くの友達から連絡をもらった。すごいね、と。本当にそうだと思う。しかし多分、oasisに会えるとしても「秒」の世界で(あるいは面会なし)、それよりもBig Egg(東京ドーム)の音響に俺は緊張している。こんな率直な言葉をnoteに綴っていて、まったく俺はロックスターたる何かを有していないなと思う。まあでも、これまで通り身の丈でやる以外にはない。今回は比喩として、セカンドフライをきっちり捕りたい、野球場だし。
この週末の東京ドーム、誰かの青春が鮮やかに蘇ったり、生きていてよかったなと思ったり、そうした幸福がそこら中に充満しますように。今後の、ぞれぞれの人生の端々にも。そして10代の俺を救ってくれたギャラガー兄弟とoasisの今後の幸福を願う。十分に与えてもらった。だからこそ、ふたりには自分たちの無敵ぶりを、じっくり噛み締めながら末長く活躍してほしいと心から思う。
で、最後に。
おとぼけビ〜バ〜、クソ最高。ファンダンゴの次の日に東京ドーム、からの南米のフェスとツアー。ヤバすぎる。日曜日のチケット、誰か譲ってくれ。
追伸。
インディーロックのみならず多くのミュージシャンの活動や楽曲制作を支援するためのスタジオを仲間たちと静岡県に建設しています。工事はほぼ完了しましたが、今後の持続可能な活動のための仲間を募集中です。
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