今回の文章は以前に取り上げた「コスプレ事件の裏にある中国社会の多層構造」を逆側から見て、急速に発展した社会が生み出している歪みを解説したものです。
若者世代から見た老人世代の姿を紹介しながら、前時代的な価値観が現代社会にどのような影響をもたらしているのか、そしてタイトルの言葉に代表される価値観の変化をお伝えします。
以前にも取り上げたように、中国におけるZ世代(1995〜2010年生まれ)は、世界でも珍しい「三つの時代が同時進行する社会」を生きる世代です。現代的価値観を持つZ世代と、儒教的な家族観や地域共同体の考えが根強く残る老人のあいだでは、頻繁に衝突が起きています。
公共空間を占拠する老人
代表的な事例として、つい最近に広州に住む方が投稿した「我在地铁站“怒怼”在里面乘凉遛娃的大爷(私は地下鉄駅で子どもを遊ばせるおじいさんを怒ってディスった)」を紹介します。

前提知識として、中国は共働き世帯が多いため、子どもの面倒を祖父・祖母が行うことが多くみられます。また、暑さを一時的にしのぐ場所として地下鉄駅のスペースが解放されています。以下は本編です。
私は地下鉄駅で子どもを遊ばせるおじいさんを怒ってディスった
夏が来た。各地の地下鉄駅では「暑さをしのぐエリア」が設けられ、無料で市民に開放されている。
するとこんな光景が見られるようになった。子どもを遊ばせる人、床に寝そべる人、テーブルを持ち込んで麻雀を始める人、ハンモックを吊るして休む人、さらには中でテレビドラマを見る人までいる。

地下鉄が「暑さをしのぐエリア」を提供しているのは、市民への善意からであって、勝手気ままに振る舞ってよい場所ではない。
ところが今ではどうだろう?麻雀卓がベンチの横に広げられ、牌を切る音が駅のアナウンスよりも大きい。
子どもたちは走り回り、保護者はその横でスイカの種を飛ばしながら座っている。しかも果物の皮やゴミを平気で地面に捨てる始末。さらには、マットを敷いて横になり、通路をふさいでしまう人までいる。
昨日、私が改札口に入ろうとしたとき、ちょうどおじいさんが孫を連れて改札機の横で走り回っていた。その子が私の脚にぶつかってきたのだ。まだ何も言っていないのに、おじいさんの方が逆ギレしてきた。
「お前、目ぇついてんのか? 子どもが驚いたらどうすんだ!」私は怒りを抑えて、周囲を指差して言った。
「見てくださいよ。これがまともな光景ですか? 涼むためのスペースが麻雀部屋や託児所になって、急いでる人たちはどうやって通ればいいんですか? 地下鉄は交通の要所であって、あなたの家の庭じゃないんです!」
すると彼は首を突き出して強気に言った。「夏は暑いし、ここは涼しい。ちょっと子どもを遊ばせてるだけじゃないか。あなた、神経質すぎるよ。」私はとうとう我慢できずに怒鳴った。
「神経質? ルールを守らないのはあなたたちの方でしょう!
公共空間の善意は、急いでいる人がちょっと一息つけるようにとか、お年寄りや子どもが一時的に休憩できるようにっていう配慮なんです。それを居座ってダラダラする場にしてしまってどうするんですか?

麻雀やって通行の邪魔、子どもを放置して事故が起きたら誰が責任取るんです?本当に涼しい場所で子どもを遊ばせたいなら、公園だってショッピングモールだってあるでしょう?
それなのにわざわざ地下鉄に居座って迷惑をかけるなんて、はっきり言って自己中心的です。だからね、年寄りだって理由にならないし、暑いからも言い訳にならない。文明ってものは、気温と一緒に溶けていいもんじゃないんですよ。
涼みスペースの涼しさは、ルールを守る人の心にこそ、涼しく届くべきなんです。あなたみたいに理屈の通らない人を甘やかす場所じゃないんです。」
その後、おじいさんは周囲の人に引き離されて行った。
地下鉄の涼みスペースは、都市が市民に与える恩恵であり、皆で守ってこそ意味があるものだ。一人ひとりが少しだけでも公共心を持ち、基本的な秩序を守るようにしよう。自己中心的で無秩序な行為が、この「思いやりの空間」を壊さないように。不文明な行動が、せっかくの涼しさを台無しにしないように。
そうしてこそ、この夏の清涼感は、より多くの人に行き届くのだ。
この文章は2025年7月23日に投稿され、現時点で10万回以上読まれています。この記事についたコメントのほとんどは賛意を述べています。なぜ老人は、このような行動を取るのでしょうか。
老人の行動の裏側:人民公社体制と儒教的価値観
中国の高齢世代のなかで、1958年から1982年まで存在した人民公社体制の下で青年〜壮年期を過ごした人々の多くは、集団主義的な価値観を内包しています。