分かっている破滅へと突き進む日本の少子化政策
当初、私は「日本政府少子化対策室の象」的なタイトルで、日本政府は1向に口にしない少子化の本当の原因について指摘する気でいた。現在少子化は案の定、後述の歴史や証拠に目を背けて「少子化は先進国の避けられぬ必然であり、技術の進歩、富、教育、科学、都市化、個人主義、幼児死亡率の低下その他良い事の代償である」的な言説が唱えられ始めている。この理論は正否は別に「私達は少子化による滅びを受け入れてるしかないが、既存の少子化対策はそれを遅らせるぐらいの効果はあるので継続していき、穏やかな着地を目指そう」という敗北主義を肯定する為のものだ。
日本政府もこうした理論を元に少子化の真の原因から目を逸らして、既存の少子化対策で優遇を受ける層…主に女性…の利益を維持し続けているのだろう…と思っていた。しかしソレは日本政府の「目を背けている」以上の騎士仕草によって粉々に打ち砕かれた。結論から先に言えば、日本政府は既に自分達のやってる少子化対策がマイナスなこと及び少子化の真の原因について正確に把握しているのだ。とりあえず、まずは日本政府のやっている「こども未来戦略」について軽く解説することから始めていく。
こども未来戦略
日本政府が「次元の異なる少子化対策」として打ち出した「こども未来戦略」および、その実行計画である「こども・子育て支援加速化プラン」は、その政策的基盤を「経済的支援の強化」という1点にほぼ全面的に依存している。端的に言えば、主に若年女性や子育て世帯に向けて金をジャンジャン送ろうという施策だ。
https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/001197740.pdf
政策の柱は明確だ。第1に直接的な金銭的インセンティブの強化である。これには児童手当の所得制限を撤廃し、支給期間を高校生まで延長、更に第3子以降は月額3万円に増額する措置が含まれる。
第2にライフステージにおける特定の経済的障壁の除去である。高等教育費に関して、授業料等減免と給付型奨学金を、多子世帯(扶養する子供が3人以上)や理工農系の学生等の中間層(世帯年収約600万円)に拡大する。
第3に経済的支援と表裏1体となる「サービスの量的拡大」である。親の就労要件を問わない「こども誰でも通園制度」の創設、産後ケア事業の拡大、そして保育士の配置基準の見直しや処遇改善が盛り込まれている。これらは子育て(特に保育)の機会費用を社会化し、主に女性の労働市場への復帰を促す(L字カーブの解消)ことを目的としている。
これらの政策群に通底する根本的な前提は、「人々が子供を持たない(あるいは理想の子供数を持てない)最大の理由は、子育てと教育にかかる『経済的負担』である」という認識だ。従ってこの負担を金銭的インセンティブとサービスの(量的)提供によって相殺すれば、人々の出生行動は合理的に変化するという古典的な経済合理的モデルに基づいている。しかし、本当にそうでしょうか?
経済的インセンティブの限界
この「経済的負担」を少子化の主因とする政策的診断は世界的な人口動態の構造的トレンドと、歴史的な出生率上昇の実証分析の両方によって、その妥当性を著しく疑われている。というよりハッキリと否定されている(尚且つ後述するように日本政府もそれを認識している)。
第1に世界的な構造的潮流の無視だ。医学雑誌『The Lancet』に掲載された204カ国・地域を対象とした包括的な人口動態分析は、世界の合計特殊出生率(TFR)の低下が不可逆的な世界的トレンドであることを示している。さらに重要なのは合計特殊出生率低下の主要な駆動要因が経済的貧困ではなく「女性の教育水準の向上」と「避妊へのアクセスの改善」であると実証された点だ。女性が教育を通じて自己決定権を獲得し、キャリアを追求するようになれば、出生率が人口置換水準(約2.1)を下回ることは経済発展の必然的な帰結であることは、もう疑いようがなくなっているのである。
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(24)00550-6/fulltext
第2に歴史的実証の無視だ。先進国における20世紀最大の出生率上昇である「ベビーブーム」の分析は、経済的インセンティブ(児童手当など)が出生率を押し上げるという仮説に疑問を呈している。ベビーブームの本質は金銭的支援ではなく「結婚ブーム」であった。そして結婚ブーム(特に若年での結婚の増加)を引き起こしたのは、「若い男性の賃金の上昇」「男性の失業率の低下」、そして決定的に「女性の労働力参加率の低下」という、3つの特異な社会的・文化的条件の組み合わせである。
1930年代後半に世界各地の先進国で起こった出生率の急激な上昇は、何れも第1次人口転換…死亡率と出生率の高水準から低水準への移行…を経験した国において実現していた。雑に言えば、ベビーブーム(出生率低下からの反転)は当時人類史上最も豊かで、最も技術的に進歩し、最も長寿で、最も都市化が進み、最も教育水準が高く、最も個人主義的で、そして最も科学的に洗練された社会で起こったということだ。要は今唱えられ始めている「少子化は先進国の避けられぬ必然であり、技術の進歩、富、教育、科学、都市化、個人主義、幼児死亡率の低下その他良い事の代償である」理論は、これを政治的な理由で無視した権力者が国を亡ぼすのを容認する為のオカルト理論ということだ。実際にコレを唱えている方々の政治的立場は改めて説明するまでもないだろう。

そしてベビーブームの直接的な原因は結婚ブーム…婚姻率の上昇だと結論が出ている。というか日本の少子化の婚姻率の低下が直接的な原因だ。これ自体は左右問わず見解が1致している。そして何が結婚ブームを引き起こしたか?も答えが出ている。それは「女性の労働力参加率(低下)」「若い男性の賃金(上昇)」「男性の失業率(低下)」の組み合わせだ。
Butz–Wardの出生率モデルは、結婚およびベビーブームが男性の収入の増加と低い失業率から生じたと仮定しています。私の結果は、男性の収入と初回結婚率の間に正の相関があることを示しています。更に男性の収入の増加は、結婚ブームの大部分を説明するのに十分な大きさでした。失業率もまた役割を果たしました。世界恐慌時の失業がなければ、結婚ブームは1930年代初頭に始まっていただろうと考えられます。3つの期間代理変数、すなわち実質賃金、失業率、およびFLFP(女性の労働力参加率)をコントロールした後では、結婚ブームの多くはコーホート要因によって説明される必要がほとんど残らず、他の仮説は棄却されました。
(The Butz–Ward fertility model assumes that the marriage and baby booms resulted from a rise in men’s earnings and low unemployment (Hypothesis 2). My results show a positive correlation between men’s earnings and the first marriage rate. Moreover, the rise in men’s earnings was large enough to account for most of the marriage boom. Unemployment also played a role. Were it not for unemployment during the Great Depression, the marriage boom would have started in the early 1930s. After controlling for the three period proxies, real wages, unemployment, and FLFP, not much of the marriage boom remained to be explained by cohort factors, leaving limited room for Easterlin’s relative cohort size model (Hypothesis 1) and the ‘one-time demand shock for female labour’ model (Hypothesis 6). Thus, the marriage boom was mostly a period effect, although the marriage bust appears to be a cohort effect.)
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00324728.2016.1271140
より詳しくはコチラ
このメカニズム自体は明白だ。若い女性は金と地位を欲しがり、若い男性は比較的裕福で地位も高く、女性は男性と結婚することでその金と地位を手に入れる事が出来たからである。実際日本では高所得女性ほど婚姻率が低く、また低所得男性ほど婚姻率が低いので「女性は金持ちになるほど、男性は貧乏になるほど婚姻率が低下する」こと自体は自明だ。

しかし言う間でもなく「なら若い女性に回す金を減らして若い男性に金を回そう」はポリコレ的に正しくない。「若い男性から金を取って若い女性に回そう」はポリコレ的に正しいが逆は許されない。そして事実上日本政府の少子化対策は「若い男性含む独身男性から金をとり、既に子供のいる家庭や独身女性に金を回す」というマイナスでしかないことをやっている。これを肯定するロジックは「政府が提供する経済的インセンティブはそれらのマイナス要因を凌駕出来る」「金を回された女性は目覚めて自分より所得や地位の低い男性を養うようになる」という、極めて楽観的かつ実証的根拠の薄い仮定に基づくものだ。そして、なんと日本政府も
原因を日本政府は知っている
ソレら…女性の社会進出と出生率にマイナスであること、女性が目覚めないこと、女性に金を回す少子化対策はマイナスになること…を把握している。例えば湾曲的表現ではあるが国立社会保障・人口問題研究所は、住宅・居住価格の高騰やソレに対する経済的支援は少子化に効果がない理由を下記のように分析している。
未婚時の世帯状態の違いによる結婚・新世帯形成に伴う居住コストの上昇の差異は, それが大きいほど結婚・新世帯形成に制約を与えるという構造にはなっていないと考えられる.むしろ, 一人暮らしを選択した女子は, その生活形態によって得られる自由を継続しようとしていると解釈できる. 出生動向基本調査の独身者調査においても, 独身生活の最大の利点は 「行動や生き方が自由」 であるとされ, 1997年調査では女子で70%がこれを選択している. 一人暮らしの居住コストはその自由を得るための必要なコストと認識されていると考えられよう
要は女性の独身生活における住宅・居住費用含む諸々のコストは結婚への「経済的障壁」として機能しているというよりも、むしろ「行動や生き方が自由」であることの「対価」として合理的に選択されているということだ。そして女性の独身生活の最大の利点が「自由」であると認識されている以上、この自由を手放すことの非経済的な「機会費用」は、金銭的インセンティブでは補填が困難だと結論されている。なんと我々がX等の少子化議論で何度も繰り返されてきた主張は、既に国の文書に(上品な表現で)書かれているのだ。即ち女性は恵まれれば恵まれるほど結婚するインセンティブが減少し、尚且つ男性を養うこともない。
財源の逆進性
「こども未来戦略」の「加速化プラン」に必要な年間3.6兆円規模の財源は、徹底した歳出改革によって捻出される建前であった。しかし実態としては、国民の「健康保険料」に上乗せする形で「子育て支援金」を徴収するスキームが導入されている。色々ゴチャゴチャして書かれているが、政府の試算によれば年収600万円世帯は健康保険料名目で月1000円程度徴収される見込みであり尚かつ「労使が折半して負担」なので企業も1000円負担するということだ。つまり単純計算で2000×12=年24000円の増税になる。
https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001228302.pdf
なんか「こども家庭庁長官官房総務課支援金制度等準備室」はパワーポイントをゴチャゴチャさせて「国民負担増なし」というレトリックを弄しているが、普通に社会保険料という形での実質的な負担増である。というか「国民負担無しで金をばら撒きます」とするレトリックで「?」とならない方が無理だろう。
そして、この手法の最大の問題点は社会保障の負担は本来応能負担(所得に応じた負担)が原則であるということだ。しかし社会保険料(特に健康保険料)は、所得税のような厳格な累進性を持たず、むしろ比例的、あるいは上限の存在によって高所得者層ほど負担率が下がるという逆進的な側面を持つ。このシステムを利用して財源を徴収することは、特に低・中所得の現役世代に対し、その可処分所得に対して不釣り合いな負担を強いることを意味する。その打撃を最も受けるのが金をとられたうえに回されない独身男性であることは今更説明する間でもない。
政策の自己矛盾
そして、これは「経済支援による若年層へ結婚・出産を促すインセンティブの付与」という名目すらからも矛盾する。国際比較の視点からも、日本の(特に非正規雇用を含む)低所得の子育て層は、すでに重い社会保険料負担に直面している。社会保障の負担と給付のバランスを見直す必要性が指摘されている中で、政府はさらなる「上乗せ」を選択しているのだ。これは政府理論においてでさえ、少子化を促進させると言わざるを得ない。
何故なら雑にまとめれば以下のような形になるからだ。
1.政府は少子化の要因を「経済的負担」と診断し、その対策として児童手当の拡充などを打ち出す。
2.しかし、その財源(支援金)は、まさに子供を産み育てるべき「現役世代」の社会保険料から徴収される。
3.結果として、現役世代の手取り(可処分所得)は支援金分だけ減少する。
これは政策が解決しようとしている問題(若年層の経済的余裕の無さ)を政策自身が引き起こすという完全な自己矛盾に他ならない。例えば政府が月額2000円を保険料から徴収し、それを(子供の有無や人数に応じて)児童手当として再分配するプロセスを考える。これは「少子化対策」ではなく、単なる現役世代内での「所得移転」に過ぎない。更に私のnoteの読者の中には「既婚者は金持ちで未婚者ば貧乏な傾向がある事を踏まえれば、これは逆進政策に他ならないやんけ。貧乏人の富が金持ちに徴収されるんや」という事を指摘する方もいるだろう。
可処分所得の減少と、将来にわたってこの「支援金」が徴収され続けるという見通しは、現役世代の将来不安を直接的に増大させる。このような将来への不安や経済的困窮は若年層の結婚や出産といった長期的なリスクテイク(家族形成)を困難にさせている…という日本政府自身の理屈に基づけば、この財源調達スキームは少子化対策として「プラス」に機能するどころか、現役世代の経済的基盤を毀損し、少子化を助長する「マイナス」の圧力をかけていると結論するしかないだろう。日本政府の少子化対策は矛盾のうえに更なる矛盾を重ねた極めて歪で名状しがたいナニカなのだ。
結果を日本政府は知っている
「こども未来戦略」がもたらすマイナス効果は、経済的な自己矛盾に留まらない。教育、地域、イデオロギーの各側面において、社会の格差を拡大させ、深刻な分断を助長する危険性を孕んでいる…というか、既にそれを起こしている。
例えば「こども未来戦略」の柱の1つである高等教育費の負担軽減、特に2025年度から実施される多子世帯(子供3人以上)を対象とした所得制限なしの大学無償化は、1見すると教育機会の平等を推進するように見えるだろう。しかし、こうした施策自体は「中卒ないし高卒で働く現役世代から大学に行く人間への富の移転」に他ならない。そして言う間でもなく中卒・高卒の人間は大卒に比して貧乏であり、高認合格ナビの令和3年度「賃金構造基本統計調査」を基にした試算によると、生涯賃金は中卒(約1億9400万円)と大卒(約2億6190万円)で約7000万の差があるとのことだ。これは最悪の逆進政策に他ならない。貧乏人が金持ちの実現の為に金をとられるのだ。
そして2024年から全国に先んじて「所得制限を撤廃した高校無償化」を開始した大阪では、2025年11月現在早くも色々な問題が噴出している。雑に言えば、あらゆるデータが大阪近郊において教育格差は埋まるどころか固定化・助長させていることを示唆しているのだ。
まずは中学受験者数の顕著の増加と減少だ。大阪府は少子化のご時勢の中で所得制限撤廃無償化の影響で2024→2025年にかけて中学受験者数を558人も増加させた。1方で他の関西圏は悉く中学受験者数を2023→2024年のソレより減らしている。これは「関西圏のU12を大阪府が吸い取っている」ことに他ならない。しかもコレは「所得制限撤廃」によるものなので、正確には「ケチで地元愛のない金持ちが更なる優遇?を求めて大阪の学校を選んでいる」ということだ。正にマタイの福音書にある「持つモノは更に持ち、待たぬモノは待つモノを奪われる」に他ならない。
また公立高校離れも深刻だ。大阪府公立中学校長会が2025年1月に実施した調査によると、高校進学希望者のうち、私立高校を希望する生徒の割合が25.97%から29.05%へ増加した1方で、公立高校を希望する生徒の割合は59.4%から56.6%へ減少している。これは言う間でもなく公立高校の定員割れと質の低下、そして私立高校との格差拡大を招き、教育システム全体の分断を深刻化させる。要は公教育の基盤自体をも怪しくなりつつあるということだ。
雑にまとめれば、今の大阪は所得制限撤廃により、このような事態に陥っているのだ。
1.大学進学は「授業料」だけで決まるのではなく「入学試験」という競争に勝利する必要がある。
2.無償化の恩恵を受ける中間層以上(特に教育熱心な多子世帯)は、節約できた学費を、競争勝利のための塾や教材や家庭教師に再投資する
3.1方で勉強する経済的余裕のない低所得世帯は、仮に(別の制度で)授業料が無償化されたとしても、この「塾代格差」によって学力競争で劣後する(遺伝子に関してツッコムとややこしくなるのでここでは語らない)
4.結果として、この無償化政策は教育熱心な中間層以上の家庭への勉強補助金として機能し、経済格差を学力格差ひいては将来の所得格差へと転換・固定化させる
更にこうした動きは日本政府の「地域創生」とも明確に矛盾する。地方創生とは日本の人口の大都市への1極集中と人口減少(少子化)を同時に解決しようというプロジェクトだ。雑に言えば地域を活性化させて生産人口(労働や出産を担う層)を地域に呼び寄せ、地域の資産(土地等)を使って生産しまくって貰おうというプロジェクトだ。しかしながら大阪府の例を見るように、高等教育無償化は子育て世帯の「教育移住」を誘発する。端的に言えば金持ちは無償化により、地方から支援が厚く学校へのアクセスも良い大都市で移り住むのだ。
これは子育てにも言えることで、こうした支援策は各自治体間の予算や資源の新たな地域間格差を生み出す。東京都や大阪府など財政力のある大都市は、国の制度に先んじて、あるいは国の制度を上回る独自の所得制限撤廃や完全無償化を進めたり、国の制度に上乗せさせたりする。1方で地方の自治体は国の制度に依存せざるを得ず、支援の内容や範囲に大きな差が生じ、金持ちに「優遇してくれる大都市に行く」インセンティブを与えてしまうのだ。
そして何より恐ろしいのは「こども未来戦略」は、理念として「地方創生」を謳っていることだ。もう完全に分裂してる。
また、全国どの地域に暮らす若者・子育て世代にとっても、経済的な不安なく、良質な雇用環境の下で、将来展望を持って生活できるようにすることが重要であり、引き続き、地方創生に向けた取組を促進する。特に、地方において若い女性が活躍できる環境を整備することが必要であり、地方における分厚い中間層の形成に向けて、国内投資の拡大を含め、持続的に若い世代の所得が向上し、未来に希望を感じられるような魅力的な仕事を創っていくための取組を支援していく。
地方創生を推進するデジタル田園都市国家構想交付金により、地方自治体による高等教育費の負担軽減に向けた支援を促しつつ、大学卒業後に地方に移住する学生への支援を強化する
北へ向かいながら南を目指す
我が国が少子化対策として高等教育無償化を目指すロジックは雑に言えば「教育費の高騰が少子化の原因なんだ。みんな子供の教育費を恐れて産み控えているんだ。だから教育費を支援すればバカスカ子供を産むはずなんだ」というものだ。言う間でもなく、このロジックは馬鹿々々しいの1言だ。
まず日本において出生率は減少しているものの、夫婦の平均出生子ども数…結婚した夫婦が作る子供の数自体は半世紀以上ずっと横這い~微減であり、出生率…人口1000人あたりで1年間に生まれる子どもの数…ほど極端に右肩下がりというわけではない。端的に言えば、結婚した夫婦が教育費ないしその他何らかの事情により産み控えている事実はないということだ。

というより、日本における少子化の原因が「婚姻数の減少」なことは政府も認めている。各資料にも非婚化や婚姻数の低下が少子化の直接要因であると何度もハッキリ書かれている。
https://www.mof.go.jp/pri/international_exchange/kouryu/fy2024/pri_kipf202501_1.pdf
またそもそも論として上述の通り、女性の高等教育は全世界的に少子化の直接要因であることが判明している…のみならず、なんと日本政府は1999年時点でコレを把握していた。
(女性の高学歴化により妊娠適齢期を勉学で消費するので)柔軟性に欠けるタイムテーブルの設定が、結婚をするかしないか、仕事を続けるかやめるか、子供を産むか産まないか、といった各ステージごとの選択を二律相反的なものとし、結果として若年女性が子供を持とうとしない状況を生んでいるのかもしれない。少子化は各個人の社会的選択の一現象である
まとめれば日本政府は少子化の原因を「自由で豊かな国における女性の自由選択の結果」と、かなり昔から把握していたということだ。そして今インターネットで騒がれるような「女性の高等教育は少子化を促す」「少子化の根本原因は婚姻数の低下で(夫婦の)産み控えではない」「経済的インセンティブ付与は少子化解決に寄与しない」的な論点も把握している。それにも関わらず、何故日本政府は誤った少子化対策を続け、更には「地方創生の為に所得制限撤廃等の大都市への人口流入政策をやるぞ!」という支離滅裂な方針を掲げるのだろうか?冒頭で述べた「目を背けている」という表現は生ぬるい。政府は「見ている」うえで、意図的に真実とは異なる道を選んでいるのだから。
破滅の儀式
端的に言えば、日本政府の行動原理は「少子化の解決」ではないだろう。我が国の行動原理は「少子化対策という名目で行われる特定のイデオロギーの推進と、既存の受益者層への利益誘導」と解釈するのが自然だ。良い悪いは別に事実だけ抜き出すと、現代日本において「女性の社会進出」や「ジェンダー平等」はその正否とは別に「少子化対策そのもの」として扱われている。これらにより誰が利益を受け、誰が負担を負うかは改めて説明する間でもない。
冒頭で触れた「少子化は先進国の必然」という言説は、単なる敗北主義ではない。それは真の少子化対策という「パンドラの箱」を開けることを恐れる層にとって、現状維持を正当化する「免罪符」として機能している。
政府は自らの政策が少子化を加速させることを(少なくともデータ上は)知っている。高等教育無償化が地方の若者を大都市に吸い上げ(地方創生との矛盾)、支援金が若年男性の可処分所得を奪い(婚姻率の低下)、女性への経済支援が彼女たちの「自由な独身生活」を補強すること(人口問題研究所の指摘)等を、全て理解しているのだ。
それでも、この矛盾した政策を続けるのは何故か。
それは真の対策を打つことの政治的コストが、国家が破滅するコストよりも「今この瞬間」においては高くつくからだろう。或いは権力的に出来ないのかもしれない。「若い男性の賃金を引き上げ、女性の社会進出を抑制する」などという政策を打ち出せば、メディアや特定の圧力団体から猛烈な非難を浴び、政権は倒れて指導した官僚の首も飛ぶだろう。なんなら「若年女性支援や所得制限撤廃や育児支援は効果がないのでやめる/縮小しまう」だけでも、色々危うくなるだろう。
日本政府の少子化対策は科学的根拠に基づいた「政策」ではない。それは国家の衰退という避けられない運命(と彼らが信じ込もうとしている運命)を前にして行われる、ある種の儀式のようなものなのだろう。
「子育て支援金」は、未来の子供たちのための投資ではなく、現役世代から徴収される「生贄」だ。「高等教育無償化」は、教育格差を是正するものではなく、金持ちがさらに有利になるための「選別装置」に過ぎない。そして「こども未来戦略」という名前は、未来を創造するための戦略ではなく、破滅へと向かう現状を糊塗するための「レトリック」だ。日本政府は既にイデオロギー、特定の性別、権力者、受益者…そういったモノと殉じる消極的覚悟を決めている。我々はその殉教に付き合わされる羊の群れに過ぎないのだ。
余談
陰謀論にならないように事実だけを抜き出したが、コレは陰謀論抜きに解釈する方が無理があるだろう。この現象を解釈する為の主な陰謀論は2つある。
・政府や先進国は人口減少より人口爆発の方を恐れている
・国連は女性を抑圧するなら国が亡びるのを容認すべきと公言しているが、日本もその教義に従っている
私自身はこれらは明確な目的(陰謀)によるものではなく、消極的現状維持と政府中枢や公的機関の女性化により起こっているものと思っている。要は恐ろしい陰謀や、明確な方向性よりも、言語体系の崩壊や真実性の無視といった「無能」によるソレが、実社会においてまるで作為じみた悪意として機能しているということだ。また女性化に関して詳しくはコチラを参照。

